第3話 類は友を呼ぶという言葉もあるが同族嫌悪という言葉もある
「浮かない顔をしているな宮村君。君の顔は一日に一度しか見ないけれど、その一度が長いのだからもう少し幸福そうな顔をしてくれると、私はこの一日をハッピーに過ごすことができるのだが……まあ、君には不可能なのは今に始まったことではないか。つくづく、難儀な生き方をしているようで感心するよまったくもって」
さて、昼休みすらも遠き彼方に置き去った放課後のことである。出会っていきなり、俺の顔についての文句をつらつらと並べたこの女生徒は、俺が所属する文芸部の部長こと
そして、俺が今いるここは我らが誇る文芸部部室。幽霊部員含めて四人だけの憩いの場。まあ、第二部室棟でも二階の端っこの方にあるこの部室は、実際何かと騒々しい学園生活の喧騒から逃げ出すにはちょうどいい場所で、憩いの場という表現は皮肉でも何でもなく真実だ。
僕の目の前にいる人間を除けば、だけれど。
「どうしたんだい宮村君。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして。余談だけれど、この言葉は鳩が豆を食べたのか、鳩が豆を顔に受けたのか、いまいちわかり難いとは思わないかい?」
「どうでもいいじゃないですかそんなこと。それを言えば、ことわざや慣用句なんて、端から言葉で意味を伝える気もない知識人の暗号文じゃないですか」
開け放った窓から流れてくる夏場の風にチャームポイント(本人談)のボブカットを揺らし、猫のような何を考えているかわからない笑みを浮かべながら、相も変わらず頓智のようなことを言っている。これこそが、一学年上の俺の先輩こと猫啼先輩である。
とりあえず俺は、扉を開けた途端に此方の顔色を窺ってくるような趣味の悪い先輩の与太話に付き合いつつ、部室の真ん中にある机の、窓際の席へと移動した。そこは入り口から最も近い猫啼先輩の定位置から対角線上にある、入り口からも猫啼先輩からも最も離れた席だ。
この席の位置関係を見れば判る通り、俺は猫啼先輩が少し苦手である。彼女が飄々としているようで、何かと見透かしているような。そんな雰囲気を纏っているから。
「暗号。そう、暗号だ!」
ほらまた何かを言い出した。そして、毎度の如く繰り出される彼女の与太話に付き合うのが俺の役目。まあ、すぐに家に帰ったところで何もやることがない俺としては、こうして先輩の話に付き合うのも吝かではなかったりする。流されているだけかもしれないが。
「ふっふっふ、宮村君。実は今、私はさながら、難攻不落の暗号器エニグマに立ち向かうアラン・チューリングと言ったところなのだけれど」
「ならば世界平和のために是非ともその暗号を解いてもらいたいものですね。そもそも、アラン・チューリングって誰ですか?」
「エニグマは知っているのにアラン・チューリングを知らないとは何事だい君は。実に現代っ子らしいじゃないか」
「主にどこら辺が?」
「すごいモノのすごい理由を知らないところとか」
そこまで言ったところで、くつくつといやらしい笑みを浮かべて猫啼先輩は笑う。猫のようだと、“僕”は思った。
笑顔だけではなく、自由気ままな語り草も猫のようで、そこに意図があるのかないのかは本人にしかわからない。そんな会話に付き合わされる身にもなってほしいものだ。
ともかく、部室においておいた読みかけの推理小説を手に取る。そこで、猫啼先輩が少しだけこちらに顔を寄せてから、質問をしてきた。
「時に宮村君。難読な書籍は好きかね?」
「嫌いですね」
俺は即答した。回答までの合間は時間にして0.08秒。人間の限界を超えている。よほど俺は与太話に付き合いたくないらしい。
