妄執と赦し

「はぁ……これ、いつまで続くの……全部強いし、意味わかんない……」

 カーヤの声が塔を上る階段の中にこだまする。テオの光の剣の力で塔の中に入ってからというもの、各階に鎮座した魔物たちとの戦闘を続けて今に至る。普段涼しい顔をしているミカにもさすがに疲労の色が見える。

「塔の高さからすると後もう少しで最上階かとは思うのですが……」

「もー勘弁! このままだと最上階に着くまでに死んじゃうよ!」

「縁起の悪いこと言わない。いくぞ」

 テオは階段の壁に寄りかかって文句を言うカーヤの腕をつかんで鼓舞すると、これまで何度も見た同じ構造の階段を上っていく。緩やかならせん状の階段は上るたびに足音がこだまする。これで何周塔の内側を回ったのか。あと何度これを繰り返すのか。おそらくこうやって精神的に追い詰めるのも魔王のたくらみだろう。けれど、それに負けるわけにはいかない。

 四人は強い意志をもって階段を進む。上がりきったその先。そこに、見覚えのあるものがいた。

「ようやくきたな。辿り着かないかと思ったぞ」特徴のある声。顔に刻まれた傷。

 それは、かつてテオが葬むったはずの、あの男の姿だった。






 それは、あの日の記憶だ。

 すさまじい衝撃が走って私は一度気を失った。どれほどの時間が経っただろうか。昼間だったと認識していたが、目を開いたその時にはあたりはもうすっかり夜の闇に包まれていた。

 視界には到底人間の力では登れそうにない岩壁がそびえたっている。

 ああ、そうだ、あそこから落ちたのだ。私はあの青年の力に押し負けそして……。自覚したら痛みが襲ってきた。全身を地面に打ち付けたのだ。特に右腕の痛みが強く、どうやら折れているようだった。これでは剣も握れない。

 意識が遠のく。ああ、ここで死ぬのか。私は結局、何も得ることができない人生だった。どうして、どうして何も手に入らないのだろう。

 ああ、アンナ、私は君がいればそれだけで……。

 かすかに動く左腕を伸ばしたそこには何もない。顔に刻まれた傷の上をわずかな涙が流れていった。

 ああ、こうなったのもすべてあの男のせいだ。あの男が憎い。私が今こんな目に合っているのも、あの男の息子のせいだ。姫を取り逃したのも、全部あの息子の……。

『復讐する機会を与えようか』

 悪寒が走った。頭の中に直接響く声は実体が見えない。

「だれ……だ」

『私はこの世界に仇なすもの。名をザルブザジーレン』

「なぜ死にかけの私なんかに」

『お前が憎んでいる息子は私にとっても仇敵だ。利害が一致した。それだけで十分だ』

「なる、ほど」

 これは悪魔の囁きだ。人が死を迎える前の幻聴かもしれない。だが、それでも良いと思った。

「わかった。お前の言う通りにしよう」

 体が浮遊する感覚。地面が少し遠くに見える。禍々しい魔力が身体に取り込まれていくのがわかった。それは傷口にも入り込んで閉ざしていく。いつの間にか折れたはずの右腕の痛みも消えていた。

 修復されていく身体。そこに他の力もみなぎっていくのがわかった。背に違和感を感じると、そこから角の生えた翼が突き出す。一つ、大きく羽ばたくと風が眼前の植物を吹き飛ばしていた。手元を見ると、腕は四本になり、うち二つには剣が握られていた。

 力が、みなぎっていく。この力があれば、あるいは……。そうして、私は宿敵の前に再び立つことになったのだ。


***


「お前、死んだはずじゃ……しかも、その姿……」

「その通り、私はお前に殺された。だが、こうしてザルブザジーレン様の手で蘇ったのだ。そして、そしてこの時をずっと待っていた。お前をこの手で殺す瞬間をな!」

 イェルクはまっすぐテオに向かって飛びかかる。剛健な剣はイェルクのたくましい筋肉によっていとも容易く振り下ろされた。攻撃を流したテオは続けて左から襲い掛かる剣を避ける。しかし、テオの着地した場所にはイェルクのもう一本の腕が待ち構えていた。

