それぞれの準備


 パーティの準備といっても実際は砦のものがほとんど済ませており、一行は自分たちの身支度を任されただけだった。

「いやー、ドレスなんて初めてきた〜踊りの作法なんて知らないけど大丈夫かな」

 カーヤは鏡で髪飾りの位置を確認するとよし、と気合を入れて部屋をでる。

 廊下を歩いているとバルコニーが見えた。そこに知り合いを見つけて立ち止まる。

 青みがかった緑色のジャケットは彼の金髪をよく映えさせている。よく見たらすらっとした体型も、綺麗に編み込まれた髪も、側から見ればどこかの貴族の御曹司のようだ。

「こんな感じだったっけ」

 カーヤは首を傾げると思いつきを実行すべく足音を消した。そろりそろりと彼の真後ろから近づきそして、声を上げた。

「わ!」

「なに!」

 振り向いた彼の顔は驚愕の色で染まっている。

「……なんだカーヤか。やめてよびっくりした」

「えへへ、大成功」

 カーヤは小さなガッツポーズをしているが、なんだかいつもと違う気がしてテオは首を傾げながら彼女を見やった。タンポポの花のように鮮やかな黄色はカーヤの朱色の髪によく合っている。裾のながいドレスは普段子供らしい一面が目立つカーヤをいくばくか大人のように見せていた。

「……結構目立つんじゃない?」

 カーヤはそうだろうと言わんばかりに腰に手を当てる。仕草ばかりは服を着ただけでは難しいか、とテオは小さく笑った。

「まぁエリーが一番可愛いけどね」

「まーたそういって。そうなんだけど」

「……でも綺麗だよ」

 不意に発された素直な褒め言葉に、少女の頬は真っ赤になる。彼女は火照った顔を覆うと非難の声が上がった。

「そういうとこだよね!」

「なにが?」

「はいはい」

 カーヤは顔を隠しながらバルコニーの端によると振り返った。まだ少し赤い顔は他の感情も宿しているようだった。

「なんかこういうの、久しぶりなんだ。楽しくてワクワクしてるっていうか。クラーラは変な人だけど周りをよく見てる。私たちの旅を心配してるんだと思う」

「そう、だな。俺も、久しぶりにゆっくり寝れそう」

「あはは、もう寝る時のこと?」

「最近ミカが張り切ってて見張をしながら訓練じゃない。あれ結構応えるんだよ」

「あっはは、旅暮らしは慣れないと大変だよね。でもミカは結構テオのこと気に入ってると思うよ。あの人が人に何かを教えるなんて聞いたことないもん」

「逆になんで気に入られてるのかわかんなくて怖いよ」

「いいことだよ〜。ところでなんでこんなとこにいたの?」

「ん〜」

「なに?」

「いや、かっこわるいからいいや」

「何それ、かっこよかったことあんまりないよ」

「ひどくない? ……ま、いっか」

「なに? 話してみる気になった?」

「なんか怖くてさ」

「ダンス下手なの?」

「そうじゃなくて。……エリーは、本当にこれで良かったのかなって」

「王様になったこと?」

「……うん」

 変な話だ。というより心底情けない。テオとってエリーは全てだった。この感情の名前は知らない。けれど、醜いものであることは確かだった。

「……寂しいよね」

「え?」

「あれ、違った? ……あたしはさ、お母さんのために兵士になったけど、正直なって良かったって思ったことないんだ。でも、兵士になるっていうのはあたしが決めたことだから、周りのみんなはそれがあたしの本心だって思ってる。でも、それが正しいと思うの。だって人の心なんてわからない。エリーは本当はみんなの期待に応えようと自分の気持ちに蓋をしているだけかもしれない。王様になってから、後悔してるかもしれない」

「……だったら」

「でも、だよ」

 彼女の緑色の瞳がこちらをまっすぐ見つめていた。その中にはどんなことがあっても壊れなさそうな、宝石のような強い光があった。カーヤのそれはどこかエリーの瞳に似ていて、テオは閉口する。

「エリーはただ純粋に、民のことを思って行動しているだけかもしれない。……だから私たちは、彼女の言葉を信じて、そして辛そうにしていたらその時に手を差し伸べる。そんな存在であるべきなんだと思う」

「カーヤ……」

 エリーがどういう気持ちで即位したのか、俺にはわからない。けれど一つだけわかることはある。彼女は自分以外の者を無条件で愛せる心の優しさを持っている。だったら俺は……。

