天使、降臨します
「アマズンさんの配達で〜す」
やる気なさげな声と共にインターホンがなる。
アタシは、ドアホンの応答ボタンを押して言葉を返す。
「今開けまーす」
ドアチェーンと鍵を開けて玄関にダンボールを持って立つ、緑色の制服を着た浅黒い配達員から、段ボールを受け取る。
サインをして、作り笑顔を向けられたアタシは、段ボールを抱えて会釈をした。それから玄関扉を閉めてドアチェーンと鍵を大袈裟に閉める。ガチャンという音が部屋の中からでも聞こえるくらいに響いて、アタシはいい気味だと思った。
シューズボックスに投げつけるように段ボールを置く。拍子で角が潰れたのを見て、アタシは、角の周辺に力を加えて取り繕った。
決して元通りになることのないダンボールに自分を重ねてしまう。
アタシは解散したバンドメンバーに言われた言葉を思い返す。
『お前一人でやれ、俺たちを巻き込むな』
それが頭の中を駆け回り、心なしか胸の辺りに痛みを覚える。
──そんなつもりはなかったのに。
リビングからスマホの通知が鳴る。玄関からたかだか十歩程度の距離を駆け足でスマホに駆け寄っていた。視線をボロボロの液晶画面に向けてからスマホを手に取る。
ファンのつぶやきを見て、電源ボタンを押す。
ひび割れだらけの真っ暗な液晶に、死んだ魚のような目をしたアタシの顔が映り込んだ。
「もう、引き返せないんだ……」
画面に映る知らない黒髪の女がそう呟く。
バンドを辞めてから心を入れ替えるために髪を黒く染めたのだ。それでも心に空いた大きな穴は埋まるどころか、日に日に広がり続けている。
アタシはもう一度、スマホの電源をつけてファンの書いたつぶやきを見た。
『緋色の歌が聴けないとか、死んでもいい』
つぶやきを見てアタシの口角は上がっていた。
緋色という存在が、赤の他人の人生に影響を与えていたことも、それによって生存本能すら捨ててもいいと思わせたことも。その呟きに詰まった全ての感情が嬉しかった。
気を取り直して夕飯の買い出しのために財布とスマホだけ持って家を出る。
父親の顔はもう覚えていない。それどころか、母親とも中学を卒業して以来連絡を取ってもいないため、生きているのかわからなかった。
それでも覚えていることはいくつかある。
中学一年生の春。入学式を終えてアタシは、自分の家であるワンルームのボロアパートの玄関を開ける。
すると、奥から聞こえる母親の喘ぎ声と共にゴミ箱で見つけた入学時の申請書類が目に入る。くしゃくしゃに丸められて捨てられた申請書類を手で引き延ばして靴箱の上に乗せた。
『あら、帰ってたの、“この人“今日からお父さんだから──』
汗で引っ付いた髪の毛を手櫛で整える全裸の母は、隣に立つ白髪混じりの長い髪をかき分ける半裸の中年男を指差して言う。
その手には見たこともないような大きいダイヤの指輪がはまっている。
あまりの光景に言葉を失うアタシの顔を、母は笑いながら平手で打った。
そして体制を崩してアタシは玄関に叩きつけられる。
『挨拶は? 人として当たり前のことはできるようにって、いつも言ってるでしょ?』
母はそう恥ずかしげもなく言い放つと、玄関に座り込むアタシの髪を引っ張り上げて頭を無理やり下げさせた。
『……朝比奈、一彩です。よろしくお願いします』
『ひいろちゃんか、よろしくね』
中年男のネットリとした声が耳に絡みつく。アタシは心の中で唾を吐いた。
それから三年間、母の家族ごっこは続く。
アタシはその気持ちの悪い関係に耐えきれずに、家を出て東京にきた。
母は知らないのだ、父親面で口を出していたあの男が、アタシに何をしたのか。
思い出したくもない過去を瞼に浮かべながら、アタシはスーパーの近くまで来ていた。
赤い空が夕暮れを知らせている。学生たちが笑ってアタシの横を通り過ぎた。
「いいなぁ。幸せそうで」
その言葉を吐いて、ハッとする。
普通に学校を卒業して、普通に就職して、普通に結婚して家庭を持つ。普段のアタシなら反吐が出るそんな暮らしに、羨望の眼差しを向けてしまったことに。
この世の誰でもいい。
アタシのことを思って眠れなくなってほしい。
アタシがいなくなったら、〇〇ロスとかって仕事を休んでほしい。
アタシの帰りを待っていてほしい。
「クソがっ!」
アタシは生ぬるい気持ちを言葉と共に吐き出して、いつもの自分に戻る。
半額の弁当と五百ミリのお茶が入った袋を持って家に帰った。
鍵を閉めて一息吐くと、身体中の力が抜けて玄関にへたり込む。
そんな時ポケットからスマホの通知が鳴った。画面に目を向けると。
