天使との出会い
奇々怪界入り混じるハロウィンの渋谷で、僕は“天使”を目撃した。
周りには吸血鬼ナース、ゾンビ、カボチャ頭、それに最近流行りのアニメのキャラがいる。
──そうだ、今日は10月31日。ハロウィンだ。
スクランブル交差点を、コスプレをした大勢の妖たちが行き来する中で、ギターの音につられて、巨大なモニターに、ほぼ全員の視線が集中する。
「何あれ、イベント?」
「天使コスとか、めっかわなんだけどっ!」
ざわつく街中で鼓膜を突き刺すシャウトが聞こえた。
『アタシの歌を聞け──!』
そして始まる前代未聞、モニター越しの路上ライブ。
コスプレの人たちに目を光らせていた警官たちが、あたふたと無線を飛ばす。
僕はその様子で、“これ”がハロウィンのイベントではないことを知った。
アコースティックギターが荒々しく掻き鳴らされていく。
「この声、私好きなんだけど!」
「曲もよくねっ?」
魑魅魍魎が騒ぎ立てる。その中で、僕の視覚と聴覚は、彼女の姿と声に囚われていた。
──静かに聞かせてくれ。
心の中でそう呟く。心が、体が彼女の声を求めていた。
鮮血のような赤い髪。それと同色の燃えたぎる瞳。対照的に白く透き通るような肌。それを包む純白のキャミソール。体に対して大きめなギターが、“あれ”を少女であると認識させた。
粗雑な言動と、暴力的なまでの美声に似ても似つかぬ天使のコスプレが、彼女の印象を極限まで引き立てる。
「赤い天使ちゃん、めっかわ!」
「だれ? 検索かけてもヒットしないんだけどっ」
偶然僕は、あの天使を知っていた。
二ヶ月前に配信中に自殺した歌い手で、チャンネル登録者は五万人前後。彼女の自殺はネットニュースの片隅でひっそりと騒がれ、有名人のスキャンダルにあっけなく押し流された。
──なんであそこにいる。
僕の頭に疑問が浮かんだ。死んでいるはずの彼女がなぜこの衆目の前で歌っているのか。実は死んでいないなんてこと、あるはずもない。
だって、僕は死んだ彼女を目の前に見ているのだから。
「アタシ、あんなふうに見えてるか?」
目の前にいるやさぐれ天使、
僕は即答で返した。
「君はそう言うやつだろ──」
緋色は、天使コスプレの上から羽織ったパーカーの袖を、腕まで捲ってモニターを指差した。
「あれが、アタシ? 正気か、一郎」
僕は当たりを見渡して、妖怪たちは皆、モニターに夢中であることを確認して返答する。
「そうだろう。まともなのは歌だけだ。それ以外はあんなもんだ」
わかりやすくいじけて頬を膨らませる緋色は、しゃがみ込んで指でアスファルトの地面をなぞっている。
僕はそんな彼女に尋ねた。
「何が違うんだよ。何が気に食わない?」
「はぁ? クソカス。何もかもだ」
「それじゃわかんない。ちゃんと言ってくれ」
僕の言葉に、緋色は立ち上がり、大きく息を吸った。
それから飛び上がってモニターの前まで行くと、ゆらゆらと足を煙のようになびかせて大声で叫ぶ。
「こんなにマトモじゃねえだろぉぉおお──!!!」
そっちか。僕はその言葉にクスッと笑いが込み上げる。そしてもちろん。僕以外に彼女を認識している人はいない。彼女は幽霊。不可視の存在だから。
声も届くことはない。日課のように公園で歌っても、大衆の前でこれだけ騒いでも、誰にも届くことはないのだ。
僕は、そう思うと込み上げた笑いが、押し戻されていくのを感じた。
「緋色は狂ってるから、大丈夫だよ」
彼女に届かないほど小さな声で呟く。それが彼女に対する一番の褒め言葉だと知っている僕は慰めの意味も込めて、そう言った。
◇ ◇ ◇
満月が浮かぶ薄暗い夜。深夜零時を回った頃、僕らは帰途についた。
