三つ目の試練〜エリーとテオ〜
「エリー、大丈夫?」
のぞき込んでいるのは、兄の顔だった。
「あれ、なんだっけ」
「なんだっけって、本当に大丈夫? 今日はカーヤのところに遊びにいくって一番楽しみにしてたの、エリーじゃないか。カイ爺にお土産のサンドイッチまで作ってもらって」
「あっ……」
そうだった。今日は待ちに待った日だ。誕生日の日、街に出て初めてできた友人の家にお呼ばれしたのだ。服は何を着ていくだの、お土産はこれがいいだの、誕生日よりも沢山のわがままを言って今に至る。
「でもなんでお兄ちゃんも一緒なのー?」
「そりゃエリーが一人で歩くなんて心配だし……カーヤもきて欲しいって言ってたし……」
兄はなんだかもごもごと言い訳をしている。私はふふんと鼻を鳴らすと考える。
兄は最近少し変だ。カーヤの話題を出すとなんだかそわそわして、たまに惚けていたりする。
「あ、もしかして」
「どうした?」
「お兄ちゃんって、カーヤが好きなの?」
「急に何言い出すんだ」
「私は賛成よ。二人が結婚すればカーヤと姉妹になれるし! いい考えじゃない?」
「突飛すぎ……カーヤは友達! 全く……外出てないのになんでそう言うことばっかり」
兄の顔は耳まで真っ赤だ。こういう時の兄は少しかわいい。自然と表情が緩んでしまう。
「俺はエリーが誰か連れてきても絶対認めないからな」
「え〜過保護〜。その時は駆け落ちしちゃおうかしら」
「えっ……」
「え〜?」
兄をいじるのは面白い。私を溺愛している彼の反応は見ていて楽しいのだ。まぁ、私が仮に誰かと結ばれるとしても兄の許しを得なければいけないのは……かなりの難関だけれど。
それでも今は幸せだ。体が弱くて外に出れなかった幼少期よりもかなり体力もつき、今ではこうやって街に出かけることもできるようになった。
おじいちゃんのお手伝いもできるし、お友達もできた。私は今、幸せだ。あれ、でも何かを忘れている気がする。私は……何者なんだっけ。
「ねぇテオ」
兄に声をかけると何かを見ていた。視線の先にいるのは城の兵士だ。
「兵士さんが、どうかしたの?」
「いや……」
兄が何を感じているのかはわからない。けど、城のことなんて私たちには関係のないことだ。
待ち合わせの時間も迫っている。先を急がないと。
……関係がない? 本当にそうだろうか。
さっきからなんだか思考がつっかえる。なんだか違和感を感じて不安になって、兄を見た。彼の目はいつもと変わらない美しい緑だ。
でも、何かが足りなかった。そして、気づいてしまった。
「お兄ちゃん、剣は?」
「剣? なんの話?」
「なんのって……私たち」
そうか、ようやくわかった。これは、私の願いだ。わたしは、こんな穏やかな日常を、ただ望んでいたのだ。
「……王にならない生活を望むなんて、なんてこと」
「どうしたんだエリー。王だなんだって、きゅうに」
「お兄ちゃん。私はこの国の王。エルネスティーネ・ナターリエ・エラ・フォン・リーヒテンケ」
「なにいって、エリーはエリーだよ。そんなたいそうな名前じゃないし、王様なんて……」
「違うの。これは私の望んだ世界。血が繋がったお兄ちゃんと、おじいちゃんと、友達がいて、穏やかに暮らせる世界。でもね、それは違うの。私は、この国の惨状を知ってる。皆が安心して暮らせないこの国のことを」
「……」
「思ったんだ。私には力がない。だから、みんなを守れるだけの力が欲しかった。私は、そのために、テオとカーヤとミカと、ここまできた」
「この世界を、捨ててもいいのか」
「……本当は、とても惜しい。私はずっと、あの家で静かに暮らしているだけで、よかったのだから。街への憧れなんてものがなければ、それも叶ったのかもしれない。……でも、否定しなければいけないみたい。そうでしょう?」
