第二章 破魔の力

旅立ち

 一つに括った髪を揺らして、少女は足をキビキビと動かして歩いていく。快活な声が後ろに飛んだ。

「それでこの四人ね〜! ねぇ、これって運命じゃない? イェルクと戦った時もこの四人だったし」

「カーヤは無理やりついてきたようなものですよ」

 カーヤの声と裏腹に返した男の声は落ち着いていて、半ば呆れの足が伴っている。しかしミヒャエルのそんな反応は彼女には通じない。

「細かいことは気にしない! っていうか男二人にエリーを任せられないわよ! ね、エリー!」

「えっああ……私もカーヤがいた方が嬉しいけれど……」

 急に話を振られた少女は半ば困り気味に眉を寄せて微笑んだ。エリーの口からでたのは本心だが、代わりにミヒャエルがため息をつく。

「エルネスティーネ様、カーヤの言葉にいちいち頷いていたら身が持ちませんよ」

「何よそれ! 別に無茶振りとかしてないし!」

「あはは……」

 さっきからずっとこんな調子だ。この四人でいるときはおそらくずっとこの調子だろうと諦めたテオは城で用意した地図を広げて現在地と目的地を見比べる。

「それで、目的地まではだいぶ先だよね。俺旅とかしたことないんだけど……」

「それは大丈夫です。私もカーヤも野営経験は豊富です。エルネスティーネ様に不便な思いをさせるつもりはありません」

「俺は? 含まれてなくない?」

「……」

「ミヒャエル?」

「そのぐらいは慣れていただいて」

「扱いの差」

 当たり前だろうと言わんばかりの彼のじとっとした視線にテオは項垂れた。


 四人が連れ立って広い平原を歩いているのには理由があった。それは塔が出現してからすぐのこと。権力を失ったゲープハルトを投獄したのちに開いた今後の方針を決める会議が発端だ。とある辺境の伯爵がテオが扱った剣について言及したことがきっかけだった。

「その剣は他の者が触れても光らないようです。これには何か理由があるのでしょうか?」

 それには即位したばかりのエルネスティーネが答える。彼女の鈴のように美しい声が響く。

「私も、見ました。かつての剣士達が何度も繰り返しあの闇のより出し悪しきものを封印してきた光景を。今回私たち二人が選ばれたということも、それで理解しました」

「なるほど……ではこの男があの異形を打ち倒す剣士だと……」

 城の重鎮は何処の馬の骨とも知らないぽっと出の男が、剣に選ばれたということを不思議に思っているようだった。訝しむ者がいるのも無理はない、と思う。けれど、剣に選ばれたのは私の兄なのだ、とエリーは続ける。

「ここにいる者は皆あの異形が彼を剣士と呼んだことを見ていたはずです。そしてその力がこの城からあれを遠ざけたことも」

 女王が続けたことで周りが静かになり、テオは立ち上がって一歩前に出た。

「あれは魔王。ザルブザジーレンって言うんだ」

「けれど、あなたがあれを退けてくれた。これで安心ですよね?」

 楽観的な男の言葉に、テオは首を振る。彼の虹色の瞳が少し暗い色を帯びた。

「あの時、剣はまだ完全ではなかった。だから城から追い出すしかできなかったんだ」

「完全ではないというのは?」

「……それはまだ剣が仮の姿だから」

 次はエリーが立ち上がる。注目の視線に、彼女は頷く。

「光の剣を真の姿にするためには王家の血筋の力が必要です。破魔の泉での儀式を持って、剣は真の姿を得ることができるのです」

「破魔の泉……伝承に出てくるようなものですか? 北の果て、スタイル山の頂上にあるという神殿の……」

「そうです、そこに私とテオが行って……」

「姫さ……女王陛下をそんな北の果てに行かせる訳には行きません!」

 異議を唱えたのはミヒャエルだ。前のめりに机に手をついた彼は、ごほんと先払いをすると姿勢を正す。

「魔物が闊歩している今、そんな長旅に出るなど危険すぎます」

「で、でもミカ。国のみんなが……いいえ、この世界のみんなが安心して暮らすためには私が行かなければならないわ」

 エリーの瞳は真剣だった。それはむしろ止められても行くという意思を宿しており、その光がミヒャエルを真っ直ぐ見ていた。

「……あなたは昔から頑なでしたね。亡き王妃様への贈り物に花を用意しようと言った時、私が代わりに行くと言いましたのに自分で行くと聞かずに……」

「! それは昔の話でしょう! だから、ミカもついてきて。……それでいいでしょう?」

「……仰せのままに、陛下」

 一瞬逡巡したが、素直に傅くミヒャエルを差し置いて朱色の髪の少女も手を挙げる。

「えっそれならあたしも行くー! 魔導士が必要でしょ?」

 そうして旅の仲間が決まったのだった。




 かくして一向は風の吹き荒ぶ平原を進んでいく。ひとまずの目的はとある川のほとりにある宿屋だ。

「それで、つまみ食いしようとしたらすんごい怒られて! でもそのあと内緒だよって言って余り物のお菓子分けてくれたの」

「食い意地張りすぎだろ。……でも、いい人なんだな」

「うん……」

 カーヤは料理長に懐いているようだった。彼の処遇はまだ決まっていないが、先代王暗殺の実行犯ということは実刑は免れない。ミヒャエルは肩ほどの長さの髪を後ろに流すと馬の手綱を持ち直す。