「ははぁん、どうやら君は私と趣味が異なるらしい。私はむしろ、解説が個別に必要なほどに難解極まりなければ、それは物語と言えないと思っている」
「気取った意見をありがとうございます。一般論で恐縮ではございますが、解かり辛い本ほど人が離れていくとのことです」
“僕”は言う。
「そもそも、そういった本は一種の自己暗示の道具だと思っています。気取った人間が、気取った自分の優秀さを自認するために、気取った書籍を解読する。そして声高らかに叫びます。私はこんなにも難読な本を好む、極々限られた人間なんだぞ、と」
「おっと、そう言った種別の人間に相当強い恨みを持っているとお見受けした。ところで宮村君。難読な書籍は好きかね?」
「……」
やはり出たかと、猫啼先輩の悪癖におもわず眉を顰めてしまう。彼女の質問は、決まって何らかの主張の前振りのようなもの。つまり、思い通りの回答が引き出せるまで繰り返し続けられることが多々あるのだ。
なので“僕”は答える。繰り返すように。重ねるように。
「嫌いですよ。難解なだけの本など」
「性格が悪いぞ宮村君。ここは冗談でも好きだと答えるのが筋だと思うがね」
「冗談だろうがおべっかだろうが日常会話だろうが、くるりと舌の根の乾かぬ内に意見を変える人間にはなりたくないだけです」
「事なかれ主義の君がそれを言うかぁ?」
「理想と現実とは往々にして違うものですよ、猫啼先輩」
「現実を変えるために理想はあるんだぞ、宮村君」
またもやいやらしい笑顔を浮かべてくつくつと笑う猫啼先輩。まだまだ三か月程度の付き合いだけれど、疲れ果てるほどに見たその笑顔に溜息を吐きつつ、俺は読みかけの推理小説を開いた。
「おいおい、まだ話は終わってないぞ」
「言ったじゃないですか、難解なだけのものは嫌いだと」
「だからと言って、昨今のファスト文化には甚だ呆れるばかりだけれどね。映画の二倍速再生にサビだけ楽曲切り抜き、背景描写も心理描写もないセリフだけ恋愛小説など、読むに値しない愚作だとは思わんかね? それともあれかね。セリフだけでキャラクターの思惑が手に取るようにわかるとは、これが噂に聞くさとり世代とでもいうやつか?」
「消費者のニーズがあってこその流行りですよ。それに、作法は在れど書き方に型はないというのが俺の意見です。いいじゃないですか、セリフだけのラブコメ。どうせ人間なんて、言葉でしか繋がれないんですから」
そう言いながら、俺は小説のページをめくる。先輩の話は聞き流した。
「おいおいおい! 何を聞き流している宮村君!」
聞き流していることがバレてしまった。この間、僅か0.08秒。人間の反射神経の限界を超えている。
ダンと机を両手で叩いた彼女は、その勢いで立ち上がってから、長机を迂回してつかつかとこちらへと移動してきてから、こちらに顔を寄せながら言う。
「私は杞憂しているのだよ。表情を読み取ることができないからこそ、感情を読み取らせるのが描写だというのに。それすらも怠って言葉という安易なツールに頼ることを。まるで現代社会のようじゃないか。あー嫌だ嫌だ。人間、上っ面だけじゃないだろう」
「みんな、そこまで興味が無いんですよ。他人の感情などに。ましてや存在もしないキャラクターなんか、どうでもいい。自分の都合のいいものが、都合よければ、それでいいんです」
「そうなのかもしれない。ふふふ、確かに君の言う通りなのかもしれないね。この世界は、実に、そうなのかもしれない」
今度はふふんと楽し気に猫啼先輩は笑った。それから、行儀悪く机の上に腰かける。ちょうど、俺が本を読む手の隣に体が来るような位置だ。
そんな位置から俺のことを見下ろして、先輩は言う。首を傾げて、猫のような眼をこちらに向けながら。得意気に。
「ところで君は、読み取ることを怠っていないかね?」
「……」
「言葉に窮したね」
