#16『バーチャル美少女、呼び止められる』

「雨……しんど……」


 傘をさして雨音の中を歩く。

 本降りにはなっていないらしく、雨の勢いはまだそれほどでも無かったが……それにしたって鬱陶しいことには変わりない。

 髪は跳ねるし、服は湿るし……。

 本当は、今日は部屋の中だけで1日を過ごそうと思ってたんだけどな……。

 せっかくの予定が莉音のせいで台無しだ。


「恨むぞ、莉音……」


 ま、恨んだところで、この恨みが莉音に届くことは無いのだろうが……。


「さて、莉音の学校は……」


 俺はスマホを取り出し、マップアプリを開いて学校の場所を確認する。

 莉音の学校は、俺の家から意外と近い。歩いても十分行ける距離にあった。あまり長距離は歩きたくないので、その点は有難くはあった。

 ……もっとも、そのせいで莉音はしょっちゅう家に上がり込んでくるし、今日も俺が傘を届けに行くことになっているのだが……。


「はぁ……さっさと傘届けて帰ろ……」


 一刻も早くこの状況を抜け出すために、俺は足早に雨の中を進む。


 ――その時だった。

 俺は――俺とは逆方向から歩いてくる人影に気付いた。

 

「ん――?」


 それは、見知らぬ女性だった。

 いやまあ、コミュ障の俺にとって女性の知り合いなんて莉音か美玖か楓ちゃんくらいしかいないのだが……しかし、妙に目を引く女性だった。

 女性にしてはいささか高身長で、短く切り揃えた髪からは端正な顔立ちを覗かせている。

 だが、俺の目を引いたのはそこじゃない。

 いや、身長の高さにも驚いたが……どちらかと言うと、その格好だ。


 なんと彼女は、パンクロックなファッションに身を包んでいたのだ。


 ……アカン。

 これは多分絡んじゃいけない人種だ。

 少なくともコミュ障とは対極の位置にいる存在で間違いはない。

 ヤバい。

 心臓がバクバクだ。


 ……だが落ち着け。

 ただすれ違うだけじゃないか。何も話しかける必要はないのだ。

 俺は目一杯肩をすぼめて、女性の横を素通りする。

 そして、心の中で呪文のように言葉を唱えた。


 すれ違うだけ。

 すれ違うだけ。

 すれ違――。


「――ねぇ、キミ」


 ――はええええぇぇっっ!!??


 何故か女性に呼び止められていた!


 えぇ!? なんで!?

 ただすれ違っただけなのに!

 ど、ど、どうする……!?


 とりあえず、ガン無視なんてしたらどんなことされるか分からない。

 俺はめちゃくちゃビビりながらも、彼女の呼び掛けに返事をした。


「なななんでしょう……?」


「キミ、可愛いね」


 ……ああ。

 これ本格的にヤバいやつや。

 端的に言うと貞操の危機や。


 俺は咄嗟に鞄から自分の財布を取り出して、彼女に差し出した。


「こ、これ……あまり中身は入っていませんが……これで勘弁してくださいぃ……!」


 財布の中には俺のお小遣い全財産が入っている。

 全財産が無くなるのは残念だが……それで貞操の危機が回避できるのであれば安いものだ。

 さあ、これでどっかに行ってくれ……。


 しかし俺の想像に反して、


「ん? え? なに……?」


 女性は明らかに戸惑いの表情を浮かべていた。


 あれ……?

 なんか思ってた反応と違う。


 彼女は何秒か思案を巡らせたあと、


「あ、そうだ――」


 懐から何かを取り出した。

 まさか……拳銃チャカ……!?

 と一瞬思ったが、当然そんなことはなかった。


「――アメ、食べる?」


 アメ……?

 彼女の手のひらの上に載っていたのは、みるきぃだった。

 

「はぁ、ありがとうございます……」

 

 何が何だか分からなかったが、断るのも変な気がしたので、とりあえず受け取る。

 何なんだ、この人。

 もしかして、悪い人ではないのか……?


 ――だが、そんな俺の思考は彼女のとある一言で全て吹き飛ぶ。

 

「ねえ、キミ――もしかして『不知火結月』でしょ?」


 …………は?

 この人、いま何を……?


「申し訳ありませんが、もう一度仰っていただいてもよろしいですか……?」


「だから……不知火結月でしょ、キミ」


 聞き間違いじゃない。

 この人、確かに俺のことを不知火結月と……。


「どこでその名前を……?」


「さあ、どこでしょう?」


 そう言って微笑む女性。そして俺は、その表情を見て自分が『不知火結月』だと半ば認めてしまったことに気付く。


「あなたは、一体……?」


 俺がそう問うと、女性は怪しい笑みを浮かべて言った。


「今は内緒。でもきっとすぐに分かるよ。たぶん……また会える日も近いから」


「え……?」


 すぐに分かる……?

 どういうこと?

 だが、女性はその答えを明かさぬまま、


「じゃあ、またね……結月ちゃん」


 そのまま、颯爽と歩いていってしまった。

 あとに残された、俺1人。


「何だったんだ、あの人……?」


 俺は、彼女からもらったみるきぃを自分の口に放り込んだ。

 口の中に、甘いミルクの風味が広がった。


◇◇◇◇

 

 そこからは何事もなく、莉音の学校に到着した。

 まったく……慣れたことはするもんじゃない。

 帰りは誰に声を掛けられたとしても全部無視してダッシュで帰ろう。


 俺はそう決心しつつ、スマホで莉音に電話をかけた。

 だが、呼び出し音が鳴るのみで、一向に出る気配がない。

 何なんだアイツ……そっちから呼び出したくせに。

 どうする? 待つか……?


 しかし、雨は止む気配が無く、むしろだんだんと強くなってきていた。

 傘を叩く雨の音が少しずつ強くなる。

 このまま待ってたら俺が風邪ひいちまうぞ……。


 そうして校門前で待ちぼうけを食らっていると、


「――お姉さん!」


 俺を見つけて、誰かが近付いてきた。


「あ、楓ちゃん!」


 それは、楓ちゃんだった。

 俺が莉音以外で唯一知っているこの学校の生徒だ。

 誰にも声をかけられずに突っ立っているだけになるところだったから、助かった。


「どうしたんですか?」


「いや、莉音に傘を届けに来たんだけど、電話が繋がらなくてさ……楓ちゃんはどこにいるか知らない?」


「うーん……莉音ちゃん、ですか……」


 楓ちゃんはひとしきり考えたあと、何かを思い出したのかこう言った。


「そう言えば……漫研に顔を出すって言って言った気がします。何でも、今日はOGの人が来るからって……」


 それだ。

 莉音は漫研――漫画研究部に所属している。まあ、所属しているだけでほぼ幽霊部員だと言っていたが……。

 たぶん他の部員たちとの会話に夢中で俺の着信に気付いていないのだろう。

 人のことを呼び出しておいて……。


「……はくちゅっ!」


 クシャミが出た。

 くそ……そろそろ限界だぞ。

 どうしたものか……。


「あの」


 すると楓ちゃんが俺の様子を見兼ねたのか、こんな提案をしてきた。


「一旦、学校の中で休んだらどうですか? 私、事務室に話をつけて来ますので――」

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