魔王
塔の最上階には屋根はなかった。赤黒い雲が地上よりも近く、それは今にも世界をすべて飲み込んでしまいそうな、そんな不穏さをはらんでうねりつづけていた。
その塔の広場の中央。そこに闇をつかさどる王は鎮座していた。
椅子の背もたれからはみ出るほど大きな角。豪奢なマントは力を覆い隠すような漆黒だ。魔王は四人を見止めると口の端を引いた。
「よくきたな。待ちくたびれたぞ」
魔王は立ち上がる。それと共に座っていた椅子は景色に溶け込んで消えた。テオは一歩前に出て、諸悪の根源の眼前に立つ。剣を握る手の震えが止まらなかった。圧倒的な存在感の前に、魔王を睨みつけることしかできなかった。
「おびえているのか、つまらん」
「……その割には嬉しそうだな」
「無駄口を叩いている暇はないぞ」
それはすぐに始まった。
八方から注がれる紫色の光。その全てが高出力の魔法で、離散した四人を正確に狙った攻撃はカーヤとエリーの防御魔法で防がれたが、代わりに二人の動きが阻まれた。ミカとテオは前に飛び出したが、火球が邪魔をして思ったように攻撃を繰り出せなかった。飛んできた火球を斬りおとしてテオはあたりを見回す。
魔法の数は多いが、紫色の光以外はそれほど威力は強くはない。その時、火球を避けて距離を詰めたミカの剣が魔王の肩をかすめた。気を取られた魔王の発していた紫色の光線が途絶える。魔王はミカを弾き飛ばすと距離を取り、続けてうねる水の波を生み出した。
それが皆を巻き込む寸前、カーヤとエリーの炎の魔法が壁となって四人の前に立ちはだかった。それはうねる波を一瞬で相殺して掻き消える。
魔王は再び距離を取ったそして雷撃がテオを襲う。テオは魔王が右の足を踏み込んだのを見逃さなかった。少し角度が逸れたそれを転がって避けると、テオはそのまま魔王に向かって突っ込んでいく。
魔王は高出力の魔法を放った後、次の魔法を放つまでに少し間があった。魔王はその間距離を取るが、その隙を逃す理由はない。
テオは勢いよく光の剣を魔王の胴へと叩き込む。しかし、手ごたえはなかった。
上方で飛翔音が聞こえた。避けられた。しかし、水の塊と雷撃が迫り、その翼を打ち抜いた。体制を崩した魔王の体が地面に近づいていく。
ミカの剣に、カーヤの炎の魔法が飛んだ。ミカはそのまま床を蹴ると魔王の体に飛び乗り、炎を纏った剣で斬り下ろす。エリーの氷の刃が胴を貫き、肢体がよろめいた。テオが光の剣を振りかぶって向かっていく。振り下ろすその時、衝撃が走った。
剣の中から翼が現れてテオを包みこむ。それは剣と一体化したアンゲルのもので、再び視界が戻った時、仲間たちは全員、気を失っていた。
魔王の姿は変化していた。まだ人の形を模していた足は腰から生えた二つ目の胴によって完全なる異形へと変わっていく。それは獅子のような足に変わり、腕も増えていく。やがて六本になった腕の後ろには呼応するように翼が六枚生えていた。二本だった大きな角は真ん中にさらに一本増え、その下にはこちらを睨む三つ目の目が張り付く。もうマントは破れて跡形もない。代わりに体を守る鎧が顕わになった。
魔王がひらりと手を振ると赤紫色のオーブが複数出現した。それは円を描いて回ると隊列を組んでテオに向かってくる。彼は一つ目のオーブを切り裂き、次のオーブを避けると煙の魔法を繰り出して転がった。
頭の中に、アンゲルの声が響く。
『テオ、この光の剣はお前の意思そのもの。なんにでも変わる』
「なんにでも……」
『そうだ。自分を信じろ』
テオは頷くと煙を飛び出してそれを構えた。六枚の翼で器用に飛び回る魔王に向けて、光の弓は矢を発射した。それは輝く軌跡となって魔王の翼を貫いた。
「小癪な……!」
「残念ながら、こっちはあとがないからね!」
槍に変えた剣を投擲する。矢で撃ち落とされた魔王は避けることができなかった。勢いよく魔王に向かったテオは獅子の足に刺さった槍を引き抜くと剣に変化させた。振り下ろした剣筋は魔王の黒剣で防がれる。力では勝機はない。薙ぎはらわれたテオの体を魔王が逆の手で突いた槍が貫いた。剣が輝いて魔王を振り払う。
着地すると信じられない量の血が口から噴射した。いたい、苦しい。でも……。
魔王が向かってきていた。四つ足の疾走はあっという間に眼前へと迫る。獅子の前足が上に振りかぶったのを、テオは見逃さなかった。
くる場所はわかっていた。それを避けて足を切り落とす。青色の血が噴射した。
続けて槍と剣の挟撃がテオに迫った。しかし、次の瞬間にはテオが振るった大きな鎌によって、その腕も体から離れて落ちた。
魔王の叫び声が、あたりにこだました。気を失っていた皆はようやく意識を取り戻したようだった。
エリーは異形となり果てた魔王と、兄の攻防する姿をじっと見つめていた。互角の戦いはどちらかが死ぬまで終わらない。
血まみれで奮闘する兄の力になりたくて手を伸ばすが、魔法を繰り出すほどの体力はもう残っていなかった。
体を掴もうとした魔王の手から逃れたテオは距離を取る。その力は剣へと集約していく。
すさまじい光の力が、剣から漏れ出ていた。
何故だかわからない。けれど、その力を使ってはいけない気がした。
「テオだめ!」
凄まじい波動があたりに広がった。
テオはエリーを振り向くと微笑んだ。彼の虹色の瞳は、その神性を表していた。光は強まり。そして包み込んでいく。
魔王は冷や汗を流すと自分の手を見る。もうそこに禍々しい魔力は宿っていなかった。
「な、んだ、これは」
「これは、剣と、俺の魂の力だ!」
テオは剣を振り下ろす。
比べ物にならないほどの力が魔王に降り注いでいく。エリーが叫んだ。
「テオ、何を言って!」
「そんなことしたらお前も──」
「そうだ! だがそれでいい!」
「く、くそ、こんなはずでは……そ、そうだ、私は何度でも」
「いいや、ここで……おまえはおしまいだ!」
テオが光の中を走り出した。
それは光の筋となって魔王へと向かっていく。さらに眩い輝きが放たれたその時、剣が魔王の体を貫いた。
目を見開いたそれは、まるで強すぎる光に影が耐えられないように、始めからそこになかったかのように掻き消えてしまったのだった。
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