いやらしい笑みで彼女は言った。
嫌な先輩だと“僕”は思った。
「ま、そんなことはどうでもいい。せいぜいがおせっかいだこんな言葉など」
「そうですか」
言いたいことを言いきったようにして、ぴょんと机から飛び降りた猫啼先輩は、顔から先ほどまでの笑みを消して普段通りの表情に戻っていた。相変わらず、この人は俺を揶揄うのが好きなようだ。なんと性格の悪い人だろうと、つくづく思う。
「ああ、そうだ。ところで、宮村君」
「なんですか?」
そして何事も無かったかのように、質問を彼女は再開した。
「君は、難解な書籍は好きかね?」
「……それ、答える意味あります?」
三度目となる問いかけである。ここまで来たら、もはや拷問と言って差し支えない。
きっと猫啼先輩の質問に対して俺がイエスと答えるまで、このスパイラルは永遠と続くのだろう。流石にそれはめんどくさい。俺だって文芸部員として読書を嗜みにここに来ているのだ。なので、舌の根の乾かぬ内に意見を翻すことにした。ことなかれことなかれ。
「まあ、好きですよ」
「ほほう、好きか。好きと言ったね今君は」
「ええ、言いました。これで満足ですか?」
ああまで嫌いと言い切ったことを今更好きだと言って何の意味があるのだろうか。いや、意味はないのかもしれない。少なくとも目の前にいる一つ上の先輩が、そういう人間であることは、この三か月で嫌という程知っているはずだ。
「ああ、満足満足大いに満足さ。なにせ私は今、この博学多才な能力をもってしても簡単には解法を見つけることのできない難題に挑戦しているところなのだから。即ち暗号だ」
そう言って大仰に空を仰ぐ猫啼先輩。彼女の芝居がかった口調は、朧気に浮かぶだけだった俺の中の嫌な予感というモノの輪郭を、劇画的にくっきりと示してきた。
面倒ごとに巻き込まれた。
そう、確信した。
まだなにも始まってすらいないというのに、そう言い切れてしまうほどに、猫啼先輩の表情は胡散臭いものだった。
「ここは一つ、難解難読不可解不明な本が殊更尚更大好きだという宮村大河君に、是非とも私が抱える暗号解読のミッションを手伝ってもらおうじゃないか」
ほらきた。
「ミッション、とは?」
「なぁに、簡単なことさワトソン君」
百歩譲って俺がワトソンだったとしても、猫啼先輩がホームズというのはあまりにも似合っていなさすぎる。彼女はどちらかと言えば、モリアーティのような
そんな風に思いつつ、観念したように俺は続く猫啼先輩の言葉に耳を傾けた。
「部員を集めてきてほしい。さもないと、夏休みが明けた頃には、この歴史ある部室はどこぞの誰とも知れぬ野蛮な部活動に奪われてしまうのだ」
「ああ、なるほど……確かにそうですね」
たった一ページしか読めなかった推理小説をぱたんと閉じて、隣に立つ猫啼先輩の方へと向き直る。
「確か、部員定数は五人でしたっけ」
「あの小賢しい先輩が抜けなければ、まだまだ部活も安泰だったというのにな」
つい一か月前のことだが、文芸部に所属する唯一の三年生の先輩が、海外に留学すると言って退部届を提出した。
意味も解らないまま話はトントンと進み、結果文芸部の部員数は、校則で決められている定員数五人を下回ってしまった。五人。この数字はかなり重要なものだ。なにせ、定員数を満たせなければ部室を貰えないのだから。
文芸部は古くからある歴史ある部活だから年度末までは大丈夫だと高をくくっていたのだけれど……やはり、そうはいかなかったということか。
いや、そもそもこの先輩の評判が、悪さをしているような気がしなくもないけれど。
「先輩が新入部員を探してきてくださいよ」
「同じことを去年にやったばかりの私にそれを言うか? 結果が幽霊部員二人であることから察したまえよ宮村君」