近くを高速が走って、爆音のバイクが通り去っていく。見上げれば月は真ん丸く光っていて、紺色の空に、幾つかの星が煌めいていた。
季節は秋。夜になればそれなりに冷えてくる。僕は首筋に冷気を感じて亀のように首を縮こめた。
「にひひっ、これは罰だ。あんなもんとアタシを一緒にした、な!」
「悪いと思ってるよ」
「はっ、イイけどな。別にっ!」
後ろを振り返ると首に緋色の腕が当たっている。
左右に大きく蛇行しながら、彼女は先を行く。その姿を追って僕の足は、駆け足になった。
呼び止めるついでに、この世に残る未練が変わっていないか確認することにした。
「そういえばさ! 未練、先越されちゃったな」
「しーらねっ!」
僕がそう言ったのは、彼女と出会った時の言葉に由来している。
まだ蒸し暑い夏の夜だった。
祖母からエアコンを禁じられていたこともあり、窓を開けて少しでも涼もうと努力していた。扇風機をつけて空気を循環させたり、冷蔵庫に入っていたアイスを食べたり、アイス枕を敷いて寝そべったりと。色々と試していた時のこと。
外から聞こえた破裂音に、窓の外に顔を出した。
その時は暗くて何も見えなかったが、翌朝パトカーとともに警察がきて、向かいのマンションのホールを白いカーテンで仕切っていることだけがわかり、誰かが死んだのだと悟った。
そしてその包囲網を囲むように、野次馬が群がり各々に声をこぼしている。
『ベランダから飛び降りたんですって』
『嫌ね、今月で三人目ですよ』
『このマンション自殺スポットらしいわよ』
そう、僕はそれをいつものことと捉えていた。僕には見えていたから。
野次馬を睨みつけたり、気が狂ったように笑ったり、指先で突いてみたりと好き放題するあちら側の人たちが。
そして一人の少女と目が合ったのだ。
血で濡れているのか? と思うほど赤い髪と、それにしては不自然なほどに白い肌。
真っ白い天使の姿をした少女。
よく見れば天輪からはワイヤーがカチューシャへつながっている。
遠くから見れば雰囲気は完全に天使なのに、その凶暴な目つきと、近寄ってわかる安物のコスプレ感が、まさしくやさぐれ天使だった。
『おい、テメェ。アタシが見えてんだろ?』
その第一声は、やさぐれていた。ガラの悪い不良のように。
僕は小さく会釈をして早足でその場を去ろうとした。
でも、逃してはくれない。
目をつけられたら、地の果てまでも追われる。それが不良に対する僕の考え方だ。
だから普段はなるべく穏便に、大人しく、息を殺して学校生活を送っているというのに。
『おい、おいコラ! 見えてんだろって!』
僕は逃げているうちに全速力で走っていた。でも声との距離はなかなか遠ざかることはない。
するとパタっと声が止み、僕は息を整えて後ろを振り返る。
『バァ!』
『うわぁあ!』
鼻先に触れそうな距離に迫っている彼女に、僕は思わず腰を抜かして尻餅をつく。
すると、やさぐれ天使はニヤッと口角を上げると、『にひひっ』と笑った。
そして僕の額を指差して言う。
『見えてるよな?』
『見えてないです。僕には関わらないでください』
僕は立ち上がり腰についた砂を払いながら言う。
ムスッとして表情を曇らせるとやさぐれ天使は、五メートルほど後ろに下がると、こくんと頷いた。
僕は彼女から視線を外して前を向き、通学路を歩き始める。
学校までやってきて、僕は閉鎖された屋上までの階段を登っていく。
そして屋上前の踊り場までやってきて、後ろを振り返った。
『あんた、関わらないって言いましたよね。なんでついてきてるんですか』
そこにはもじもじと手を後ろで組んで音の出ない口笛を吹く天使がいる。
僕の声は階段を反響して、繰り返し響いていた。