『ジャックジャックって結局あのクソ女の独りよがりだったのか、なんか冷めた』
スマホを叩きつけようと振りかぶるが、ゆっくりとその手を下ろす。
──物に当たるのは良くない、うん。
アタシは弁当を電子レンジに放り込んで、温めながらギターを持つ。
バンドを初めてすぐの頃、なけなしのバイト代で買った中古で安物のアコースティックギター。
錆びついた弦をみて言う。
「そろそろ交換しないとな」
そしてギターを構えてピックを持ち、弾き始めようとした時、レンジが鳴る。
レンジから弁当を取り出してキッチンに置く。
それから再びギターを構えて、弦を爪弾いた。
一音一音、大切に。
曲は解散ライブの最後で演奏したデビュー曲【焼き付け】だ。
本来激しい曲で、ライブ受けを考えて作った曲だったけど、アタシ一人、アコギで弾くとなんだか物悲しい。
思い入れもある曲だったから、アタシは小さな声で掠れながら歌った。
ライブの華々しい引退を思い出して、打ち上げすらなく帰っていたバンドメンバーの背中を思い出して。
頬をポロポロと涙がこぼれ落ちた。
バンドの解散理由は、簡単に言えば方向性が変わってしまったから。
バンドマンとして長く続けることを考えていたメンバーと、他人の記憶に一生残るクライマックスしか考えていなかったアタシとで、ズレが生じたのだ。
思えば、初めからズレていたのかもしれない。
ボーカル募集と書かれたバンドスタジオの張り紙を見て、連絡を取ったアタシは、翌日に渋谷のライブハウスに呼び出された。
そこにはギターのヨシヒコ。ベースのミサオ。ドラムのパグがスタジオに待っていて、バクバク鳴る心臓を押さえつけながら部屋に入っていたのをよく覚えている。
『……し、失礼します』
緊張マックスのアタシはガチガチで目を見ることもなく俯いたまま挨拶した。
すると、まず声をかけたのはドラムのパグ。
『え、若っ、何歳?』
その時のアタシはまだ中学卒業後、家を出てすぐだったこともあり、十六歳。バンドの中で一番若かったヨシヒコと比べても一回りほど違っていた。
アタシは素直に答える。
『十六、です。……ダメですか?』
そして不安を隠しきれず、顔を上げて聞いた。
すると、大の大人の男が三人して体をクネクネとひねって、うーんとか、えっととか声を漏らしながら時が過ぎていく。
そんな時、ベースのミサオが声を上げた。
『──とりあえず、歌でしょ? ボーカル志望なんだし』
そのあとはスムーズだった。家庭の事情は話したくなかったから、親に仕送りをもらって音楽活動をしていると嘘を言う。
三人は羨ましいだの、俺も養ってだの、好き勝手言っていたが、無事にボーカルとしてジャックジャックに加入する運びになった。
それから五年、いろいろなバンドと関わっていく中で、ファンの熱気に当てられてアタシ自身もライブでキャラを作るようになっていく。
『クソども──! 盛り上がれ!』、『死ぬまで声上げろ!』
ライブ中のパフォーマンスとしてやっていたそれは、アタシの心に染み付いて、少しずつ、少しずつ本心も捻じ曲がっていった。
それでも着実に増えていくファンも、ライブ自体も楽しかったことで、アタシは気にしていなかったと思う。
『今日のライブ一生忘れられません』
アンコールが立ち上がり、一曲を終えた時、観客席から聞こえてきた言葉だった。
その時、アタシは他人の一生に影響を及ぼすことの、快楽に気がつく。
今でも忘れられないのだ。その快感が、高揚感が。
曲が終わると同時に、アタシはギターについた涙をティッシュで拭き取る。
クライマックスのことしか考えていなかったのだと思う。
最後にその先があるなんて、解散の時はよぎることすらなかったのだ。
買い出しに行く前に届いた段ボールを開けて、白のワンピースと天使のコスプレセットを取り出す。
姿見の前でそれに着替えて、アタシはノートパソコンを起動した。
生まれ変わるために。
転生というやつだ。アタシはバンドマンから天使にジョブチェンジするのだ。
ヨーチューブの配信画面を起動して、カメラを回す。
それからツイッターにつぶやきを投稿した。
『天使、降臨します』
そして視聴者の一人目がやってくる。
アタシは天使として微笑む。
「よう! 元気してた? 歌うから聞いていってよ」
路上ライブの感覚で声をかけた。
一人また一人、同接数が増えていく。
天使は今日も歌を歌う。一人でも多くの人間に声を届けるために。
──赤の他人の人生を滅茶苦茶にする歌を。
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