 その手に右手を掴まれ、捻りつぶすかの勢いで力がかかった。力を振り絞って光の剣をふるったテオの足に鋭い爪が食い込む。イェルクが彼を蹴り飛ばしたのだ。

 地面にたたきつけられたテオは転がると体制を整えて剣を構えた。追撃しようとしたイェルクをカーヤの風の魔法が邪魔をする。

「しつこすぎ! モテないでしょあんた!」

「邪魔だ。安心しろ、かつての部下のよしみだ。あとでお前も殺してやる」

「最悪なんですけど!」

 カーヤが飛ばした風の刃を追うようにエリーの発した紫色の光がイェルクに向かった。彼は少しひるむとそこにミカとテオがとびかかった。上と下からの挟撃。

 イェルクは上から斬りこんだテオの剣を鋭い爪ではじくとばさりと翼を動かした。すさまじ

 い風が巻き起こり、四人は吹き飛ばされる。

 イェルクは指先に集中する。そこから放たれたのは赤い光で、繊細に練られた魔力はまっすぐ四人に向かっていく。間に入ったのはカーヤの防御魔法だ。イェルクは気にせず魔力を注ぎ続ける。

 カーヤの表情が変わった。続けて出力を上げ続けるその魔法に、防御が耐え切れなくなっていた。まずい。そう思った瞬間、衝撃が全身を襲い、次の瞬間には塔内の壁に打ち付けられていた。すぐにエリーが駆け寄るが、傷は浅くない。

 ミカが再び斬りかかった。彼の頭を掴もうとしたイェルクの左腕を斬りおとすと、到底人間とは思えない青色の血が噴射した。

 イェルクの叫び声が上がり、ミカの眼前に翼が迫った。肩を打撲し、膝をついた。その隙をイェルクの剣は見逃さない。

 ミカの腹から血が噴き出した。彼は剣で体を支えると、盾を構えた。それはイェルクの口から吐かれた炎をしのいだが、代わりに彼はそこから動くことはできない。

「みんな!」

 エリーは首を振っていた。テオは唇をかみしめると前を向く。

「塵芥よ!」

 煙が、視界を埋め尽くす。

 今まで、イェルクから逃げるために使っていた魔法だった。しかし、今回は違う。

 それは明確な敵意となって剣を輝かせた。紫色の光もそれに加担する。テオの大きく振りかぶった剣を、男は避けられない。そして──。


 イェルクの胸には光の剣が突き刺さっていた。それは沢山の血を流して床を青い血だまりに変えていく。

「は、はは……やはり私はお前には敵わないのか……ヴィクトール」

 テオはイェルクを見ていたが、イェルクはテオを見ていなかった。ああ……そうだ、私は。愚かで……。

 一番初めの罪を思い出す。

 いつかの記憶はけれど、まだ鮮明に思い出せる。

「同じ研究をずっとしている? どうして? やめなくて良いじゃない」

「あ、アンナ……でもヴィクトールはしつこすぎるって」

「だって貴方の良いところは、そう言うしつこいところでしょ? 粘り強く研究を続けるから、みんながたどり着けなかったことにも気づくことができる。じゃない? だからそのままでいいとおもうわ」

 明るい髪の彼女はその色と同じぐらい明るい笑顔でこちらに微笑みかける。私はその笑顔を

 ずっと愛していたのだ。

 それは単なる嫉妬だった。一番弟子の座を奪われたこと、志していた場所に奴がいること、彼女が奴の隣で微笑んでいること。

 奴が持っている全てが、私にはなかった。要領のいい学習も、周りのものを巻き込んでいく愛嬌も、私にはなかったのだ。そして、その優しさは、私にも向いていて、それが何より、許せなかった。


 ──魔が刺したとしか、言いようがなかった。



 複雑に作った罠ではない。感情的な嫉妬の炎、それが怒りへと、そして本物の炎となって目の前の男を焼いていた。

 きっかけは何か小さなことでの口論だった。私は自分の弱さを露呈した。しかし、彼は何も、何も言わなかったのだ。せめて、せめて蔑んでくれさえすれば、私はこの男を心の底から憎むことができたのに。

