テオドール・フライフォーゲル

 からん、と言う音と共に、剣が地面に落ちた。光の剣は輝いている。しかし魔王の体に刺さった部分の刀身は朽ちて灰へと変わってしまった。金属音だけがあたりに響く。

 振り向くと、三人の悲しそうな顔がこちらを見つめていた。俺らは勝ったんだ。なのに、なんで……。ああ、そうか。 自分の手を見ると、うっすらと先が透けていた。

 エリーが駆け寄る。兄を抱きしめようとしたその腕は空を切った。彼女の目からは大粒の涙がこぼれていて、状況を把握しきれていないように……いや、わかっていても受け入れたくない。そんなふうに見えた。

「ど、どうして、なんで……」

「創造主、とやらとはなしたんだ。この世界を本当の意味で救う気はあるか、と」

「それでこんな、こんなの、こんなの違う……」

「これしかなかったんだ。俺はこの方法を聞いた時から決めていた。アンゲルは俺の魂をエネルギーに変えるために生まれた神の使い。剣士と御子は長い間戦い続けてきた。君の子供や孫、その後の子孫たちにも受け継がれていく呪いだ。俺は、この繰り返しの歴史を終わらせたかったんだ」

「そんなの私は、この世界よりもテオが……お兄ちゃん!」

「だめだ、君は生きて、国を良くしていくんだ。それが僕の願い。君が最初に願ったこの世界の平和を、どうか叶えてくれないか?」

「お兄ちゃん、いやだ、やだよ……」

 エリーは崩れ落ちる。その肩を支えたミカに、テオは微笑んだ。

「ミカ」

「……」

「エリーをたのんだよ。わかってると思うけど、みかけによらず頑固なんだ。それで今後困ることもあると思う。だから、支えてあげてほしい」

「もちろんです。この命が続く限り」

 ミカは淡白な返事と共にこっちを見て頷いた。全く、こんな時でも真面目なところは変わらない。けれど、だからこそ俺の大事な妹を託すには彼しかいない。そう思う。隣には泣きじゃくるカーヤの鼻をすする音が聞こえた。

「なくなよぉ」

「だって、だって……あたしは、テオを……」

「わかってる。だからさ、謝らせてよ」

 カーヤは顔を上げた。緑色の、深いエメラルドの瞳。この煌めく眼差しが、好きだった。

「なにに」

「これからひどいこと言う。ごめん」

「こんなときになんなの」

「幸せになってくれよな」

「……!」

 カーヤの目からは再び涙が溢れた。しゃがんで涙をぬぐったが、もうその肌に触れることはできなかった。

「……ばか」

「それ、もう慣れちゃったよ」

 テオが微笑むと、カーヤも口の端を引いた。そう、この笑顔が見たかったんだ。

「……エリー」

「テオ」

 エリーはゆっくりと立ち上がった。テオは触れられない額を彼女の額に合わせた。涙を拭いた跡が少し赤くなっているが、彼女は頷くと口を開く。

「どうしても、なんだよね」

「うん」

「お兄ちゃんのこと嫌いになりそう」

「それはお兄ちゃん泣いちゃうかも」

 二人の視線が交差した。こんな時に冗談を言っているのがなんだかおかしくて、笑いが漏れた。

 もうほとんど、テオの姿は景色と同化していた。

 ほかに何かあっただろうか。

「あ、これは言っておかなきゃ」

 そう、これだけは言っておかなきゃ。あの日からずっと、俺はこれをエリーに伝えたかった。

「俺の妹になってくれてありがとう。愛しているよ」

 テオの表情は満面の笑みだった。まるで世界を照らすように輝く笑顔。

 エリーはそれを見て、眉を寄せる。少し俯くと、彼女も笑顔で顔を上げた。

「私も、あいしてる。これからもずっと……私のお兄ちゃんになってくれて、ありがとう」

そこにはもう、テオの姿はなかった。


 地面が揺れた。三人だけになった塔が崩壊を始めたのだ。崩れ落ちる床はもう持ちそうになかった。ミカが二人を支え、カーヤが書いた魔法陣の内側に入る。青色の光が溢れて、彼らの姿も、そこから消えた。

