天使、再降臨します。
「……天使が死んだ」
僕は朧げに呟く。目の前にはワンルームを映したヨーチューブの生配信の画面だけ。
中途半端に開いた緑色のカーテン。ちらりと見えるベランダから当たる月明かり。そしてベランダの柵に括り付けられたシーツのロープが、夜風に揺られている。
彼女は言っていた。
『クソども、よくきけ! アタシはお前たちの脳みそに焼き付いて死んでやる!』
夕日のように赤い髪と同色の瞳を鈍く光らせる。その時には死を覚悟していたのかもしれない。
でも彼女が死んだ理由も、その意図も、ただのファンでしかない僕には計り知ることができなかった。
配信中酒を飲んで酔って暴れる様子も、それで偉い人たちに土下座して謝る様子も、隠すことなく、赤裸々に見せてくれる
結果、登録者は五万人止まりかもしれないが、僕はそんな彼女がたまらなく好きだった。
「……初めてみた時から焼き付いているのに」
その先に出かかった言葉を飲み込む。
僕は、彼女を初めて目撃した時を思い返す。いつも通り職場のトイレで昼休憩をやり過ごしている時だった。
個室にこもって、持ってきた弁当を口に放り込む。そしてスマホでヨーチューブのアプリをいつものように開いた。おすすめと称してA Iが学習したパターンに沿った新規動画が延々と表示されていく中で、一つの動画を選択して開く。
そこには赤い髪と瞳、そして天使のコスプレをした女が歌っている様子が映っている。
アコースティックギターを用いた弾き語り、アルペジオの優しい音色が一音一音流れていく。
彼女は息をゆっくりと吸うと、力強く歌い始める。
曲はわからなかったが、その歌声の吸引力に、目が離せなくなった。
気がつけば、昼休憩はあと五分。
仕事中もそれ以外考えられないほど、僕はハマってしまったのだ。
休日は一日、彼女の歌を聴いて過ごす。弾き語りや歌配信を垂れ流しながら電車に揺られる毎日を過ごしていた。
彼女の良さを広めたいと思っても、友人もいない。家族はきっと興味を示さない。そんなとき、天使のファンとオフ会をすることになった。
池袋駅で彼を待つ間も、絶え間なく彼女の配信をイヤホンで聴いている。
すると目の前に現れたのは、〈愛♡天使〉と書かれた白いTシャツに紺の短パンをきた小太りの男だった。歳は二十代前半くらいで、僕とはそう歳も離れていないように思える。
「こ、こんにちは。ピー太郎です」
ピー太郎さんは初め緊張している様子だったが、天使のファン同士ということもあり、打ち解けるのにさほど時間は掛からなかった。
「天使推し隊さんって長いので、推しさんって呼んでもいいですか?」
「推しさんって、なんかおじさんみたいじゃ……」
「まあ俺たちもう若い子から見たらおじさんじゃないですか」
僕が少し嫌がるそぶりを見せると、ピー太郎さんは、うーんと首を捻らせて、言葉を続けた。
「それなら隊さんとか?」
「まあ、それで」
ピー太郎さんと僕は、西口すぐにあるチェーンの居酒屋に入る。
オタクやファンというのは、酒が入ると往々にして口調が早くなるようで、彼女の好きなところや、最近の配信に対する話について語り尽くした。
気がつくと終電間際で、四時間が経過している。足元がおぼつかない状態で肩を組んで、彼女のオリジナル曲「サマータイム・アンソロジー」を口ずさみながら帰路についた。
通知音に気がついて、僕は伽藍としたワンルームが映る配信画面を見てから、スマホに目を向ける。
そこにはピー太郎さんからメッセージが届いていた。
『大丈夫ですか? 隊さん、後を追ってないですか?』
文字を打つ気力もないまま、数分が過ぎると、電話がかかってきた。
僕は震える指でゆっくりと画面をフリックする。
『隊さん! 良かった、生きてた!』
その慌てぶりに、僕は我に帰り返答する。
「どうしたんですか?」
『どうしたも何も、俺が仲のよかったファンの人たち、後を追って自殺しようとしてたので、隊さんのことも心配だったんですよ』
僕は目頭が熱くなるのを感じて、ティッシュを手に取る。涙を拭き取ると、鼻を啜ってピー太郎さんに答えた。
「ありがとうございます。僕は大丈夫です。ピー太郎さんは平気ですか?」
『平気ではない、けど。──彼女なりのドッキリだと思うことにしました』
僕はピー太郎さんの言葉に、そんなに生易しいものじゃないと思う。否定しようとしても、脳が出来事を処理できていないせいで、言葉がうまく出てこなかった。
『俺、ジャックジャックってバンドの追っかけやってたんですけど、その解散の時も、彼女は同じ感じでみんなドン引きだったんです。思うことは、ありますけど……』