兄は何も答えない。ただ悲しそうな表情で私を見つめている。
「ここは私がいる場所じゃない。私はこの世界の闇を振り払うためにここまできた。破魔の力を持ったリーヒテンケの女王です。私は必ず、私の国の民を救って見せます」
「……よく言ったね」
兄が笑顔を見せた。それは次第に景色と混ざり合って消えていく。そして、すべてが黒になった。
***
豊かな店が並ぶ城下町。その坂の上に戴くのは堅牢な塔が伸びる大きな城だ。
金髪の青年は坂を走って登っていく。坂の中程に位置する薬屋の少女が彼を見つけて手を振った。
「テオ! 今日はあそんでくれないのー?」
「今日はこれから仕事だ、ごめんな!」
「最近いつもそうー」
「終わったら寄るって!」
少女はむくれた顔でテオを睨むが、それはいつものことだ。結局、帰りは嬉しそうに待っている。主人も顔を出すとテオの顔を見て微笑んだ。
「お、今日は日勤か。帰りにうちにもよってくれよ、お前んとこの母さんから頼まれたものがあるんだ」
「あー例のやつか、わかった! じゃあまた夜にな!」
「いってらっしゃーい!」
ふたりの見送りを背にテオは城へと向かっていく。そう、今日はあの日なのだ。
「あ、いた。テオ! 遅いよ!」
城に辿り着くと朱色の髪の少女が仁王立ちでこちらを睨む。怒った表情の彼女は勢いよくこちらに近づいてくる。勢いに負けたテオは一歩下がるとこれ以上近づいたら殴りでもしそうな彼女から距離を取る。
「ごめんごめん、薬屋のおっちゃんたちにつかまってて」
「またなんか頼まれごと~? 人がいいのはいいけどこっちは仕事なんだからね!」
「わかってるよ~。今日から、だもんな!」
「うん。緊張してきたー!」
カーヤは姿勢を正す。そして、目の前の大きな扉を叩いた。
「カーヤ・アーレ、テオドール・フライフォーゲル、入ります!」
扉は重たい音を立てて開いていく。玉座の間に入るとそこには美しい姫が座っていた。カーヤは胸に手を当てて礼をし、テオもそれに倣って頭を下げた。
「本日からエルネスティーネ王女付きの兵士となりました。カーヤと申します」
「同じく、テオドールと申します。なにとぞよろしくお願いいたします」
姫は何も言わない。頭を下げたまま固まっていると、男の声が顔を上げるように促した。
「姫様。この者たちが今日から私の下で働くテオとカーヤです。さぁ」
姫は立ち上がって恭しくお辞儀をした。纏ったドレスのスカートは揺れ、星屑色の髪が艶やかだ。それがどこか現実ではない気がして、テオは自失した。
「……ちょっと、テオ」
半ば立ったまま惚けていたテオはカーヤに引っ張られて跪く。その様子を見た王女は微笑む。
鈴のように美しい声が響いた。
「……今日から二人についていただくエルネスティーネです。……よろしくね」
エルネスティーネはとても引っ込み思案な少女だった。そんな彼女が安心できるように、また、同じ年代の者と関わることができるように。そんなミカの計らいで俺たち二人は彼女つきの兵士になった。
あれからはあっという間だった。何年経っても彼女の隣は慣れない。最近は一人で護衛を任されることも多くなってきた。
「ねぇテオ」
「なんですか?」
「あ……いいえ、やっぱりカーヤに話そう、かしら」
「お、俺じゃダメなんですか?」
「い、いや……ちが、その……」
テオは首を傾げる。エルネスティーネは目を逸らすとスカートの布をいじる。髪の間から少しだけ覗く耳が真っ赤に染まっているのが見えた。
「こ、婚約が、決まった、でしょう……」
「ああ……」
エルネスティーネは成人を迎えるに伴って、隣の国の第二王子と婚約を果たした。王女が即位するわけではないこの国には後継がいない。そのために婿を迎えるのだ。