「彼はわかっていて話してくれたのです。……割り切りなさい」

「でも……」

 カーヤの落ち込んでいた顔が不意に驚愕の表情に変わり、テオを突き飛ばす。その場所に鋭い刃が飛んでいった。落胆の声を上げたのは耳が長くて背が小さい生き物だ。それらは五匹ほどで四人と馬を取り囲んでいた。

「っ……蛮族ですか。めぼしい荷物はそんなにないのにご大層なことです。カーヤ、大丈夫ですか」

「カーヤよりも俺が怪我した」

「ご、ごめん焦ってたから!」

 一際小さい一匹が威嚇の声を上げ、それを皮切りに他の個体が一斉に雄叫びを上げた。どうやら彼らは固有の音で会話をしているらしい。彼らは囲んでいた輪をジリジリと狭めていく。

「このままいけば奴らの思い通りだ。突っ込むぞ!」

 駆け出した青年の光る剣が蛮族に向かって振り下ろされたが、それは易々とナイフによって弾かれる。手にじんとした痺れが走って怯んでいると次の攻撃が迫った。それを吹き飛ばしたのは炎を纏った矢の一撃だった。

「何やってんのバカ!」

 カーヤは文句を飛ばしながら他の個体に向けて氷を飛ばす。その後ろからテオに守りの魔法をかけた者がいた。

「陛下! ご自分の身をお守りください!」

「私だけ守られるわけにはいかないわ!」

 ミカは不服な顔のまま目の前の蛮族の首を叩き切る。ゴロンと転がり落ちたそれは絶命しているが、恨めしそうにこちらを睨んでいるように見える。

 ばちんと何かが弾ける音がしてテオの剣が飛んだ。蛮族が巨大な棍棒を振るったのだ。再び雄叫びを上げたそれはテオを胸ぐらを掴み上げた。

 足が浮く。息が苦しい。蛮族は首にかかっていた鋭い牙を突き刺そうとしていた。

 こ、殺される……。

 諦めかけたその時、蛮族の姿が縦に割れる。地面に倒れ込んだテオは急に戻ってきた空気に咳き込む。蛮族の血潮に濡れた剣を払ったのはミヒャエルだった。

「助かったよ。ありがとう……」

「護衛が任務ですから」

 テオは差し出された手を取ると立ち上がる。ミヒャエルのそれは端正な顔立ちとは裏腹に骨ばっていてとても力強い。テオは自分の柔らかい手を見て首を傾げる。

「どうかしたのですか?」

「いや、なんでもないよ。先を急ごう」

 彼らの旅はまだ、始まったばかりだ。




「ミカとエリーはいつから一緒にいたの?」

 野営の焚き火を囲むカーヤは大きな鍋で作ったスープをよそうとエリーに手渡す。寒さで少し赤くなった顔のエリーは器で暖を取ると口を開いた。

「生まれた時からだよ」

「私は元々王妃様付きの兵士でしたので。エルネスティーネ様が生まれた時も、その場に控え

 ておりました」

「ねぇ小さい頃のエリーってどんなだった? やっぱり可愛かった?」

「え、それ俺も聞きたい」

「それはそれは天使のように愛らしかったですよ。ですがそんな器量に反してかなりのお転婆でした」

「ミカ?」

「急にいなくなったかと思ったら別部屋の兵士に話しかけて困らせたり、厨房に行っては手伝うと言って料理を焦がしてみたり……」

「あ、うちにいた時と変わんないんだ。よく手伝いをしてくれるんだけど変なところで転んだり……」

「お兄ちゃん?」

 エリーは口を尖らせて拗ねている。

「続けると怒られるよ、ミカ」

「なんであなたもその呼び方なんですか。まぁいいですが……。それで、今後の道筋ですが、みなさん把握してますか?」

「んー、目的地は神殿でしょ? ま、とりあえずは平原の宿屋が目的だけどそのあとは途中の砦で補給するのが一番だよ」

「砦?」

「うん。城の管轄だよ。あたしの先輩がそこで働いてる。ちょっと変わった人なんだけどね。ミカはよく知ってるでしょ?」

「知っているというかなんというか……私はあのかた、得意じゃありません」

「ミカでも仲良くなれない人がいるの?」

「……たくさんいますよ」

 テオはまだミカとは短い時間しか過ごしていない。しかし彼が一番気にかけているのは紛れもなくエリーで、それは他の者には向かない。そればかりか彼女を害そうとするもの全てにその殺意が向くことをテオは理解していた。それはあまりにも自分に似ていたからだ。エリーにはそんなに人を惹きつける特殊な力があるのだろうか、いや、これはおそらく家族のような親愛の情だ。

「関係ないけどこのスープうまいな」

「でしょ! さっき取った野うさぎを煮込んだんだよー」

「本当は陛下にこんなもの食べさせるつもりはなかったのですが……」

「ちょっと!」

「ミカ、こんな旅の道中なんだから温かいものを食べられるだけでもありがたいわ。それにカーヤが作ってくれたこのスープはとっても美味しいもの」

「さすがエリーは言うことが違う!」

「陛下がいいと言うならいいのですが……味がいいのは間違いないですしね」

「美味しいなら素直に褒める!」

「美味しいです」

「よくできましたー」

「なんだこの会話。……食い終わったら寝ようか。見張りとかは……」

「はいはーい、あたし先にするよ。途中でミカと交代するから、とりあえず今日は二人ともゆっくり休んでて」

「そうですね、旅は始まったばかりですし。これから一年近くの旅程になるのですから」

「まって、初耳なんだけど」

「冬は旅を続けられませんよ。言ってませんでしたっけ?」

 テオの蛙を潰したような声が焚き火の周りに響いて消えた。

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