第1話 帝国騎士団、全滅
――――最期の晩餐について。
突然、今日が人生最期の一日だと告げられたならば、私はなにを選ぶだろう。
きっと、一切が無に還るその瞬間まで、私はなにも思いつけないだろう。
私はそれを選ぶには、あまりにも長い時間、食べることと、愉しむことを分けてきた。
ただ生きるために口に運び、咀嚼し、飲み込んできた。そこに一切の悦びはない。
誰かが言った。大きな肉が食いたい、と。
誰かが言った。母の手料理を食べて死にたい、と。
私にはそれが、どんな味をしていたか、もはや思い出すことができない。
いや、はじめから知らなかったのだ。
食べることの、悦びについて。
時:皇帝歴606年 播種の月
場所:ムダル大陸北端、魔王城正門前
そこかしこで炎が上がっている。物が燃え爆ぜる音が聞こえるばかりで、悲鳴はもう聞こえない。死屍累々の戦場に騎士団長が倒れている。
団長「熱い……」
団長が目を覚ますと、その光景はさながら地獄のようだった。
団長「さながら地獄のようだ……」
血で霞む目を拭って見ると、燃えているのは仲間たちの遺体と、その装備。魔物の死骸もあるが、仲間の遺体に比べるとその数は多くない。
――ああ、どうしてこうなった。
団長「つっ……!」
立ち上がろうとして、痛みが走る。右太腿に深い裂傷。それだけではない。左肩は脱臼している。肋骨も数本、折れているだろう。汗を拭うつもりで額に押し当てた手甲にべったりと血が付く。……痛み以上に重傷だ。
そうだ。思い出してきた。魔王軍と対峙した時、私は初めて、戦うことを恐ろしいと感じた。魔王軍は量、質ともに我々を圧倒的に凌駕していた。
―――……
先陣を切った騎馬隊は
私は一人、魔王城へと走った。後方でまた悲鳴が上がる。振り返るな。せめて一矢報いてやる。戦場を駆け抜けしなに怪物どもを斬り捨てる。一体一体は大した脅威じゃない。私なら一振りで息の根を止められる。もっと、もっと前へ!
不死の歩兵の群れが進路を塞ぐ。
団長「……邪魔だ!」
デューン鉱と嵐を打ち合わせた魔剣、またの名を
大地を踏み抜く、左重心。両手で柄を握り、左下方から右上方へ斬り上げ一閃!
……ッパァーーーーン……!! ンンン……
破裂音がこだまする。我が剣は音を置き去りにする。
暴風は竜巻となり、不死兵たちの体を粉砕しながら巻き上げていく。
ゼルマーク「クヒャーッヒャッヒャッヒャ! まさかここまで辿り着く人間がいようとは。しかし無駄なこと。このゼルマークが貴様の
団長「ハアァッ!」
前重心、剣閃!
ゼルマークだった物「……」
道は開いた。いざ、魔王場内へ!
ズドォォォォーーーーン……
見れば魔王城正門の巨大な扉が粉砕されている。内側から破壊されたようだ。手で開けられないのなら扉を作るな。
土煙。
足が震えている。本能が前に進むことを拒んでいる。巨大な扉、があった空間、を身を屈めながらゆっくりと現れた、さらに巨大なあれは……
……
三本角と三つ目の巨人。カカポ山に棲むカカポッピを彷彿とさせる巨大な翼。ピョルヌ渓谷に棲むピョルヌッピを彷彿とさせる巨大な牙。モッソン森に棲むモッソンピを彷彿とさせる巨大な爪。黒豆を彷彿とさせるつぶらな瞳。えくぼ。
団長「おぞましい……」
肩に担いだ巨大な剣は活火山をそのまま閉じ込めたような、紅く燃え光る剣。魔王軍の幹部かそれ以上、四天王クラスに違いない。慎重に出方を伺う必要がある。一瞬たりと油断できない。怪物はゆっくりと巨大な剣を構え、さあ、どう来る。飛ぶか。まだ距離はある。ここまでは届くまい。上半身を反らし、あの構えは、薙ぎ……?
