フルビワイチ
2-1. 6:30 聖地琵琶湖
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2024年5月20日(火)
05:00 起床。
ホテルの窓、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。五月も半ば過ぎ、初夏ともいえる季節。
既に街は明るく、しかしまだ目覚め切ってはない時間帯。
スマホのアラームとベッドのアラームのお陰で無事に目を覚ます。
フジイチの際にホテルで眠れないということがあったので、前日には缶ビールを一本飲んでいた。高強度の運動をする前夜にアルコール摂取は推奨されないのだが、それで寝不足となるよりははるかにましだろう。お陰でぐっすり眠れたのだから。
テレビをつけて天気予報を見てみる。
滋賀県全域で曇りのち晴れ。最低気温14℃、最高気温21℃。
ホテルの朝食はあるのだが、残念ながら食堂が開く前に出発だ。
なので事前に買い込んでおいたサンドイッチとパスタ、サラダチキンを食べる。
朝ごはんにするには少々重いメニューである。
だが予報通り今朝の気温は低い。となれば最高気温も同じく予報通りになるとみておくべきだ。体温維持に余計なエネルギーを使うと考えれば、ここで炭水化物を無理矢理にでも摂取しておかないと最後まで身体が持たない。
軽くストレッチをして、シャワーを浴びる。
サイクルジャージに防風ベストを羽織る。
背中のポケットに補給食を押し込む。スポーツドリンクをボトルに移して、バイクのケージにセット。
ヘルメット、腕時計、スマホ、モバイルバッテリー、ライト類、ミニ財布。
準備はすべて完了だ。
「よし」
小さく呟くと、ロードバイクを押してホテルを出る。
朝の彦根の街並み。5月半ばにしては少し冷え込む中をロードバイクに跨り、ゆるゆると走る。
ホテルから駅前を通り、彦根城へと向かう。まだ早い時刻なので車通りはほとんどない。商店街を抜けて、お堀を越えて。
彦根城の石碑の前に。
ロードバイクを止めてスタート前の記念写真を撮っておく。
国宝彦根城をスタートして、日本一の琵琶湖を周り、またここに戻ってくる。
さて、行くぞ。
私は愛機TREK EMONDAに跨るとペダルを踏みこんだ。
ビワイチのリベンジ――フルビワイチの開始である。
・
琵琶湖。
日本で一番の湖であることは誰もが知る通りだが、ここで改めて具体的な数値を確認しておきたい。
(以下Wikipediaより抜粋)
滋賀県のほぼ1/6の面積を占める、日本最大の湖。
湖水面積669.26㎢及び貯水量275億トンを誇る。
南北の延長63.5km、最広部22.8km、最狭部1.35km、周囲長は235.20km。観測された最大水深104.1m。
形成されたのはおよそ440万年前で、初期は今でいう三重県伊賀市にあったらしい。現在の位置には40万-100万年前に移動してきたとされる古代湖だ。
最狭部に琵琶湖大橋が掛かっており、その北側を北湖、南側を南湖と呼ぶ。南湖は平均水深が4mとかなり浅く、平均水深41mの北湖に湖水の99%が蓄えられている。
また一級河川117本を含む450本の流入河川があり、流出河川は南端部の瀬田川のみである。この瀬田川は京都では宇治川、大阪では淀川と名前を変えて大阪湾に注いでいる。
京都及び大阪に近いことから水運・漁労と近畿地方において歴史や文化とは切っても切れぬ深い関係がある。
古くから近江、淡海、細波、水海と様々な呼び名があった。
元々、海とは「大水」と書いてそう呼ぶため、大河や湖の事も「海」と記したという。
そのため奈良・京都に近い海、と呼び表されていたという説がある。なお、近江に比して遠江と記されていたとされるは静岡の浜名湖。
その豊かな水量により多数の水棲動植物が確認されており、その中には60以上もの琵琶湖の固有種も含まれる。
また縄文時代の遺跡が発見されるなどしていることから、古代より人々の生活に多大な影響があったのは間違いない。
ちなみに余談ではあるが、日本国内において、湖は河川法によって管理される。
だが河川法には湖という区分は存在せず、基本的に湖は「河川の途中にある、たまたま大きく川幅が膨らんで水がたくさん溜まっている部分」という扱いらしい。いや、他の小型の湖ならまだしも、琵琶湖ほどデカい湖でそれは難しいだろ……と思わずツッコミ入れたのは俺だけではないはずだ。
そしてもう一つ。
琵琶湖は、聖地である。
サイクリストの聖地。
日本でロングライドをしている者なら、一度は訪れ、そして一周したいと思う場所だ。
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さて彦根城にてスタートを切った私は、先ずは元来た道を戻ってお堀沿いの通りにでる。
金亀公園と平和堂HATOスタジアムの間のこの城北通りを抜けた先にある県道2号線。
この県道2号線を含む、琵琶湖の東岸を通る複数の湖岸道路には『さざなみ街道』という愛称があるという。
少しの間住宅街を走ると早速琵琶湖の横へと出た。