「……わたし、うまくやれるかしら」
「……?」
テオは再び首を傾げる。エルネスティーネはなぜそんな反応をされているのか困惑しているようだった。
「な、何で不思議そうに」
「だってエルネスティーネ様、自信がなさそうなんだもの」
「自信なんて、ないわ……」
「大丈夫です」
「どうして、言い切れるの 」
「俺、姫様付きになったあの日、あなたと初めて会ったあの日。すごく魅力的な人だ、と思ったんです」
「えっ……」
王女の顔はぱっと火が灯ったように真っ赤に染まる。テオは目を細める。
「お辞儀をしてくれたでしょう。とても華やかで気品に満ちていて。これからこの人の近くでずっと仕事ができるんだって思ったら、誇らしくなりました。それからはずっと、あなたのそばにいた」
「テオ……」
「あなたは引っ込み思案で、自分のことを話すのが苦手で、とても苦労しました」
「テオ?」
「でも変なところで頑固で、自分の思った正義を決して曲げない」
「……テオ?」
「あはは、それがあなたのいいところです。エルネスティーネ王女殿下。あなたならどんな殿方が来ても大丈夫。もし不安になったら、あなたのそばにはいつも俺がいます。カーヤも、ミヒャエルも。いつだって頼ってくれていいんです。……今日みたいに」
「……ありがとう」
「まぁ、俺たちの姫様、じゃなくなっちゃうのは少し寂しいですけどね」
テオはへにゃりと笑う。エルネスティーネは眉を顰めた。
「……それは心配ないわ、テオ」
エルネスティーネは徐に立ち上がるとドレスの裾を引いて一回転した。幼さが消え、あの時よりも美しくなった彼女は振り返ると微笑みかける。
「私はずっとあなたたちの主人。……代わりにテオたちも、ずっと一緒にいてね?」
「もちろんです姫様。俺は一生、あなたに仕え続けます」
テオは姫の細い手を取る。跪いた彼の額に、姫は優しく口付けたのだった。
時は進む。数多の花びらが舞う中庭は祝福の声で埋め尽くされていた。純白のドレスに身を包んだエルネスティーネは、幸せそうに微笑んでいた。
遠くから見守る二人もまた、指を絡めている。見上げるカーヤは、テオの顔を覗き込んだ。
「何だか嬉しそうね」
「そりゃあね、姫様の門出だ」
「ふふ。ずっとこうやって見守っていこうね」
「うん」
「お二人の結婚式ももうすぐですかね?」
不意に後ろからかけられた声に、二人はぱっと手を離した。茹蛸のように顔を真っ赤にしたカーヤは動揺したままの震えた声で喋る。
「みみみみかいつのまに! というかミカは一生独り身でいるつもり〜?」
「私はこの国と陛下に忠誠を捧げた身です。妻帯を持つなど考えたこともありません」
「この人に聞いたのが間違いだったわ……」
「俺たちは結婚しても姫様に仕え続けますよ」
「それはそれでどうなんでしょう……」
「いいじゃん〜、お祝いは盛大にしてもらいますからね、兵士長、殿!」
「まずはその態度を改めるところからはじめていただかないとですね」
「あっはは、こわー! ね、テオ」
二人の会話は聞こえていた。けれどどこか夢の中にいるような感覚に囚われている。これがなんなのか、よくわからない。
「ん、なに?」
「なんか今ぼーっとしてたでしょ」
「あ、うん。……なんか忘れてる気がして」
「また書類仕事を忘れているんじゃないですか?」
「あっ! そうか!」
「そうかじゃないですよ」
「そうだよー、いっつもあたしが直前になって手伝わされてる」
「だって書面見るの苦手だし……」
「書類仕事は慣れですよ」
「俺は書類より体動かす方がいい! 剣技なら得意だし」
しゅっしゅっと素振りの真似をするテオに、ミカは腕を組んでため息をつく。
「私にはまだまだ届きませんがね」
「ぐぅ〜。そのうち追いついてみせるからな!」