団長「あ」
そこで意識が途絶えた。
……―――
あの一撃で、この戦場が焦土と化したというのか。
……ふと見ると、自分の背後に男の遺体。焦げ尽きて、炎は既に消えている。もはや面影はないが、私はこの男が誰だか知っている。
団長「アルザス……」
右手に握られているのは確かに、私が贈った
―――……
アルザスは
アルザスは一時大人しくなるが、酒が回るとまた大声で騒ぎ始めて、その度にロレーヌにひどく罵られていた。皆それを見て笑った。戦いばかりの日々の中で、彼らのやりとりを眺めている時間だけが平穏だった。
最果ての森に入る前の野営で、奴が珍しく酒も飲まず私の元へやってきて、神妙な顔で打ち明けた。
アルザス「俺、この戦いが終わったらロレーヌに結婚を申し込もうと思ってるんです」
団長「……」
アルザス「大事な戦いの前なのに、そんな浮ついたこと……って怒ります?」
団長「…………」
アルザス「こうして打ち明けて、覚悟決めないと俺、ビビっちゃいそうで」
団長「………………」
アルザス「いつもでかいことばっか言ってたけど、あれ、全部嘘だったんす」
団長「……………………」
アルザス「今日も死なずに済んだぞ。だけど明日は死ぬかもなって思ったら、俺、酒が止まんなくて、怖いのを忘れたくて、それで……」
団長「…………………………」
アルザス「団長、怒ってます?」
気の利いたセリフは得意じゃない。まして愛だの恋だの、私には無縁の話。かける言葉が見つからない。だが、こいつには誠意を持って応えてやりたいと思った。
そしてあのタリスマンを首から外した。出征前に実家の妹が私にくれたものだ。
アルザス「団長もオシャレするんだ。ちょっと意外」
団長「お前にやる」
アルザス「え?」
団長「それは
アルザス「……いいんすか。大事な物なんじゃ」
団長「明日、私はお前たちを生きて帰す。必ずだ」
アルザス「…………団長!」ズビッ
焚き火の炎に照らされて、アルザスの鼻水がきらめいていた。
……——―
団長「すまない……」
この有様では、ロレーヌもきっと生きてはいまい。モルガートも、ヴォーレン、ジノマット、カンツミも、皆死んでしまった。
団長「……私は騎士団長失格だ」
……いや。悲哀に暮れている場合じゃない。こんな弱気でいれば、軍神に嗤われてしまうだろう。今の私がするべきことは、たった一人でも生き延びて、皇帝陛下に事のあらましを伝えることだ。我々は魔王軍を侮っていた。次は、対策が必要だ。
「やいへなちょこ! 俺が相手だ!」
声が聞こえた。
間違いない、生存者だ。立ち込める煙でその姿は見えないが、生き残った兵士がまだ戦っている!
風が吹く。煙が晴れて、声の主と、相対する敵の姿が露わになった。
団長「……バカな……」
思わず全身の力が抜けてしまった。
あのえくぼは……
……
相対する我が兵士は、ああ……嘘だろう。
緑色の腕章、あれは補給兵だ! 戦場の後方に陣を張り、負傷兵の手当てや物資の配給、調達を担当する非戦闘員!
