邂逅と決意

「テオ! お兄ちゃん!」

 それは慣れ親しんだ少女の声だ。目を開くと、今にも泣きそうなエリーがこちらを見つめていた。

「戻ってこないかと思った……よかった……」

 力が抜けてへたり込んだエリーの頭に手を伸ばす。柔らかい銀髪がするりと指の隙間を抜けていく。

「心配かけてごめんな」

「本当だよ!」

「よっぽど向こうの居心地が良かったのですね」

 カーヤとミカの文句にテオは苦々しく笑う。けれど彼らもまた、心配そうな表情でこちらを見つめている。

「あはは……」

「心配だったんだから……私……」

「ごめんみんな。でもあっちでみんなの声が聞こえた。それで戻ってこれたんだ。ありがとう」

「テオ……」

 テオは立ち上がって埃をほろう。

 何かを伝えるように剣が光を発して、皆が次の扉の先をみた。

「これって……」

「三つ試練を終えたね。先に進もう」

 そうして、一行は神殿の最奥へと足を踏み入れたのだった。


***


 扉を開けると、そこは別空間のようだった。

 真っ先に躍り出たカーヤはその景色に目を輝かせる。赤と黄色の美しい蝶がはばたいて目の前を飛んでいき、その先には水の張られた泉があった。丸い蓮の葉が水面に浮き、ところどころ花が咲いている。顔を映すとその虚像を水中の魚が揺らしていなくなった。

 あの紫色の魚はなんて名前だろう、と考える。後ろを通ったミカが「遊びにきたんじゃないですよ」とその部屋に夢中なカーヤを嗜めた。

「でも、本当に綺麗」

 艶やかな花々も咲き乱れるその部屋の中心辺りに立つと、エリーも目を細めた。誰が見ても美しいと感じる。そんな空間だった。

「まるで天国みたいだな」

「あながち、間違いでもないかもしれないですよ。……おや、あれは」

 そこには今までの景色にはなかったものが存在していた。部屋の床は楕円形で、その奥には水面がひろがっていた。その床の端に扉──正確には扉の枠と言った方が正しいものが存在していた。木造りのそれには伸び切った蔦が絡まり、苔むしている場所もある。

 その扉の先には階段があった。これも階段というよりは白い板が階段上に並んでいるものだ。水面の奥に続いているそれを登り切った場所には広場のようなものが浮いていた。おそらくあそこが目的地だろう。

 一行は扉の枠に近づく。そこを潜ったテオに続いたカーヤが、変な声を上げた。

 おでこを押さえた彼女の肌は赤くなっている。それは間違いなく、何かにぶつかった印だ。

「い、いった……なにこれ、壁?」

「なるほど。私たちはこの先には進めぬようです。お二人で見てきてください」

「まー、いっか。ここなら退屈も紛らわせそうだし。気をつけてね」

 手を振った二人に見送られ、テオとエリーは歩き出す。

 一歩。登るたびに足元の板は光り、澄んだ音をだした。神聖なその階段を登り切ったところに、それはいた。

 濃い金髪はうなりを伴って地に着くほど長く伸びている。纏う衣は薄くしなやかで、そして

 優美だ。陶器のような肌で隠された瞳は髪の色と同じ金で、全てを見透かしているようだ。そして、背中には純白の翼が生えていた。

 これから何が起こるのか、襲ってきたらしたらどうしようか。そんな考えが頭を巡る。こちらから話しかけようかとテオが口を開いたその時、それの小さな口が声を発した。

「よくたどり着いたな。途中ダメかと思ったが」

 それは三つの試練でテオたちが聞いたあの声だ。どうやらそれは敵ではないようだった。

「……なんとかね。仲間がいたからここまでこれた」

「試練は終わりだよ。破魔の力も、剣の力も元に戻っている」

「本当に?」

「破魔の力を剣にかざしてみるといい」

 テオは訝しげに剣を引き抜く。翳された手に反応して、彼女の胸元の紋章が輝いた。剣の光も強くなっていく。その眩しさに耐えられずに、思わず目を瞑った。




「ここは……」

 白い光の中。声が響いた。

「安心しろ、ここは時間の流れが他とは違う」

「……お前は?」

 笑い声。テオは眉を顰める。何故問いただけで笑われなければならないのか。

「創世の主に向かってお前とは中々肝がすわっているな」

「……創世の、主?」

「そのままの意味だ」

「ってことは……魔王を生み出したのはお前か?」

 テオの声には怒気が含まれていた。慌てた様子の声が返る。

「わー、まてまて、悪いとは思っているよ。もちろん魔王を生み出してしまったのは私の失態だ。けれどその時にはこの世界はもう確定してしまっていてね。作り直しが効かなかったんだよ。そこで私は、お前たちを作りつづけている」

