第8話 柊木ミルカとバケモノ殺しの集団4




 疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだん第六部隊基地に居候いそうろうを始めてから数日が経った。


 私は基地での過ごし方に慣れてきて、一日のルーティンが出来上がってきた。まず私の一日は、キクリに起こされてから始まる。


「さっさと起きなさい!」


 キクリは基地に住む誰よりも早く起床きしょうして、毎日みんなのことを起こしてくれる。


 私だけいつも当たりが強くて、さげすんだ目で睨まれながら叩き起こされる。


 新参者の居候いそうろうなので、文句は言えない。


 キクリにベッドから引きり下ろされると、一階の居間に降りてみんなと朝食を取る。


 硬いパンの味にも慣れてきて、今や真顔で食べられるようにまでなった。


  朝食を終えると、私はキクリと一緒に家事をする。


 この基地の家事は全てキクリがこなしていて、無職で暇な私はその手伝いをしている。


 掃除に洗濯、食事の用意。家計簿かけいぼ等々とうとう


「やること多いから雑用係が出来て良かった」と、キクリは私を見ながらよく言ってくる。


 家事の中でも、キクリは掃除に力を入れている。暇ができればいつも掃除に勤しんでいるので、基地の中はいつも綺麗だ。


「アタシは綺麗好きなの。埃や汚れが少しでもあったら気に食わない。アンタがもし掃除で手を抜くようなことがあったら許さないからね」 


 と、口癖のようにキクリは私に言ってくる。


  なんだかお母さんに叱られてるみたいだなと私は思ってしまう。


 見た目は幼いのに、中身はしっかり者のお母さん。


 そのギャップが、彼女の魅力なんだろう。


 一度お母さんみたいですねと本人に直接言ってみたら、凄い形相ぎょうそうで睨まれた。


  失言だったかもしれない。それとも、私はやっぱり嫌われているのだろうか。


  家事を終えると、私はヒナツキさんに呼ばれて研究室へと向かう。


  そこで私は実験体として、怪しい薬を飲まされるのだ。


 最初は拒絶していた私だけど、やがて押し切られてしまい泣く泣く試薬品を飲む羽目になった。


 それ以来、私はこうして実験用マウス代わりにこき使われている。


 新参者の居候いそうろうなので、文句は言えない。


「今回のは自信作なんだ。徹夜で作ったからね。これを飲めばきっと病気の進行が遅れるはずだ」


 ヒナツキさんは荒い息を吐きながら、薬を見せびらかして私に迫ってくる。


「大丈夫。エボルシック発症者は普通の人間より頑丈に体が変化しているんだ。ちょっとやそっとの副作用で体が壊れたりはしない。さあ飲むんだ。飲みなさい」


 私はヒナツキさんから薬を受け取って、水と一緒に服用した。


 これで二度目の実験だ。一日様子を見てみたけど、効果はよくわからない。


 以前の薬は副作用で全身の毛穴が開くという大事件が起こったけど、今回はそんな副作用も起こらなかった。


 私の体に何も効果がなかったと分かると、ヒナツキさんは露骨に落ち込んで肩を落としてしまった。


「また作り直しだ。何がいけなかったんだろうね」


  そうブツブツと独り言を呟きながら、ヒナツキさんはまた新しい薬の調合に取り掛かる。 


  どうして薬を開発しているのか詳しい事情を訊いてみると、真面目な回答が返ってきた。


「私はね、エボルシックを治したいんだよ。今は原因不明の不治の病だけど、いつか完治できるような薬を私の手で作りたいんだ。その為にはまず病気の進行を遅らせる薬を開発する。そしていつかは、病気を治す薬を完成させる。どんな不治の病におびやかされようと、人類は研究を繰り返して治してきたんだ。エボルシックだってきっと不可能じゃない。私はそれを証明したいんだ」


  私は感銘を受けた。ただの薬が大好きな狂人かと思っていたけれど、ちゃんと真っ当な信念を持っていたらしい。


 そういうことなら私も是非協力したい。実験体くらい喜んでなろう。


  もしエボルシックを治す薬が完成すれば、長生きしたい私にとっても願ってもみないことだし。


 しかし収容所での薬の研究というのは、極めて困難らしい。限られた物資を使い、たった一人で作らねばいけないからだ。


 ヒナツキさんは三年かけて、ようやく異形化の際に起こる痛みを和らげる薬、通称DXディーエックスを開発した。


  読み方はデラックスではなく、ディーエックスだそうだ。名付けたのは勿論ヒナツキさん。


  そのDXディーエックスとやらは、現代社会で普通に処方されている痛み止めに少し改良を加えただけのものだと、ヒナツキさんは控えめな評価を下していた。


  薬が作れるだけで充分凄いことだと私は思うんだけど、天才であるヒナツキさんは納得いっていないらしい。


  DXディーエックスの量産は難しくとても費用がかかるそうで、ヒナツキさんは収入の殆どを薬の研究と製造に費やしている。


 ヒナツキさんが疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだん第六部隊の隊長をしているのは、この仕事なら寄付だけで研究費用を稼げるからだそうだ。小狡こずるい。


