第2話 犯罪都市、川崎
日時:令和6年3月21日 正午過ぎ
天候:曇り
――暗闇、喧噪。
……ここは、どこだ。
声「……団長……!」
誰かが私を呼ぶ声がする。どこかで聞いた声だ。誰の声だったか。
……私は、死んだのか。
補給兵「起きてください! 団長!」
団長「ハッ……」
目を覚ますと、これは……一体……?
場所:JR川崎駅 商業ビル『川崎ルフロン』前
状況:大勢の人が帝国騎士団長と補給兵の男を取り囲んでいる。
野次馬「怪我……してんのかな」
野次馬「いや、コスプレだろ」
野次馬「なんかの撮影でしょ?」
野次馬「YouTuberかな。知ってる?」
野次馬「俺、YouTubeはけんた食堂しか見ないから……」
見慣れない衣服を着た人々……装いや髪色は多種多様だが、エルフや獣人の姿は見当たらない。単一民族だろうか。聞き慣れない言語で話している。そして彼らごしに見える奇妙な風景……帝国の大聖堂よりも高い建造物がそこら中に乱立している。異様なまでに整然と敷き詰められた石畳、見慣れない物を挙げればキリがない。
団長「なんだここは……」
補給兵「大丈夫ですか?」
団長「……ああ」
補給兵「血がずいぶん出てるみたいですけど」
団長「傷は塞がっている」
万全とは程遠いが、意識を失っているうちに少し回復したようだ。声も出る。『軍神の加護』は健在だ。
団長「お前は補給兵だな」
補給兵「はい。マルコといいます」
団長「……マルコ」
夕暮れ色の短髪に茶色の瞳。小柄だがしっかりした体躯。重い荷物を背負って長い行軍をするのだ、足腰は強いかもしれないが……
補給兵「ぼくの顔になんかついてます?」
ヘラヘラした顔だ。前線で戦う者の顔ではない。なんというか、気の抜けた男だ。
団長「お前はこの状況をどう見る」
補給兵「いやー……聞かれましても」
意識を失う前の最後の記憶はそう、魔王めいた怪物が放った何かにこの男と一緒に飲みこまれて、それから……
団長「想像していた天国とずいぶん違うな」ヨイショッ
補給兵「へ、天国?」
野次馬「背ぇたっか……」
野次馬「モデルさんかな。男の方はチビだけど……」
野次馬「聞いたことない言葉で話してる」
野次馬「俺知ってる! あれドイツ語だよ!」(違う)
野次馬「長身に、褐色の肌。赤い瞳に尖った耳、それにあの長い銀髪……ゲルマン人とは違うみたいだけど」
取り囲む人々もまた、奇妙なモノを見るような目で我々を見ている。何を話しているのだろうか。そして彼らが一様に持つあの石板は一体……?
