第一幕 命国【クヴィザール】
第1話 魔殺の共犯者
シュウは疾駆していた。鬱蒼とした森の中を。
「チッ!」
舌打ち一つ。
身を翻した彼の背中を硬質な牙が掠めた。
布の切れ端が宙を舞う。
勢いのままスピンし、攻勢を仕掛けた敵を視界の内に収める。
視線の先には魔猪、とでもいうべき大型の四足歩行のケダモノ。
ノータイム。彼の口が微かに開き言の葉を紡ぐ。
自らの肉体認識を切り替える
「……
刹那、彼の右腕が歪む。
元から比べれば数倍に肥大化し、表面には白い体毛。先端には藤色の鋭い爪が生え揃う。
あたかも彼の右腕が、あの日のフェンリルの前腕と置き換わったかのようであった。
人獣一体。右腕を大きく振りかぶり、地面を蹴って駆ける。
それよりコンマ一秒遅れて、魔猪も異形と化した彼に突撃する。
加算される相対速度、瞬時に縮まる距離。
決着は一瞬。
交錯の刹那、甲高い破砕音が森に響いた。
衝撃に耐えきれずへし折れたのは、魔猪の牙。
シュウの右腕の藤色の爪には傷一つ付いていない。
「——獲った。」
呟きが漏れた次の瞬間。振り抜いた状態から引き戻された右腕が、魔猪の頭蓋を刺し貫いた。
突き刺さった爪を軸にして体をぐるりと回すように跳躍。
空中で触手を生成し、回転と重力を加えた一撃をケダモノの背に叩き込んだ。
——
彼がこの世界で手に入れた<捕食>の力の一端。摂取した生命体の能力をその身で再現するための限定的肉体形状の再編。
すべてが始まり、そして終わったあの日。シュウはフェンリルを破壊すると同時に、捕食器官である触手で内部の肉塊を取り込んでいた。
それが<捕食>の発動条件を満たし、彼に異形の力を発現させたのだ。
——そして、彼があの日得た、あるいは得てしまった力はこれだけではない。
「新手か」
刺し貫いた魔猪の体を触手で丸呑みにしながら、彼は空を睨む。
空には猛禽にも似た大鳥。戦闘機ほどもあるそれが、鈍重な人間を早贄にせんと空から強襲をかける。
「
彼の両腕が亀の甲羅のような形状に置き換わる。
それは二枚一対の大楯となり、高空からの一撃を止める。
勢いが完全に死んだことを確認した後、フックの様に甲殻を鳥の脚部に叩きつけた。メギリ、となにかがひしゃげるような音がする。だが。
「浅いな」
それそのものがかなりの硬度を持つ脚からしてみれば、この一撃は有効打ではあったが致命打とはなり得なかった。
羽ばたき再び高空に舞い上がる大鳥。
攻め手を変える。
「——<
メキリ。
それは隷属の大地か上げた悲鳴か喝采か。是非は確かではないが、とかく音を立てて大地は変わる。具体的には鋭い穂先の形状へ。唸りをあげて聳え立つ無数の断崖の槍が、大鳥を貫いた。
「ッ!」
声なき気勢が肉塊を動かす。
もはや身動きままならぬ大鳥を十重二十重と取り囲んだ触手が、敵を骸に変えた。
——<
あの日、彼が得てしまった力。或いは彼女が遺した力。
<捕食>による能力再現の発動条件は、その名の通り対象の捕食である。それは彼に喰われることを選んだ彼女の能力とて例外ではない。
「クソ……」
彼の視界に否応フラッシュバックするのはあの日の光景。
青白く染まった肌。それに似つかわしくない微笑み。彼女の言葉。痺れる様な旨味。嚥下された彼女の肉が喉を通り過ぎる感覚。鉄の匂い。
そして、残された、彼女の骸。
「……グッ」
胃液が腹の底から逆流する。
咄嗟に手で押さえたものの、止めきれなかった液体が口の端から垂れた。
——彼女は死んだ。俺を助けるために。俺の、ために。
その事実を受け入れると、気が狂いそうになる。だが、目の前の歪みうねった地形こそが、それがどうしようもない事実なのだと突きつける。
——そうだ、俺の弱さ故に彼女は死んだ。
俺があの状況下でも動けていれば、彼女は助かっていたかもしれない。
否、もっと前の話、彼女がフェンリルとの戦闘で足を痛めるような事態になってなければ、あの場から撤退だってできたはずだ。
全部、全部、自分のせい。
己の無力を嘆けど、己の選択を悔いれど、最早現実は覆らない。
もう、彼女は、帰らない。
体がぐらつく。
あれから二日。シュウは一睡もすることなく、狩りを行っていた。
