断罪と戴冠

 街外れの小さな宿屋には小さな灯りしか灯っていない。巻き込まれた少女を両親の元に返し、そこに身を寄せた皆は各々今後の方針について考えていた。

 ノックの音。それは五回続いて特殊なリズムを刻む。

「俺の好きな食べ物」

「……ローストしたズランビッツ」

「はいよ」

 入ってきた黒髪の男は少し不機嫌そうだ。

「なんで中にいる人の好きな食べ物になんか……」

「一番バレないでしょ! 中にいる人によって合言葉も変わるし」

 発案者の少女は嬉しそうに微笑む。ため息をついたミヒャエルはごほんと咳払いをすると口を開く。

「確かにそうですが……。いい報告があります。大臣──ゲープハルトは来たる暁月の日、戴冠の儀を行うそうです」

「それのどこがいい報告なの? あのクズが王族として迎えられるってこと? 最悪じゃない」

「少しは口を慎みなさいカーヤ。もちろんあの下賎な男が王族になるなんて事は到底あってはならない事です。しかし、その場には国の重鎮が全て集まります。ですからそこで、姫様が姿を現し、真実を告げるのです。そのままそこで即位してもらいます」

「自分も悪口言ってるじゃん……。ま、いっか。確かにそれなら効率いいし」

「で、でも。私が本当の姫だなんて誰も信じてくれないかも……」

「エリーには溢れ出る姫オーラがあるから大丈夫だよ」

「なんだそれ、たしかにエリーはお姫様みたいに可愛いけど」

「ふ、ふざけないでよ二人とも」

 顔を真っ赤にしたエリーはやはり愛らしい。和気藹々としている三人を横目にミカの冷静な声が飛ぶ。

「確かに姫様は誰が見ても見惚れてしまうように、気品が溢れ出るほどお美しくなられました。けれどそれだけでは証明のしようがない。本来、王家の血を引いた者には必ず胸元に王家の紋章が現れるのですが……」

 エリーは自分の胸元に目をやる。しかし、そこにはやわらかい肌が見えるだけで、紋章のようなものは見当たらなかった。

「んー、今はないみたいだね。でも、記憶を強制的に戻された時、綺麗な光と一緒に紋章が見えた! と、思う。なんで今は出てないんだろ」

「私にもわかりませんが……。おそらく今の姫様は完全に力が戻っていないのだと思います。王家に伝わるのは破魔の力。かつての王妃様は特にその力が強く、その身ひとつでこの国全体を魔物たちからお守りくださっていました」

