第20話 虐げられた者達の戦歌/虐げられた者達の鎮魂歌
再び地面を割り砕く轟音と共に、ナタエル、その異形が迫る。
「ハア――ッ!」
「チッ!」
独特な軌道で繰り出される左拳を右ステップで回避した瞬間、右から顔面狙いの一撃が迫る。これをレルヒェは左手で受け、右手の蛇腹剣でカウンターを取ろうとするが――
――瞬間、爆ぜた。
レルヒェの胸元で炸裂したのは二つの拳。
右上腕を受けられてなお自由な右中腕と右下腕。それらが交錯する動きを取りながら同一の点で衝突する。
――裂花八式、双崩拳。
<裂花両腕>の異形の肉体を持つレルヒェ以外には再現不能な御業。
最早、胸元に砲弾が直撃したが如き一撃であった。
しかし、その身に炸裂した衝撃とは対象的に、その体は微動だにしない。
当然である。本来勁を用いた打撃とは内部破壊。体を吹き飛ばす力などエネルギーの無駄でしかない。
先ほどまでは鱗の硬度故に浸透勁の発現には至らなかったが、<裂花両腕>を活用した打撃が<転身鉄塊>の防御を抜き、レルヒェの体内にダメージを与えたのだ。
「ガ……」
崩れ落ちそうになる体を足で踏ん張って支える。
(クソ……凄まじく痛む!鱗が健在でも内部ダメージで動けなくなる可能性すらある!——故に、勝利条件は)
(チ……一発ごとに手傷を要求されるのが厄介に過ぎる……やはり、勝利条件は)
偶然にも、両者の考えは一致する。
(行動不能になる前に相手の腕、残り五本を無力化すること―—!)
(こちらの腕が一本でも動く内に、敵の外郭、ないしは内部を破壊する――!)
両者ともに速攻。
(リーチ外から安全に切り刻もうとしても聴勁の技能でいなされるだけ!あえて有利を捨て、ダメージを容認し、悟れど対処不能な至近距離に踏み込んでこそ勝機がある――!)
「ゼイッ!」
繰り出される掌底を躱し、左下腕を蛇腹剣で狙う。しなりながら宙を切り裂いたその切っ先がザクリ、と深々と突き刺さった。残り四本。
「クッ――だが!」
ナタエルが蛇腹剣を掴んで引き抜き、そのまま振り回してレルヒェを地面に叩き付ける。
地面で一回バウンドした後体制を立て直したレルヒェに対して高速で接近、全身の勁を乗せた連撃を叩き込む。レルヒェはその連撃をどうにか捌くものの、倍化した手数の前に一瞬、隙を生んだ。
それこそがナタエルの狙い。さらに一歩踏み込んで掌打が胸に叩き込まれる。
高速連撃で相手の防御を崩した後に渾身の一撃を叩き込む大技。
【彼岸】に於いては神槍・李書文が得手としたとされるその套路こそは。
――
ナタエルが使うそれはその異形により、更なる高みへと昇華されている。
メギリ、とレルヒェの鱗が悲鳴を上げた。持って後二発だろうか。
しかし、レルヒェは猛虎硬爬山の最終段の後、その伸びきった右中腕を掴んでいる。
「——ズアッ!」
胸元にレルヒェの右中腕を思いっきり擦り付けて切り刻む。あと三本。
そのまま手薄になった右側に回り込んで右上腕を拘束。棘だらけの全身の体重を生かして、抉りながら極める。『恩寵』使用前の不意打ちによる筋切断と合わせて右側の腕の完全破壊に成功。残り二本。
「——ヌン!」
まともに動かぬはずの右上腕を打ち振るってレルヒェを引きはがしたナタエルは胸元に渾身の膝蹴りを叩き込む。
「——カ、ハ……」
炎が吹き上がるかの様な勢いの膝蹴りで浮き上がったナタエルの体に襲い掛かるは上から下へと突き抜ける全力の上段打ち。先ほどの猛虎硬爬山も属する八大招の一撃を、ナタエルが己が肉体でさらに研ぎ澄ました、八大招を超越する八大招。
――
「グッ――アァ……!」
レルヒェ、その体を守る鱗が木っ端微塵に砕け散った瞬間だった。