 悲鳴が聞こえた。

 振り向くとそこにはアンナが立っていた。私が後ずさると、今まさに灰に変わろうとしているヴィクトールの腕が足に当たる。

「ち、違う、これは……」

 アンナは何も言わなかった。しかし次の瞬間、彼女は燃え盛る炎の中に飛び込んだのだ。

「ま、待てアンナ! だめだ!」

 間に合わない。炎は私の意思に反して勢いを増していく。

「ち、違う、私は……」

 肉の焼ける嫌なにおいをただ立ち尽くして嗅いでいた。自分が何をしたのか、してしまっていたのか。

 まだ、よく認識できていなかった。

「何事だ一体!」

 別の声が聞こえた。それは魔法の師で、二人のことを実の子供のようにかわいがっていた男だった。ああ、この人も、私を一番に見てくれればこんなことには……。

「あ、アンナが……! ヴィクトールも……」

「……!」

 カイは水の魔法で消火する。けれど、それは後のまつりで、黒焦げの遺体は折り重なって。かつてどちらのものだったのか、判別がつかないほどになっていた。

「ヴィクトール、アンナ……」

 もはや、立っている気力もなかった。

 カイは無残な姿になってしまった弟子二人を見て、涙を流していた。

「この魔法、お前のだな」

「……!」

 私は答えられなかった。けれど彼はこちらを振り向くと、目を細める。彼は微笑んだのだ。

「……ひどい事故じゃな。魔法の研究はもっと広い場所を使わせてもらうべきじゃった。わしが指示したこの実験で二人の弟子が死んだ。儂はこの城にはもういられんじゃろうな」

 せめて罵詈雑言の一つでも浴びせてほしかった。けれどそこにあったのは憐れみと、そして温情だった。それからはどう言う流れだったのかはわからない。

 私は魔法研究の任を解かれ、大臣直属の兵士になった。すべての責任を被って出ていったカイのおかげで、自らが犯した罪を問われることは全くなかった。私はこの手で最愛の人と、彼女が愛したその人を殺したと言うのに。

 流されるまま、大臣の言うままに任務をこなした。後ろ暗いその任務を続けるうちに、国王暗殺の目論見を知った。けれど、もうその時には引き返せないところまできていた。

 失われた国王の愛娘を追いかける。まだ年端も行かない少女を崖の淵に追い詰めたその時、その少年が現れたのだ。

 一瞬のことだった。その顔を認識した時にはもう、視界は土煙の中だったのだ。

 けどその一瞬で十分だった。それは私が殺してしまったあの男と、愛する人にそっくりだったのだ。

 それからは姫を探すという名目でずっとその少年をさがしていた。そして、あの日。

 城下町でようやく見つけたのだ。

 なぜ、少年を追いかけ続けたのかはずっとわからなかった。少年は自分には何の関係もない。ただ彼らの愛し合った結果で。けれど……。

「ああ、そうか。もしかしたら私は、お前に私の罪を、知って欲しかったのかもしれないな」その少年が私を見つめていた。記憶は漏れ出て、その場の全員が真実を知ったのだろう。そ

 れが望みだった気がしていた。なぜ、私は……。

「こんな、今になって……許しを乞いたいのか」

「そうかもしれない。いや、きっと、わたしは……」

 イェルクは手を伸ばす。その目はようやく、父ではなくテオ自身を見つめていた。テオはその手を取ると目を細めた。

「大丈夫だ、お前が一番お前自身を憎んでいる。それだけで、人から受ける憎しみは十分だ。俺は、お前を憎むことはしないよ」

「……本当に、お前は父親によく似ている。憎らしいほどに……優しい、のだ……」

 イェルクはゆっくりと景色に交じって消えていく。

 最後に見せたその顔は、どこか安堵しているように見えた。

 テオは目をつむると光の剣を鞘に納めた。そして、仲間たちを振り返ったのだった。

「行こうみんな。きっと魔王は次の階でおれたちを待ってる」仲間は頷く。そしてこれが最後の決戦だ。

 彼らは決意を固めて次の階へと歩を進めたのだった。

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