アインジガルティヒ砦
一行が目的とする砦は、近づくとすぐにそれだと分かった。
まだ辿り着いていないのに、騒がしい声が聞こえてくる。
その賑やかな声とは裏腹に石造りの砦はとても堅牢だ。この砦の歴史は古く、建国当時国境だったこの土地は北方の国々との激しい戦のために使用されていたという。今では北方諸国もリーヒテンケ王国の属領となり、小さな小競り合いの仲裁、そして世界を闊歩しはじめた魔物たちの対策にあたるのがこの砦に駐在するものたちの主な仕事だ。
砦の高い岩壁を見て金髪の青年は口を開く。
「これって砦の声?」
「ええ。リーヒテンケ王国直属の〈変わり者〉のみなさんです」
ミカの言い方には棘がある。きっとこの砦で冬の滞在をしなくてもいいのであればわざわざ通りたくはないと真っ先にいいださんばかりの毛嫌いぶりだ。
「ほんとに苦手なのね……」
エリーは少しあきれながら歩いていく。砦の門には兵士が立っており、エリーを見とめると声を上げた。
「エルネスティーネ女王陛下! 我が砦へお越しいただき光栄でございます! お伝えいただいていたのは……」
「私がミヒャエル・アイヒベルガーです。こちらは剣士のテオドール。部下のカーヤです」
「えっ」
カーヤは驚いた顔でミカを見やる。彼女に返されたのは冷ややかな視線だ。カーヤは閉口して前を向き直った。
「皆心待ちにしておりました。さあどうぞ、早く」
門の兵士は二人とも嬉しそうにせき立てる。なんだかせわしない。
門番に促されるまま砦の門を通ると広めの廊下が広がっていた。四人は道案内が来るというのでその廊下をまっすぐ歩いていく。
「ねぇミカ、さっきの何?」
「あなたは一度イェルクを裏切って逃亡しましたよね」
「うん」
「その時はまだイェルクは城の人間でしたから、あなたは完全に犯罪者です」
「げー」
「だから私の部下ということで籍を置いてもらっているんですよ」
「知らなかった……ありがたいけどミカが上司って感じなんか変」
「わたしもこんな手のかかる部下を持ちたいと思ったことはありません。ですがここではそんな愛称で呼ぶのは御法度です」
「えーめんどく……はーい、アイヒベルガーさん」
ミカの視線が飛んで素直に返事をしたカーヤを見てエリーはくすくすと笑う。と、その時突き抜けて明るい声が廊下内に響き渡った。
「ついたなら早く報告くれればいいのに! 待ってて! いまそっちいくから!」
声の方向は突き当たりにある階段の方からだった。軽快な足音が近づいてきたかと思うと、声の主が姿を現した。
「ようこそアインジガルティヒ砦へ。みんなはアイン砦ってよぶわ」
軽やかな足取りで近づいてきたのは剣を腰に下げた女性だ。艶やかな巻き髪を揺らして近づいてきた美女はいきなりミヒャエルの襟元を掴んで引き寄せた。
「それで? いつ結婚してくれるって?」
「そんなことは一度も言っていません」
眉ひとつ動かさずに返したミカに女は顔を覆って潮らしい声を出す。
「そんな、ひどい! 私はあなたのことを一生守りますって言ってくれたのに」
エリーとテオの二人はミカを見やる。彼の表情は変わらない。
「そんな仲なの?」
テオの質問にミカは答えない。代わりにエリーが少し俯く。これではただの修羅場だ。砦にはいってすぐピンチに陥った一行に助けの一声を上げたのは当事者の女だった。
「ふふ、びっくりした? 私はクラーラ。この砦を指揮してる。ミーシャと同期なの」
一回転した彼女の巻き髪とコートがふわりと舞う。身のこなしはいいところの令嬢と言っても過言ではない。
「さっきのは全部じょうだーん! この男堅物だからいじるの楽しいのよ」
ようやく疑惑から解き放たれたミカのおおきなため息が場に漏れる。
「意地が悪いですよ、先輩」
「面白いって言ってよ〜! つれない後輩ね〜」
クラーラはカーヤのことをわしゃわしゃと撫でる。掴み所のない人だ、とテオは思う。
「先輩は私が士官学校に入った時にずっと教えてくれてた人なの。こんなんだけど面倒見は人一倍いいんだよ」
「こんなんってなによこんなんって」
「こんなんはこんなんです」
カーヤは慣れているようで、ミカは以前から言っていた通りとても迷惑そうな顔をしている。明るく笑うクラーラは花のように艶やかだ。
「なーんだ。エリーは純粋なんだからすぐ信じちゃうよ」
「びっくりしちゃった。ミカに婚約者がいるのかと……こんなに綺麗な」
エリーは少し表情を明るくすると安堵の声を漏らしている。それに気づいたクラーラの目がおもちゃをもらった子犬のようにキラキラと輝いた。
「きゃ〜! どんな人が王様になったのかと思ってたけどすんごい美人さん! これなら今日の夜のパーティも大丈夫ね!」
『パーティ?』
聞き慣れない響きに全員が同時に顔を見合わせた。テオに至っては目を白黒させている。
「あほ大臣が失脚して真の王族が即位したっていうのに世界はこんなん。みんな士気が上がらないの。けど女王陛下が美しいドレスに身を包んでパーティに姿を見せてくれたと知ったら、少しは世間も明るくなるわ」
「で、でも、私たちは旅の最中で……」
「たまにはいいでしょう。どのみち長居をするのです。冬の間世話になるのですから、挨拶がわりにもいいでしょう」
焦るエリーに言葉を返したのは意外にもミヒャエルだった。おそらく初めから知っていたのだろう。その援護射撃にクラーラは満面の笑みを浮かべ、カーヤも応戦する。
「そうだね、私もエリーのドレス姿見たい!」
「俺も」
「私もです」
「私もー!」
「みんな?」
少し方向性の変わってきた賛成の声にエリーは困惑の色を示す。そうして彼らはその夜の準備に移ることとなったのだった。
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