「ヌ――ここまでか……!」
だが、ここで無理を通して強引に刃を殴り続けた代償がナタエルに襲い掛かる。左中腕が完全に壊れたのだ。
握りしめることすら能わぬ肉袋では敵を殴り付けることはできぬ。残り一本。
そして、レルヒェは既に手にした蛇腹剣を最後の一本、左上腕に目掛けて振りかぶっている。
勝負あり、かと思われたが。
「――我が尊きカルペ・ディエムカ、我が愛しき
「な――!?」
窮地に追い込まれたナタエルが選択したのは、詠唱だった。
命の儚さを唄い、昏き死を謳い、忘れ去られた神を招く、正真正銘の
その言霊は力となり、罪科ある者を裁き、救済を求める者を天上に誘う。
無視してこのまま切り込むのが得策、とレルヒェの冷静な部分が囁く。
だが、先程視認した一つの情報が、レルヒェに退避とこれより発生する事象の観察を選択させた。
レルヒェの動きを他所に、ナタエルは詠唱を続ける。
「――忘るる勿かれ。如何なる歓喜も明日には値が下がり、如何なる悲しみも時間の内に溶け去るのみ」
「――
「――彼の鎌を逃れうる者は誰もいない。男も女も、富めるも貧しきも、善なるも悪なるも、全て刃の内に露と消ゆ」
「――終わりは其処に。私が替わりて鎌を振るおう」
「――知覚せよ。生あってこその死であり、死あってこその生である」
「――<
しかし、結びの一句が告げられてなお、周囲を威するが如き轟音も、罪人を天より裁く雷光も、何も起こらない。
――ただ、静寂。
「しまっ――」
その静寂は刹那。だがその刹那で聡明なるレルヒェは自らのミスを自覚している。
懐に全霊の震脚を持って踏み込むナタエルの長身。
先程の聖言詠唱は、紛れもない本物である。
――だが、此処、
――然るに、祈りはどこへも届かない。
詠唱は完全なるブラフ。敗着を悟った時にはもう遅い。
「主、神?何を愚かな。
――そんなモノ、とうにいないというのに。」
——金剛八式、衝捶。
回避行動より、なお早く。
渾身の勁打を食らったレルヒェの生身の胸郭が、爆裂した。
◆
最後の一撃をまともに浴びたレルヒェは、街路に倒れ込んだ。
その胸郭からは、肋と臓物が露出している。致命傷。
「ッ、ァ――ナタエル卿……最後にお聞かせ願いたい……」
自分は負けた。それはいい。だが、問わねばならぬことがある。なけなしの空気を振り絞って言葉を為す。
「――驚いた。その惨状でまだ息があるか……良かろう。息の続く限り、問うが良い」
「貴方は……ッ、『信徒』ですね……?」
神忘の地【フォアゴット】に於いて、信仰と呼ばれる概念はほぼ絶えている。当然である。信仰対象が死に絶えているのだから。
とは言え、極めて少数ながらも、信仰を保つ敬虔の徒が未だに存在する。
――信徒。
それは嘗て天上に在った神を崇め、奉る一派。神を殺した事で現在の地位を手に入れた魔王からすれば、彼らの存在は反動分子同然であり、当然のように弾圧の憂き目に在っていた。
<裂花両腕>の発動直前。脱ぎ捨てられた衣類の中に紛れていたペンダント。あれは、己の信仰心を証明する、信仰者の所持物。
戦いの最中にその正体を思い出したが故に、レルヒェは聖言を本物と捉え回避行動を取ったのだが――
——ならば、何故、反逆者同然であるナタエルは、同じく反逆者であるレルヒェを殺したのか。
「クク――私もまた、見破られていたか。そうだ、私は信徒だ。そして、君と同じく王都を内より喰い破る、反逆者でもある。
尤も、反逆者として行動を起こしたのはこれが初めて故に、こう名乗っても良いか些か怪しい点もあるが――」
「ならば、何故……」