肉体疲労は<捕食>のエネルギー補給効果で誤魔化せるものの、精神疲労ばかりはどうにもならない。
力が、必要だった。
もう何も奪われないだけの――否、この世界を叩き潰せるだけの力が。
弱ければ生きていけないのが当たり前だというのなら、そちらの流儀でやってやる。
彼女は帰らない。悪いのは俺。そうだろうとも。だからと言って、奪われた人間が黙っていると思うなよ。
――このフザけた世界を潰すためなら、俺は何でも喰ってやる。
「……ぁ?」
憎しみを新たに、次の獲物を求めんと一歩を踏み出した瞬間。
足からシュウの体は崩れ落ち、彼の意識は喪失した。
◆
夢を見ている。
真っ黒の視界の中、彼女の姿だけが、彼の世界に映る全てだった。
手を伸ばす。
手を伸ばす。
手を伸ばす。
もう二度と離さまいと、もう二度と失うまいと。
あと、少し。
あと、少しで彼女の細くしなやかな手首に、手が届く――
そう考えた所で夢想の手は虚しく宙を切り、彼は夢から浮上した。
(……これだから寝たくなかったんだ)
舌打ち一つ。
(無茶、しすぎたか……)
うめき声を漏らして、頭を抱える。
最悪に近い気分のままで前を見据えた。
「ほう、ようやく起きたか。はた迷惑なヤツめ。血まみれ泥まみれのボロボロ、家に上げるのもままならぬ。着替えと風呂の世話までさせおって、我に感謝せよ」
「……ありがとう?」
意識して柔らかい声を出す。
彼の目線の先にいたのは、少女……否、幼女であった。
金髪の髪、少しツリ目の蒼い眼差し。鋭く尖った耳を持っているということは、、エルフか何かなのだろうか。
あどけなさと均整というある種矛盾した概念を同時に内包する顔立ちは、まるで
身長140cm程の矮躯が、不満げにシュウを睨んだ。
見れば、血と泥にまみれた上であちこち破れ、襤褸切れ同然だった現代服はひっぺがされ、黒と灰色を基調としたいかにも異世界然とした服に着せ帰られている。
その隙間から覗く素肌には幾重にも包帯が巻き付けられていた。
こんな幼女に自分の見の周りの世話をさせたとなると、流石に気恥ずかしさと申し訳無さがある。
だが、目の前の幼女はこちらの事情など解さないらしい。幼い見た目に似合わぬ古式めかしい口調と悪罵がシュウの耳を刺した。
「その、童児に向けるような甘ったるい口調をやめよ。反吐が出る。我は『破神』の御代より在る者ぞ、崇められることはあれど甘やかされる謂れはないわ」
耳慣れない言葉にシュウの顔が訝しむように歪む。
「……『ハシン』ってなんだ?」
「チッ、まぁ身なりからしてそうではないかと思ってはいたが、やはり『
◆
「まず、『破神』とは何であるか、だったな。『破神』、正確には『破神戦争』とはある出来事、或いは事件の名じゃ。この世界の在り方を致命的に歪めた、な」
「勿体付けずに話せ」
「フン、途端に扱いがぞんざいになったな?まぁ先刻の気色の悪い話し方よりは随分マシじゃが。
……続きじゃ。今からざっと1500年前の話になるか。『神』と人間との間で戦争が起こった。戦争と言っても関わったのは極々少数。『神』と五人の男たちだけじゃ。
動機は知らぬ。戦いの詳細も知らぬ。我とて
ともかく、天変地異を齎した戦いの果てに『神』は五人の男に討ち取られた。
この神殺しの顛末を指して、『破神戦争』と呼ぶ。つまりこの地、【フォアゴット】に、神は居らぬ」
「なるほどな、だから『ハシン』……『破神』か」
「然り。『神』を討ち滅ぼした五人の男達は、『神』の権能をいかなる手段によってかそれぞれに分割する形で受け継ぎ、『神』の座を簒奪した。
――『魔界』。『破神戦争』後の世界はこう称された。意味は、「正当ならざる者、正道から逸脱したものによって統治される世界」、と言ったところかの。
継承の際に権能は一定の体系じみた法則へと再編され、それを『魔界法則』、『魔法』とすることとした。そして、五人の男達は魔界の法を統べる者。魔法の王。
――即ち、『魔王』となった。
一に魔王、命に纏わる理を統べる『
一に魔王、呪法に纏わる理を統べる『
一に魔王、創造に纏わる理を統べる『
