簡単解説③ 前九年の役で始まる東北大戦争

 『上総介菅原孝標は源氏物語推しの娘に日記でも書かせることにした』をご愛読いただきありがとうございます。さて、だんだん時代背景が変化してきましたので、今までの出来事を年代順に整理してみましょう。


 939~940年 平将門の乱

 972年 孝標生まれる

 1021~1024年 孝標、上総国司の任期

 1028~1031年 平忠常の乱

 1032~1036年 孝標、常陸国司の任期

 1040年 孝標女が橘俊通と結婚する

 1040年頃 孝標亡くなる

 1041~1045年 橘俊通、下野国司の任期

 <いまはここ>

 1051年 前九年の役はじまる

 1057年 橘俊通、信濃守

 1058年 橘俊通死去


 我らが菅原孝標も老齢には勝てず、ついに亡くなってしまいました。孝標の死後の1051年、前九年の役が始まります。『前九年』という名称から「ああ、9年間も続いたのか」と思う方がおられると思います。実際には12年間続きました。

 すでにお気づきかと思いますが、平安時代中期は、平将門の乱、平忠常の乱、前九年の役と反乱が相次ぎます。『平安時代』は『平安』ではなかったのです。


 奥州で本格的な戦争状態となるのは坂上田村麻呂がアテルイと戦った桓武天皇の時代以来です。

 桓武天皇より前の時代では、朝廷は蝦夷に対して宥和政策を取っています。蝦夷であっても官職を与えたり、蝦夷の住民を大和の地域内へ、大和の住民を蝦夷の地域内に集団で移住させたりして平和的に大和政権への統合を進めていました。

 770年代から蝦夷より蜂起・離反などの動きが相次ぎますが、光仁天皇や桓武天皇は何度も征討軍を送り込み、武力で制圧します。

 国防上重要であることはわかりますが、ここまで膨大な戦費を使っても、陸奥国を制圧する意義は一体何でしょうか?当時の蝦夷は狩猟採集が主で、稲作は本格化していなかったともいわれています。米もまともに採れない。では、なんでしょう?その陸奥国の重要な産物、それは『金』であったと考えられます。

 日本で初めて金が産出されたのは奈良時代の陸奥国。 奈良・東大寺の大仏の金箔は陸奥国の金であるとも言われています。また、平泉・中尊寺金色堂からも当時、いかに陸奥国で金が産出されていたかもわかります。

 平安時代中期の摂関政治の時代、源満政や源忠重は藤原道長に必死に寄進し、受領の地位を手に入れます。その中には陸奥守も含まれていました。平将門の乱では、奥州で産出される金を巡って平氏同士が争ったともいわれています。前九年の役では、河内源氏の棟梁である源頼義は勇敢に戦い勝利を収めます。実際に、勇敢だったかわかりませんが、勇敢であったように思えます。陸奥国は、平氏、源氏、藤原氏などの有力貴族が利権確保を争う係争地だったのです。


P.S.念のために申し上げますが、『源頼貴』は架空の人物です。ネットで探してもみつかりません。ご承知おきください。

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