「レルヒェ殿、君は、キュリアス卿が討ち取られた日のことを覚えているか?あの日、彼の好好爺が世から罷ったことで宙ぶらりんとなった第二席としての権限は、第一席アルアース卿に引き継がれた。
……つまりだ。『
できる限り多くの『円卓』を殺すことで、より多くの権力、武力を私に集約させる。そうして得た力で、私は――魔王を殺す。これが私の目的だ。
君は反逆者という立場上、最も怪しまれること無く殺せる『円卓』だった。故に、こうして殺した」
「その、果てに……何を」
「――教会の、神の権威を取り戻す。ある単一の神を信ずるというだけで虐げられるこの世界を、魔王殺しの栄誉と汚名で以て覆す」
「ハ、――ハハ」
知らず、レルヒェは笑っていた。
教会という単語を
つい先程まで、血で血を洗う殺し合いを行っていた者にここまで同情と共感を覚えることになるとは。
皮肉を越えて、どこか運命じみたモノすら感じた。
レルヒェは呟く。
「ねぇ……ナタエル卿。何か一つ違えば、私達、分かり合えたのではないですか……?」
ナタエルは一瞬逡巡して。
「いや、無理だろう。
――これは、私が私に課した事だ。故に私が、成し遂げなければならぬ事だ。そこに余人の介入する余地はない」
「はは……貴方らしいといえば、そうなのかも知れませんね……」
視界が狭まる。自らの戦いはここまでだろう、道半ば、中途半端も良いところだ。
大往生、とは到底行かない。末期の瞬間まで物悩みは付きない。
『
――あの日の願いは、どこへ行く。
――その行く末を見届ける事、能わぬのならば。
レルヒェはナタエルに笑って囁く。
「私の願いを踏み潰したんだ――私の分まで、きっちり、殺してくださいね」
今際の際に託されたのは、想いか呪いか。
「あぁ。約束しよう」
――せめて、この魂に憐れみを。
ナタエルはレルヒェの遺体を担ぎ、歩き出した。
◆
パチ、パチと。
どこかで断続的に火の粉が弾ける音が響く。
鼻腔を
ターンと、何処かでまた
「なんでッ――なにか、私達がッ」「腕が、腕がァッ!」「やめて、子供達だけはッ」
鉛の弾に撃ち抜かれ、鉄の剣に切り裂かれ、血の花を咲かしながら崩れ落ちていく。
狂奔と恐乱に浮かされて熱っぽい頭のまま、少年は逃げ惑った。道中何度もぬかるみに足を取られ、地面を舐めながら。
自分の足を滑らせたぬかるみの色は、暗がりと炎の照り返しで判別出来ない。
――否、思考から敢えて外した。それの正体を知ってしまえば、足は竦んで二度と走れなくなる。
震える膝に鞭打って再び走り出す。小柄な体のせいか、道順もぐちゃぐちゃの非効率極まる逃げ方ながらも、襲撃者達に執拗に狙われることはなかった。
「ハッ、ハッ、ハッ……」
息を切らしながら小高い丘を駆け上がる。少しでも遠くへ。少しでも、離れた場所へ。
その丘の頂上に辿り着き、上から下の景色を見下ろした時に、彼の瞳に映った色彩は、橙。遠く離れていても、眼の逸らしようもない炎の暖色。
不器用ながらも、彼を真っ当に愛してくれた家族。
自分の手を引いて、いつも遊びに連れだした勝気な幼馴染の少女。
顔を合わせる度に、菓子をくれていた近所の老婆。
宝物と言って差し支えない、彼の過ごした思い出の数々。
それら全てを飲み込むように。
彼の育った村が、燃え盛っていた。
「ぁ……あぁ……ウァァァァァァ――ッ!」
――これは彼と彼が見た悪夢。
焼き付いて離れぬ、どうしようもない理不尽。
この世界にありふれた、地獄。
――これは、かつて虐げられ、今修羅道を行く彼の為の戦歌。
――或いは、かつて虐げられ、今死出道を逝く彼の為の鎮魂歌。
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