館の主

 館の奥、小さな物置に身を潜めていたのは、金髪の男と朱色の髪の少女だ。

「どうしてカーヤと二人に……」

「なんか文句ありげだね……まあいいけど。しょうがないよ、あんなの後先考えずに逃げるしかないじゃん」

「そうなんだけど……エリー、大丈夫かな」

「ミカがいるんだから大丈夫だよ。それよりもあれだよ。あれなに?」

「わかんない全く」

「……もしかして森で見たのと一緒? でも首、なかったよね……」

 テオは彼女の声に違和感を感じて彼女を見やる。しゃがみ込んだカーヤの膝は震えていた。

「もしかして……こわい?」

「!」

 カーヤはぶるぶると首を振るって否定する。しかしそれは恐怖を認めたようなものだ。それが雷に怯える妹に重なって、テオは少女の頭を撫でた。

「大丈夫、ミカほど頼りにならないかもしれないけど、俺がついてる」

 不意に頭を撫でられたカーヤの顔はみるみるうちに紅潮する。さながら茹蛸のような彼女は文句の声を上げる。

「だから怖がってなんかないって! 子供扱いしないで!」

「あはは、それなら大丈夫そう……でもさ、ここにいつまで隠れてる? 俺たちがこの屋敷に入ったっていうのは知られちゃったわけだし、いつかは見つかっちゃうよね」

「それだ!」

 手を叩いて何かを思いついたカーヤにテオは首を傾げる。

「見つかる前に外に出ちゃえばいいんだよ!」

「先ほどの怯え具合とは真逆の考え」

「うるさいばか! そうと決まったらさっさといくよ!」

 カーヤはテオの手を引くと部屋の外の様子を伺う。物音はしない。

「今だ!」

 勢いよく飛び出した二人。彼らが飛び出した廊下の前面には何もいなかった。しかし……。

「カーヤ!」

 テオは咄嗟に彼女の腕を引く。少女の小さな体がついさっきまであったそこには錆びついた剣が突き刺さっていた。剣をふりおろしたのは、先ほどの首のない騎士だった。

「わーーー! いた!」

「全然いまじゃないじゃないか!」

「いないと思ったの! こうなったら足の速さで勝負だ!」

「子供の喧嘩じゃないんだから!」

 テオのツッコミを無視してカーヤは弓に矢を番えると煙の魔法を飛ばした。あたりに煙が立ち込める。

「いくよ!」

 言われる前に駆け出していた。長い館の廊下を一目散に駆け抜ける。カーヤを置いてきていないか心配だったが、意外と足は早い。

「まって! 扉開かなかったらどうしよう!」

「魔法でどうにかなんないのか!」

「あ、爆散せよ! どいて!」

「順番逆!」

 無我夢中のカーヤに床を転がったテオの文句は聞こえない。彼女の放った魔法は扉に当たると爆発して破片を飛び散らせた。木屑につまづいて転んだ彼女を立たせると一目散に外に出る。雨はいつの間にかもう止んでいた。

「捕縛せよ!」

「エリー!」

「お兄ちゃん! よかった!」

 捕縛の魔法をとばしたのはエリーだった。その先には首のない黒い騎士が立っている。それは長い槍を持ってミカとエリーの二人の前に立ち塞がっていた。

 エリーの背中を貫こうとした黒い槍先をミカの剣が切り上げる。続けて彼の一閃が黒い騎士の胴を真っ二つに切り裂いた。赤黒い煙が広がり黒い騎士の姿は消滅した。

「やった! ミカ、ナイス 」

「けれどまだもう一体騎士が……!」

「ミカ!」

 カーヤが叫んだ時には遅かった。ミカの瞳が驚愕の色に染まったその時、彼の体が飛んだ。そこに立っていたのはしわくちゃの老婆だ。

「や、家主……?」

「違うだろ! いや、ありえるか……」

 これはまずい。騎士は老婆が使役していた護衛なのではないか。

「安心してください、その老婆は人間ではありません!」

「どこが安心なの!」

 ミカはエリーに傷を治してもらいながら立ち上がる。すると、老婆の姿がみるみるうちに変化していった。

 老婆の体の至る所から羽根が生えていき、それはやがて大きな翼となった。脚はだんだんと骨張っていき鋭い爪を持った鶏のような脚に変化する。頭が老婆のままだということ以外はさながら巨大な鳥のようなものが四人の前に対峙した。

「もう怖い通り越してすごいという感想しか出てこない……」

「無駄口は後で! 来ますよ!」

 ミカの叫びとほぼ同時に老婆の鋭い蹴りが炸裂する。テオの剣がそれを受け止めたが押し負けそうだ。その時、カーヤの矢が老婆の顔を掠め、爆発した。爆破の勢いでテオの体が木に叩きつけられ、葉に残っていた水滴が一気に落ちてきびしょ濡れだ。