補給兵「どう見てもアル=カザンサじゃないし、外の大陸の都市でしょうか」
団長「これほど発展した都市の話は聞いたことがない」
補給兵「……まぁ、いっか!」
団長「ずいぶん気楽そうじゃないか」
補給兵「ここがどこであれ、魔王軍がいないなら良かったなって……ハハ」
団長「……」
やはりこの男にはどこか責任感とか、危機感とかそういった物が欠けている。前線に立たない者の士気など、こんなものなのだろうか。
団長「行くぞ」
補給兵「ど、ど、どこに?」
団長「アル=カザンサに帰らねば」
補給兵「ええっ! あの地獄に帰るんですか!」
団長「皇帝陛下にすべて伝えねば」
補給兵「いやいや無理ですって、手掛かりもないし!」
団長「ならば探すのみだ。……すまない、通してくれ。道を、開けてくれ」
人だかりを分けて通る。言葉は通じていないようだが、意図は伝わっているようだ。皆、道を開けてくれた。文化文明は大きく異なるが、人間の性質までは大きく変わらないということか。
我々が近くを通る際、一瞬、人々が顔を歪めたように見えたのが気にはなったが、今は一刻も早く帝国へ帰る手掛かりを見つけねば。
歩きはじめたのも束の間、我々に近づいてくる気配があった。
若い男「こんちんこ♪」
男は笑いながら、右手の人指し指を股間の前でピンと立てている。
団長「……なんだ?」
補給兵「この国の挨拶じゃないですか?」
マルコが男のポーズを真似ている。ふむ、確かに我々はここでは異邦人だ。現地の文化風習に敬意を払うべきだろう。無用な争いは避けたい。私も同じポーズを取ってみる。
若い男「チョイ! ノリ良すぎウケる! お姉さんたち外国人? 二人でコスプレしに来たの?」
参った。なにか尋ねられているようだが、全くわからない。
若い男「アー……アーユースピークジャパニーズ? ノー? アーン、ユーアーコスプレイヤー、ハーン?」
口調が少し変わった気がするが、話している内容はやはり全く理解できない。取っ掛かりを探そうにも……派手な風体、先端の尖った靴に、金属の装飾品を指や手首や首、耳にも着けている。兵士ではなさそうだ、ということくらいしか判断できない。敵意はないようだが。
団長「さてはこの国の大使か?」
補給兵「派手な装飾品をジャラジャラ着けてるし……身分の高い人かも」
団長「我々を導こうとしてくれているのか?」
若い男「っていうか待ってメッチャ美人! バチクソタイプなんだけどっ!!」
補給兵「あなたはこの国の大使ですか?」
若い男「あ、ごめ。なに言ってっかわかんね(笑)」
男は少し笑ったあと、私とマルコを交互に見比べて、それからマルコを指さして何か言った。
若い男(173㎝)「……彼氏? チビだね(笑)」
補給兵「えーと……なんだっけな。『こんちんこ』!」
マルコがさっそく覚えた言葉とポーズで意思疎通を図ろうとするが、若い男はそれを見て鼻で笑った。
なんとなく解る。これは『嘲笑』だ。
団長「……行くぞマルコ。これ以上、彼から得られる情報はなさそうだ」
補給兵「あれ、違ったかな。こんちんこ? こ、こんちんぽ?」
若い男「チョイ! 待てって! 俺はしつこいぜ!」
立ち去ろうとすると、男が私の右手首を掴んだ。こいつ、いきなり何を……!
若い男「クサッ!!!」手を離す
団長「……ん?」
補給兵「『クサッ!』……ってなんでしょう」
男が鼻をつまんで悶えている。全く情緒が読めない。
若い男「く、くっせぇ~~! ハ?」
男は私の顔をチラと見たかと思えばすぐに顔を伏せ、早口でなにかを言っている。
若い男「イヤチョットマッテ臭スギルッショ~。イヤデモインドノ人トカ、タマニスゲースパイスノ匂イスル人イルモンナァー。イヤームリムリ、差別トカ嫌イダケドコレハチョット仲良クデキナイレベルダワマジデ」
呪文……? この国の民は魔術を使うのか……? 帝国では魔術は文字通り魔族の使う術であり、人間の扱う術とは根本的に成り立ちが異なる。しかしここは見たところ帝国領地ではない。一応、警戒しておくか……。
補給兵「『クサッ!』『クサッ!』面白い響き」
若い男「……ごめん! もう大丈夫だわ! えーと、ハバナイスデイ!」
精一杯の笑顔に見えるが、この男の中で何があってこの笑顔なのだろうか。男は手を振っている。これは『もう用はない』そういう類の身振りだろうか。
行くあてはないが、とりあえず男に背を向けて歩き出す。歩いているうちに、酒場やギルドがあれば入ろう。港が見つかればなお良い。これだけ文明の発達した都市だ。交易が盛んであることは想像に難くない。きっと我々のような異邦人もいるだろう。そこでアル=カザンサに通じる手掛かりが見つかればいいのだが……。
若い男(173㎝)「チョイ! 危ないって!」
団長「ん?」
自動車「パパーーーーーーーーーーーーッ!!」
補給兵「へ?」
運転手「キャアアアアアーーーーーッ!!」
――衝撃と同時にすさまじい音。
まるで幾重にも積み上げた金属の板を強い力で叩き潰したような。そうだ、カンツミが鋼鉄獣バンキヤリスを大斧で粉砕した時の音に似ているが……何が起こった?