なるほど。そう言えば幽霊部員の二人はどちらも二年生だったか。つまり、部員不足の危機には去年も陥っていたわけで、逆説的に二年生から新入部員を獲得できる望みは薄い、と。
「一人連れてこいと」
「いいや、二人だ宮村君」
ニヤリと笑った猫啼先輩が、指を二本立てながらそう言った。できることならば、それが表すのは数字ではなくVサインであった方が俺としては助かるのだけれど。
「どうして二人も必要なんですか……」
なぜ二人なのか。一人連れてこれば、部室を存続できるだろう。そんな疑問に対して、小賢しく猫啼先輩は答えてくれる。
「部室に四人居れば、幽霊部員についての追及も躱し易いからな」
「はぁ……」
それはそっちの都合なのに、俺に無茶ぶりをしないでくださいよ、と言いかけて止めた。言ったところで、どうせこの人は無茶ぶりをしてくるから。
「六月後半、来月には夏休みですよ。今頃部活動に入ってない人なんて、端から入るつもりのないがり勉ばかりです」
「この学園では兼部が認められている」
「そもそも本を読むだけの休憩所と化した文芸部に人が来るんですか?」
「だからこそ難解な暗号だと言っているんじゃないか。人の心を正しく解読し、解法通りに入部届に名前を書かせる。そう、君はこの暗号にとってのアラン・チューリングになるのだよ」
「だから誰ですか、それは」
必死の抵抗も虚しく、完全に猫啼先輩のペースである。
「誰でもいいじゃないかそんなことは。君が用意するべき言葉はたったの一つだけだ。最もシンプルにして、君が常日頃から繰り返す言葉だ。今回も例に倣っていつも通りに、オポチュニティ染みた思想を携えて、それをただ口ずさめばいいのだよ、宮村君」
目と鼻の先まで、猫啼先輩は俺へと顔を近づけて訊いてきた。
「部員集めを手伝ってくれるね?」
俺に許された答えは一つだけだった。
◆
さて、そうして文芸部の部室存続のために新入部員を探すこととなった俺であるが、頼まれた時間はよりにもよって部活真っ盛りの放課後であり、生徒の多くが精力的に部活動に勤しむ時間である。
こんな時間帯に新入部員を探す気にもなれなかったし、そもそも部活動中に他の部活に入ってくれないかなんて話を聞いてくれるわけがない。ので、とりあえずその日一日を読書して過ごし、部員探しは明日にした。
これが俗に言う後回しというやつだ。
そもそも、俺にはやる気がない。確かに憩いの場がなくなってしまうのは悲しいことだが、別段必要とも思っていないのもまた事実。だから特段やる気がでない俺である。けれど、そのやる気のなさを行動に表してしまったら猫啼先輩に何をされるか分かったものではない。あれであの人、文芸部や部室に愛着があったりするのだから。
なので、せめてそれなりの姿勢を見せておこうと、文芸部の一人として活動を始めたのが、午後12時35分のことだった。即ち、猫啼先輩から部員を探せと言われた翌日の昼のことだ。
どうしてこの時間になって思い立ったのか。その理由は、だらだらと文字にするほどのものでもない。
「おい、水池。お前、文芸部に入る気はねぇか?」
隣に友人野郎こと水池清水がいた。ただそれだけが理由だ。
午前最後の授業である四時限目の最中、ここまでずっとこくりこくりと舟をこいでいたこの水池は、不真面目らしく部活動なんかに精を出すタイプではない。なので、放課後に何をしているのかは知らないけれど、確実に部活には所属していないはず。もちろん、彼が文芸なんてものに興味を示す人間ではないことは百も承知であるけれど、所属後に一日と経たず幽霊部員になろうと数は数だ。実動員を求めていたであろう猫啼先輩には悪いが、数合わせなんてこんなもんだ。