「カーヤ、爆発の魔法は周りを見てからにして下さい!」

「ごめん! 焦ると咄嗟に打っちゃうの!」

 カーヤは続けて矢を番えると狙いを定める。しかし、彼女はしゃがみ込んだ。右方から投擲された巨大な斧がカーヤの後ろにたっていた木に突き刺さる。

「森の中にいた騎士だ! やっぱり仲間だったんだ!」

 対峙する敵は三体だ。その時、館の近くからエリーの悲鳴が上がった。

 赤い騎士の剣が振り下ろされそうというその時、ミカの剣が斬り上げて弾き飛ばした。そのまま大きく横に振って、騎士の胴を裂く。紫色の人間とは思えない血飛沫が飛んだ。

「盾よ!」

 エリーは素早い動きでカーヤの前に防御の魔法を張る。弾かれたそれは木から引き抜かれた斧の一閃だ。

「ありがとうエリー! 爆発は怒られるから……風よ!」

 カーヤは白銀の騎士に向かって手を突き出すと詠唱した。凄まじい圧力の風が噴き出して騎士の鎧が剥がれてそして、瓦解した。

「よし! あとはあの老婆だけ……!」

 四人が老婆に向き直ったその時、がたがたがたと不自然な音が響き渡った。

「なんのおと?」

 ──彼らはすぐに理解した。それが館の屋根を今にも剥がさんとする風の音だということを。



 老婆の大きな翼がばさりと動くたびに風の勢いは増していく。館の屋根を剥がしたそれはやがて森の木々も巻き込んで大きくなっていく。

 ごおおと大きな音が響き渡り、叫んでももう誰の声も聞こえない。テオは暴風の中なんとか

 立ち上がると剣を構える。

 こんな風が吹き荒れる中で何ができるというのか。巻き込まれで飛んでいく木の枝や館の屋根は刻まれて粉々だ。その中から別の動きをする何かが飛んだ。

 風の刃だ。風の力が凝縮されたそれはまるで刃物のように鋭い切先を飛ばしてくる。テオは向かってきた一つを剣で撃ち落とすと目を凝らす。これでは全く近づけそうにない。

 と、その時暴風の中から赤い色の何かが飛び出した。

「エリー!」

 それは最も守らねばならない者の傷ついた姿。血まみれの少女に駆け寄ったテオは彼女の前に立ち塞がる。

 風の刃の追撃は止まらない。一つ、また一つと暴風の中から突如として飛来していく刃を直前で判断して撃ち落としていく。

 まっすぐ飛んできていた刃に動きがあった。右からの一筋が飛んだのだ。咄嗟に撃ち落としたその反対方向からもう一つの刃が飛んだ。

「っ……!」

 痛い。血が噴き出る。どくどくという感覚が左肩に走って集中力が拡散する。

 隙を狙った斜め上からの攻撃が飛んだ。なんとか撃ち落とす……その時にはもう下からの刃が二つ並んでこちらに向かっていた。

 もう、だめだ……!

「諦めが早すぎます!」

 テオが膝をつきそうになったその時、氷を纏った剣を持ったミカが飛び込んできた。テオに襲いかかろうとしていた刃は撃ち落とされた。

 続けて少し遠くから発せられた爆破が風を裂き、老婆の姿を顕した。ミカが振るった氷の剣からは凄まじい冷気が飛ぶ。後方からさらにカーヤの魔法が飛んだ。顔だけ老婆の巨大な鳥は、みるみるうちに凍っていく。

「まさか自分が凍らされるなんて、夢にも思っていなかったでしょう……ね!」

 大きく振りかぶられた剣が凍った魔物を真っ二つに引き裂いた。断末魔が森に響き渡り、いつのまにか風は凪いでいた。

 気を失っているエリーの横でテオは呆然と膝をついていた。血は彼女の肢体を醜く濡らしていて、血だまりを作っている。

 カーヤがエリーを抱き上げて介抱する。その様子をただ呆然と見ていた。何が、起きたのだろう。

 そこに倒れていたのは一番大事な人だった。兄になると決めて、ずっと全ての一番と考えてきた少女。あの日全てを失った、守るべき人。

 随分昔にそう決めたはずだった。彼女と出会ってからずっと、そのためだけに生きてきた。

 彼女の正体を隠して実の妹として接すること、家族として暮らすことでその目的を果たし続けてきた。

 けれど、今はもう違うのだ。

 エリーは即位して王になった。育ちが特殊な彼女は今はまだ彼女は国の政治を行うわけではないが、代わりに破魔の力をもって国を守る大役を請け負った。

 その力を発揮できるのは自分だと言うのに。

 俺は何をしているのだろうか。旅に出てからと言うもの、悪きものが世界に放った魔物には幾度か遭遇した。うまくやれてると思っていた。しかし、それは思い違いだったのだ。

 相手に致命傷を与えたと思った攻撃も、ミカやカーヤの助けがあってのことだった。お膳立てしてもらった攻撃が効かないはずがない。

「……なにも」

「テオ?」

「俺、なにも……何にもできなかった。ただミカやカーヤに助けられて、それでなんとか今までやってこれただけなんだ。そしてエリーに、怪我させた」

 皆がテオの言葉を静かに聞いていた。カーヤの魔法で意識を取り戻したエリーの目が開かれる。

「おにい、ちゃん」

「エリー……」

 星屑の髪の少女の表情は儚げだ。まるで今にも消えてしまいそうなその頬にそっと触れる。彼女の顔についた血にひとすじ、テオの目から雫が溢れて薄めていった。

「強く……なりたい。俺、剣のことも魔法のこともほとんどわからない。見様見真似で習得して、それでなんでもできる気になってた。でも本当は、違ったんだ」

 青年は立ち上がると深く頭を下げた。少女と男は顔を見合わせる。

「ミカ、カーヤ、お願いだ。俺に戦う術を、教えてくれ」

「その言葉を、待っていましたよ」

 ミヒャエルはそう言って、端正な口の端を引いたのだった。

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