第2話 円卓の十二人、第二席

 命王平定領域国家、【クヴィーザル】。

 森林が国土面積の6割を占める、自然の国。

 その中央部に在する王都、【サカルドニア】、中央部。


 ——『魔王』の、居城にて。


 「分かった。では蜥蜴人リザードに対する税率改定についてはそのように。仔細はイユレ、お前に一任する」


 「承知いたしました、魔王陛下イエス、ユア・マジェスティ


 イユレ、と呼ばれた小柄な男が深々と一礼し、席に就く。


 円卓であった。

 巨大な円卓に十二人の人間が座っている。


 ——命国魔王直属最高幹部集団、『円卓の十二人ダース・ラウンズ』。


 個人での戦闘力、集団での軍事力、領地、富、名声、権力。

 構成員全員がおおよそ騎士・貴族として必要とされる要素の全てを最高水準で備え、魔王本人から直々に魔法の力の一端である『恩寵』を受け取った【クヴィーザル】における最高意思決定機関である。


 そして、それらより遥かな高みの玉座から円卓を見下ろす男一人。

 森の中の鋭い葉を想起させる濃緑の髪色と、金色の眼差し。

 頬を手の甲で支え、足を組んで凛然として御座に就くその姿こそ、


 ――『魔王』、エルキガンドである。 

 

 人間味を感じさせぬような白い肌と、目線や一挙手一投足より発される暴力的なまでの生命力。

 相反するはずの二要素が混然となり、ビリビリと震えるような存在感が、周囲を圧した。

 

 「……地を這うしか能のないヒトモドキの話はもう良いだろう、次だ。エレム、報告を」


 重く響く魔王の声と共に、赤い髪色の女がスッと立ち上がる。


 「はっ、他国家との軍事境界線および東部、西部の各戦線には現状、異常はありません。小康状態が継続されている形です。

 むしろ今回の報告で特筆するべきは対外関係よりも内憂であり……


 ……二日前、【リインカーネの森】付近にて、<命国所属対勇第三強行偵察部隊>18名が全滅しているのが確認されました。

 死因は部位切断による失血過多、ショック症状などですね。一応調べさせてはいますが、遺体の損壊が酷い為下手人や凶器などの特定は難しいかと」

 

 会議室全体にどよめきが走る。


 「なんと、全滅とな!?」

 

 「馬鹿な、腐っても精鋭だぞ!?」


 周囲の混乱をエルキガンドが諌めた。

 

 「取り乱すな、対勇強行偵察部隊の腕利きを失ったのは痛手ではあるものの、リカバリーが効く範囲内だ」


 「……『勇者案件』、ですか」


 刃のよう、という形容が似合う鋭い相貌の男が、上品に整えられた眉を吊り上げながら口を開く。 

 

 「これだけでは断定できんさ、レルヒェ。行きずりの野盗や、獰猛な獣に襲われた、という線もある。まぁ、あの腕利き共がそんな連中にやられた、とは考えたくはないが……」


 すらすらとエルキガルドの口は言の葉を紡ぐが、その実蛇のような金色の瞳はレルヒェの刃の相貌から逸れている。


 (これだけでは断定できない、それは真だが、先日——丁度二日前から我が眷属のフェンリルの反応がないことを考えるとな……『漂白者ワンダラー』の出現時期でもあることを合わせると、十中八九、件の18人殺しに『漂白者ワンダラー』が何らかの形で関わっているだろう。『』で殺しきれたという確証もない。


 だが、俺以外に共有できぬ情報を馬鹿正直に伝えて、無用の混乱を招くのは下策……この中に二心持ちがいないとも限らない、こちらの権威が揺らぐことは避けるべきだ。


 それに話した所で何になる。現状、目に見えた危機が迫っているわけでもない。円卓ラウンズ共から見てみれば正体も存在そのものすら不確かな相手。そんなものに注力させて、やる気を出せ、成果を挙げろという方が無理がある。


 俺が抱える情報を明かして、部下共を大々的に動かすのであれば、より確かな存在証明、より大きな行動動機が必要だろう――)


 宙を睨む目がきゅっと細められ、刹那の渋面。


 (——窮屈だ。)


 「どうかされましたか?」


 「いや、何でもないさ。そうだな……エレムとレルヒェには手空きの兵士を二個小隊回す。件の事件に対する調査を進めろ」


 「「承知いたしました、魔王陛下イエス、ユア・マジェスティ」」


 「よし、次だな。ライネス、今年の麦の出来高について……」


 先ほどまでの渋面の残滓を残さず、政務を取り仕切る魔王の姿を、灰色の瞳が見つめていた。


   ◆


 『円卓の十二人ダース・ラウンズ』、第二席であるキュリアスの自己評価と、他者評価の間には、断絶、と言っても過言でもないほどの重大な差がある。


 『円卓の十二人ダース・ラウンズ』内最高齢である長老。穏健派、ご意見番としての地位をラウンズ内で固め、彼の諫言には魔王すらも耳を傾ける。

 その裏では国内最高峰の密偵暗殺集団である『パララジア』を手駒として操る策謀家。

 当人の正面戦闘においても名声は音高い。その手の内の細剣の冴えは耀星を思わせ、『恩寵』も相まった手数と技量で相手を圧倒する超速剣術の使い手。


 概して、有り余る策謀と知恵、剣術を生かして影に日向に長年魔王を支える魔王秘蔵の『懐刀』……と見るのが周囲の見方である。


 ――『知る者、キュリアス』、『憂うるキュリアス』、『閃光のキュリアス』。

 