「剣士と破魔の力を持った御子、ね」

「そうだ。だからこそ、君たちには頑張ってもらいたいと思っている」

「まるで他人事だな。本当に悪いと思っているのか?」

「思っているさ。……ときにテオドール・フライフォーゲル。お前に問いたい」

「なんだ」


『この世界を本当の意味で救う覚悟はあるか?』


「どう言う意味だ?」

「見せてやろう」

 眼下に突如として景色が映った。テオは浮いている状態で、しかし風などは感じない。その映像は視覚と聴覚にのみ働きかけてくるようだ。

 見渡す限りの自然。澄んだ青空には大きな鷲が飛び去り、山は青々しく重なり合い、川はとどまることなく流れる。その脇をリスが横切り、小さなキツネが追いかけた。木の実が転がり。花が揺れる。人の手が入っていない自然が、そこには広がっていた。

 景色は人里へと移り変わる。それはとても小さなもので、まだ街というにも、村というにも小さすぎた。生きるために寄り集まった人々の集落と言った方が正しいほどの人数だった。

 彼らは草を編んだ服を着て、薪を割り、火をおこし、獲物を煮てその日の糧としていた。生きるために食う。食うために狩る。シンプルな生活だった。

 不意に、空が陰った。

 見渡す限りの晴天だったそこは見る間に赤黒い雲に覆われていった。宙に浮いたそれは、見覚えのある姿だった。

「ザルブザジーレン……」

 大きな角が生えた男は腕をひらりと振った。たちまち業火が人々の暮らす里を焼き始めた。非力な人間たちはなすすべもない。狩りの技術を駆使しても、魔王の前には、傷一つ付けられないのだった。

 このままでは彼らが滅びるのは時間の問題だった。絶望が彼らを飲み込もうとしたその時、轟音が鳴り響いた。

 ──少女を貫く稲妻。

 この世界の創造主さえも、敵となってしまったのか。 天を仰いだ彼らの目には、信じられない変化が映った。少女が、立っていたのだ。

 本来の黒髪は美しい星屑色に染まり、それは纏った雷の色と同じ深い紫色に変わっている。そして、少女の額には聖なる紋章が描かれていた。

 少女は目をつむる。体の前で空を掴んだ左手はまるで鞘を持つようだった。右手がは逆手でさらに少し上を掴む。そこには剣の柄が現れた。

 空から剣が引き抜かれていく。刀身は光り輝き、少女が抜き去ると、左手には鞘が収まった。光の剣がさらに輝く。それは少女に駆け寄った少年を包み込み、彼は剣を握った。彼らは選

 ばれたのだった。

 少年は剣を右手に魔王に向かっていく。激しい戦いが幕を開けた。

 彼らの力は互角だった。金属の音が響き渡り、魔法の応酬は止むことはない。互いが一歩も引かない戦いはされど、確実に相手の命を削っていた。

 少年の肩に、魔王の爪が突き刺さる。うずくまった彼にとどめを刺そうとした瞬間、魔王の

 動きが止まった。光る剣が、魔王の腹を貫いていた。少女の周りに紫色の光が満ちる。そして──。

「ここまでか……これで終わったと思うな。私は何度でも蘇る。お前たちを滅ぼすために」

魔王の姿は忽然と消え去った。それは脅威の根源を絶ったわけではない。しかし、彼らにと

 っては最初の歓喜であった。

 それからの景色はあっという間だった。魔王を封印した少女の家系が里をおさめ、やがて彼らの里は村となり、村は街となり、そして国となった。

 少女の力が血によって受け継がれることがわかってからは、彼らは子孫を残すことに重きを置くことになった。魔王は幾度となく現れ、その度に当時の王族と剣士が使命に目覚め、退けていった。光の剣は剣士が死んだ後も、必ず王家に受け継がれるのだ。

