イェルク
無骨な作りの城の中、少し広めの部屋に彼らはいた。
しかし部屋の広さが感じられないのは物の多さのせいだ。壁は本棚で埋め尽くされ、机の上には資料や道具が散乱している。
その一番大きな机を囲むのは三人の男女だった。一人は金髪の活発そうな青年。隣には柔和な笑みを浮かべる女性。そして、彼らを見つめるおとなしそうな青年。
「ヴィクター。そこの記述、間違っているわ」
「え、うそ。あ、本当だ。直しておかないと。本当にアンナには敵わないなあ」
「でも思いつきはあなたに勝てた試しがないわ」
「そんなことはないよ。あ、イェルク、さっき言っていた魔法薬の調合を頼めるかい?」
「……私は」
イェルクが何かを言おうとしたその時、部屋の扉が開いて初老の男が入ってきた。
「カイ様。おはようございます」
「おや、三人とも早くから精が出るな。調子はどうだ?」
「あと一歩、というところですがなかなか……。炎と風を生み出す魔法の組み合わせだと思っていたよりも威力がでないのです。結局は元のように単体で出したほうが効率が良いというか……」
「どれ、見せてみろ。……なるほど」
「何かお分かりに?」
カイはテーブルの上に広げられた資料の一つ、その中の記述を指差す。
「ここだ、これでは物理的に放出してから混ぜることになっておる。詠唱して物理で存在する前に混合させないと、単体制御とあまり変わらなくなってしまうのは間違いないだろう」
「確かに。ああ〜順番かあ、なんか前にこんなとこあったな。なんだっけ」
「……痺れを取る魔法薬の調合順番」
「それそれ、よく覚えているなイェルク!」
「ヴィクターは大雑把すぎるのよ。料理も全部一緒に入れるのよ」
「だって入ってるもの一緒じゃん〜」
「そういう問題じゃなくて」
二人の会話は和やかだった。どこか親しげな二人の姿を、イェルクはじっと見つめていた。
不意に、場面が変わった。
赤子の鳴き声。金髪に緑色の瞳を抱いた同じ金髪の男の隣で微笑む母親。そしてそれを祝福するカイの姿があった。イェルクは変わらず、二人の姿をただ見つめている。
「あれが……俺……」
思いがけず、声が漏れていた。掻き消えた記憶の代わりに、燃え盛る木々の熱さが襲いかかる。
「お前の両親は自分勝手な奴らだった。カイは二人を贔屓してずっと俺に雑用を押し付けていた。このすぐ後のことだ。父親の方に昇進の話が持ち上がった、それに嫉妬し自分の立場が脅かされると思ったカイは父親を手にかけたのだ。母親は巻き込まれた形だった。私は母親だけでも助けようとしたが……」
「カイ爺……そんな」
「テオ!」
「敵の戯言を信じるものではありません!」
「お前なら知っているはずだ。魔法研究の第一人者の男が監督不行届で二人の弟子を死なせたこと! それで研究所は閉鎖され、奴が城を追われたこと!」
「それは……確かに城の記録に残っていますが……」
「そう言うことだ。奴は事故に見せかけてお前の両親を殺した。カイはお前の本当の祖父ではない。身寄りのなくなったお前を引き取ったのはせめてもの償いか、それともその事実をいつか話すつもりだったのかもしれないな」
「そんな、カイ爺は俺を……なんのために」
思考が歪む。育ての親の裏切りに心が揺れないものなどいない。それをわかっていてこの男はわざと両親の姿を見せたのだ。頭では理解していた。けれど、現実をすぐに受け止め反芻できるかは、また別の話だ。
蒼白した顔で立ちすくむテオの手を、エリーがとった。彼女の藤色の瞳に映ったのはひどい顔をしたテオだった。
「おじいちゃんはそんなことしない、テオが一番わかってるでしょう!」
そうだ、そうだった。カイ爺はいつだって俺の味方で、そして悲しいことがあったときはいつでもこう言ってくれたのだ。
「……『お前は私に残った最後の宝だ。だから健やかに、幸せであってくれ』」
「急にどうした。ショックでおかしくなったか?」
イェルクの厭な笑いがこちらを見ていた。目の奥が熱くなって視界が悪い。しかし、これだけは譲れない。
たとえ血は繋がっていなくとも、俺にとって、カイは本当の親だ。
「あんなこと言ってくれるカイ爺が、そんなことするはず、ないだろぉぉぉ!!!」
テオが振り上げた剣が光り輝いた。眩しそうに目を細めたイェルクは、何がおかしいのか、笑い声を上げた。
「は、ははは、面白い! よりにもよってあいつらの息子が『剣士サマ』だなんて飛んだ皮肉だよなあ! 今ここで殺してやる!」
「お前の目的はエリーじゃない、俺だ! なぜだ! 一体なんなんだ!」
「憎いんだ! お前の父が愛した全てが!」
イェルクは詠唱すると炎の球を繰り出した。テオの剣が切り裂いて撃ち落としたそれは地面に生えた草を燃やした。
左方からイェルクに向かって水の魔法が飛んだ。しかし、それに応えるのは電撃だ。打ち出したカーヤの体が反動で吹っ飛んだ。
木にぶつかったカーヤは肩が出血している。エリーが駆け寄って癒しの魔法をかけた。
おおかた先に回復したミカは木に寄りかかってテオとイェルクの戦闘を眺めている。
「余計な手出しは必要なさそうですね」
イェルクは両手を開くとその周りに獄炎が巻き起こった。そのままテオを包もうとしたそれは、彼が振り払った剣でかききえた。
続けて動いたのは傷の男だ。氷を纏った剣で切り掛かったそれを、テオの剣が左に流した。そのまま斬りあげるが、イェルクが左に薙いだ剣によって塞がれる。
二人とも一歩引いた。テオが左足を踏み込むとイェルクは出てくる方向に向かう、しかしそこにはテオの体はなかった。テオが逆方向にステップしたのだ。
よろめいたイェルクに、テオの剣が迫った。咄嗟に反応したイェルクの剣がそれを防ぐ。ぶつかる二つの剣の力が相反し、激しく爆発した。
爆発に巻き込まれた二人は弾き飛ばされる。エリーの目の前に転がったテオはすぐさま起き上がった。
「テオ!」
エリーが駆け寄ったが、テオの体にはさほどの傷はない。イェルクが飛ばされた方を見るとそこは崖になっていた。崖下をのぞいたミカは顔を顰める。
「あれはさすがに助かりませんね……」
「イェルク……本当はテオのご両親と仲良くしたかったのかな」
カーヤはイェルクの言葉に引っかかっているらしいが、ミカは首を振る。
「何を言っても仕方ありません。致命傷を負ったとはいえ、まだルッツが潜伏している可能性もあります。テオがおちついたら移動しましょう」
後味の悪い空気の中、下手くそな声の鴉が一声鳴いて飛び去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます