3 管理人

「私は、死んだの?」


 ワタリは口を閉じ、目を閉じる。

 何かを考えるように腕を組み、数十秒経ってから口を開いた。


「難しい質問ですね……確かに、いません。ですが、生きているとは言いにくいです」


 期待していた返答とは全く違う、曖昧な言葉が返ってきた。


「どういう意味?」


「……私から詳しいことは話せません。ですが、管理人となれば、あなたの知りたいことは全てわかると思いますよ」


 私はこの時、ワタリが眉間にしわを寄らせ、苦い顔をしたのを見逃さなかった。何か言えない事情があるのかもしれないと、不安な気持ちが拭えないまま自分を納得させるしか他になかった。

 自分の背後に広がる本棚に視線を向ける。青みがかった本棚はどこか不気味で見た目以上に大きく、威圧感のある存在に見えた。

 どうしてだろう。

 私は今、この図書館を知りたいと思っている。これも適応の影響なのかはわからない。だが、知りたい、いや、知らなければならないと心の底から感じている。


「帰りたいと言っても、無理なんでしょう?」


「私はただの案内役ですので、それ以上のことはわかりかねます」


「出口くらい知ってるんじゃないの?」


「知っていれば私もここに留まってなどいませんよ」


 どうやらワタリ自身もこの図書館から出ていきたいようだ。だが、案内役という自分の仕事を放棄することができない。少しずつ、ワタリという存在がわかってきた気がした。


「そう……しかたないわね」


 ワタリの提案を私は受け入れた。この瞬間、私の口元に妙な感触があった。柔らかいような、冷たいような、不思議な感覚だ。口の周りをマスクのように包む、そんな印象を受ける。

 体が妙に軽くなりまるで海の中を、フィンをつけて泳ぐかのように私は浮き始めた。そう、泳いでいる。足をゆっくりと動かす。本当に水中にいる感覚だった。


「すごい……なんで……」


「あなたが図書館の管理人となったからです。私が管理人を選ぶのではなく、図書館が管理人を選びます。管理人に選ばれなかった方はそのまま何もできずに中和されます。ある意味、特権ですよ」


「そういうものなのね。それで、私は何をするの?」


「本の選別を行っていただきます」


 移動しながらワタリは私にそう話した。


「選別?」


「はい。本を開き中身を確認して、利益のあるものとそうでないものに分けてほしいのです」


「利益って、何に対して?」


「……見ていただければわかります」


「そ、そう……」


 話しながら私たちが到着したのは、さっきまでの本棚とは違い、ぼろぼろでカビや苔が生えている黒い本棚だった。私の身長を軽く飲み込むような大きさだ。見る限り本棚は10台以上ある。中に並べられている本も表紙が汚れていたり、外から見てもわかるほど傷ついていたりしている。


「これなの?」


「はい。この本棚は図書館の中で最も危険な場所です。ここに記録された夢とは、人間の "負" の思想や行動、つまりは罪を犯した人間の夢となります」


「罪を犯した人間……」


「人間は誰もが心に "負" の感情を抱いています。だがそれを "正" の感情で抑えている。行き場のなくなった "負" の感情が姿形を変え夢となり、ここにたどり着く。いつの間にかこれほどまで増えてしまったそうです」


 人の夢を記録する図書館。なるほど、この図書館は記録する夢を選んでいない。もしかすると選ぶことができないのかもしれない。


「あなたはここで本の選別をすると言ったわよね? 利益がどうとかって」


「はい」


「ここの利益ってなんなの?」


「この図書館は神聖な場所です。ほかのどんな存在にも影響されることなく、ここがその役割を果たし続けられる。それが私の願いでもあります。ですがこの本棚は、この図書館を汚し、役割を妨げている。私はそれを止めたい。この本の中には、極めて危険な記録から比較的安全な記録まで様々です。それを選別していただきたい」


「あなたが自分でやればいいじゃない」


「もちろんです。できるならそうしたい。ですが……」


 ワタリが本棚や本に触れようと手を伸ばす。すると、彼の手はそれらに触れることなくすり抜けてしまった。触れたはずのところが波紋のように揺れる。


「御覧の通りです。私はあくまで案内役。この図書館に干渉することができないのです。色々な方法を試してきましたが、それもうまくいかず…そこであなたにお願いしたいのです」


「……わかった。これしないと帰れないのよね? なら協力してあげる」


「ありがとうございます」


 どういうわけか嫌な気はしなかった。昔の無駄な正義感がまだ残っているのだろう。

 誰もいない図書館で私は不思議な龍の隣で本を開き始めた。

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