横風が強い。
タイヤが転がる音、風の音、それらに交じって琵琶湖の湖水が寄せるさざなみの音が聞こえてくる。
走りながら、ちらりと琵琶湖をみた。
とても広く大きく雄大な湖。対岸が見えない程の幅を持っている琵琶湖を見ると、「なるほど、海だ」と納得する。
現代人だったらいくらでも世界地図を見ることができるから、湖と海に大きな違いがあることをもちろん知っている。
だが琵琶湖を近江と呼んでいた時代に人々にとって、海と琵琶湖に違いなんてなかったのだろう。少なくとも人間ではどうすることもできないような巨大な大水であるという点で変わりはないのだから。
明るくて暗い空。東の方からは朝日の輝きを讃えた空か広がっているというのに、西の空には重たい雲がかかっている。
一抹の不安を覚えながらも、私はさざなみ街道を北へと愛機エモンダを走らせた。
先ず目指すのは彦根市から北隣、かつて羽柴を名乗っていた秀吉公ゆかりの地、長浜市である。
今回のロングライドは、フルビワイチである。
想定走行距離、190km。
想定走行時間、12時間。
私が一度に走ったことのある最長距離が165kmほどなので、それを30km以上更新することになる。正直に言って、内心ガクブルという奴である。
大前提として確認しておきたい。
世にロードバイクを乗る者数多と言えど、100kmを走るというのは誰にとってもひとつの壁であると思う。
3桁というわかりやすい数字としてもそうだし、実際に走ってみればわかるが、100kmまでと100km以上では準備や心構え、肉体的な負担がやはり違ってくる。
長く走るほどにトラブルの可能性は高くなるし、精神的な疲労感も強くなってくる。
ロードバイク雑誌などでも脱初心者向けの企画として、「100kmライドに挑戦しよう!」なんて特集が組まれているのを見るにつけ、やはりこの界隈におけるステップアップとして一つの目安になっていると思うのだ。
その倍の距離を、一度に走る。
これはちょっとした難事である、ということを認識しなければならない。
ロードバイクに乗ると、数字がおかしくなっていくものだ。
繰り返すが脱初心者の目安が100kmライドである。となれば上級者は……とりわけガチ勢とか距離ガバ勢とか言われる、
例えばブルベというイベントがある。
これは一言で説明してしまえば、自転車版ウォークラリーだ。
速度を競うレースではない。タイムを競うものでもない。言うなれば自らの限界に対する挑戦だ。
スタートとゴールを設定され、想定されるコース上に設定してあるチェックポイントを巡り、時間内にゴールに至るというもの。
これは日本国内でも各地で頻繁に開催されているのだが、国際的な規定があって、その一つが、最低距離が200kmなのである。長いものだと600kmとか、四国一周1200kmなんてものまで存在する。ちょっとおかしい。
190kmというフルビワイチの距離は、そのちょっとおかしいの世界に片足を突っ込む行為だ。
のんびりグルメや観光に現を抜かしている場合じゃない。
単純な距離だけなら
ほとんどが平坦路であるという点を踏まえても相当な無理があると想定するべきだ。
なので私は、距離以外の部分では無理をしないことにした。
例えばマメに小休憩をとる事。ただし筋肉が冷えてしまうとリスタートで負担が増えてしまうので、10分以内に抑える。
ドリンクと補給食をケチらない事。30~45分を目安に何か補給食を口にする。
幸いにも琵琶湖沿岸は、山奥だったり人里離れた、みたいな場所はあまりない。コンビニもあるからよっぽどでなければ補給に困ることはないだろう。
そしてもうひとつ、とても大事なことがある。
ペダルを踏まないこと。
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さざなみ街道を北上する。
すぐに米原市に入り、右手側には住宅地、左手側には琵琶湖を望みながら軽快に走っていく。
時刻はそろそろ7:00と言ったところ。道路に引かれたブルーのラインに沿って走る。想定していた通りだが、時間が過ぎるにつれて自動車の往来が増えてきた。
私にとっては休日であっても、この近江の地に住まう人々にとっては日常の朝。いつもと変わらない一日が始まったのだ。
信号待ちに引っかかり一時停車。ドリンクを飲みながら琵琶湖を反時計回りに回る利点に気が付いた。
琵琶湖がすぐ左側に見えている状態だと、当然だが交差点はT字状にしか存在しない。つまり同じ方向に走る自動車が左折することは無いのでその心配をしなくていいし、左側の脇道が存在しないから急な進入もあり得ない。ロードバイクという交通弱者である状態で自動車と並走するのは中々のストレスだ。それが多少なりとも軽減されるのはありがたい。
信号が青になる。
後ろの自動車を前に走らせて、自分も右足のペダルを踏みこむ。
ある程度加速するとギアを重くして巡行する。この時私はペダルを踏むのではなくて、脚をペダルに置く、に近い意識でペダリングをしていた。
脚というのは人体でもかなり大きく重たいパーツだ。このせっかくの重さを利用しない手は無い。
