第3話 銀閃~その一~

 「ハアッ!」


 絶叫とともに繰り出された触手が土手ッ腹を貫いた。

 ベチャリと湿った音がして肉塊が地面に叩きつけられる。

 背中の穴より溢れ出た赤い血が、緑の草を塗りつぶしていく。

 

 「なんだコイツら……!」


 シュウを取り囲んでいたのは真っ黒な装束に身を包んだ集団。

 暗殺偵察部隊『パララジア』である。


 「……各自変わらず散開包囲を維持。くれぐれも直接戦闘に踏み込まれるな、二の舞だぞ。目標は時間稼ぎだ」


 「了解」


 「了解、作戦続行します」


 素早く黒装束の三人がやり取りを交わし合う。

 何事かと、シュウが聞き耳を立てる間もなく、湾曲した小さな刃物が連続で飛来する。


 チッ、と舌打ちを発しながら身を捻って三方より降り注ぐ投剣の群れを躱していく。

 

 先程からずっと、つかず離れずの距離感からチクチクと攻撃を受けていた。

 至近に踏み込むことも、加速で振り切ることもできない。

 先刻、一体を貫くことに成功したのは、僥倖、というべきだろう。


 フラストレーション。動きを縫い留められているという実感が、シュウの苛立ちを加速させる。


 (——鬱陶しい!)


 「なッ!?」


 背後に背負った触手が一瞬のうちに肥大化する。


 「ゼエエエエエェェェェェッ!」


 リーチが一気に倍化したそれで三人を纏めて叩き伏せんと大きく振りかぶり――


 ——あっさりと、細切れになった。


 裁断され周囲に舞う肉片。その隙間を縫うように、黒衣を閃かせながら長身が尋常ならざる速度でシュウに接近する。


 驚愕の暇さえ与えられない。

 鞘から抜き放たれた刀身が、シュウの体を抉った。

 突きスタブの回数は全21回、一刹那の内にそれだけの剣閃を見舞った切っ先の鋭さは、閃光にも似て。


 全身から吹き出る鮮血にも構わず、シュウは宙返りを打つ。

 敵のリーチ内にいては、一瞬で串刺しにされるのは目に見えている。

 着地してから初めて、焼き焦げるかの如き痛みがシュウを襲った。


 「よくぞ、ここまで粘ってくれた……すまんな」


 神速の斬撃の遣い手は、暗殺者達に労いの言葉を掛けている。


 「いえ、御役目を果たしたまで」

 

 「それがすまぬ、と言っているのだ。無茶を言うたな……ともかく、ここからは儂が引き受ける。下がってよいぞ。」


 「ハッ……御武運を。」

 

 黒い三つの気配が消える。


 「呵呵かか……武運、武運なぁ……まぁやれるところまでやるとするかの……

 『漂泊者ワンダラー』シュウ殿、と言ったか?円卓ラウンズ第二席、キュリアスがお相手しよう」


 (円卓ラウンズ……『円卓の十二人ダース・ラウンズ』。シビュティアから聞いたな、命王直属の精鋭軍団——)


 (――詰まる所、復讐対象だ。)

 

 ――シビュティアが言っていた。

 ハルカを奪ったあの衰弱現象はと言い、それを司っているのは当然、命に関わる世界の理を統べる、命王エルキガンドだそうだ。

 即ち、眼の前に立っているこの男が、直接の敵の、臣下。


 殺す以外の選択肢などない。

 

 憎悪が煮えたぎる。


 「……下がるなら今の内だぞ。」


 しわがれた、地獄めいた声が、シュウの喉の奥が漏れた。


 「ほう?」


 「下がるなら今の内だと言ったんだ、ご老人。その下らぬ晩節を血で汚す羽目になりたくなければ、今すぐ俺の前から消え失せるがいい。

  ——もっとも、逃がす訳もないが。」

 

 「……


 キュリアスの肌を圧する殺気が瞬間的に増大する。言いようのない憎悪に歪んだ顔は修羅のようで。知らず、キュリアスの手が震える。どす黒く輝く眼光がキュリアスを射た、その瞬間。


 「――殺す。」


 宣告と共に、横ざまの触手の一撃がキュリアスを捉えた。


 「ガ――――ッ!?」


 体をくの字に曲げ吹き飛ぶキュリアスの体。地面に二回叩きつけられてなおその勢いは止まず、草原の上を無様に転がる。

 

 「ヌ……!」


 レイピアを地に突き立て体を制動。地面に一文字の滑走痕がつく。

 その上から降る。異形が。殺意が。


 ズ、ガァン!

 高空から叩きつけられた大質量が粉塵をあげる。間一髪で直撃を避けたキュリアスを尻目に、シュウはバックステップを踏んで距離を取り、再び触手を肥大化させる。


 (――愚策、ですな)


 しかし、それは先程の攻防の焼き直し。

 着地するや否や再び黒い突風と化したキュリアスが、右手に閃光を宿らせ切り刻む。

 バラバラになった肉片が宙に舞った。

 

 (……そこまでは、想定済みッ!)


