簡単解説② 源氏物語って何、平忠常の乱って何
平安初期に成立した源氏物語なのですが、源氏物語の時代設定は当時より少し前の時代を描いています。当時は藤原氏の天下だったわけですが、少し前の時代は源氏が政治の表舞台で活躍していた時代があり、事実と物語は矛盾しません。
実在の源氏をネタにしてよいのかという疑問が生じますが、当時の宮廷での公式文書は漢文なので、源氏物語がいかに宮廷の事をネタにしようとも、平仮名である限り、所詮、宮仕えする女人たちの読む物語です。何か取締りを受けるようなことにはならなかったのでしょう。
源氏物語が重要なのは、中身というより、その異常な長さにあったんだろうと思います。全54帖です。原稿用紙約2400枚で、登場人物が500人以上です。しかも、モチーフが天皇家。藤原道長がスポンサーにいたので、天皇家をネタにしたうえで、この長さの物語が執筆できたと言えます。道長としては、絶世の権力を握っていたのですから、「道長ファミリーは、こんな長編小説も作れるんだぜ」とさぞかし、鼻が高かったことでしょう。
さて、その源氏物語なのですが、全体の構成は前半と後半がありまして・・・
え?
え?
簡単解説とか言っておきながら簡単じゃないって?
あー、そういうことですか。理解しました。
言われてみればたしかに・・・
そこ、そこ、そこの方。いまスクロールしようとしたでしょ。
見えてます。
見えてます。
だめです。
だめです。
右フリックはもっとだめです。
あとちょっとなので続けます。
さあ、菅原孝標の周辺の時代背景の解説です。
この物語の主人公菅原孝標は、1021年に上総から都に戻ります。その7年後の1028年、房総半島では平忠常の乱が勃発します。
平忠常の乱では、まず、忠常が安房守平維忠を襲撃して、焼殺。続けて上総国国府を襲撃し、国司の縣犬養為政は都に逃走。朝廷は忠常の乱の鎮圧にてこずる内に房総半島では飢饉が発生、下総守藤原為頼の妻子は餓死したと言われています。
1031年、河内源氏の源頼信が追討軍に着任し、甲斐まで進軍すると、飢饉により疲弊していた平忠常はあっさりと降伏。都に連行される途中、美濃国で病死した。なお、忠常の子孫には源頼朝と行動を共にした上総広常がいます。
平忠常の乱が終息したその翌年の1032年、菅原孝標は、新たな任官の指示が下りました。
さて、どうなることでしょう?
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