第19話 虐げられた者達の悲歌
「
ナタエルが気合と共に踏み込む。
強く踏み込まれた右足の圧力で、石の舗装が粉々に砕け散った。
――震脚。
ならばそこから繰り出されるのは。
「ムン――!」
「グァ――ッ!?」
下から掬い上げるかの如き軌道の中段打突。全身の体重移動によって伝わる勁力を縦向きの拳に集約し、叩きつける一打。その拳打は振り切った後の残心の体勢の美しさから弓にすら譬えられる。空気を切り裂いてレルヒェの鳩尾に深く食い込んだそれこそは、崩壊の打撃。
――人曰く、崩拳、と呼ぶ。
【彼岸】より教え伝わる一撃の重みが、レルヒェを吹き飛ばした。
「……ァ……ズ」
「おい!『円卓』同士の決闘だぞ!誰か止めろよ!」
「止めるつっても誰が!?」
「あんなバケモン連中に勝てるのは同じ『円卓』か魔王陛下だけだよ!見ただろあの威力のパンチ!」
周囲で騒ぐ住人の声も、今は遠くに聞こえる。
藁屑か何かのように吹き飛ばされ、周囲に並ぶ家々の二階に叩き付けられたレルヒェの体。来るであろう追撃に備えんと、潰れた肺胞を無理やり動かして呼吸。体を起こさんとするも、待てど暮らせど追撃はこない。
「――厄介だな。打つ側にリスクを強いるか」
――それは、剣山を素手で殴り抜いた代償だった。
ナタエルの右手、その第二関節と第一関節の間には互い違いの裂傷が走り、そこから鮮血が吹き出している。
(一先ずは、通じるか……)
レルヒェの『恩寵』は<転身鉄塊>。
自らの体を鉄並み、或いはそれ以上に硬質化する、言ってしまえばただそれだけの『恩寵』。
だが、レルヒェの体質である鱗と『恩寵』が組み合わされた時、それは自らを守る鎧と、敵を穿つ鉾としての役割を同時に兼ね備える。
されども、相手は上位席。一方的に<転身鉄塊>を割り砕かれる危険性もあった。
故に、相手の初撃を敢えて浴びることで自らの『恩寵』の硬度と敵の拳の威力を比較したのだ。
結果として、レルヒェは体の内に入るダメージを最小限に抑え、ナタエルに手傷を与えることに成功した。
(戦いにはなる……戦いには)
しかし、同時にレルヒェは危機感も抱いていた。
相手の套路はどう見ても見よう見まねで到達できる次元のそれではない。
――秘門。
どこでどういう修行を詰んだかは理解の埒外だが、ナタエルの拳術は間違いなく武の窮極に至っている。
<転身鉄塊>による防御がない、或いは割り砕かれた所に一撃を貰えば、それだけで即死するだろう。
「フン――!」
ナタエルが地を蹴って飛び上がりこちらに迫る。
ナタエルもそれを察しているのか着地するや否や鱗のない頭目掛けて連環脚が放たれた。
円を描くかのような二連の蹴りを宙返りで躱し、そのままその家の調度品を蹴り飛ばして足止め、階段を下って距離を取る。
「逃さぬ!」
叫び声と共に、一階のリビングにナタエルが踏み込む。
だが、それと同時。
「――ヌ!?」
ナタエルの左腕の筋が切り裂かれた。
一瞬血を迸らせた後にだらんと垂れ下がる左腕。恐らく、然るべき処置をするまでは動かないだろう。
「——成程な」
その早業を為した凶器を見据えるナタエル。
レルヒェの右手に握られていたのは、銀色に変色した尻尾だった。
普段は右足に這わせるようにしてズボンの中に隠してはいるが、
――うねり、しなり、敵を穿つ蛇腹剣と成る。
「セイ!」
手にした蛇腹剣をレルヒェは振るう。先端速度が音速を超えるそれをナタエルは防御ではなく回避を選択。一歩後ろに下がる。
(流石に接触はためらうか!それでいい、このまま貴様のリーチ外より一方的に斬り殺す!)
