逃走

 いつの間にか、青色の光は収まっていた。

 次の瞬間、別の光がエリーから放たれる。彼女の胸元に記憶の中で見た奇妙な紋章が現れ、みなそれに魅入られてしまった。その紋章が消えたその瞬間、テオが傷の男の元へと走って少女を抱き抱える。

「このガキ!」

 テオの動きは素早かった。少女を後ろに追いやると短剣を抜いて斬り上げ、彼の長剣が一歩遅れてそれを弾いた。傷の男が仲間に向かって叫ぶ。

「カーヤ! ルッツ! さっさとこいつらを捕らえろ! 」

「あいよ!」

 男の指示を聞いたエリーは少女を強く抱きしめた。落としてしまった白い薔薇の花束が土と泥でぐちゃぐちゃになっている。

「待って!」

 予想外の動きをしたのはカーヤと呼ばれた魔導士の女だった。ルッツの前に立ち塞がった彼女は手から生み出した炎を今にも放とうとしている。

「どう言うつもりなの?」

「いや、お前こそどう言うつもり?」

「ルッツ、貴方さっきの記憶を見てなんとも思わなかったの?」

「あ〜なるほどなぁ。前からお前とは合わないと思ってたけど、実は俺、そう言うの一番嫌いなんだわ」

 そう言ってルッツは笑う。彼は素早く彼女に近づくと長剣を振り上げた。カーヤの魔法ではそれは防げない。斬られる、目を閉じた彼女は金属のぶつかる音を聴いて目を開ける。

「なに……が」

 彼女に振り下ろされた剣を止めたのは黒髪の男だった。城の制服を身に纏った彼は明らかに兵士だ。背の高い彼はルッツの剣をいとも容易く凪いでいく。彼は相手の剣を一閃し、弾き飛ばすとルッツに捕縛の魔法をかけた。

「くそ、お前、ミヒャエル、なにしてる!」

 ルッツにミヒャエルと呼ばれた黒髪の男は助けられた礼を言おうとしたカーヤを無視してエリーの元へと歩いていった。そして彼女の前で跪く。

「姫さま、ずっとお探ししておりました。あの時私が貴女の手を離してしまってからずっと。……お迎えが遅くなり大変申し訳ありませんでした。私はミヒャエル、貴女だけに仕える騎士でございます」

「ミカ……。本当にミカなの? 私……」

 記憶を取り戻したエリーと彼は知り合いのようだった。いまだテオと交戦を続けていた傷の男が叫んだ。

「お前……陛下の命に背くことは反逆罪に当たるぞ! いいのか!」

「では申し上げますイェルク様。元より、私は前国王リーンハルト様に仕える身、下賎な国賊なぞの命令を聞く義理はございませぬ!」

 ミヒャエルはそう言って笑った。その爽やかな笑顔にイェルクと呼ばれた傷の男の顔はみるみるうちに怒りの色に染まっていく。

「この罪人が! 必ず捕まえてやる!」

「じゃあ罪人がもう一人増えるわね。仕事増やしてごめんね!」

 怒声に返したのはカーヤだった。彼女はイェルクに向かって目眩しの魔法を放つとテオの手を引いた。ミヒャエルは少女を抱え、エリーの手をとって走り出す。

 ルッツの叫ぶ声だけが、城下町の雑踏の中へとこだまして行った。







「爺ちゃん! カイ爺!」

 追っ手から逃げおおせたテオ達が転がり込んだのはカイの家だった。息も絶え絶えに入ってきた皆を見てカイは目を丸くする。

「一体なんだって言うんじゃ、兵士さんを二人も連れてきて。しかもそんなに小さい女の子まで……」

 少女を安全な場所に置いてくる暇はなかった。一目散に街を出てまず思いついたのがここだ。また人質を取られたりしたらたまらないと思って街から少し離れた丘にあるこの場所を選んだのだ。

 事情を一通り説明するとカイは大きなため息をついた。

「そうか。エリーは全部思い出したのじゃな」

「……」

「テオ。……テオ、こっち向いて。さっきからどうして目を逸らすの」

 あの場から逃げ出してからというもの、テオはエリーのほうを見ようとはしなかった。

 彼女のそのまっすぐな瞳を見てしまったら、何かが終わってしまう。姫であるエルネスティーネの記憶を取り戻した彼女は、もう自分の守るべき妹ではないのだと、そんな事実を突きつけられる気がしていた。

「それは……」

 テオが言い訳しようとした口を閉ざしたのは窓のガラスが割れた音だった。投擲で壊された窓めがけて炎の魔法を纏った矢が飛んでくる。カーヤが水の魔法で打ち消したが、それでは間に合わないほどの矢が放たれ、あっという間にカイの家は火の海に包まれた。

「外に逃げたら相手の思う壺じゃ! 地下室に転移陣を張る!」

 カイの一言で一同は地下室に移動する。カイは地下室につくと杖を地面に一突きし、置いてあった薬調合用の道具を端に追いやり、そのまま慣れた手つきで杖を使って魔法陣を描いていく。

「すごい……城の人間でも何人も一気に転送できる転移陣を作るのは困難なのに……ご老人、あなたは一体」

「はは、わしは街はずれに住んどる変人の爺さんじゃよ。たまに薬を売ったりして暮らしているだけじゃ」

「しかし……」

「よし、できたぞ。みな入れ」

 カイの指示に従って皆が魔法陣の中に入ったその時、地下室の扉が爆破魔法によって破壊された。飛び散った破片をカイは防御魔法で跳ね返す。

「なかなか出てこないと思えば小癪な。素直に殺されてしまえばよいものを」

 入ってきたのはイェルクで、彼はカイを一瞥するとにやりと笑いを浮かべた。

「全く、今日は懐かしい顔によく合う日だな。カイ師匠。こんなところでお会いするとは思ってもおりませんでした」

「誰かと思えばよりによってお前か、イェルク。あのようなことをしたお前をわしはもう弟子とは認めておらん。しかも残念なことに悪の道に染まってしまったようじゃな」

「……あなたはそうやっていつも私を見下していた」

「それは違う。己の弱さを認められないことこそがお前の悪いところだ。私はお前に機会を与えたはずだ。イェルク」

「私は弱くなどない! 業火よ! 燃やし尽くせ!」

 イェルクの表情は怒りに染まっていた。カイは魔法陣に魔法除けを施すと陣の外に一人躍り出た。彼は水の魔法でイェルクの炎を打ち消すと魔法で長剣を作り出してイェルクに斬りかかる。

「カイ爺、何やってるの! 戻って!」

 テオが叫んで魔法陣の外に出ようとすると彼は目に見えない壁に弾かれる。カーヤが彼を抱えて魔法陣の中心に引っ張る。

「魔法陣が発動するの! ……イェルクの攻撃が当たれば転移はうまく行かない! あのおじいさんはあなたたちを逃がすために……危ないから下がって!」

「やだ! カイ爺一人じゃ!」

 尚も外に出ようとするテオを見かねたカーヤは捕縛の魔法をかけた。魔法陣の外の攻防はまだ続いている。電撃を生み出す魔法を撃ちだしたカイはイェルクが動けなくなったのを見て魔法陣の中の皆を振り向いた。

「エルネスティーネ、よく聞け、お前さんはこの国の正当な王位継承者じゃ。今の代理王なんかよりずっと王にふさわしい資質を持った立派な女性に育った。……誕生日おめでとう、エリー。十三年前お前さんがここに転がり込んできたときからずっとお前さんはわしの家族じゃ。テオを……どうかよろしくな」

「おじいちゃん……」

「嫌だ、何言ってるんだカイ爺!」

「馬鹿者! お前はエリーの兄だろう!」

 捕縛の魔法を解き魔法陣を破壊しようとしたテオを見て、カイの怒声が飛んだ。もうイェルクは立ち上がっていて、再び炎の魔法の詠唱をしようとしていた。

 崩れ落ちたテオの手をエリーが握った。彼女の目からは涙が流れている。

「大丈夫じゃ、お前たちはもうわしがいなくても生きていける。行け!」

「カイ爺──────!」

 イェルクによって生み出された魔法で全てが獄炎に葬られそうになったその時、転移陣の白い光が彼らを包みこんでいったのであった──。

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