琵琶湖という巨大な水溜まり。水平という言葉があるように、ビワイチのコースはほとんどが平坦だ。バイクの勢いが付いた状態なら、筋力を削ってペダルを踏むよりも、脚の重さを利用して自然とペダルを沈めていく方が脚への負担が少なくて済むーーという考えだ。
これが正解かどうかはわからない。
しかし脚の重さを利用するペダリングというのは技術として確かに存在するし、実際それで十分な速度を稼ぐことができていた。
巡航速度20km/h。
この速度を維持できれば単純計算で10時間以内にフルビワイチを走り切ることができる。信号ストップと休憩時間込みで12時間で完走。それが私の設定した予定時刻である。
それこそブルベに参加するような剛の者であれば鼻で笑うような速度だろう。そんな彼らの巡航速度は30km/hとか40km/hに達することもある。
しかし私はド貧脚である。無いものは無いのだ。
すっごい頑張れば私でもその速度を出すことはできる。一瞬だけ。維持はできない。しかもその一瞬のために体力も筋力も使い切ってしまうわけにはいかないのである。なのでそこは諦めて頑張らないことにする。
情けないと言わば言え。どうせ一人旅、事故でも起こさない限り遅くて誰かに迷惑をかけることもないのだ。
そんなことを考えつつ走っていると、田畑が多かった景色が一転して住宅街に入った。そして目に入る謎の仏像。長浜びわこ大仏という奴らしい。
前回走った時この辺りに至ったのはもう暗くて、こんな大仏像があったなんて気が付かなかった。
そこから間もなく、左手側に波止場が見えた。前回のビワイチの際にベースとさせてもらったホテルも見えたので目礼しておく。予約が埋まっていなければ今回もお世話になりたいと思っていたのだが、残念だ。機会があればまたお願いしたいところである。
そのホテルを過ぎるとすぐに公園の横に出た。
瓢箪を模した穴の空いた看板。その穴の向こうにお城が見える。
豊公園。
羽柴秀吉ゆかりの長浜城のある公園である。
ちょうど看板横で信号停車したので一枚写真を撮っておく。
三重の四日市や岐阜の多治見、つまり東海地方に引っ越してきて面白く感じるのが、歴史的な人物が関わった場所や土地に直接触れることができるというところだ。
そこに住んでいる人たちにとっては当たり前の風景だけど、私のような新参者には興味深く感じ目を引く場所がたくさんある。
今私がロードバイクで走るこの道路は、かつて戦国武将が実際に歩いて回った場所なのだ。
現在と遥か遠い過去が確かに地続きであると実感する。歴史というものに触れるこの感覚は、旅行の醍醐味だと思うのだ。
その歴史に触れる、ちょっとした変化に気が付いた。
前回のビワイチの際ルートを示すブルーラインは大通りではなく、一部が豊公園の中を抜けるコースを設定されていた。なんと民家の軒先を通るという場所があり、「ここ通るのォ!?」とびっくりしたものだ。しかしブルーラインは大通りから逸れることなく、豊公園を過ぎてしまった。
私の勘違いだったのだろうか?
いや、でも前回でもこの辺りの道路拡張の工事は行われていた気がする。
それが完了した結果、豊公園内のルートは無くなったようなのだ。
これも歴史の一部という奴だろうか。
私と羽柴秀吉の間には、史書に記され後世に伝えられたもの以外にも、こういういずれ誰の記憶にも記録にも残らず忘れられるけど確かにあった小さく雑多なものがたくさんたくさん挟まっていて、それらが地層のように積み重なっていくと、いずれ歴史と呼ばれるものになるのだろう。
豊公園を過ぎ、再び市街地の風景が郊外のものへと変わっていく。
長閑な田園の景色。変わらず左手側には琵琶湖がある。
寄せては反すさざなみの音。
まずいなぁ。
波の音が途切れないということは、風がそれだけ途切れないということ。
スタートしてからずっと、左前からの向かい風が止まらない。
向かい風が強いというのは、シンプルにそれだけエネルギーをロスしているということだ。また横風の突風はタイヤをふらつかせ、事故の要因になりえるためいつも緊張していなければならない。その分余計なストレスを強いられてしまう。
もしこの向かい風がなければ、それだけで2~4km/hほど速度が上がるのではないかと思われる。それほどまでに風というのは厄介な要素なのである。
それに曇りのち晴れの天気予報がピタリと当たり、雨こそ降らないもののどんよりとした重たい雲が空の半分以上を覆っている。
気温が上がらず冷たい風に押されて速度が出ない。
そのせいもあってか数十分以上走っているにも関わらず、いまいち体が温まり切ってない感じがする。まぁこれは、ガシガシペダルを踏む走り方をしてないからというのもあるのだが。
熱中症の心配が無いことだけは、まぁありがたいと思うべきだろうか。
いまいちノリ切れない状況ではあるが、行程はさほど悪くはない。
スタートしておよそ1時間。長浜市、『奥びわスポーツの森』にて私は最初の休憩をとる事にした。
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