調度品を巻き込んで斬撃を立て続けに放つが、髪の毛一本の差でナタエルに当たらない。
「チ――」
三連撃。
揺れる不規則な軌道。視覚で捉えること能わぬ曲線の切断をナタエルは掻い潜りレルヒェに接近する。
「なにッ!?」
「――聴勁、ご存知ですかな?」
ナタエルが口にするは、【彼岸】の技術。
相手の息遣い、体捌きから生ずる微細な気の乱れ。そこから相手の次手のタイミング、軌道を見ずして看破し、先読みする技能。
第六感、超能力としか思えぬが、れっきとした格闘技術である。
「つまり貴方の攻撃は、視るまでもないということ――!」
「グ――!」
素早く繰り出された掌底の勁打が、レルヒェの内蔵を揺さぶった。
吹き飛ばされ、民家の壁を突き破って再び街路に放り出される。
(クソ……執拗に胸元を……痛みを感じていないのか貴様は……!?)
ゴロゴロと転がった後に血痰を吐いて立ち上がる。胸元が弾けたが如き激痛。
しかしながら視線の先のナタエルも、両腕から血をどくどくと垂れ流していた。
先程の掌打で、ナタエルの右手の裂傷はより深刻化している。
(顔を殴り潰すのが早いと思ったが、やはり相手も警戒している。それよりは同じ点に打撃を重ねて防御を打ち砕く方がよいな、後五撃、否六撃と言った所か――
――とは言え。)
(左腕の筋は切った、右腕の裂傷も無視できるわけではないだろう!勝負を焦りすぎだ、腕さえ封じてしまえば後は足技のみ、どうとでもなる!)
(こちらの腕が動かなくなるのと、敵の鎧を打ち砕くののどちらが早いかという問題か。
然るに、長くなれば長くなるほどこちらが不利……面倒な……!)
「少々甘く見ていたかもしれんな、貴殿を」
呟いたナタエルが、紺色の服を脱ぎ捨て、上裸になる。
分厚く角ばった胸板に、大きく張り出した三角筋。上腕二頭筋と上腕三頭筋深い凹凸を刻み、腕橈骨筋と長橈側手根伸筋が来るべきインパクトに備えてその筋を浮きだたせる。彼の肉体はどこまでも均整が取れた、生ける暴力の塊だった。
己が身体だけで生命を殺傷することだけを目的に練り上げられた至高の肉体。
ここまで至るためにどれだけの歳月が必要だったか、全く想像がつかない。
しかしその肉体以上に、レルヒェの目を引いたのは服と同時に脇に投げ飛ばされた、金色の光だった。
(あのペンダント、どこかで……)
その形状と色合いには確かに見覚えがあった、しかしどこで。
だが、海馬の奥を探る間もなく、低く唸るバリトンが響く。
「失敬、これを使うとなると、服がどうしても邪魔になるものでな。ここからは全力で行かせて頂こう――」
(まだ底じゃない……!そうか、そりゃそうだ、彼はまだ『恩寵』を使っていない――!)
「――<裂花両腕>。」
宣言と同時、筋肉構造に沿ってナタエルの腕が三叉に裂ける――否、花開く。
裂けた腕は、その形状をかすかに変えて、新たなる腕へと変貌する。
右腕三本、左腕三本、合わせて六本。
レルヒェの眼前に聳え立つは阿修羅にも似た御形。その多腕が、眼前の敵を破壊するべく、静かに構えられた。
――敵の攻撃を防いでも残りの腕で反撃を取れる。攻撃の手数を増やすことで敵の防御を超克する。
腕部が常人の三倍あることは格闘戦において圧倒的な優位を齎し、加えてナタエルはこれだけの異形の肉体を持ちながらも、一切の身体機能、格闘技術を失っていない。
元より秘門に至るクラスのナタエルの格闘性能を何重にも底上げする異形の『恩寵』。
それが、<裂花両腕>である。
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