第16話 柊木ミルカとミルフィーノ・コーデリオン2




 ボロアパートから少し離れた場所にある路地裏ろじうらで、ミルフィーノは仰向あおむけに倒れていた。


 第一発見者は私。路地裏ろじうらから一発の銃声じゅうせいが鳴り響き、たまたまその近くを通っていた私が彼女の死体を発見した。


 ミルフィーノの小さな頭は撃ち放たれた銃弾によって半分以上が潰れてしまっていて、中から脳みそを吹き出して大量の血が流れていた。


 あんなに真っ白で綺麗だったワンピースは、血溜まりにかって赤く汚れてしまっていた。


「これは自殺だろうね」


 銃声を聞きつけてやってきたミナトが、ミルフィーノの死体を観察してそう言った。


「この顔どこかで見たことあるね。たしか、そう、管理人の一人だ。この銃も管理人用だし。間違いないね」


「どうして……。なんで」


 私は両手で頭を抱えながら、ぴくりとも動いてくれないミルフィーノに話しかけた。


「友達に、なれたのに。ちゃんと、まだ話したいこと、いっぱいあったのに、おかしいよ、こんなの。どうして、なの……」


「ミルカ……?」


 混乱する私を見て、ミナトは首を傾げる。


「友達だったの?」


 私は涙を流しながら、ゆっくりと頷いた。


「あんなに、笑ってくれたのに……。手を繋いで一緒に、いっぱい……」


 私は覚束おぼつかない足取りで、ミルフィーノの死体に近付いった。まだかわき切っていない血溜まりに突っ込んで、両足に大量の血が付着する。


 ねばっとした血の感触と、ミルフィーノの潰れた頭を見つめて、私は今までにない吐き気をもよおした。


「見ない方がいい」


 嘔吐おうとしそうになる私の前に、ミナトが立ち塞がった。私の視界をさえぎって、ミルフィーノの死体を見えなくしてくれる。


 私は顔をミナトのふところに押し当てると、くぐもった声をあげた。


「どうして、自殺なんか」


「多分、エボルシックを発症したからだよ」


「え?」


 私は顔を上げて、ミナトと間近で見つめ合った。ミナトは気まずそうに目を逸らしながら、私に告げた。


「さっき偶然見えたんだけど、あの人の脇腹、少しだけ異形化してたんだ。まだ初期の段階だった」


「エボルシック? なんで、どういうこと。そんなはず」


「発症して間もない奴が収容所に来て自殺するなんてのは、よくあることなんだよ。この人がエボルシックの異形化の際の痛みに耐え切れなかったのか、エボルシックを発症した現実に耐え切れなかったのか、どっちなのかは分からないけどね」