さて、そんな打算を込めた勧誘を、四時限目が終わり次第繰り出した俺である。話を聞いた水池は、出鼻をくじかれたような顔をして此方を見ていた。どうやらちょうど、始まった昼休みをフルスロットルで迎えようとしたところらしく、授業終わりのチャイムが鳴るや否や教室を飛び出し購買部に走り込もうとしていた構えを彼は取っていた。しかしそこに投げ込まれた友人からの会話。しかも、俺から水池に話しかけることは珍しい。だからこそ、素っ頓狂な顔をして水池は俺の方を見ていた。
それから一言。
「どうした藪から鬼に」
「棒な。なんで藪から鬼が出てくる。ここは鬼ヶ島か」
「鬼ヶ島だろうと本州だろうと何だろうと、藪から鬼が出てきたら驚くだろ? 意味は変わらないはずだぜ」
「大雑把な……」
なんともまあ豪快な解釈だ事で。こんな風に生きることができたら、さぞや世界は楽しいことだろう。少なくとも、慣用句やらの言葉の由来をほじくり返して理解に苦しむような戯言を展開する必要はないはずだ。
そんなお気楽な友人野郎に対して、俺は文芸部の部員不足について語った。
「俺が文芸部員なのは知ってるだろ? ちょうど今、先輩が抜けて部員不足なんだよ」
「この時期にか? というか、それ以前にその先輩が抜けたからと言って、すぐに部員が必要になるわけじゃないだろ」
「色々と評判が悪いんだよ、ウチは」
主に例の三年生と猫啼先輩の仕業だけれど、実は俺たち文芸部は、生徒会諸君からの評価があまりにも低い。敵対的と言っても過言ではないほどだ。
そもそも、文芸部と言っておきながら文芸らしい活動をしていないあの部活は、二人の先輩の口八丁によって存続しているのである。
そして、幽霊部員を抱えてやっと部室を提供される定員数を確保しているわけで、そのうえ碌に活動報告を提出していない。そんな部活なのだ。
そんなものだから、人数が減ったのを見計らって、大義名分を得た生徒会が部室を取り返そうとしているわけなのだろう。というか、正義は完全にあっち側にあるし、それを阻止しようとしてるとなると、なんだか犯罪の片棒を担がされているような気になってくる。こんなことを考えている時点で、俺には部室に対する愛着が無いんだなと、つくづく思わされるな。
ともあれ、あの先輩の頼みだ。いいように利用されているだけだとしても、答えるのが後輩の義務というものだろう。
「ま、幽霊部員になっても構わねぇから入らないか水池。とりあえず一人目になってくれ」
「断る」
「おお、そんなに食い気味で了承してくれるとはお前いい奴だな。よし、では早速ここにある入部届にサインをしてくれ」
「いや断るつってんだろ宮村。それともなんだ、俺のチャームボイスに耳がやられちまったか……ふっ、つくづく俺は罪な男だぜ」
「何故男のチャームボイスに魅了されねばならん。冗談だよ。別にそこまで切羽詰まってるわけじゃない」
試しに強引に勧誘してみようと思ったけれど、水池が気持ち悪い感じになって来たのでやめた。やはりこいつの扱いは俺の手に余る。
「しかしなぜ断ったし」
「忙しいのさ俺は。部活動なんてやってる暇がない位な。モテちまうってのも困りもんだぜまったくよ」
どうやら水池が断った理由は忙しいからとのこと。
如何せん、放課後に何をしているのかが全くわからないこともあって突っ込みにくい内容だ。これで本当に学外でハーレムを築き上げているのだとしたら大したものだ。まあ、こそこそと女子更衣室の覗きをしている姿を見れば、それが限りなく低い可能性であることは言うまでもないだろう。
「まあいい。最初から期待はしてなかった。まあ、ゆっくりと探すとするよ」
「いや、お前友達いないだろ。俺に断られたら、次にどこに行くつもりなんだよ」
うぐっ、痛い所を突いてくるなこいつ。
「何を言う水池。俺には全国3000万人の友人が居るんだぞ」