「実験の対価だ。君にはこの薬をタダでやろう」


 実験が終わると、私はヒナツキさんからDXディーエックスを受け取っている。貴重な薬が貰えるなら実験体も案外悪くない。


  ヒナツキさんに呼ばれない日の私は昼食まで大体暇を持て余す。だけどたまに、面倒臭い事態にう。


 コウヘイさんが基地へ帰ってきて、私にだる絡みしてくる時だ。


「おうおう! ミルカ! 今日も元気か!」


 コウヘイさんは普段外出ばかりしていて、殆ど会う機会がない。


 朝食前になると必ず基地へ帰って来るのだけど、ご飯を平らげるとまた外出してしまう。


 そしてたまに、昼食や夕食時にも現れる。そう、この人はご飯を食べる時以外基地に帰ってこないのだ。


 本人曰くずっと仕事をしているらしいけれど、本当かどうか疑わしい。


 私は正直、この人のことが苦手だ。


「此処には慣れたか? 何か困ったことがあったら言ってくれ、オレに出来ることがあれば遠慮なく助けてやる! まあ大半出来ないけどな! なっはっは!」


 このように、コウヘイさんはかなりの馬鹿ばか五月蝿うるさい人だからだ。


 私も相当な馬鹿で間抜けだけどコウヘイさんはさらにその上をいく馬鹿で、私が引くレベルの存在だ。


 私がこれまで接してきた人達の中で群を抜いて馬鹿で、全く思考の読めない相手。


 キクリやヒナツキさんがうには、『史上稀に見る奇跡の馬鹿』だそうだ。


 そう言われるに相応しいくらい実際馬鹿なのだけど、流石に可哀想じゃないかと思う。


 でも本人はこの不名誉な渾名を、何故か気に入ってるらしかった。オカシイ。


「オレは馬鹿という自覚がある。本物の馬鹿はその自覚がないらしいが、間違いなくオレはそのさらに上を征く馬鹿だ! オレがこの世で最も馬鹿なんだよ!」


 と、胸を張って言い切るコウヘイさんの馬鹿らしさに、私はついていけない。


 とにかく馬鹿だから、何を言っているのかさっぱり分からないのだ。


 私のことは好意的に思ってくれているようで気安く接してくれるけど、出来れば話しかけて欲しくない。


 この人と話しているとやたらと疲れるし、馬鹿が移りそうで恐ろしいのだ。


 でも新参者の居候いそうろうなので、文句は言えない。


「アンタまたこんな時間に帰ってきて! 体臭いのよ、シャワーして!」


 キクリはコウヘイさんが帰ってくる度、鬼の形相で怒鳴り散らかしながらシャワー室へと追いやっている。


 その振る舞いは問題だらけの馬鹿な息子をしつけるお母さんみたいだ。


 コウヘイさんはシャワーを終えると、用意された昼食をあっという間に平らげてまた外出してしまう。


 自由奔放な人だなあと、私は感心する。


 こういう人が収容所で長生きできるのかもしれない。まあ、あまり参考にはならないだろうけど。


 騒がしい昼食を終えると、私はミナトの見回りについて行く。


 そこで仕事探しを兼ねて、彼の仕事ぶりを見て色々と学ぶようにしている。私なりの生存戦略というやつだ。


 仕事の邪魔じゃないかなと不安になるけど、ミナトは私の同行を快く受け入れてくれている。


「全然いーよ。話し相手が増えるし、俺は楽しい」


 ミナトは基本的に優しいし、八方イケメンみたいなところがある。


 誰にでも隔てなく一定の距離感で接する抜群のコミュ力が、見回りではよく発揮されていた。


 町を歩くと頻繁に声を掛けらているし、知り合いがとても多くて人気者だ。


 仕事中は誰かと世間話をしているか、バケモノを殺すかのどっちかである。


 やることの差が激しくて、見ている私は風邪を引きそうになる。


 人気者で多忙なミナトの見回りについて行くようになってから、私も幾つか知り合いができた。


 例えば、義理旗ぎりはたというカッコいい名前のお兄さん。


 黒髪のロン毛に、異形化の影響で背中に小さな羽を生やした色白の二十代。八百屋を営んでいて、野菜の他にお手製のジュースなんかも売っている人だ。


「ウチの野菜はどれも不衛生だよ!」


 と、全く誇れないキャッチコピーを堂々と宣言しながら、野菜を売り捌く義理旗ぎりはたさん。


 気になる味の方はキャッチコピー通りに不衛生で不味い。


 でもお手製の野菜ジュースは中々に美味しくて、私を含めて住民達からも好評の商品だ。


 そんな八百屋の義理旗ぎりはたさんに、私はかなり気に入られている。その理由は顔がタイプだからだそうだ。


「今度お茶しようよミルカちゃん。ご馳走するよ」


 義理旗ぎりはたさんは私の容姿をやたらと褒めてくれたり、度々食事に誘ってくれる。


 ミナトいわくかなりのチャラ男らしく、綺麗な女性なら誰でも口説いているそうだ。


 見た目は優しそうで清潔感のあるお兄さんだが、かなり肉食系みたいだった。八百屋なのにね。


 ミナトは見回り終わりの帰り道に私を連れて、必ず義理旗さんの八百屋を訪れる。


 私がいると、野菜を安くしてくれて助かるのだそうだ。私としても容姿を褒められるのは悪い気がしないし、役に立てるのは嬉しいことだ。