団長「……金属の塊がぶつかって来たのか」
運転手「キャアアアアアーーーーーッ!! 人がめり込んでるーーッ!!」
団長「これは、乗り物か? 車輪が着いている」
補給兵「団長なんともないんですか?」
団長「ああ、お前は大丈夫か」
補給兵「団長が盾になってくれたので」
運転手「キャアアアアアーーーーーッ!! 普通に喋ってるーーーーッ!!」
団長「この女は、荷車の御者か」
補給兵「『こんちんこ♪』」例のポーズ
運転手「キャアアアアアーーーーーッ!!」
野次馬「おい、大丈夫か! すごい音がしたぞ!」
野次馬「うわ、日産ノートのボンネットがグチャグチャだ」
野次馬「運転手は無事か!」
若い男「しもしも警察ですか! 今目の前でマジでヤベーことが起こってて、マジヤバくて……は? いたずらじゃねえし! マジヤベーんだって!」
補給兵「また大勢集まって来ちゃった」
団長「この調子では日が暮れてしまう。行くぞ」
若い男「チョイ! お姉さん、救急車は!? チョイ! 噓でしょ!? チョーーーーイ!!」
それからまたあてもなく歩いた。その間、マルコはずっと目を輝かせていた。この都市のあらゆる物が目新しい。金属でできた車に人が乗って操っている。馬はいない。建物に掲げられた看板はうっすらと光っていたり、絵が動くものまである。どのような理屈で作動しているのか、想像もつかない。相変わらず、道行く人々は我々に好奇の目と例の石板を向けるばかりで、あの若い男以来、接触してくる者はいない。
補給兵「なんだかずいぶん平和ですね。浮浪者とか、ゴロツキみたいな連中が少しも見当たらないし」
この街からは戦いの匂いがしない。鎧を着ている者も、武器を携えている者もいない。魔王軍の脅威はこの街までは届いていないようだ。
補給兵「団長……お腹空きませんか。ぼくもうペコペコで……」
団長「……そうだな」
道中、食料を扱っている商店のようなものはいくつか見た。しかし我々にはこの国の貨幣の持ち合わせがない。
団長「中には、貨幣を支払わずとも物品を受け取っている者もいたようだが」
補給兵「ぼくも見ました。代わりに石板をかざしたりしている様子でしたね」
団長「ある種の特権階級の人々だろうか」
補給兵「でもそうは見えませんでしたよ。誰かが誰かに頭を下げたり、跪いたりすることもなかったし」
団長「……」
マルコの言うとおりだ。この街の人々からは上下関係といったものがほとんど感じられない。まるですべての人が平等に、同じ権利を有して過ごしているかのような。
……そんな社会が、有り得るのか?
