小括(十枚目)
紫鳥コウ
小括(十枚目)
妃という名の彼女は、自分の名前と容姿と性格と境遇のバランスが取れていないのに、葛藤したことがあるという。
それを知らなかったから、無邪気に、「クイーン」と声をかけたことが一度あった。もう別れると泣きだして、それから関係は氷結してしまった。
それでも、なんだかんだ元の関係に戻ることができて、桐縞は彼女のことを「妃」としか言わなくなり、彼女は変わらず「たっくん」と呼んだ。ふたりの関係は良好で、周りはみな、
こうした予想は、裏切られてもおかしくないはずだが、ふたりはめでたく結婚した。結婚式には、予想屋たちも招待された。
みな、これほど早く結婚するとは思っていなかった。ケーキ入刀を見ながらも、大体の知り合いは、そういう驚きを
しかし、ふたりの結婚を認めるくらい「寛大」な両親なのだから、お金はいくらでも、ふたりの「家庭」へ入ってくるのだった。
着信音は、デフォルトのままだった。
「おはよう」
妃の第一声を聞いて、この藍色は朝のものなのだと知った。
「また徹夜してたの?」
「そうみたい。こっちはもうすぐ、研究発表会があるから」
「大学で?」
「そそ」
「ムリしないでね」
「ちょっとはムリをしないとね。まだ若いし、これくらいはへっちゃらだよ」
「わたしね、たっくんのことが大好き」
「ぼくも好き」
「どれくらい?」
「どれくらい好きでいてほしい?」
ふたりは言葉だけで愛し合いはじめた。
耳学問なんて言うけれど、大学院生が集まれば研究の話ばかりするわけではない。くだらない他愛ない話題をころころ転がしていることなんて、ザラにある。会話というのは、大体は息抜きなのだ。
結婚指輪を
相手のことを知りたいという希求がある限り、「関係」というものは、直線のように永久に続くものだ。
「ここが、
「じゃあ、たっくんはここが痛いわけだ」
「あとここ、
桐縞は、ノートの後ろに左足を書いて、足つぼのことを説明しはじめた。
「ここらへんって、なんなの?」
妃は、シャープペンシルで丸を描いた。
キッチンでなにかを落としてしまったらしい。店員さんの「失礼いたしました」という唱和が遠くから聞こえてきた。
「ここは……子宮だね。僕だったら
「ふうん……」
「ちなみにここが、尿道でね」
「じゃあ、ここらへんは」
「ええと、なんだっけ。
マッサージ店を開業した友人のために、練習台として付き合ってあげていたことから、多少は詳しくなった桐縞だが、ふと、妃の裸の足を最後に見たのは、いつだっただろうと考えた。一方の妃は、漠然と、今日はホテルに行きたいと思っていた。
「友達っていうのは、同級生なの?」
「うん、小中高って一緒だった。中高のときは付き合ってた」
「そんなことだろうと思った」
「なんで?」
「なんでって……分からないけど、そう思ったの」
ふたりはじゃんけんをした。桐縞は伝票を開いて、苦笑してしまった。
「モンブラン、美味しかった?」
「うん」
「ならいいや」
「一口あげたじゃん」
カフェに入る前は、雨は降っていなかった。しかし出たときには、空気は湿っぽくなり、小さな水たまりが車道と歩道のあいだにできていた。桐縞はチラッと腕時計を見て、
「わたしね、ツボ押しの棒を買ったの。ちょっとお疲れみたい」
「どこらへんが痛いの?」
「どこを押してもじゃりじゃり言うの」
「僕たちは、そこら中が弱ってるね」
「そうね。あっそうだ、今度貸してあげるよ」
「棒を?」
「そそ。それか……押しあいっこでもする?」
「いいね、それ」
もしかしたら、ふたりは、恋人の延長線上にいるだけなのかもしれない。気持ちとしての、恋人と夫婦の境目は、無いに等しいのだろう。
からりと晴れた日。ふたりは、いつもの喫茶店で待ち合わせをした。妃はワインレッドのワンピース姿で現れた。大人っぽく見えると同時に、どこか背伸びをしているようにも思われた。
こうした待ち合わせの仕方もそうだが、会話や仕草のなかに、恋人らしさのようなものを感じさせるところが、いくつもあった。その一方で、ふたりの将来に関する話題になると、どこか夫婦らしさをそなえ始めた。
だけど、そのことを、良いか悪いかという悩みへと持っていけるほどの、強烈な不安を抱いているというわけではないらしい。むしろふたりは、そうした問題を
〈了〉
小括(十枚目) 紫鳥コウ @Smilitary
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