『人前であんたたちと話したくないんですよ。わかります? 僕、変人みたいじゃないですか』
そう言って鬱陶しい前髪をかき上げて言葉を続けた。彼女は何かを話し出そうともせず黙っている。
『それに後ろでずっとブツブツ言っているし、気が散るんです。見える人は他にも見つかると思うんで僕以外を頼ってくだ──』
『無理』
彼女は僕の言葉に食い気味で被せてきた。その返答はたったの一言。
『無理じゃないです、こっちが無理です』
『だって、お前しか見える人知らないし、老人どもはネットに疎くて頼りになんねえだろ?』
僕は返そうとして、言葉に詰まった。ネットと幽霊になんの関係性があるかわからない。
例えば、ヨーチューブとか配信サイトに、見たい動画が残っている。それが未練で幽霊になっているんだったら、正直死なないで見ればよかったのにと、不謹慎にも思ってしまった。
『ネット使いたいだけなら、勝手にパソコンとかいじれば済みませんか?』
僕がそういうと彼女は大きく嘆息した。それから呆れた様子を強調するように両手を上に上げて首を横に振る。その姿に僕は少しイラッときたが、腹の中に留めた。
『……なんですか?』
『わかってねえなぁ』
『わかるわけないでしょう? あんたがなんで死んだかも──』
するとその声を遮るように、チッチッチっと三回指を顔の前で振って見せる。僕は拳を握って、湧き出てきそうな怒りを、堪えた。
『あんた、じゃない。緋色だ』
『知るかっ!』
堪えたはずの怒りは、一言の怒声となって発散される。僕は大声を出したことに気がついて、慌てて口を手で覆う。しかしあまりに遅い。
やさぐれはそれを丸い目をして見つめた。
『大丈夫か? あんまりデケェ声出さない方がいいぞ?』
僕はお前のせいだ! という二度目の怒声を心の中で留めた。
『わかってますよ。緋色さん? がなんで死ぬことを選んだのかもよくわかってないのに、あんたの未練なんてわかるはずもないでしょう?』
『……未練か』
顔を俯かせてる緋色と名乗るやさぐれ天使は、遠い目をして上を向くと、一言呟く。
『ライブしたいかな……』
僕は自分の目が点のようになっていることを自覚した。幽霊が抱くにはあまりに突拍子もない発言に、驚いてしまったのだ。
でもそういう緋色の表情はどこか懐かしげで、それでいて悲しそうにも見える。
『ライブってどうやってですか?』
『んー、わかんね。でも歌いてぇよな』
同意を求めるなと思いつつ、『そうですか』と返した。
すると炎のように揺らめく足部分で浮遊する。そしてバレリーナのようにクルクルと周り始めた。
『ライブはいいぜ、まずファンがこっちをみて熱くなっていくのがわかるのがいい。それにこっちに夢中になってその時間は全てを忘れてくれるのもポイント高いな』
『そうですか』
『もっと言えば、空気を乗っ取る感覚が、最高だ。その場所は思い通りに動かせるような気さえするしな』
『はいはい』
『いつか声で人を殺してぇな』
僕は機械のようにただ空返事を続けたが、一向に止む気配がなかった。でも彼女はその物騒にも聞こえる言葉を楽しそうに羅列し続けている。
『ライブっていうのは、配信のことですか?』
『まあ、それでもいい』
『じゃあやりましょうか』
彼女との出会いを思い返しているうちに、緑の屋根に二階建ての一軒家。僕の家についていた。
「未練、解消しようか。先越されちゃったし」
「はあ? あんなのアタシじゃねえっての。先越されたことにゃなんねえよ。アホ一郎」
「はいはい、わかりました」
僕はそう言って、玄関扉の鍵を開けた。
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