「なるほど、だから大臣が実権を握った後、魔物に襲われる事件が多くなったのか……」

「そうだったの……お母様……」

「貴女のお母様はそれはそれは素敵な方でしたよ。とにかく、戴冠式の乗っ取りに関して、一案があります」





 ──話始めたミヒャエルの計画は、至極単純なものだった。

「塵芥よ!」

 砂塵が舞って視界が防がれる。それも長くは及ばない。突風が吹き、砂埃は掻き消える。

「もしかしてなんだけどミカって脳筋? 全然裏道じゃないんだけど!」

 カーヤの嘆きは敵には通用しない。耳の横を斬撃が走って壁につき刺さる。矢をつがえる暇はない。近距離で電撃の球を作り、切り掛かってきた男にぶつけると男の意識が飛ぶ。

「ていうかどこいったのよあの馬鹿! 私たちだけで玉座の間に行けとか無理難題すぎ!」

「きっと何か考えがあるんだ! ここまできたら信じるしかない!」

 切り掛かってきた兵士の剣をテオの剣が切り上げる。金属音が鳴って兵士の剣が飛んだ。

「悪いけど前に進むしかないんだ! エリー!」

 エリーの飛ばした捕縛の魔法が兵士二人の足を結ぶ。前につんのめった二人は倒れて身動きが取れない。

「ごめんなさい!」

 三人は駆けていく。行手に荘厳な扉が見えてきた。おそらくあれが玉座の間だろう。

「ところで俺たち正面から向かおうとしてるけどほんとにいいのかな!」

「知らない知らない! もうどうにでもなれ!」

 カーヤは矢をつがえると魔力を込める。それは硬い岩となって扉に向かって飛んで行く。派手な音がして僅かに扉が開いた。

「滑り込むよ! エリー、いける?」

「た、多分!」

「俺が先に行く!」

 エリーの手を取ったのはテオだ。彼はそのまま扉の隙間をするりと交わすと、玉座の間へと躍り出た。


 そこにいたのは、今まさに王冠を戴こうとしている。大臣の姿だった。

「ゲープハルト!」

「おや? 邪魔な子ねずみどもが迷い込んでいるようだな? これは何事だ?」下品な笑みを浮かべた男はエリーの姿を見とめると目を細める。

「うわー、見るからに悪そうなやつって言葉遣いも最悪だよね。この美少女たちを見て子ねずみって」

「それカーヤも含まれてないか?」

「間違ってないわよ! シスコン!」

「うるさいガキどもだ。式の途中だ。さっさと邪魔者は始末しろ」

「そうですね、邪魔者は始末しましょう」

「ミカ!」

 ミヒャエルは兵士の衣を身に纏って現れた。その剣先はテオに向けられている。

「ミヒャエル、お前! エリーの味方だって!」

「私はずっと、ゲープハルト様の命令であなたたちを追っていたのです。ここにおびき寄せるために味方のふりをしていました」

「は、ははは! まんまと騙されたようだなガキども。世の中そんなに甘くはないのだよ!」ゲープハルトの醜悪な顔が勝ち誇った表情を伴うことでより醜悪になる。その劣悪な笑いを止めたのはミヒャエルの一言だ。

「ふ。少し冗談が過ぎましたね」

「っ……何を」

 ミヒャエルがテオに向けていた剣の鋒はそのままゲープハルトの首元にかかっていた。赤い筋が男の短い首を伝う。

「邪魔者は貴方ですよゲープハルト。貴様のような醜悪な人間は、この場に立つ資格すらありません」

 ゲープハルトの顔はみるみるうちに紅潮していく。先ほどまでの笑いはどこへ行ったか、冷や汗が滲み出て首筋の血と混ざる。

「いったい何を言っているんだ。お前、自分が何をしているのかわかっているのか!」

「ええ、深く理解しておりますとも。私はこの時のために十三年間もの間、貴方に仕えるふりをしてきたのです。どれだけ我慢を強いられたことか」

「っ……誰か! 誰かこの裏切り者を捕えろ! 早くしろ!」

 ゲープハルトの喚く声に応えるものはいなかった。皆がお互いを見やり、沈黙を保っている。

「私も捕えるものはいないようですね。それでは私から皆さんに質問しましょう。この男の戴冠に反対するものは?」

「はい! はいはい! 反対反対!」

 真っ先に手を挙げたカーヤにミヒャエルはため息をつく。他に動きはない……と思われたその時、手を挙げるものがいた。

 それは初老の男で、辺境の小さな領地を収める男だった。彼の挙手に続いて他の参列者も次々と手を上げていく。

「……! こんなことをしてなんになる! どうせこいつらも金で雇われたゴミだ! こんな奴らの信任が降りなくても私の戴冠は確実……」

「前国王夫妻の暗殺。この事実があってもですか?」

「な、なんの話だ」

 玉座の間に、ミヒャエルの大きなため息が響いた。

「エグモント、話してくれますか」

 いつからいたのか、戴冠の儀には相応しくない出立の男が玉座の間の端に隠れるようにして

 立っていた。彼はびくりと体を震わせると、体を縮こまらせながら部屋の中央へと歩み寄る。

「私はこの王城でコック長を務めているエグモントと言います」

 彼の手は震えていた。落ち着かせるように拳を握りしめると、再び口を開く。

「十三年前のあの日……国王夫妻の飲む酒に毒を入れたのは、当時まだ見習いのコックだった私でございます」

 場内にどよめきが走る。

「国王夫妻が殺された後、犯人は二日ほどで見つかりました。それは城下でも時折騒ぎを起こしていたごろつきで、捕縛されたのちすぐに処刑が決まったのです。そして、そのごろつきが犯人だと断定したのは、ゲープハルト、あなたでしたね」