話す中で徐々に涙声に変わっていくピー太郎さんの声に、僕も釣られて涙が溢れてくる。
『彼女は、俺たちに覚えていて欲しいんだと、……思います』
「きっと忘れないです」
『そうしてあげるのが、いいと思います』
ピー太郎さんとの通話はそこで終了した。僕もそうだけど、きっとピー太郎さんも気持ちの整理をつける時間が必要だと思ったから。
配信画面を閉じると、僕はベッドに横たわって、溢れ出る涙を枕に押し付ける。
ネットの記事が出たのは翌日の朝だった。
僕は、真っ赤に腫れた目を擦って顔を洗い、スーツを着て家を出る。
イヤホンはつけていない。聴いたら泣いてしまいそうで怖いから。
会社について、自分のデスクに座ってパソコンの電源を起動する。
忙しなく午前中は過ぎ去って、昼休憩になり、いつものようにトイレに駆け込んだ。
今まであっという間だった昼休憩が、途方もなく長く感じる。
無音の中時折、聞こえる社員たちの談笑が胸に突き刺さった。
そうして昼休憩を終えて、午後も仕事をこなし、帰路につく。
僕は自分の住むボロアパートを目前にして、用水路の橋で立ち止まった。
ポケットに手を突っ込み、冷め切ったスマホを手に取る。
月明かりだけがその場を照らしていた。静かに流れる川の水面を見る。
赤く腫れた目には何の光も灯っていない。五歳くらい老けたように感じる自分の顔が写り込んでいる。
僕は用水路に、スマホを投げ入れた。
もう使わないものだから。
◇ ◇ ◇
それから、二週間が過ぎた頃。
僕、〈天使を推し隊〉は、A I学習を利用して、天使を再現することを始めていた
「──天使を生き返らせる」
死んだ天使〈朝比奈ひいろ〉はもう戻ってこない。でも天使は生き返る。
狂気じみていると自覚はしていた。
あのメッセージを受け取った“僕ら”は、天使が蘇るために行動を起こさなくてはならない。そんな使命感に突き動かされていた。
「ピー太郎さん、イラストの手配はできてるの?」
僕の横で、他の天使を推し隊の隊員と連絡をとって作戦を進めているのがピー太郎さんだった。
ピー太郎さんは電話口を塞いで、僕に答える。
「隊さん、ちょっと待ってて、先に場所の確保」
「わかった、イラストは僕が手配する」
僕はいつの間にか仕事を辞めて、その“作戦”にかかり切りになっていた。
二ヶ月はあっという間に過ぎて、渋谷の駅前はハロウィンの仮装でごった返している。
派手にメイクをした若い男女がきゃーきゃーと騒いで、警察がその行動に目を光らせていた。
「ピー太郎さん、あのモニター見て」
僕は渋谷スクランブル交差点にある、とてつもなく大きい街頭モニターを指差した。スピーカーからは爆音で、ハロウィンの恐怖と好奇心を掻き立てるテーマが流れている。映像も、街頭カメラを映したもので、僕とピー太郎さんはそのモニターの隅に写っていた。
「それじゃあ、カウントダウンするよ。3、2、1──0!」
するとモニターはカメラ映像から切り替わり、一枚の写真が映される。
あの自殺後のワンルームだ。
交差点の中でモニターを見ていた客たちは、ザワザワと声をあげ始める。
「何これ、意味わかんない」、「イベントかなんか?」
そして爆音のスピーカーから、アコースティックギターの弦を弾く音が掻き鳴らされる。
『クソども、盛り上がってるか──!』
酔っ払った勢いで、その声に、乗っかる客たち。騒ぎ始めるスクランブル交差点に、警官たちは慌てふためき始めた。
僕はその中で静かに涙を浮かべて、モニターを見ていた。
「天使が生き返った」
モニターに映る天使は、紛れもない本物で、僕らはやり遂げたのだという気持ちが胸を押し上げた。
『じゃあ、一曲目。サマータイム・アンソロジー』
天使は息を吸って、歌い始める。芯の通ったハスキーボイスは、見るものの心を直接鷲掴んだ。騒ぎ始めていた人たちが、視線をモニターに集める。
天使が、歌を聴く者たちを、声で射殺す。
──暴虐のライブが始まったのだ。
翌朝のツイッターは酷く荒れた。トレンドには“スクランブル交差点”、“赤い天使何者?”、“クソども”といった何も知らない人たちが見てもよくわからない言葉が羅列されていたからだ。
『脳みその焼き付いて死ぬ』
それが彼女の望みだったのだから、それを叶えるのが、僕らファンの使命。
この結果は大成功と言える。
「なあ、アタシはあんなに大人しくねえぞ?」
隣で彼女がそう言っている気がした。
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