「はー、そりゃすげぇな。じゃあその3000万人様の中から、文芸部に入ってくれそうな奴はいったい何人いるんだよ」
「……」
うむ、見栄を張ってみたはいいが、やはりこいつには効かないらしい。アンチ俺。まさに俺の天敵である。まあいい。こんな奴に嘘がバレたところで支障など何もない。そもそも、こんな風に歓談している時間が果たしてあるのだろうか。別段、文芸部の部室がどうなろうと俺は一向にかまわないのだけれど、仕事を果たせなかった時が怖い。猫啼實覚という女が俺は怖い。
ふむ。もしや、こうして呑気に喋っている時間などなかったりするのではないか? 最初は適当に勧誘ノルマをこなしてなあなあにしようと思っていたが、まさか部室が無くなったら、今度は生徒会に反旗を翻して部室を取り戻す戦いに巻き込まれたりしないだろうか。
大いにあり得るな。あの先輩なら。となると、ただでさえ水池の友人という特大級の悪評を被っている俺は、更なる悪評によって学園生活がままならなくなる前に、部員を集めなければいけないというのか。
いや、部員じゃない。憐れな子羊だ。
俺と猫啼先輩の思惑のために生贄に捧げられる憐れな子羊か。そんな都合のいい奴、この学園の一体どこにいるのだろうか――
「ね、ねぇタイちゃん! 今の話、ちょっといいかな!?」
……居たな。騙されやすそうな奴が。
昼休みが始まってから五分経過。予定調和としか思えない俺と水池の戯言の応酬に割って入って来たのは、俺の幼馴染その1ことイグサであった。
相変わらずなイグサのちんまりとした背丈は、隣に190センチを超える筋肉質な水池が並ぶと、より顕著にそのちんまりサイズが強調されて見えてしまう。
なんだろうね、このノッポとチビが並ぶとチビの方にフォーカスが集まってしまう現象は。そのうち目の錯覚でイグサの方が大きく見えたりしないだろうか。
ともあれイグサだ。
「イグサ。発言権というものは日本国内においてもっとも尊重される権利の一つだ。どんな人間だろうとどんな経歴だろうと等しく発言する権利が存在する。そんな価値観が蔓延している以上、わざわざ俺に許可を取る必要もないと思うぞ」
「そんちょ……まんえ……何言ってるのかわからないよタイちゃん!」
「お前はお前のままでいいってことだ」
ふむ、相変わらずなイグサである。どんくさいというか、なんというか。ともあれ、こうしてイグサで遊ぶのもほどほどにして、用件を聞くべきだろう。
「それで、何の用だイグサ」
「あ、そうだったそうだった……」
気を取り直して初めから。とりあえず居ずまいを正した彼女は、パンと少々膂力の足りていない勢いで俺の机を両手で叩きつつ、今来たばかりであることを演出しながら言う。
「今の話、ちょっといいかな!」
「そこからか……」
どんくさいというかなんというか。まあいい。こいつのこれは、今に始まったことじゃない。
「今の話というと……どの話だったかな、水池」
「お前の友達が3000万人居るってところじゃないか?」
「ああ、そうだったそうだった。実はなイグサ。俺には3000万人の友人が居るんだ」
「そうなの!? タイちゃんはやっぱりすごいな~」
信じるな信じるな。いやまあ、これぐらい与しやすい相手でいてくれた方が、俺としては助かるのだけれども。
「って、そんなことはどうでもよくて……えっと……部活! そう、部活の話! たいちゃん困ってるんだってね!」
何とか話題を軌道修正しようと頑張るイグサ。彼女が声を張り上げて存在感をアピールする姿は、さながら小動物がぴょんぴょんと跳ねているような可愛らしさがある。実際、イグサもぴょこぴょこと話すたびに揺れてるし。なんで揺れてるんだこいつ。