「そ、そうだ! 私があのクズを処刑したのだ! 私は国王暗殺の犯人を断罪した、いわば正義の立役者だ」

「そのごろつきが、街で変わった風貌の男たちに誘拐されたのをみた、という証言があるとしたら?」

「は?」

「あの日。全てが変わってしまったあの日。私は決意しました。必ず我が主君を殺したものを見つけ出すと。それが、私にとっての贖罪で、唯一の生きる目的でした。しかし、犯人はすぐに見つかった。だが彼は現行犯ではなかった。ではどうやって貴方が彼を犯人だと断定したのか……おかしいと思いました。だから調べたのです。彼は確かに素行が悪い人間でした。しかし、人を……ましてや国王夫妻をわざわざ手にかけるような人間ではなかったようですよ」

「何を……」

「そのごろつきは、ただの被害者です。なぜ国王暗殺の罪を着せられて処刑されなければならなかったのか。その答えはさきほどのエグモントの証言と、ここにある書面の中にあります」

 ミヒャエルは小さな書簡をマントのうちから取り出すと、テオに投げつけた。疑問符で埋め尽くされた彼に、読み上げて下さい、とミカの声がかかる。テオはその書簡を広げた。

「……リーヒテンケの西北部、エティケ鉱山の銀鉱採掘権の一部を、無償でライムント卿に譲り渡す?」

「エティケ鉱山の採掘権は王家の所有する権利でした。それを無償で受け渡すなんてことあるでしょうか? そういった不可思議な譲渡を受けた貴族たちは他にもいくつかいましたが、このライムント卿にたどり着いたとき、私は確信しました。彼の領土には北西の辺境でひっそりと暮らす少数民族がいます。〈彼らを使って犯人に仕立て上げるための人間を拐わせたのだ〉と。いい思いつきですよ。バレたとしても城の関係者だとは誰も思わない。けれど道筋はわかってしまった。……この中にもその協力をさせられた者は多いでしょう。しかし皆、口を揃えて『大臣に命じられ協力したら、国王暗殺に手を貸したと脅された。口止めに採掘権を押し付けられた』と言うのです」

 一番初めに不信任の手を挙げた男を筆頭に、何人かが俯く。

 そして明らかにゲープハルトの顔色は良くなかった。彼はギリギリと奥歯を噛み締めながらミヒャエルを睨みつけている。

「それからエグモントに辿り着くのは簡単なことでした。不自然な譲渡の証拠からたどるうちに有名な薬師の家系に辿り着きました。そんなところにいきついたなら暗殺の方法は一つしかない。毒です」

「どのように仕込んだのかが問題でした。毒殺だといっても証拠がなければどうしようもない。けれどその日、前国王陛下が葡萄酒を飲むとおっしゃられていたことを思い出したのです。毒を入れた犯人を探すのが大変でしたが……エグモントは私が聞き込みをしているのを察して自ら声を上げてくださったのです」

「ずっと……ずっと悔やんでいたのです。あの時貴方に逆らって、殺されたとしても従うべきではなかったと」

「その後、王に献上される酒全てに同じ毒が入っていたことがわかりました。……時間が経つと消えるものにするべきでしたね。さて、貴方にお見せしたいものがもう一つあります。……姫様」

「姫様?」

 ゲープハルトの断罪を聴き続けていた者たちは再びざわめきに包まれる。



 その視線の先には、星屑の髪を纏った少女が立っていた。

 藤色の瞳は大臣をまっすぐ見つめている。自らの親の仇を目の前にして、彼女は身じろぎもしない。

「私は十三年前、この男の謀略によって父上と母上を亡くしました。まだ幼かった私を城から逃がしてくれたのはミヒャエルで……私はずっと記憶を無くして……」

「姫様は記憶が戻られる前からこの国の惨状を憂いておりました。亡き王妃様のような美しい心を持ったエルネスティーネ王女こそ、この国の冠を戴くに相応しいと私は考えます」

