第4話 彼氏のフリ



 映画館は四階。

 まだ上映まで30分近く時間はある。


「陽くんっ! ポップコーン、シェアしちゃう〜?」


 緋翠さんはえらく上機嫌に、僕と売店のメニューを交互に見る。


「え、緋翠さんまだ食べるの?」

「何、太るよとか言いたいの? いいもん、私太らない体質だから!」


 そう言いながら彼女は売店へ足を運ぼうとしている。

 いや、もう頼む気満々じゃないか。


 そんな時後ろから、みるからにチャラそうな男が声をかけてきた。


「あれ〜藍華ちゃん? こんなところで出会うなんて運命だね〜! 何、俺に告白の返事もせずにデート?」


 この男の台詞、話しかけられた彼女の強張った表情から友達ではないことが分かる。


「返事って……断ったじゃ、ないですか」


 消え入るような声で男へ言葉を返す。


「断った? いや俺は好きになってくれるまで待つよって言っただろ?」


 緋翠さんは返す言葉もなく、その場で俯いてしまう。

 それは暴論すぎる。

 彼女が黙るのも無理はない。


「それにこいつ誰なんだよっ!」


 男の視線は僕へ向き、強い口調で言ってくる。

 ここはなんという答えが正解なんだ。

 模索した一瞬の間にいくつか選択肢が出てきたが、おそらくこれが最適解。


「僕は……緋翠さんの彼氏だが」


 よし、この後彼女に謝る。

 そこまでがワンセットだ。


「なっ!? お前みたいな奴が藍華ちゃんと付き合えるわけねーだろ!」


 なんだ、こいつ正論述べてきやがって。

 しかしこの解を選んだ僕には最後まで成り切る必要がある。


「実際付き合えているんだ。そんな僕を蔑むようだけど、付き合えていない君は僕以下ってことだぞ」

「て、テメェ……っ!!」


 男は僕との距離を縮めてきて、ガッと服の襟部分を強く掴んできた。


「殴るなら殴ればいいよ。こっちは物理的に痛いだけだ。だけど大勢の人が見ている中でそんなことして、君は彼女からも社会からも嫌われるだろうね。そっちの方がよっぽど痛いと思うけど」