「ミルちゃんが、エボルシックに……? 管理人さんが、なんで」


「エボルシックはそういう病気だよ。老若男女ろうにゃくなんにょ問わず、人間なら不平等に誰だってなる可能性はある。管理人だって、運が悪けりゃ発症するさ」


 私は足の力が抜けて、ミナトの隊服を両手で引っ張りながらその場から崩れ落ちた。ミナトは一人で立てなくなった私を抱き上げると、何も言わずに私の頭をでた。


 私は血溜まりの地面を見つめながら、以前のミルフィーノの様子を振り返った。


 ――えぇ、まあ。私にはもう、必要ないので。

 ――今日は、非番なんです。

 ――遅いんですっ! もう無理なんです! 何もかも……っ。

 ――それだけで、私は報われた気がするの。これ以上の幸せは、もういらない。本当に、報われた。

 ―­―さようなら。


 思えば不審な点はいくつもあった。エボルシックを発症したというなら、色々と合点がてんがいくこともある。


「……気付けなかった」


「これは俺の単なる推測だ。本当かどうかは分からない。本人しかね」


「もう聞けない」


「そうだね」


 私は再びミナトのふところを顔を押し当てると、「あぁァァァァァァ!」と思い切り泣き叫んだ。


 どうして私は馬鹿ばか間抜まぬけでおろか者なんだろうか。友達なのに、何も気付いてあげられなかった。


 情けなくて悔しくて悲しくて、涙が止まらない。


 ミナトのふところで感情のおもむくままに泣きじゃくっていると、やがて後ろから複数の足音が聞こえてきた。


 振り向くと、いつの間にか目の前に黒スーツ姿の集団が立っていて、私達の周りを取り囲んでいた。


 黒スーツの集団の真ん中には、ゴシックな黒いドレスを着た美少女が立っていた。シャルロッテ・コーデリオン。ミルフィーノの姉だ。


「ごきげんようお二人とも」


 シャルロッテは黒スーツの集団の中から一歩前に出ると、スカートの裾をたくし上げながら私達にお辞儀した。


 姿勢を戻して私達に微笑ほほえみかけた後、シャルロッテは視線を地面に倒れているミルフィーノへと向けた。


 数秒、ミルフィーノの無惨な姿をとらえた後、シャルロッテは視線を私達の方へと戻して柔和にゅうわな笑みを浮かべた。


「我々管理人の一人がお見苦しいところをお見せしましたね。遺体の処理や掃除は我々がしますので、あなた方二人は立ち去ってくれて構いませんよ」


 笑顔のまま、シャルロッテが私達に言い放つ。


「それと、この件はどうかご内密にお願いします。管理人が自殺したなどという『事実』は、収容所に必要ありませんので。これは管理人としての命令ですので、どうか従ってください。遺体がもう二つも増えるのは我々としても処理が面倒なので」


 事務的に、淡々たんたんと命令してくるシャルロッテ。そんな彼女を見つめていると、胸の奥からとてつもない怒りが湧いてきた。


「どうかしましたか? 早く立ち去ってください。でないといつまでも作業を始められないので」


「了解です。行くよミルカ」


 ミナトはシャルロッテの命令にいさぎよく従い、私の肩を抱えて路地裏から立ち去ろうとした。


 シャルロッテは微笑んだまま、後ろに控えていた黒スーツの集団に死体の処理をさせた。


 シャルロッテ自身はその死体に一歩も近付こうとせず、足に血が付かないよう血溜まりの地面を避けていた。


 部下が死体の処理をしているところを笑顔で眺めている彼女とすれ違った瞬間、私は我慢の限界に達してその場を振り返った。


「なんで…っ!」


 黒いドレスの後ろ姿を睨み付けて私が叫ぶと、シャルロッテはスカートをひるがえしながらこちらに振り向いた。


「どうかしましたか?」と一言、いたって事務的に私と見つめ合いながら微笑んでくる。


 収容所のみんなとはまた違う。もっと異質で異常なはりぼての作り笑いに、私は虫唾むしずが走った。


「なんでそんな、冷たいの。実の家族なんだよね。姉妹なんだよね。そこに倒れているのは、アンタの妹なんだよね!」


「ミルカ、やめろ」


 ミナトの制止せいしを振り切って、私は目の前にいるシャルロッテに近付きながら尚も叫んだ。


「妹が死んだのに何とも思わないの? 近寄ってアンタの妹がどうなったか、ちゃんと見てあげてよ! なんで血なんか気にするの! あんなに慕ってくれてたのに、アンタは何とも思ってないわけ? ふざけないで! クソ姉! ミルちゃんの気持ちを何だと思ってるの! クソっ、クソ!」