「……そうだな。俺も決めたよ。何がなんでも、エリーが守りたいと思ったこの国を、俺も一緒に守ってみせる。破魔の力を持つ彼女を守る、剣士として」

 カーヤの顔は一瞬驚きに染まったが口元はすぐ微笑みに変わった。

「なんでカーヤが嬉しそうなの?」

「さぁ?」

 取り留めのない少女の返答にテオはさらに首を傾げた。カーヤは笑顔のまま続ける。

「実はさっき言い損ねたことがあって」

「まだなにか?」

 少女は一歩青年に近づくと、つんと胸元をつついた。

「衣装、似合うじゃん?」

「……? ありがと」

「反応薄〜……ま、いっか」

 テオは彼女が何を考えているのかよくわからなかった。目の前に差し出された手を見て、さらに首を傾げる。

「あたしたちだけで、先に始めない?」

 顔を上げると、カーヤの笑顔がこちらを見つめていた。なんだか、その誘いに乗ってみたい気がした。

「それもいいかもな」

 取った手は思ったよりも細かった。華奢なその体を引いてステップを踏むと、三歩目で左足が右足を踏んだ。笑い声が上がる。

「あれ、やっぱり下手くそ?」

「逆になんで踊れるんだよ」

 カーヤの足取りはテオよりはずっと軽やかだ。もたつくテオに合わせてくれている。テオもようやく慣れてきた動きに少し楽しげに笑う。

「えへ、こういうの憧れてたから。王族の前で踊る勇気はないけど」

「じゃあ相手は俺でちょうどいいな」

「あっ」

 不意に足元の感覚がなくなって浮遊する感覚。気がつくとテオの両腕がカーヤの体を抱き上げていた。思わず首に腕を回す。

「ちょっと、あぶない! 雑!」

「あはは」

 月明かりが照らすバルコニー。彼らを彩る音楽はなく、静寂の中足音だけが響いていた。

 ──そのまま彼らだけの舞踏はそのまましばらく続いたのだった。






 準備が終わったミカとエリーは会場の椅子で待機していた。二人よりも準備が終わったはずのテオとカーヤは全く戻ってくる様子はない。

 エリーはクラーラと使用人が着せてくれた慣れないドレスの裾を掴むと俯く。隣には正装のミカとクラーラが待機している。

「おにいちゃんおそいな……」

「慣れない服で手間取っているのでしょう」

「そうかも……にしてもミカは似合うね」

 エリーは左に立つミカを見やる。いつもは適当に括っているだけの髪は美しく整えられ、彼の琥珀色の瞳の色に合わせた衣装がとても映えている。

「小さい頃からずっと思ってた。まるで王子様みたい」

「でしょー! ミーシャは顔だけはいいんだからムカつくわよね!」

 クラーラは不意にミカの肩を組むと彼の顔を掴んでエリーに向ける。ミカはこれ以上にない仏頂面だ。

「陛下への不敬が度を越しています。砦の地下にでも閉じ込めておきましょうか?」

「これよ」

「ミカらしいわ。でもクラーラはこういうところが素敵なんじゃない」

 エリーはくすくすと笑う。解放されたミカは身を正すと大きなため息をついた。

「ほんっと、どこかの誰かと違って陛下はお優しいわぁ〜! ところでこのパーティ、誰が開いてくれたのか知ってるかしら?」

 クラーラの問いに、エリーは首を振る。クラーラの青い目が細められる。

「ゲープハルトに脅されていた領主達。皆があなたの活躍を望んでる」

「……わたし、は」

「クラーラ」

 戸惑うエリーを見て助け舟を出したミカに、クラーラは手を振って笑った。

「野暮ねぇ。わかってるわ。でも年取ったらこういうこと言いたくなっちゃう。みんな応援しているってことよ。……今日はどうか楽しんでください。エルネスティーネ女王陛下」

 跪いた彼女はエリーの手を取りそして、口の端を引いた。

「先約がなければ私と踊りますか?」

「え、え?」

「冗談もいい加減に……」

「あはは、そりゃそうだ。……さーて仕事に戻りますか」

 クラーラはひらひらと手を振ると会場を歩いていく。まだ心臓の動きが治らないエリーは彼女が歩くたびに上がる黄色い歓声をぼんやり聞きながら、その景色を眺めていたのだった。

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