  もう一人の知り合いは様々な日用品を売っている雑貨屋のおばさん、赤松あかまつさんだ。


 名前通りの赤髪で、両腕が熊の爪みたいに異形化している四十代。


「アタシの売る商品はどれも品質が高いからね。他のゴミみたいな店出してる連中と比べないでくれ」


  赤松あかまつさんは自分の店に誇りを持っているのか、店頭に並べられた商品をよく自慢している。


  実際醜悪な物ばかり配給される収容所の中ではマシな品質の物が多いようで周囲から好評らしい。


 それに反して、赤松あかまつさんの店をよく思っていない人も一定数いるのだそうだ。


 その理由は赤松さんが他の店の悪口をよく言い振らしているからだ。それを良く思わない同業者から嫌われているらしい。


 気の強い赤松さんだけど、ミナトには物腰ものごしが柔らかくなる。


  以前、ミナトに夫を殺してもらったことに恩を感じているのだそうだ。


 どうして大切な人を失ったのにそう思うのか私にはよく分からないけれど、複雑な事情がありそうだった。


  訊ねてみたかったけど、繊細な内容だから踏み込みにくかった。


 ミナトの連れということで赤松さんは私にも優しく接してくれる。


 私が仕事を探していると話すと、赤松さんはウチで働かないかと誘ってくれた。


 すると何故か、私の返事を待たずしてミナトが断ってしまった。


 後で事情をいてみると、あの人はかなりのスパルタで部下に厳しいのだそうだ。


  そのせいで、今まで何人も辞めた者がいるのだとか。


  私もブラックな職場では働きたくないので、代わりに断ってくれて良かったかもしれない。


 仕事探しは振り出しに戻ったけど、また探せばいい。


  赤松さんとは部下上司の関係じゃなく、ミナトの連れとして関わった方が色々と気楽でお得なのだ。


 次の知り合いは、安田工事組やすだこうじぐみという大工職のみなさんだ。


  筋肉質の大柄な男達で構成されていて、全員茶色い作業服を着ている。


 主な仕事は建物の建築や修繕で、収容所全体の環境維持に努めている方達だ。


  あちこちで建物が壊れてしまう第六地区では必要不可欠な仕事で、生命線だ。


 そんな安田組やすだぐみのみなさんだけど血の気が多く、喧嘩っ早いことで有名なのだそうだ。


 町中で起こる諍いに混ざって、壊した建物を自分達の手で直していることもしばしば。


 なんて無駄なことをしているんだと、その話を聞いた私は呆れてしまった。


  ミナトは安田組やすだぐみのみなさんに喧嘩をふっかけられたことがあり、数十人がかりで束になって襲われたことがあるそうだ。


 その時に全員を返り討ちにしたことから、ミナトは安田組のみなさんに尊敬されている。


「ミナトはすげー奴だよ。あんなヒョロそうに見えて拳は速いし蹴りが強い。刀を片手でひょいひょいと振り回しちまう」


「俺はアイツを見て気付かされたよ。筋肉は見た目じゃなく中身が大事だってね」


「サシでやってたらお陀仏だったよ。味方の肉壁があって助かったぜ。ダッハッハ」


 とまあこんな感じに、筋肉ダルマみたいな人しかいない安田組やすだぐみからミナトは大絶賛されている。


 組の大将である安田やすだコウキチさんからも気に入られているようで、ミナトのことを高く買っていると筋肉ダルマAさんから聞いた。


  余談だけど、疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだん第六部隊基地を建てたのは安田組やすだぐみのみなさんらしい。


 他の建物より精巧に建てられているのは、収容所にとって疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだんは象徴的存在だからだそうだ。


 新入りの私にはまだ馴染みがないけど、疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだんはエボルシッカーズから絶大な信頼と人気を集めているみたい。


 その人気にあやかることで、私は個性豊かな知り合いがたくさんできた。


 収容所の雰囲気にも少しずつ慣れてきて、以前よりは生きやすくなった。


 住めば都ということわざがあるけど、その通りなのかもしれない。


 ……いや、全然都ではないか。


 ともかく私は、元気に精一杯生きている。
















★★

設定解説


収容所の規則で労働を強制しているのは、人としての生き方を最低限保つため。働くことで収容所内でコミュニティができ、超最低限の秩序を敷くことができる。

管理人は働かないエボルシッカーズを完全に人としての生き方を忘れたバケモノとして処理している。こういった簡単な判断基準をつけるためにも、労働を規則に付け加えている。

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