「ミルカ、駄目だ!」


 シャルロッテの体に飛び込もうとする私を、ミナトが羽交締はがいじめにして止めてくる。それでも私は暴れ回り、空中で足をバタつかせながら叫び続けた。


「なんでミルちゃんと一緒にいてあげなかったの! なんで妹が死んでそんなけろっとしてるの! ふざけんな! ふざけんな! 妹を大切にしろ!」


「アナタこそ、妹さんは大切にした方がいいですよ」


 シャルロッテは満面の笑みを浮かべながら叫ぶ私にそう言い放つと、スカートをひるがえしてこちらに背を向けた。


「今の話は全て聞かなかったことにしましょう。ですからどうか、早々に退去を」


 シャルロッテから再び命令を下されると、ミナトは私をかつぎ上げて路地裏から立ち去った。私はミナトの肩の上で暴れながら、喉が枯れるまで叫び続けた。


「うわぁぁぁ! あぁ! あぁぁぁぁ!」


「もうやめようミルカ。これ以上反発したら殺される」


 ミナトの忠告を受けても、私は中々叫ぶのをやめれなかった。私が何を叫んでも、シャルロッテの耳には何一つ届かなかった。


 シャルロッテ達の姿が完全に見えなくなると、私はようやく叫ぶのをやめた。


「家族ってなんだろう」


 第六部隊基地の入り口にある小さな階段に座り込んで、私は顔を伏せながら呟いた。


「家族の在り方は人によって違うよ。同じなのは血の繋がりだけ」


 私の隣に座るミナトが、平坦へいたんな調子で答えてくれる。私は顔を上げると、視界の隅でミナトの姿を捉えた。


 ミナトは自分の膝上で頬杖ほおづえを突きながら、騒がしい町の光景を眺めていた。


「さっきはごめんなさい。私のせいでミナトに迷惑かけた。あのまま暴れてたら、取り返しの付かないことになってた。本当に、ごめんなさい」


「いいよ別に、生きてるし。君を責める気にはなれない。俺もアイツらのことはいけ好かないと思ってるしね」


「私、ダメだ。頭がグチャグチャになってて、もう何がしたいのか分かんない。なんで、生きてるんだろう」


「生きる意味を明確に持ってる奴はいないよ。ただなんとなく、生きたいと思うだけ。それが生き物ってやつなんだから、なんでかなんて考えるだけ無駄だと、俺は思うね」


「私、生きたいのかな。それすら分かんない」


「君は生きたいと思ってるはずだよ」


「どうして分かるの」


「だって心残りがあるから」


「心残り……?」


「そう、心残り」


 ミナトは視線を町から逸らして私と向き合うと、人差し指で私の首元に巻かれたマフラーを差し示した。


「ハルカちゃんのことだよ。ずっとそのことで悩んでるだろう。だから他人の家族のことに首を突っ込んだりしてる」


「そうなのかな。自分でもよく分からない」


「今からでも会いに行ったらどうだい、君の妹に」


「……行かないよ。行っても、拒絶されるだけだし。

 

「私にはあの子に会いに行く資格なんてない」


「会うだけのことに資格なんて要らないでしょ。君は拒絶されるのが怖いだけだ。怖いから逃げて、目を逸らして、何がしたいのか分からなくなってる。いや、そう思い込んでるだけ。本当は自分が何をしたいのか、分かってるんだろう」


 ミナトに正論を突き付けられて、私は黙り込むことしかできなかった。そうするしかできなかったことが、何よりの答えだった。


 認めるしかない。今の私は自分やハルカから逃げているんだ。


「俺さ、家族全員がエボルシックを発症して、一緒に収容所に連れて来られたんだよね」


 ミナトは突然、私に身の上話を聞かせてきた。


「もう五年も前のことだ。まだ一〇歳だった俺と、四つ下の六歳の妹、父と母の四人家族だったんだけど。当時の俺は臆病おくびょうでさ。自暴自棄じぼうじきになって家族の元から逃げ出して、誰もいない廃墟に閉じこもってた。周りのみんなや自分がバケモノになっていくのが怖くて、一人になりたかったんだ」


 当時のことを頭の中で思い出しているのか、ミナトは遠い目をしながら苦笑した。


「でも死ぬ気にはなれなくてさ、中途半端にしぶとく生きてた。何ヶ月か経って、俺は家族と再会したんだけど、その時にはみんな末期症状に至ってバケモノになってた。俺が逃げ出したせいでせっかく一緒だった家族はバラバラになって、崩壊したんだ。ちゃんとお別れも言えずに、俺はこの手で家族を殺す羽目になった」


「……家族を殺して、平気だったの?」


「うん、びっくりするくらいね。殺しなんてそれが初めてだったけど、まったく躊躇ためらわずにみんなを殺せたし、その瞬間はあんまり悲しくなかった。でもずっと何とも思わなかったわけじゃない。時間が経つにつれて、沸々ふつふつと悲しみと後悔が押し寄せてくるんだ。なんであの時逃げ出したんだろうって、なんで最後まで家族と一緒にいてあげなかったんだろうって今でもそれがずっと心残りになってる。だから」


 ミナトはいつになく真剣な眼差しで、私のことを見つめてきた。


「君には俺と同じように後悔してほしくない。大切な家族が生きている間に、会いに行くべきだ」


 ――家族のこと、大切にしてね。私みたいに逃げないで、ちゃんと向き合ってね。


 私の頭の中で、ミルフィーノの言葉が再生される。


 ミルフィーノは私に、自分と同じように後悔して欲しくなかったんだ。それなのに私はこんなところで、くすぶり続けている。


 ああやっぱり、私はなんて馬鹿ばか間抜まぬけでおろか者なんだろう。拒絶されるが怖いからって、迷っている場合じゃない。


 私だけは、後悔しちゃいけないんだ。


「ミルちゃん。私、頑張るよ」


 私は勇気を振り絞って階段から立ち上がると、首元に巻いたマフラーを握り締めた。


「ありがとう、ミナト」


「行くの?」


「うん、家族に会ってくる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る