 塔は崩れていく。それは天に向かって青色の光を放って爆発した。光が裂いた赤黒い雲の一部から陽光が輝き、晴天が広がっていく。各地の魔物たちは光が当たるとまるで霧のように消え去っていった。

 世界は歓喜に包まれた。誰もがその平和を疑わず、平穏に暮らしていける世界が始まりを告げていた。そうして、世界は繰り返しの戦いの連鎖から解き放たれ、前に進むことができるようになったのだった。




 空は雲一つない快晴だ。白い鳩が空気を楽しむように飛んでいった。

 そこは城の奥にある小さな中庭だ。さまざまな植物が植えられたそこには風がそよぎ、花が咲いて蝶が飛んでいる。

 銀髪の女性は空を見つめて目を細める。隣に立つ男は彼女の視線の先を見て、首を傾げた。

「陛下。何か気になることでも」

「いいえ。いい天気だなと」

「本当に」

「カーヤはもうすぐかしら?」

「遅れすぎですよ、ほんとに」

 噂をすれば、と中庭に続く扉が大きな音を立てて開け放たれる。そこに現れたのは大荷物を抱えた朱色の髪の女性だった。

「ご、ごめん、遅れた!」

「だからってノックもしない者がありますか」

「ミカはその小言いつになったら収まるの?」

「あなたには一生です」

 カーヤの悲鳴が中庭に響き、エリーはくすくすと微笑んだ。

「カーヤは遠くから来てくれているんだから仕方ないわ」

「ルッツがあれもこれももってけってうるさいんだもん。あ、お土産沢山あるからね!」

「まあ、うれしい! 仲がいいようでよかったわ」

「はじめは驚きより心配が勝ちましたけどね」

「いくら敵だったからって行き倒れてんのほっとけないでしょ。……結婚することになるとは思ってなかったけど」

「本当、何が起こるかはわかりませんね。陛下にも早く身を固めてほしいものですが」

「あーいそがしいいそがしい」

「あはは、しばらくはその気ないってよ!」

「困った王です……さて、お話はあとでゆっくり」

 三人は連れだって中庭を進んでいく。奥には美しい蓮の花が咲く池が広がり、その池を超えた先には、立派な台座が立てられていた。

 テオドール・フライフォーゲルと刻まれた台座の上には、朽ちた剣が備えられていた。カーヤは頭の上で手を組むと、口を開く。

「あれから九年かー、はやいね」

「今でも時折、あれは長い夢だったのではないかと思うことがあります」

「……でも、夢じゃない。確かにテオはこの世界を救った。……でしょう?」

「……うん。あ、あたしあれ持ってきたよ!」

「あ、あれですね」

「あれね」

「そう、ローストしたズランビッツ!」

 三人の笑い声が漏れる。カーヤは袋に詰められたそれを剣の前に置くと、エリーを見た。

「もう、しるしが出ることはない?」

「ええ。きっと、もうこの世界で戦う運命を背負わされるものはいないわ」

 魔王は倒された。テオが救ったのは世界だけではなかった。エリーは胸元に手を置くと目をつむる。ミカとカーヤはその姿を見て微笑んだ。

「……また、来年もいい天気だといいですね」

「ね!」

 三人は笑いながら去っていく。これから飲むお茶の話や、お互いの近況報告が始まる。台座に残された剣の刀身は薄く光り、彼らを見守るようにずっと輝いていた。




 かつて世界には、闇より出し悪きものがいた。人々は幾度も戦いを繰り返し、その度数多の血が流れた。しかし、輪廻の歴史はある一人の青年によって断ち切られた。私たちは彼を讃えてその意志を継いで行く。前に進めるようになったこの世界を愛して──。

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テオドール・フライフォーゲル〜神の剣と破魔の御子〜 風詠溜歌(かざよみるぅか) @ryuka_k_rii

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