 これらの二つ名を持つ老人の手練手管は並のものではない。


 しかし、キュリアス本人からしてみれば違った。

 一年、一年、また一年とよる年波。突きスタブの速度とキレは日に日に衰え、土壇場の咄嗟の判断にもラグを覚えることが増えてきた。第一席、アルアースとの戯れに交わす剣戟でも白星を取るのが難しい。全盛期の力はとうに失われて久しかった。

 賢者、長老などと持て囃されてはいるものの、魔王からすればたかだか100年足らず、小指の先のような年の功。むしろ悠久を生きる主の鮮やかな発想に驚かされることのほうが多い。

 その癖、思考と運動能力は日々衰えるのだから、本当に話にならない。


 「フフ……」


 だが、それでもキュリアスは微笑を絶やさない。

 老いることも、悪くない。こうして自らの老いを穏やかに受け入れられること、そうした精神の落ち着き自体が老いを肯定できる。

 漏らした笑い混じりの息に合わせて、丁寧に撫でつけられたロマンスグレーが揺れた。


 「――『無貌の徒フェイスレス』、おるか」


 虚空を見つめる。


 「――ここに。」


 何物も、何者も、存在しないと見えるキュリアスの自室の隅から、声がした。


 「さて、お主等『パララジア』に頼みがあるでな。」


 「何也なんなりと」


 「二日前に、【リインカーネの森】に現れたかもしれぬ『漂泊者ワンダラー』を探って欲しい」


 ――『漂泊者ワンダラー』。

 凡そ500年前から発生が確認された、『彼方』と呼ばれる別世界からの旅行者トラベラー

 その転移現象の詳細こそ不明であるものの、彼らには一定の法則性があることが確認されている。


 『――漂泊者ワンダラーは例外なく、強力無比極まる異能を持つ。』


 その『異能』は『魔法』の外にある不可解な物。

 500年の間、魔王達はその不可解を恐れた。

 不可解な物。自分の手に収まらぬ物。自らに、屈しない物。


 『異能』を持っているだけならばいい。

 『異能』を自覚せぬ者。『異能』を使いこなせぬ者。『異能』に呑まれる者。

 そうした者達は物の数にならない。


 問題は、自らの力を知り、自らの敵を知り、『異能』を思うがままに振るう者。

 そうした『漂泊者ワンダラー』は恐れ、怯れ、畏れられ、『魔王』の治世に甚大な影響を及ぼしかねない純然たる脅威――即ち。


 『勇者』として、世に大禍と混乱を翳した。


 何故かは知らぬ、知ろうとも思わぬ。だが主は間違いなく『漂泊者ワンダラー』の存在を確信している。ともすれば、それが『勇者』になりかねないとも。

 長らく使えてきたキュリアスには、主の金色の瞳から、確信めいた予感を得ていた。


 「……殺しますか」


 『漂泊者ワンダラー』に探りを入れろ。その言葉が言外に持つ重みに、さしもの暗殺者と言えども、口調が淀んだ。


 「いや、よい。恐らくお主等が束になってかかった所でどうしようもない。お主は、『パララジア』の頭は、彼我の差を理解できぬ程愚かではあるまい?」


 手ずからが鍛え上げた暗殺諜報部隊。そこに対する誇り――親心の様な物が滲んだ言葉だった。

 所詮、手駒。しかし手駒と言えど情は宿る。


 「……はっ。では、そもそもの存在の有無、居場所、異能の詳細などを調べるということで」


 「それでよい……頼んだぞ」


 「御意に。」


 部屋の隅にわだかまる、黒い気配が消え失せた。


 知らず、手にした仕込杖がカタリと音を立てた。

 怯えか、それともはたまた武者震いか。

 

 先程の会議、或いはそれよりもっと以前から、キュリアスはその灰色の瞳で見つめていた。

 主の苛立ちを。主の窮屈を。


 恐らく、主は王など向いていないのだろう。

 主はその力が故にどうしても孤独であった。そして恐らくはそれを良しとした。

 その様な者が、人を統べ、組織を率い、世を導くなど、向いているはずもない。

 できない、のではない。彼には世を統べるに足る能力と器がある。ただ、向いていないだけ。だから続けるうちに苛立ちが溜まる、ストレスが溜まる。


 だが、キュリアスはそれら全てを取り除くことはできない。己が無力が故。だが、己の無力を悔いることなど、永い時の中で忘れてしまった。


 無力なら、無力なりに、できることをするだけ。

 とりあえずは、件の存在もあやふやな『漂泊者ワンダラー』について、少しでも主が動きやすいように。窮屈から解き放つように。


 あぁだが、敵わないだろう。肉体の、反応の全盛期なら兎も角として、身も脳も錆び付いた今となっては、『漂泊者ワンダラー』には、『勇者』には、敵わないだろう。

 

 それでも良い。身の錆付きすら、老成を経た彼は受け入れられる。

 錆び付いているなら、錆び付いているなりに、錆び付いた己が命を注ぎ込むだけ。


 錆びた鉄も溶ける瞬間には、丁寧に鍛造された鉄と同等或いはそれ以上の赤熱の燐光を放つものなのだ。

 

 問題は、溶けきる覚悟があるかどうかだけ。


 (果てさて、老い先短きこの老骨。生きさばらえた所で無為に枯れゆく命ならば、ここで一興、貴方様のため、盛大に残り火を燃やし尽くすと致しますか――)


 「――のう。」

 

 鞘から微かに抜かれた剣身が、嘗ての昔と何一つ変わらぬ閃光を放った。

 

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