一に魔王、力に纏わる理を統べる『
一に魔王、時間に纏わる理を統べる『
この五体の『魔王』が相互に監視、牽制し合う形でどうにか
「そうか、なら――」
「——そいつら、全部殺せば、いいんだな。」
ずっと、敵を求めていた。
この世界を壊すと言っても、何から始めればいいか分からなかった。
目に見えるもの全てを叩き潰しても、きっとそれは無作為に暴れまわっているだけで、世界を壊したとは言えないだろう。
ただ物を破壊するだけでは恐らく足りない。
もっと貶め、辱め、根本から否定しなければならないのだ。この世界の
無感動に何かを踏み躙り、生じた怒りも悲しみも磨り潰していく歯車のような世界。
その理を統べる者が『魔王』であるというのなら。
殺し尽くせば。
仇を取ったと。
君の命を奪った世界を殺せたと。
きっと、そう彼女に言える。
嗤う。
酷薄に、残酷に。
あの日からずっと灰色に霞んだ視界が酷くクリアになった。
目的を、敵を、得た。
どこにも行き場のない怒りと憎悪の終着点。
殺してやる。殺してやる。殺してやる。
「ク、仮にも神の現身を殺すときたか……大きく出たな。」
幼女は嘲るように、試すように口を開く。
「――貴様、
「復讐を。彼女を――ハルカを奪った報いを。」
「——貴様、
「胸に渦巻く憎悪と怒りを以て。」
「——貴様、
「決まっている。このフザけた世界をブッ壊す為に。」
凛然と煮詰まる空気。張り詰めた糸のように震える静寂を破ったのは、けたたましい哄笑だった。
「ク、クッ……!クハハハ!クハハハハ!
相手は世界か!魔王に飽き足らず世界に牙を向くか!ハハハハハ!イカレておる!
恨みなど、怨恨など、掃いて捨てる程見てきたが、1000年と少し生きてなお、ここまでのはついぞ見なんだ!
その上こやつ!答えの最中に迷うどころか、一度も視線がブレなんだ!
本気で自分が世界を壊せると!壊すのだと!思い込んでおる!常識知らずの大言壮語を、本気で為すつもりでおる!
とびきりの阿呆か狂人か!どちらにせよ面白い!貴様はこの幾星霜の退屈を壊すに値する!よい!よい!よいぞ!」
一頻り高笑いした後、未だ口角震える彼女が、シュウに語りかけた。
「クク……貴様、気にいった。
貴様の復讐、この永久を生くる化生、シビュティアが力を貸そう。その代わり、我を満足させよ。
なァに、安心せよ。貴様が道化である限り、お前が滅せようが世界が滅びようが、最期は嗤って看取ってやるとも」
その口の端はニィッと上がり、静かに瞼が細められる。
シュウの目にはサファイア色の奥の瞳孔が、蛇のように縦に裂けて見えた。
この女はどこか危険だ、と本能が告げる。
「退屈、か――」
気に食わない。
人を食った態度も、人の憤りを面白いと愉しむ態度も。
性格も価値観も判断基準も動機も、声色、息遣いに至るまで。
ことごとく、何もかも気に食わない。彼女とは、まるで違う。
本能の警告は真実だ。この女と関わりを持てば、俺に待つのは惨めな破滅だけだろう。
だが、脳裏に駆け巡る嫌悪感と対照的な感情が胸の内に生まれるのも、シュウはまた感じていた。
剥き出しの傲慢。虚飾されることのない知性の悪性。悦楽という罪科。
昏く深いそれが、ささくれだった心には心地よかった。
少なくとも、安い同情や軽はずみな憐れみを向けられるよりずっと良い。
それに、この女は使える。もし彼女の言が真実であるとするならば、1000年を超す知識量は確実にこれからのアドバンテージになりうる。
手段など選らんではいられない。危険がなんだ。破滅がなんだ。『魔王』を殺すためなら、俺は悪魔にさえも魂を売ろうと構わない。
判断は拙速に。決断は迅速に。
シュウが堅く結んだ口を開く。
言葉と成すは契約の言葉。
「——いいだろう。乗った。」
「フン、成立じゃな。せいぜい我を楽しませよ」
「せいぜい指を咥えて見ていろ。退屈はさせないさ」
お互いに口角を上げ、敵意にも似た微笑を交わし合う。
――約定は此処に。
――いずれ神亡き世界を壊す『共犯関係』が、成立した。
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