身の丈せいぜい4リット(約160㎝)の男が、ゆうに15リットはあろう怪物に対峙している! 何か拾った。投げつけた。あれは、馬糞か。あいつ死ぬぞ。
怪物は気にも留め、あ、いや、怒っているな。あの巨大な剣を振るうのか、そうなれば私も巻き添えで死ぬだろう。……いや、剣は振らない。左手を天に向けて開き、なにか詠唱している……? 呪文を発動するのか。
補給兵が何か拾う。重装歩兵の大剣か。小柄な奴にあの大剣が振れるのか。ふらついている。まともに構えられてない。あ、諦めて置いた。怪物の詠唱は続いている。いや、待て、なにかマズい予感がする。天に向けた掌の上になにか禍々しいオーラが集まっていくような、あ、左腕が変形した。体全体が発光している。怪物の体が宙に浮かび始めた。翼が体を包み繭のようになっている……ずいぶん長い詠唱だな。相当魔力を使っているんじゃないか。
団長「……ブハッ!」
あっけに取られて呼吸を忘れていた。助けねば! 蛮勇とはいえ、奴はたった一人で敵に立ち向かっていったのだ。大事な部下が死のうとしている。助けねば! 蛮勇とはいえ!
団長「……カッ……ゴボッ」
喉が火傷しているのか、声が出ない……。助けに向かおうにも、脚に力が入らない。血を流しすぎたか。立ち上がることも、逃げろと叫ぶこともできない。
どうする、どうする私。この局面で、どうやって奴を助ける。見捨てるべきか。見捨てるものか! 私は帝国騎士団団長、軍神の加護を授かりし者、命尽きるその瞬間まで、戦うことを諦めてはならぬ!
……ところで怪物はずいぶん形態変化を経て、補給兵と同じくらい、4リット程度に縮んでしまっている。無駄にゴテゴテした巨体がキュッと洗練されて、逆に恐ろしい。角もなぜか一本になっている。えくぼだけが変わらず深い闇を湛えている。全力なのか……?
魔王「この魔王じきじきに、最も残酷な死をくれてやろう……」
あれ、もしかして魔王かな……。いや、余計なことを考えるのはよそう。魔王だとしても、そうでなかったとしても、今考えるべきはそんなことではない。この窮地をいかに脱するかだ。動け、動け私の脚!
補給兵「ワ……ワァァ~~……」
情けない声を出すな。力が抜ける。
魔王「この歪に飲みこまれた物質がどこへ行ってしまうのか、ワシにもわからぬ……」
極めて無責任なことを言っている気がする。やはり魔族とは相容れない。
補給兵「あ……あ……お母さーーーーん!!」
補給兵が走り出した。間抜けなフォームで怪物に背を向けて。そうだ、逃げろ。全力で走れ! 走……! 脚遅いなあいつ……。もうダメだ。
魔王「ザグャパンパゾィ・ヌクィピッピリェデヮド!!」
なんて言ったのか全く聞き取れなかったが、ついに放たれた。球状の、空間の歪みのようなソレに、周囲の物体が、地面までもが削り取られていく! あれを食らったら確実に死だ。いや、しかし案外遅い。男の逃げ脚と同じくらいか、ほんの少し早い程度か。走れ! ……遅い! もっと本気で走れ!
魔王「ハァハァ……! 無駄なこと……ザグャパンパゾィ・ヌクィピッピリェデヮドは貴様を地の果てまでも追いかけるぞ……ゴホッゴホッ……ハァ……」疲れてる
補給兵「あれ!?」
男がこちらを見た。これは、非常に良くない予感がする。
補給兵「団長!? 生きてたんですか!? 団長ーーーー!」
バカ、こっちに来るな。
ザグャパンパゾィ・ヌクィピッピリェデヮド(覚えた)がお前を追ってきてるだろうが。もう、今にも。
補給兵「助けてーーーーーッ!!」
今にも
団長「ちょま」
ズァ…ッ…… ンン……ーン
――そこでまた、私の意識は途絶えた。
次回、第2話 『犯罪都市、川崎』
●tips 『カカポッピ』
カカポ山に棲む巨大な翼を持つ生物。鳥に似ているが実際は蟹に近い生物。
体温が非常に高く、カカポッピが留まった木は発火してしまうため、5分以上同じ木に留まることができないが、頑なに地面には降りようとしない。
主食はミョヌーン。生きたまま飲み込み、体内で蒸し焼きにした後、吐き出してもう一度食べる習性を持つ。信じがたいことに八日に一度ヘギする。
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