「ああ、確かに俺はいま大いに困っているな。困り果てている。何しろ部活の部員数が足りなくて、あわや部室から追いやられるところまで来ているんだ。これを困っていないと言ったら何に困ればいい」
嘘である。実際俺は困り果ててなどいない。いや、実際は部室が無くなったらこの先の学園生活で俺がどうなるか全くわからないから困り果ててはいるけれど、部室が無くなることについては別にどうとも思っていない。
なので、今の話は100%本当だし、80%は嘘に満ちている。けれども、そんな嘘も何もかもを鵜呑みにしてしまうこの少女は……この少女は……
「……」
何も言わない。ふむ、一体どうしたというのだろうか。
腕を組んでこちらを睨むイグサである。何か、伝えたそうな目をしているけれども、何を伝えたいのかはっきりとしない。
バチコーン。胸に手を置いたイグサがウィンクを一つ。いったい彼女は何を伝えたいのだろうか。
不味いな、これはあまりにも難解な暗号だ。かのエニグマすらもかくやというほどではないだろうか。そして俺は残念なことにアラン・チューリング(おそらくは暗号解読者)ではない。この暗号は迷宮入り間違いなしだな!
「おい、宮村。性格が悪いぞ」
「性格の良し悪しをお前に言われたくはないな」
流石に見ていられなくなったのか、水池が会話に割って入ってくる。いや、会話というには相手が必要で、現在俺の相手であるべきイグサは言葉を発してくれない。果たしてこれは会話というのか?
と、思いつつも流石に揶揄い過ぎたと自省する。
何を伝えたいのかは知らないけれど、赤面したイグサがプルプルと震え出した。これでも彼女は恥ずかしがり屋の上がり症なのだ。
イグサが泣き出す前に、早々に言うべきことを言うべきなのだろう。そんな風に根負けして、俺は両手を上げながら言う。
「悪い悪い。ともかく、今は部員が足りてなくて猫の手も借りたいところなんだ。よければイグサも――」
と、その時だった。
「タイガァァァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
騒音被害甚だしく。教室の入り口から耳を塞ぎたくなるような声が聞こえてきた。叫ばれた言葉が俺の名前であることに気づいたのは、数秒経ってから。何かと思い、教室の入り口の方に目を向けてからのことだ。
「……クロバか」
人目を気にしないマイペースは相変わらず。周囲を見下したように冷めた目をした彼女は、集められた注目など歯牙にもかけずに、ぐるりとクロバは教室を見渡している。
そして俺は彼女に認識された。途端に、冷めた目に温度が戻る。しかも、温いなんて生ぬるい表現が憚られるほどに苛烈な瞳だ。まるで、獲物を見つけた野生動物のように燃えている。
「タイガ、ちょうどよかった!」
「ちょうども何もお前の方から来たじゃねぇかクロバ」
「いいのいいのそんなこと」
さて、俺を捕捉した彼女はずかずかとこちらへと歩いてくる。いったい何が始まるのか。とにかく、何が起きてもいいように俺はクロバに向き直るように立ち上がった。
余談だけれど、先ほどの叫声にびっくり仰天委縮してしまったイグサは、思考停止のフリーズ状態になっていた。……やはり、大きな音とかには弱い様子。
小動物みたいなやつだ。
「ところでタイガ。明後日は日曜日だけど、予定は空いてる?」
「俺の予定が全日未定なのはお前ならよく知ってることだろ」
「よろしいよろしい。人間万事塞翁が馬ね」
はて、そのことわざは正しく使われているのだろうか。
なんて疑問符は、次のクロバの言葉によって彼方に吹き飛ばされてしまった。
こいつ、なんて言ったと思う?
「明後日の日曜日、私とデートしてよ」
イグサ同様、俺の思考も固まった。
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