 我ながら性格の悪い台詞を放ったなと思ったが、男は顔を歪めてパッと手を離す。


「わ、わかったよ。悪かった」


 そう言ってこの場を去っていく。


 ふぅ、とりあえずひと段落。

 人がたくさんいる場所で手を出すやつなんてそうはいないからな。


「陽くん……」


 彼女に名前を呼ばれたことで大事なことを思い出した。


「あ、ごめん! 勝手に彼氏とか言っちゃって!」


 僕が思わぬ反応をしたのか緋翠さんは目をぱちくりとさせた後、急にプッと吹き出す。


「なんで陽くんが謝るの? お礼を言うのは私なのにっ!」

「いや、勝手に恋人宣言されるのは嫌だろうと思って」


 翡翠さんはゆっくりと首を横に振り、


「ううん。私を守るためだったのに嫌なわけがないよ。陽くん、ありがとう」

「僕達友達なんだろ? そんなこと気にするな」

「うんっ!」


 彼女は出会ってから一番の笑顔で大きく頷いた。


 それから僕達は売店で目当てのポップコーンとドリンクを購入し、少し早めにスクリーンへ向かったのだ。



 ◇



 ちょうど映画のエンドロールも終わり、ぞろぞろと他のお客さんもシアターの外へ向かっている。


「よかった」


 余韻に浸りながら、僕は座席でポロリと呟く。


「よがっだね……っ! うう……」


 隣では緋翠さんがずるずるとすすり泣いている。

 一応人前だからか、必死に声を殺そうとは心がけているようだ。


「おお……緋翠さん大丈夫?」

「ゔん。もーまんたい」


 と言いつつも目を腫らしているし、落ち着くまで座っていようか。



 しばらくしてほとんどのお客さんが出ていった頃、彼女はふいに立ち上がった。


「行きましょうか」


 突然立ち上がったので、少しびっくりしたけどあまり長居するとスタッフの人も困るだろうしと思って僕も同じく立ち上がる。


「そうだな」


 時間にして、16時は回っている。

 もう大学生、僕は一人暮らし、彼女もそうらしい。

 お互い時間は問題ないとして、友達とはいえ初めて遊びに行った男女があまり長時間いるのもどうかと思い、今日は解散するかと提案した。


 緋翠さんも「そうね」と心なしか寂しそうに見えたけど、それはまぁ映画の余韻なのかもしれない。


 

 それから僕達は『ハロワ冒険者』の感想を言い合いながら日比谷駅に向かっている。


 そんな楽しい時間はあっという間。

 もうすでに目の前が日比谷駅だ。


「はぁ……もう着いちゃった」


 緋翠さんは明らかにガッカリとした様子で嘆息を漏らす。

 それだけ楽しかったと思ってもらえているなら僕としても嬉しい限りだ。


「だな。あっという間だ」


 すると彼女はよし、と言って体を僕に真っ直ぐ向ける。


「陽くん、今日はありがとうね」

「僕も楽しかったよ、ありがとう」

「いや……その事じゃなくて、その、映画館で守ってくれたでしょ?」

「あぁ、そのことか。僕が彼氏面するってのはかなり苦渋の策だったけどな」


 僕がそう言うと、彼女はブンブンと首を横に振った。


「ううん、そんなことない。あれが、ベストだったよ!」

「そうか……。でもまぁこれっきりの作戦だろうな」

「そのことなんだけど……えっと、その……」


 緋翠さんは言葉が上手く出てこない、そんな様子だ。


「ど、どした!? ゆっくりでいいぞ?」


 うん、と言いながら彼女はスー、ハーと息を整えた後、再び僕と向き合う。

 その顔は真剣そのものだった。


「あの、それってこれからも有効だったりする?」

「有効? どれが?」

「だから、その……彼氏ってやつ」

「え……」


 今彼氏がどーとか言ったか?

 いや、聞き間違いかもしれない。


「守ってくれた時、彼氏って……」


 あぁ、やっぱり彼氏だったっ!

 これ、もしかしてだけど告白されてる?


「それは、僕と付き合うということか?」

「付き合う……? あ、違くて、あの……彼氏のフリというか、えっと友達としてさ」


 フリだったっ!

 勘違いしてしまった僕がバカらしいっ!!


 だけど実際、その肩書きで彼女を守ることができた。

 相手が僕でいいのか甚だ疑問ではあるが、自分を守る術としては割といい案だと思う。


「僕でいいのか? フリだとしてもさ、もっとカッコよくて強そうな人の方が男避けにはなると思うけど」


 心に思ったことを緋翠さんにそのまま伝えた。


「何言ってるの? 私が出会った男性の中で陽くんは一番強くてカッコイイよ?」


 すると彼女はさも当然かのような口調でそう言う。


「な……っ! 緋翠さん、君は分かって言ってるのか?」

「え、何が?」


 ポカンとした顔で首を傾げる彼女を見るに、今の台詞が男を勘違いさせる小悪魔的発言だという自覚はなさそうだ。


 しかし緋翠さんからすると、男は全員ヤラシイ目で見てくる敵のようなもの。

 その中でなぜか僕は大丈夫だと、信頼を得ているらしい。

 そう考えると、これは僕にしかできないことなのかもしれないな。


「わかったよ。その任、僕が引き受ける」

「ほ、ほんと!? えっと今日から、でいいのかな?」

「僕はいつからでもいいぞ」

「へへ、じゃあよろしくね、私の彼氏クン!」


 そしてこの日から僕の人生は大きく変わることになるなんて、当時は思いもしなかった。 

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