団長「まったく、わからないことばかりだな」
補給兵「……」
振り向くと、マルコがへたり込んでしまっている。
団長「どうした、しっかりしろ!」
補給兵「お腹が……もう……」
団長「情けない。貴様それでも帝国騎士団か」
補給兵「補給兵ですし……」
団長「そうは言っても、食料が調達できそうな田畑も、狩りができそうな森も見当たらん。……もはや止むを得ん」
補給兵「ごはんが……食べたいです」
団長「権力を使う」
マルコに肩を貸す。一瞬顔を歪めたのが気にはなったが、構っている暇はない。手近な民家に入って食料を調達する。辺りを見回すと、ここだという家があった。通りの家々に比べて一際大きく、立派な門があり、庭には手入れの行き届いた木が植えられていて、裕福な人物が暮らしていることが伺えるし、なにより、どことなくアル=カザンサの建物に意匠が似ていた。
場所:田中邸
状況:騎士団長がインターホンなど知る由もなく、おもむろに玄関のドアに手をかけ、勢いよく開いた。住居侵入。今日の川崎市の犯罪件数+1。
団長「失礼する!!!!」
補給兵「……お邪魔しまーす」か細い声
田中夫人「……あら」
団長「突然すまない。我々はアル=カザンサの帝国騎士団である」
田中夫人「えーと……?」
団長「どうか食料を分けてもらえないだろうか。不躾な要求であることは承知している。しかし我々は一刻も早く帝国に帰還せねばならない。その為には腹ごしらえが必要なのだ。協力していただけると有難い」
田中夫人「外国の方? 道に迷っちゃったのかしら……」
やはり言葉は通じないか…。どうにか事情を分かってもらうしかない。なにか、なにか手はないか。
思案していると、マルコがふらふらと一歩、二歩歩み出て、右手の人差し指をピンと立て股間に添える。そうか。まずは挨拶だ。騎士道の基本だ。
補給兵「……こんちんこ♪」ニコッ
田中夫人「キャアアアアアーーーーーーッ!!」
団長「な、なぜ叫ぶ!?」
補給兵「ち、ちんこ? ちんぽ? だっけな。あれぇ?」
田中夫人「あなたーーー!! あなたーーー!! 来てーーー!!」
団長「皇帝の勅書もある! 戦時下につきどうかご理解願いたい!」
補給兵「こんちんこーー!!」
ムキになって叫ぶマルコ。迷惑防止条例違反。今日の川崎市の犯罪件数+1。
田中夫人「助けてーーー!!」
女の悲鳴を聞きつけた、にしては悠然とした態度で男が階上から降りてきた。
田中「ハハハ、どうしたかあさん、そんなに大きな声を出して。またどうせアレだろ? キング&プリンセスだかなんだかがテレビに映ってるんだろ?」
男は我々の姿を見ると、口に咥えていた喫煙具のようなものをポトと落とした。唖然とした表情で、鼻の穴からゆっくりと煙が漏れ出している。頭頂部がつるりとした、小さな口ひげの男だ。
田中「キング&プリンセスでは、ないようだな」
田中夫人「あなたっ……へ、変質者。変質者のカップルが卑猥な言葉を……」
田中「……下がっていなさい」
団長「どうか誤解しないで頂きたい。あなたたちに危害は加えない。どうか食料を分けてもらいたい、それだけなのだ」
補給兵「こんちんこ……」
田中「……ああ」
田中は静かに独白する。
「住めば都」などと不動産屋に唆されて建てた家だが、そうか、ついに来たか。
犯罪都市の名は伊達ではないということか、ああ、わかっていたさ。
川崎に家を建てると決めたときから、穏やかな最期を迎えられるとは思っていなかったさ。つまり、覚悟して来たんだ。家族の平和を脅かす、貴様らのような無法者と戦わねばならぬ時が来ると!
田中はガウンを脱ぎ捨てた。齢60の貧相な肉体が露になる。右下腹部には小さな盲腸の手術痕がある。名誉の負傷だ。
田中「かかって来い! 田中耕造……この城の主だ」
そう言うと田中はゆっくりと構えた。決闘罪。今日の川崎市の犯罪件数+1。
――川崎は今日も、犯罪に満ち満ちている。
次回、第3話 『覚醒する戦士』
●tips 『鋼鉄獣バンキヤリス』
魔王軍幹部・知将ゼルマークが生み出した合成魔獣。本来気性の大人しい草食獣バンキと、非常に硬度の高いヤリス鋼とダンゴムシを掛け合わせて生み出された。ダンゴムシの気性の荒さを受け継いでおり、動く物に見境なく突進し、夜は石の下で静かに眠る。ちなみにムダル大陸にも日本と同じ種類のダンゴムシが生息しているが、その気性は極めて獰猛。
たまたまトヨタのヤリスに似ている。
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