 そして何百年もの間、ついに魔王は現れなくなった。命をつなぐ目的を忘れた王家はやがて、その座を一人の狡猾な男に奪われることになった。そして破魔の力を持つ最後の一人が現れたその時、再び魔王は姿を見せた。

「あれは、エリーと、俺……」

「そうだ。魔王も馬鹿ではない。王家のものを絶やしてしまえば今度こそ自分の思い通りになると思ったのだろう。王家のものは最後の一人となってしまった。お前の妹は血を繋がなければならない。そのためだけに、どんな時でも、彼女を死なせることはなかった」

「……!」

 そんな、そうなのだろうか。

 最後に残った破魔の力を持つ少女。

 確かにエリーは今まで、死にそうになることはあっても、死ぬことはなかった。それが全てこいつのおかげだと、そういうのだろうか。

 守られていることに文句を言いたいわけではない。

 けれど血をつなぐということは子をなすということだ。それもきっと、一人や二人ではない。

 エリーは誰かと結ばれたいと願っているか?

 相手がよくない者であったら?

 いや、それを彼女が望んだとしてもだ。


 ──本当にそれは、エリーの意思だ、と言えるのだろうか。


 背筋に冷たいものが走った。それは、それは本当に、エリーの、エリー自身の人生だって言えるのだろうか。世界の為に命をつなぐことが、果たして……。

「……ちょっと待て。本当の意味でこの世界を救うつもりがあるか、と聞いたな?」

「ああ」

「それはエリーも、俺たちの使命からの解放も含まれているんだよな」

「ああ。……どうだ。やってみる気に」

「やる。エリーを、エリーの子孫たちをこの呪われた使命から解き放つことができるなら、俺はどんなことでもする。こんな世界で、エリーは笑えない。俺が、本当の意味で、この世界を救ってやる」

「……よろしい。そのためには──」

 姿は見えない。しかし、神と呼ばれるその人は、確かに笑っていた。




「テオ! テオ大丈夫?」

「ん……あれ、エリー?」

 この神殿に入ってから一体何度目だろうか。

 目を開くと妹の蒼白した顔がこちらを見つめている。

「剣が光ったらそれと同時に倒れたの。一瞬だったけど……」

「時間の流れが違う、か」

「?」

「邂逅を果たしたようだな」

 それは金色の瞳でこちらを見つめている。白い翼がばさりと動いて羽が舞った。

「ああ。やるべきことはわかった。……ところで、ここから外に戻りたいんだけど」

「出口はずっと、お前たちが登ってきた扉の中だ。……久しぶりに人間に会えて、楽しかったぞ」

「なら意地の悪い試練ばかりやらせるなよな。……あと、もう一個すること忘れてないか?」

 それは頷く。嬉しそうに口の端を引き、そして翼を開き切った。

「よく気づいた。私こそが剣の最後の力だ。さぁ、連れていくといい」

「テオ?」

 テオは手に持ったままの剣を構えた。そして、それの胸元に突き刺した。

「テオ!」

 それは剣に吸い込まれていく。剣の光はさらに増し。そして大量の羽が舞い散った。振り向いたテオは笑う。

「こいつはずっと、ここで剣と一つになることを待っていたんだよ」

「そういうことだ。私はアンゲル。お嬢ちゃん、頑張ってな」

 それは笑っていた。舞い散った羽もゆっくりと空気の中に溶けて消えていったのだった。

 階段は二人が一つ降りるごとに消えていく。戻れない浮島を振り返ってテオは目を細めた。

 エリーは邂逅を果たしていないようだった。何故神は自分にだけ言葉を伝えたのか、それは考えてもわからない。

 階段を下り切って扉の枠を潜ると、ミカが頷いた。カーヤは花を眺めて遊んでいたようで、ミカの声かけで駆け寄る。

「どうやら準備は整ったようですね」

「ところでどうやって帰るの」

「ああ、それは──」

 テオに続いてエリーが通り過ぎると、そこには扉が現れ、カーヤが歓声を上げた。帰り道は明白だった。その扉を開けて外の景色が彼らを迎え入れる。そして──。





 ──彼らが放り出されたそこは、戦場だった。

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