 刹那、キュリアスの攻勢が止まる。

 黒い突風はシュウの身を打つことはなく、銀の閃光はシュウの体をえぐることはない。


 キュリアスの視界は舞い上がった土砂と切り飛ばされた肉塊で埋められていた。必然、敵の姿を見失う。


 (成程、砂塵と肉片のチャフ!咄嗟にしては中々切れる!

  ――しかし、一瞬。鈍ったもののこの程度なら――)


 黒い突風が再び吹き荒れようとする。


 (――されど、一瞬。鈍らせらればその程度でも――)


 「<武装アームド>ッ!」


 その右腕が狼の前足へと変貌した。

 フェンリルの<武装アームド>は汎用性が高く、万能と言って差し支えない攻撃性能を持つものの、そのサイズ故にどうしても大振りになりがちなのが欠点である。

 そして、それはこの好々爺の剣術の前では致命的な隙になりかねない。

 

 故にシュウは、こうして隙を埋めるべく細工を施した。

 狙うは遅すぎず、早すぎもしない、後の先。リーチすれすれの敵の体を引っ掛けるように、それよりも少し早いイメージ。


 「ヌアッ!」


 振る。

 渾身の力を込めての、右下から左上への逆袈裟軌道。

 黒い長衣ごと貫かんとした藤色の爪牙の先端は――



 「一手、遅れましたな。」


 (ク、ソッ――)



 ――爪の間に絡む様に差し込まれた細剣によって止められていた。


 白い毛皮の上に立つキュリアス。

 無謀を承知で仕切りなおすべくそれに狙いを定めんとしたシュウの右腕が、下から上へと突き上げる流星によって胴体から分かたれた。

 

 風切り音すら遅れる神速の切り上げ。

 切り口の神経が沸騰するかの如き痛みがシュウを襲う。


 「――――ッ!」


 血液を吹き出す暇も、悲鳴をあげる暇も与えられること無く。

 

 ――剣技の流星群が、シュウを襲った。


 空恐ろしいほどの速さで繰り出される星屑の群れスターダスト

 皮を裂き、肉を穿ち、腱を削ぐ神速乱打。

 

 「ヌ……?」


 キュリアスは訝しんだ。

 傷が浅い。

 より正確に言うのであれば、深々と貫いた手応えを感じているにも関わらず、それよりも明らかにシュウが負っているダメージが少ない。

 真黒な眼光が灰の瞳と交錯する。


 仕組みは単純。


 (意識を、手放すな……!片っ端から治せ……!治せ、治せ、治せ治せ治せ治せ治せ治せ――ッ!)


 フェンリルとの戦闘の最中において、シュウは負った傷の修復法を会得していた。

 背中より生成される触手の圧縮筋繊維による傷痍の補完。

 要は切られたそばから全て治癒することによってダメージを抑えたように見せる、盛大なゴリ押しである。


 だが限界はある。

 負った傷の痛みまで緩和される訳ではない上、いつ圧縮筋繊維の生成限界が訪れるかわからない。

 それに何より、筋肉、皮といった単純な構造は補完し得ても、各種臓器や脳味噌、脊椎といった複雑な構造の物は代用し得ない。

 次の刹那に流星の刃がその致命的な一点を抉らないという保証はどこにもない。


 ――だから。

 

 「ヌ、オォォォォッ!」


 閃撃の中、シュウはあえて防御を解くかのように身を開く。

 背中から生える触手が複数本に分化し、より細く、よりしなやかに形を変える。

 敵が手数ならこちらも手数。速度で追いつけないものは本数で対応する――!


 赤黒の暴風と白銀の閃光が幾度となく衝突する。

 風切り音ととも金属音ともつかないその大音声は余りの速度の前に物理法則が挙げた悲鳴。

 弾かれた刀身が、切り飛ばされた触手が、生まれる衝撃波が、空気を叩く、地面を抉る、世界を裂く。


 「オォォォォォ――ッ!」

 

 吠える。

 キュリアスの剣技は遭遇から今に至るまでシュウは一度たりとも見えていない。目に映るのは走る残光のみ。それでも振るう、勘と本能で一秒先に宿る死を必死に回避する。

 

 脳回路がスパークする。払う、防ぐ、逸らす、叩く、躱す、弾く、弾く、弾く弾く弾く弾く弾く弾く弾く――!


 「ラァァァァァッ!」


 「ムッ……!」  


 吹き荒れる赤黒の暴風が銀色の閃光を食い破る。

 キュリアスのレイピアが大きく弾かれ、地面に突き刺さった。


 至近距離、超速戦闘、防御不可。

 シュウの脳髄を走る思考の上澄み。

 

 一歩下がるキュリアス、その頭部を叩き潰さんとシュウが一歩前に出る。

 振りかぶられる断罪の一撃。


 風切り音。


 「——老いぼれに、随分と無茶をさせなさる……!」


 渾身の一撃は。

 

 ——銀鎖が絡み付いたキュリアスの左腕によって受けられていた。

 

 (……馬鹿なッ――)


 驚愕の思考を、腹部に突き刺さった衝撃が吹き飛ばした。

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