6 怨念

 次に手に取ったのは、ここにある本にしては綺麗さの残る赤い本だった。

 恐る恐る開く。

 目に入ってきたのは一人の女性だった。


 背が高く、スタイルがいい。美しい黒い髪の毛は艶があり、太陽の光を受けると輝いている。顔立ちは整い、鼻が高く、目は大きい。様子から見て、女優を仕事にしているようだ。可愛いというよりかは綺麗や美人と評価される女優だろう。

 ある日、現場に入るその女性はカバンの中に小さな小瓶を隠していた。中には透明な液体が入っている。緊張の色を隠しながら仕事をこなす。一日の仕事がすべて終了したその夜、女性は同期の女優の一人の楽屋へ足を運ぶ。その女性は小柄でショートカット。あざとさと妹気質で人気のある女優のように見えた。

 軽い談笑の後、美しい女性はカバンから例の小瓶を手袋をつけて取り出す。ばれることがないようにふたを開け、油断している隙を見てもう一人の女性の顔にその瓶の中身を勢いよくかけた。


 これから私を待つ未来に心躍るような高揚感と目の前の女を見下す本当の自分を称えるような、そんな気持ちが私を埋め尽くした。


 何かをかけられた女性は手で顔を覆い、痛い、熱い、と言いながらその場でうずくまる。笑い声をあげながら近づく女性。顔を覆う手を奪い、小瓶を握らせる。その時、何かを話そうとしていた。

 私は二人に近づき耳を澄ます。


「今かけたのは硫酸よ。あんたの顔は溶けてぼろぼろになるわ。残念ねーそんな顔じゃもうお芝居もバラエティーにも出れない」


「な、なんで、こんな…」


「なんでって、あんたなんか、最初から気に食わなかった。私の邪魔ばかりして、いい気味だわ。私の苦しみを一生かけて味わいなさいよ。あーあとそれから、私は手袋してるから、その小瓶にはあんたの指紋しかついてないわ。あんたにかけられそうになって抵抗しているうちにって正当防衛よね。我ながらいいシナリオを思いついたわ。それじゃあ、私はマネージャーでも呼んでくるから」


 そう言うとこの女性は立ち上がり、不気味な笑みを浮かべながらその場を立ち去った。後をついていく。さすがは女優といった名演技でマネージャーに嘘の経緯を話し、マネージャーは慌てた様子で救急車を呼んだ。運ばれるとき涙を流していた悪魔のような女性は、救急車の姿が見えなくなるまで涙を止めなかった。


 その後、運ばれた病院先で被害を受けた女性の顔は治療された。しかし、目や頬、口周りを含めた数か所がひどく火傷していて元の可愛らしい顔は二度と戻ることはなくなってしまった。さらにかけられた硫酸の一部が右目に入ってしまい、右目を失明。眼帯をつける必要があるようだった。

 この事件は新聞やニュースで大々的に報道された。その内容は硫酸をかけた当の本人が思い描いたシナリオの通りで、あくまでもこの女性は被害者、やけどを負った女性が加害者となり、刑事事件として立件された。決定的な証拠は小瓶に付着した指紋だった。法廷で被害者面をする女性は涙ながらに同期としてのこれまでと裏切られた悲しみを語った。

 最終的に火傷を負った女性に硫酸を入手できる方法がない、事件を起こす理由がない、という弁護側の意見や現在の被告人の心身の状態が考慮され、再犯の危険性が極めて低いと執行猶予付きの判決が下された。


 この事件によって、世間は涙ながらに法廷に立つ女性を注目した。一方で加害者として女優を見た世間は彼女を批判。誹謗中傷が相次ぎ、次々と番組やドラマを降板になった。これによって仕事量は増え、様々なCM、ドラマ、映画、雑誌に起用されるようになった女優を「悲劇に抗う女優」と称賛した。


 水の波が押し寄せ、場面が切り替わる。


 とある病院の一室。瞬く間に日本のトップ女優となった女性を映すテレビを左目でじっと見つめる女性がいる。ぶつぶつと何かをずっと言っている。

 私は恐る恐る近づいた。


「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる……」


 永遠に続くその独り言に私は恐怖した。


 ベッドに座るこの女性の体から何か黒いモヤのようなものがあふれている。少しずつ病室を埋め尽くしていくこのモヤは一種の呪いだった。


 また波が押し寄せる。


 次の場面は都内の病院で撮影中の女性だった。あの事件を起こした真犯人だ。長い台本をすらすらと読み、感情をこめて演技をしている。目の前のこの女性に対して、病院の天井を這うようにあの黒いモヤが続いている。

 近くにあの女性がいるのだ。

 モヤの後を辿って私は見つけた。

 黒いパーカーのフードを深くかぶり、マスクをして撮影をじっとにらみつけるあの女性を。首には関係者と書かれたネームプレートをぶら下げている。撮影が終わると、この女性はゆっくりと歩を進める。パーカーのポケットから照明の光を受けて銀色に輝く物が見えた。歩くスピードが少しずつ速くなる。そして走り出す。

 休憩に入ろうとしていたこの女優は、関係者になりすまし、右目に眼帯を付けたかつての同期に包丁で刺された。刺された瞬間、包丁を腹の中で捻られる。血が大量に流れ、その場で倒れた。

 突然の出来事に誰もが言葉を失う。刺された本人が倒れてから数秒後、病院中に響き渡るような悲鳴がなる。白い床が赤く染まっていく。

 刺した本人は倒れた女性と血まみれの包丁、返り血を浴びた自分の姿を確認し、にこっと笑うと、その包丁を自分の首に向け、そのまま首を切った。

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