森奥の館
それから数日後、川のほとりの宿屋で補給を済ませた一行は砦に向けて出立していた。しとしとと雨が降り注ぐ森。雨の雫が葉の隙間から落ちて金髪の男の鼻を濡らす。
「わ、つめた! ついに下まで垂れてきたよ」
「そろそろどこか雨宿りできるとこを見つけないと。洞窟でもあればいいんだけどな〜」
「確かにそうですね。エルネスティーネ様の体が冷えてしまいます」
「私はだいじょうぶ! でもエクシアも歩くにくそうだし、早くこの森を抜けたいわね……」
エリーは隣をゆっくりと歩く栗毛の馬の毛並みを撫でると目を細める。馬をおりてまで心配する様子は優しい彼女の心の現れだ。
雨は数刻前から降り始め、なかなか降り止む気配はない。鬱蒼と茂る森の木々のおかげであまり雨を被らずには済んでいるが、それがいつまでもつかはわからない。木の根が多い森は足場も悪く、旅慣れてきたとはいえ皆に疲れの色が見え始めている。
「え!」
「なに?」
「しー!」
カーヤは突然かがみ込むとテオの服を引っ張った。つられて他の二人も木の影に身を潜める。
「なんですか一体」
「あれだよあれ……!」
指差した先にそれはいた。白銀の鎧を纏った騎士が、馬に乗ってゆっくりと闊歩している。
「リーヒテンケの兵士ではないですね。でもなんで隠れたんですか」
「こんなところをひとりで歩いてる騎士なんて絶対おかしいでしょ。関わり合いにならないのが一番だよ。なんか鎧もぎんぎらで気持ち悪いし」
「なんか個人的な感想が混ざってるな……でも確かに関わり合いにはならないほうが良さそうだ。このままやり過ごそう」
騎士は腰に大きな斧を一本凪いでいた。それ以外に装備はない。見回り中といったほうが相応しい出立だ。
馬の足音が一歩、また一歩と近づいてくる。すぐ近くでいななきが響いた。
その直後、声のようなものが聞こえた。兜をかぶっているからか、くぐもっていてよく聞き取れない。
しばらくすると声は聞こえなくなった。ざっざっと足音が遠ざかっていき、やがて雨音だけになった。
「……行ったかな?」
「もう音は聞こえないようだけれど……」
そのとき、けたたましいニワトリの鳴き声に似た音が森の中に鳴り響いた。
「何!? こわ!」
カーヤは飛び上がったがミヒャエルは神妙な顔で騎士が消えていった先を見つめていた。
「なに、ミカ?」
「いえ、なんでもありません。早めにここを離れましょう」
ミカは立ち上がると馬の方向を変えて歩き出した。雨はまだ降り止みそうにない。ぽたぽたと落ちる雫が彼らの体を濡らし始めたのはそのすぐ後のことだった。
一向に止まない雨。木々の葉では支えきれなかった水が降り注ぐ。稲光が空を照らし、雷鳴が轟いた。
「きゃあ!」
エリーは耳を塞ぐとテオの背後に隠れる。
「大丈夫だよエリー、雷なんて滅多に当たらないよ」
「で、でも……」
「そうそう、まあ落ちるとしてもテオかミカにだし〜」
「物騒なことを言わないでください。でも確かにそろそろ本気で雨を凌ぎたいですね。こんなに足場が悪いとテントも張れないですし」
「そうだね……。あ、あれ!」
「今度は何?」
カーヤの指差した先には大きめの洋館が立っていた。こんな森の奥深くに唐突だがそれは紛れもなく人の建てたものだ。一同は安堵の声を漏らす。
「これでようやく一息つけるよ! なんならついでに泊めてもらおうよ!」
「あなたは楽観的ですね……まあ、雨宿りには賛成です」
舗装のされていない森の中を洋館に向かって進んでいく。近づいていくにつれて大きな枯れた木が見えてきた。葉のついていない枝が少しばかり人の形のように見える。
「なんか気味悪いね……ま、でも人いるでしょ。早く行こ!」
カーヤは一番乗りで洋館に辿り着くと玄関ポーチの屋根の下で濡れ切った服の裾を絞る。
「これで暖炉にでも当たれたら最高なんだけどな」
「それはすこしばかり欲張りすぎでは?」
「まぁまぁものはためし! すみませーん! 雨宿りさせて欲しいんですけどー」
「そんな直球で行くか」
「でもカーヤは正しいわお兄ちゃん。お願いするのが一番だよ」
「うっ俺の妹の正論が眩しい」
「ちょっと、私の時は文句言おうとしてたでしょ」
「なんのこと?」
「……とはいえ、返事はありませんね」
「中にだれもいないのかな?」
その時、館の錆びついた扉が手前に少しだけひらいた。飛び上がったエリーをカーヤが宥めて中を覗く。
「建て付け悪いし錆びてるし。もしかしたらもう誰も住んでないのかも。夜までに森を抜けるのは無理だし、使わせてもらおうよ」
「さすがに賛成。入らせてもらおう」
テオが開いた扉はぎぎぎと大きな音を立てて開く。中に一歩入ると埃っぽい空気が舞った。
「これは本当に誰もいなさそうですね。どこかひとやすみできそうな場所を探しましょう」 ミカは扉をゆっくりと閉めると濡れ切った上着を脱ぐ。雨の雫が垂れてひかれていた絨毯を
濡らしていく。
その時、館の奥の方で物音が響いた。
「今テオ、なんか喋った?」
「いや、何も。カーヤこそ……」
「お、お兄ちゃん……!」
エリーがテオの服の裾を掴んで彼の後方を指差す。
──そこには、赤い鎧を身に纏った、首のない騎士が立っていた。
「わーーー!」
「でた!」
三人の悲鳴が館中に響き渡る。その瞬間、館中の明かりが一斉に灯った。
「仕掛け魔法ですか! みなさん一旦退きますよ!」
騎士が大きく剣を振りかぶり、ミカのその言葉を聞く前に皆駆け出していた。結局館の扉に向かったものは、一人も居らず、全員が館の中に逃げていったのだった。
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