彼女の事情


 結局、砦にはかなり長く滞在することになった。リーヒテンケの冬は雪が降る。ましてや目的の神殿は山の頂上付近にあるのだ。旅路を急ぎたいとはいえ、雪山の中を特攻するほど、四人は無鉄砲ではなかった。

 主に世話を焼いてくれているクラーラはいつも騒がしい。朝早く皆の部屋を訪問しては鍛錬に誘い、夕食後はカードを使ったゲームの誘いを欠かさない。

 その日も例にもれず、彼女の相手も終わって落ち着いたころ。

 砦の仕事の内容の書面を眺めながら、エリーは窓際で他の兵士と話しているクラーラを見た。彼女らの和やかな雰囲気はいつものことだ。

「あんな感じで過ごせたらいいのに」

「エリーは真面目だからなあ」

「クラーラはすごいわ、みんなに慕われてる。私たちもあっという間にクラーラが好きになっちゃった」

「確かに、するっと懐に入ってくる」

 テオは頷くとエリーを見て心配そうに眉をひそめた。

「エリー、少し顔色悪いんじゃない?」

「そう……かな……ううん。その通りかも」

「今日はもう休んだほうがいいよ」

「そうする……」

 エリーはフラフラと廊下を歩くと自分の部屋に入り込む。心配そうに送ってくれたテオに礼を言ってベットに横たわると、溶けるように眠りに落ちたのだった。




 しとしとと降る雨が窓に流れ、物音が影に潜む夜。月明かりがそこに差すことはない。

 寝台に横たわる少女の寝息は穏やかだ。そこににじり寄る影があった。その動きに、金属の音が呼応する。

 それはナイフと剣がぶつかった音だった。飛び出したのは男で、侵入者が振り下ろしたナイフにはかなりの力がかかっている。薄暗い部屋の中、相手の顔を認識した男は目を見開いた。

「どうして、あなたが……!」

 侵入者は勢いよく扉を出ると走り去っていくが、男もそれを追いかける。侵入者はとある場所で角に曲がった。

 曲がった先には庭園があった。逃げるには不向きなそこで男は剣を携えて侵入者を追い詰めていく。

 男が横に振った剣を侵入者のナイフがするりと流す。しかし追い詰められたその人にはもう下がる場所はなかった。

 最後の一振りが侵入者を貫こうとしたその瞬間、彼らの間に割って入ったものがあった。

 銀髪の少女の姿を見て、ミヒャエルは声を上げる。

「陛下! どうして!」

「やめてミカ! 事情があるの。そうでしょう……クラーラ?」

 名前を呼ばれた女の顔は蒼白していた。ミヒャエルは顔を顰めたが、彼がクラーラに向ける剣はまだ下がらない。

「陛下を害する事情とは?」

 クラーラはまだ話さない。代わりにエリーがもう一歩前に出る。

「クラーラは誰かに脅されていたの、だから私を……」

「……聞かれていたのね。なら話しは早い! 私の為に死んでちょうだい!」

 クラーラはナイフを投げ捨てると腰に下げていた剣を引き抜きエリーめがけて振り下ろした。彼女の乱れた髪が舞う。ミカが受け止めた剣よりも前に出てエリーが口を開いた。

「いいえ、クラーラ。あなたは自分の為に戦う人じゃない! ……本当は、守りたい人がいるのでしょう?」

「そこまで聞いて……でも、そんなこと関係ない! 私がやらなきゃ、カロリーネは……」

「カロリーネ? カロリーネ・アスベルマイヤー?」

 クラーラはなおも剣を振り続ける。その剣筋は乱れていて捌きにくい。ミカは力に任せて剣を弾き飛ばした。中庭の土に剣が突き刺さる。

「ええそうよ、私たちの同期の! 彼女は私の……」

「恋人なのですね」

 ミカと視線がかちあい、クラーラは目を丸くする。何故、と言う問いは言葉を発しなくても明らかだ。

「見ていればわかりますよ」

「だったら!」

「だったら、私に提案があります。クラーラ、あなたを脅していたのは何者ですか? カロリーネは今、どこにいるのですか?」

 雨はまだ降り続いていた。彼女の金髪は顔に張り付き、全身を水が濡らしていく。

 水たまりに映った自分は、ボロボロだった。もう、それを振り上げる元気はない。

「……北東、砦から離れて設けられた囚人たちの独居房があるところ。今は使われていないわ」

「……囚われているのですね」

 クラーラは頷く。ミカは彼女が持つ剣を回収すると、着ていた上着を彼女の肩にかけた。

「どうしてすぐ助けに向かおうと思わなかったのですか」

「行ったわ。でも相手は魔王の側近。到底太刀打ちなんてできなかったの」

 クラーラは脇の服を捲る。その下には真新しい包帯が綺麗に巻いてあったが、赤く血が滲んでいた。この交戦で傷が開いたのだろう。ミカのため息の声が漏れ、クラーラは恨めしそうに彼を睨みつける。

「なによ」

「あなたはいつも一人でどうにかしようとする」

「でも……」

「まさか知らないとは言わせませんよ。私たちの女王陛下は、国民全員の為に戦っている。その国民とは、あなたも含まれます」

「クラーラ。私はあなたの味方です。あなたの大切な人を、助けに行きましょう」

 エリーはゆっくりと近づくと、クラーラの手を取って微笑んだ。

 クラーラの頬を流れる水は冷たい雨と違って、暖かかった。彼女はそうして、崩れ落ちたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る