「ちっ……ここまでか……」

 諦めの声。その声にゲープハルトの首にかけられた剣の力が弱まった。ミヒャエルの肢体が大きく吹き飛ばされ、玉座の間の壁に打ち付けられる。

「こうなればやけだ、皆消えてしまえ!」

 ゲープハルトの手のひらから禍々しい瘴気が漏れ出る。それはドス黒い光となって固まり、そしてエリーめがけて放たれた。

「姫様──!」

 エリーの眼前にそれが到達しようとしたその時、紫色の光が放たれた。それは胸元に王家の紋章を描き、ゲープハルトが放った黒い光を掻き消した。

「私はエルネスティーネ・ナターリエ・エラ・フォン・リーヒテンケ。この国の正統な王位継

 承者でございます!」

 彼女の胸の紋章は消えていなかった。瞳の色と同じその光は見るものを惹きつける代物だ。誰ともなく声が漏れる。

「あの少女が……いいや姫様が皆を守ってくれた!」

「姫様!」

「よくお戻りになられました!」

「姫様! 姫様こそ、この国の王に相応しい!」

 戴冠を、という声が合唱になって玉座の間に響き渡る。ゲープハルトはいつのまにか近くにいたものたちによって捕縛されて項垂れていた。

 ミヒャエルは玉座の壇前に立つと自らの剣を抜き胸元で構える。

「これより、前国王リーンハルトの娘、エルネスティーネ王女殿下の戴冠式を行う! この場で意義のあるものは!」

 手は、一つも上がらなかった。

「王女殿下、こちらへ」

 エリーはミヒャエルに手を取られて玉座の壇上に上がる。彼女が跪くと、場内の皆も跪いた。呆けていたテオをカーヤがこづいて、彼も跪く。

 儀式の途中だった彼らの準備は万端だ。儀式長の男が王冠を手に取ると、跪いたエリーの頭に被せる。彼女の小さな頭には少し大き過ぎるそれはしかし、彼女がいまこの時リーヒテンケ王国の女王となったことを証明していた。

「陛下。お言葉を」

 背筋をぴんと張った少女は玉座の前に立つと城内を見渡した。そこにいるのは国内の重鎮の数々だ。しかしその面々に彼女はほとんど会ったことがなかった。

「先ほどは無礼な名乗りをあげ、申し訳ありませんでした。私はエルネスティーネ・ナターリエ・エラ・フォン・リーヒテンケ。ただいまこの冠を戴きました、この国の王にございます。しかし私は、この国のことをほとんど知りません。私が記憶を失っていたあいだ、そこにいるテオドールは私のことを本当の妹のように守り続けてくれました。彼のお祖父様のもとで、私は慎ましく優しい時間を過ごしました。それを続けるだけで良かった。その穏やかな安息が私に取ってはとても尊いものだったのです。けれど、記憶が戻ってからさまざまな事象を経るにおいて、この国にはそんな安息があまりないことを知りました。飢えて動けない子供が道端に倒れている国で、人々は幸福に暮らしていくことはできるでしょうか? ──否です。私は、この国がそんな不安や飢えがない国にしたい。それが私の願いです」

 皆、彼女の凛と透き通る声を聞いていた。それは純粋な願いで、誰にも汚されることのない高潔な信念だ。今彼女はそれを国を動かす中心の者たちに表明していた。

「愚かな少女の理想、に聞こえるでしょうか。そのとおり私はまだ未熟な小娘です。王たるものに必要な素養も知識も、何も持っていません。ですからここからはみなさまにお願いしたいのです。もし、もし私の考えに、信念に賛同していただけるというのなら。どうかお力添えを、してはいただけませんか。必ずやその期待に応えるべく行動をいたします。私は、そのために王位を継承いたしました」

 エルネスティーネは深く深くお辞儀をした。それは作法を覚えたての幼女のようにたどたどしかったが、彼女が王であろうとしていることを表していた。

 ぽつり、ぽつりと手を叩く音が聞こえた。それはやがて拍手となり、玉座の間を埋め尽くした。


──そのとき、エルネスティーネは皆に認められて王となったのだった。

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