「そのうちって……そんなこと言っていたらいつまで経っても変わりませんよ」
「テオはのんびり屋さんだから。まぁ、そこがいいとこでもある」
「カーヤはテオに甘すぎますよ。まぁ、カイ様もそこは同じですが」
「あはは、それは反論できない……。でも、こうやってさ、ずっとみんなでいれたらいいよね」
「急に何を言い出すんですか。本当に結婚ですか?」
「……それはもう少し先。でも、そうだな。姫様の近くでカーヤと、ミカと、こうやってずっと一緒に、過ごしていくんだ。それだけで俺は、幸せだよ」
「テオ……」
不意にこめかみに痛みが走る。頭を抑えて俯くと、ミカが心配そうに声をかけた。
「テオ? 大丈夫ですか?」
「あ、ううん。少し頭痛が……」
『テ……ル……』
「?」
「本当に大丈夫?」
カーヤが手を取る。それは暖かくて、痛みが幾分治るような気がした。
『テオ……』
「姫……さま……?」
「姫様ならそこに」
「いや、今確かに……」
テオは辺りを見回す。確かに姫様はそこにいる。しかし、それは自分の知っているエリーではない。俺の知っている彼女は……。
『お兄ちゃん!』
「エリー!」
「いったい何を……」
「今エリーが俺を……エリーって、だれだ」
「知り合い?」
「エルネスティーネ様を昔陛下がよくそう呼んでおられましたが……」
「……そっか」
『お兄ちゃん、目を覚まして。戻ってきて』
『そこは本当の世界じゃない。私たちは試練を乗り越えるために、ここまできたんだよ』
『早く戻ってきなさい。陛下がお待ちです』
──それは、仲間の言葉だ。
わかっていた。この世界が本物でないことは。両親が生きていて、エリーは何不自由なく王女として暮らしている。俺は悲惨な運命に巻き込まれなかった彼女が幸福になる過程を、見ていたかったのだ。自分の幸せも願っていた。けれどそれは現実じゃない。
いつまでも浸っていたかった。だから現実ではないとわかっていても、この場所を否定することができなかった。今でも、居続けたいと思っている。
ああ、ここにいたい。
『お兄ちゃん、戻ってきて!』
「……だめだな。俺はどうしたってエリーの兄だ」
「テオ、さっきから何を言って……」
「カーヤ、まず俺と君は恋仲じゃない」
「……エリーって人が原因?」
「……そういえばそうなるかもな。いや、こうなる未来もあるかもしれない。でも、今は違う。俺と君はエリーを守る仲間だ」
「なにをいってるの」
「ミカもだよ。俺はあんたのことをミヒャエルなんて呼ばないし、上司でも何でもない。……強いて言うなら、剣の師だ」
「それはあなたの妄想ですか?」
「妄想なんかじゃない。こっちが現実だ。エリーは姫様……だったけど、俺の妹で、そして今はリーヒテンケの王だ。彼女は自分の力で闇に飲まれそうなこの国を守ろうとしている」
「突飛すぎますよ。それに不謹慎です」
「確かにそうかもな。まぁでも、この世界、一つだけ文句があったんだ」
テオは口の端を引いた。それは嘲笑に近いが、どちらかというと自分に向けたものだ。
「俺が認めてもいない男に、可愛い妹を簡単に渡すわけないだろう。誰、あの男」カーヤとミカは目を見開いた。二人はお互いに怪訝な顔をしている。
「この世界は非現実だ。俺の生きている世界はもっと悲惨で、とても安心して暮らせたもんじゃない。でも、仲間たちと一緒に歩んできたその悲惨な世界こそが、俺が守るべき、大事な世界だ!」
言い切ったテオに、カーヤが悲しそうに笑う。
「もう少しぐらい、夢に浸ってれば良かったのに」
「全てを終わらせた後には、浸ってもいいかもね」
彼女の手はテオには届かない。全ての色が混ざり合って、そして──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます