第13話 残酷な仕打ち2





 翌日、私は勇気を振り絞って再び病院を訪れた。


 ハルカがいる病室に入ると、開幕かいまく「出て行って」と言われて追い出されてしまった。


 何度病院を訪れて会いに行っても、ハルカの態度は変わらなかった。多くは語ってくれず、塞ぎ込んで、私を拒絶する。どうすれば昔のように仲良くなれるのか、私には分からなかった。


「いや、違うのかも」


 ズボラで頭の悪い私を、ハルカが気遣きづかってくれていただけ。仲良し姉妹だと思っていたのは私だけで、ハルカはそう思っていなくて、ずっとうとましく感じていたのだとしたら……。


 そんな憶測を立ててしまうと、私は足がすくんでまた病院に行けなくなった。


 ハルカがいつミナトに殺されるのか、具体的な日程は決まっていない。明日かもしれないし、もしかしたら今日かもしれない。


 死んだと思っていた妹が生きていて、そしてもうすぐ死ぬ。そんな奇跡と理不尽をぜた仕打ちを受けて、私は頭がどうにかなりそうだった。


「どうしてこんなことになったんだろ」


 なんだか、生きるのが辛くなってきた。こんな地獄みたいな環境で、どうして私は生きてるんだっけ。


 確か、死にたくなかったからだ。


 おかしいな。なんで死にたくないなんて思ったんだろう。どうせ無駄に生きてもバケモノになるだけだし、死んだ方が楽に決まっているのに。


 大量の食料を詰め込んだバッグを両肩に背負いながら、私はそんな考えに行き着いた。


「死んだらこの雑用もしなくて済むのか」


 なんて呟きながら第六地区の町を歩いていると、私は管理人であるミルフィーノを見つけた。


 収容所では定期的に管理人が見回りに来る。


 規則を破る者がいないか監視したり、担当している住民の生死を確認する為だ。管理人の黒スーツ姿は、奇抜な異形達が蔓延はびる収容所でもよく目立つ。


「管理人さん。こんにちは」


 私は目の前を歩くミルフィーノに走って追い付くと、平坦な声で話しかけた。未だ働き口を見つけていない私が不用意に管理人と接触すれば、規則違反者として処理されてもおかしくない。


 それでも構わないと思えるくらい、今の私は自分の命を軽んじていた。


「またアナタですか」


 ミルフィーノは足を止めて振り返ると、いつもみたいに私のことを冷徹れいてつな目で睨んできた。


「どうせまた何の用もなく話しかけてきたんでしょう」

「えぇ、まあ」

「今忙しいので、アナタに構ってる暇はありません。失礼します」


 今日のミルフィーノは一段と素っ気なくて、それだけ言って私のもとから去ってしまった。


 私はこの時、ミルフィーノに処理されなかったことがとても残念だと思ってしまった。


 胸の内ポケットに携帯した拳銃けんじゅうで撃ち殺してくれたら、なんて。


 そんなことを考えている自分に気が付くと、私はうつろな目で収容所の天井を仰いだ。


 私はもう、駄目かもしれない。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 その日をさかいに、私は病院に行くのをやめた。何もかも諦めてベッドにうずくまり、現実から目を背けた。


 朝、キクリがいつも通りに私を起こしにやってきた。私の体を揺さぶって、ベッドから引き摺り出そうとしてくる。


 私は布団にくるまって、キクリの魔の手から逃れようとした。


「起きなさい。起きなさいってば」


 中々起きようとしない私を見かねて、キクリが布団を引き剥がそうとしてくる。私は必死に布団を掴んで、それに抵抗した。


「なに芋虫いもむしみたいに丸まってんのよ。そろそろ起きないと、マジで怒るわよ」


「……起きたくない」


「はあ? 何言ってんの。朝ごはん出来てるから早く下に降りるわよ」


「……食欲ない」


「じゃあ食べなくていいから、家事手伝ってよ。アンタにやってもらいたい雑用があるんだから降りてきて」


「ごめん、今日はできない」


「なんで」


「何も、したくない」


「どうして」


「ごめんなさい」


「誰が謝れって言ったの。理由を話しなさいよ」


「……ごめん、なさい」


「……アタシには話してくれないの」


「……」


「あっそ。もう知らない」


 キクリは布団から手を離すと、大きな足音を立てて寝室から出ていった。バンっと扉が強く締められる音を最後に、寝室は一気に静まり返った。


 私は布団にくるまったまま目を閉じて、真っ暗で小さな世界に引き篭もった。


 眠ろうとしても眠れなくて無意味に時間を消費し続けていると、いきなり寝室の扉が何者かによって開け放たれた。


「おうおうおう! おはようだぜミルカ! 飯食うぞ飯!」


 この無駄に五月蝿うるさくて耳を痛めつける声は間違いない、コウヘイさんのだ。コウヘイさんは無許可で寝室に入ってくると、私を布団ごと持ち上げて抱えだした。


「え、え、なんですか……っ」


「飯だ飯! 腹ごしらえだ!」


「要らないです。離してください!」


「いいから黙ってついてこい!」


 コウヘイさんは布団にくるまったままの私を肩に担ぎ上げながら、何故か基地の外へ出て走りだした。腹ごしらえじゃなかったの?


 私は必死に逃げ出そうと抗ってみるも、コウヘイさんの力が強すぎて無理だった。大人しく従うしかない。


 連れて来られたのは、第六地区で最も人気を誇る矢田食堂やだしょくどうだった。


 コウヘイさんは私を肩から降ろすと、強制的にテーブル席へと座らせた。その向かい側の席に、コウヘイさんが腰掛ける。


「まったく、なんでアタシも付き合わなきゃいけないのよ」


「たまにはいいじゃないか。みんなで外食」


 コウヘイさんの他にもテーブル席にはキクリやヒナツキさん、ミナトと疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだん第六部隊全員が座っていた。


 コウヘイさんの隣にはヒナツキさんが。その隣にはキクリが。私の隣にはミナトが座っていた。


「さあ食べるぞ! 今日はオレのおごりだ遠慮なく食え!」


「アンタ常に金欠でしょ。おごれるくらいあるわけ?」


「ない!」


「ならなんで言ったのよ!」


「一度言ってみたかっただけだ!」


「払えないのに言うんじゃないわよ! この阿保あほ!」


「なんだと、今オレのこと阿呆あほつったか! オレは馬鹿ばかだ間違えんな!」


「どっちも同じでしょ! そんなことも分からないの?」


 ヒナツキさんを挟んで、キクリとコウヘイさんが喧嘩を始める。


 ヒナツキさんとミナトはそんな二人を無視して、厨房ちゅうぼうで忙しくしている矢田親子に注文を付けた。


 次々とテーブルに謎で奇怪な料理が運ばれていき、みんなそれを美味しそうに平らげていく。


 頼んでもいないのに、私の目の前にも沢山の料理が置かれていった。どれも見た目が混沌こんとんとしていて謎めいた食べ物ばかりだ。


「あのこれは、どうして」


 私は目の前に置かれた謎の料理達を見つめながら、困惑気味にみんなへ問いかけた。


「何って朝食だよ。いや、昼食と兼用かな。とにかく今日は此処でみんなといっぱい食べようという話になってね」


 私の真正面に座るヒナツキさんが、レンゲで謎の食べ物をすくい上げながら言った。


「なんで私まで」


「みんなの中に君も入ってるからだよ。君だけ置いていくなんてことはしないよ」


「でも私、食欲ないです」


「だったら別に食わなくていいわよ。そこで大人しく座ってなさい」


 喧嘩を終えて席に座り直したキクリが、頬杖ほおづえを突きながら私に言い放った。


「何もしない私なんかいたって、邪魔でしょ」


「邪魔なら無理矢理連れて来たりしないわよ。なんで今日はそんな卑屈ひくつなわけ」


「ごめんなさい」


「だからなんでそうすぐ謝るわけよ。調子狂うわね」


「まあまあその辺にしときなさい」


 私とキクリのやり取りを見かねたヒナツキさんが止めに入った。


「とにかく今日は君の調子が悪いようだからね。これは私達なりの励ましというか労いも兼ねてるんだよ」


「どうして私なんかに、そこまでしてくれるんですか」


 私はうつむきながらみんなに問いかけた。最初に答えてくれたのは、キクリだった。


「アンタは雑用係なんだから、元気出してもらわないと仕事が増えて困るのよ。だから仕方なくっイタッ!」


 ヒナツキさんがキクリの額にチョップを喰らわせて黙らせると、代わりに話を継いだ。


「君には薬の実験を手伝ってもらってるからね。これくらいはさせてくれ。とは言ってもただ食べるだけなんだけど」


 次にミナトが、うどん(らしきもの)をすすりながら答えてくれた。


「ミルカには世話になってることもあるしね。放っておけないよ」


「え、違うだろお前ら。ミルカはんがっ──」


 最後にコウヘイさんが何か言おうとして、その口を隣に座るヒナツキさんが両手で押さえ付けた。


「あはは、この子の言うことは気にしないでくれたまえ。それよりせっかくの外食だ。食欲がないにせよ少しは食べるといい」


「そうだぞミルカ!」


 ヒナツキさんの手を強引に振りほどき、コウヘイさんが大声をあげる。


「辛いことがあったら食って食って寝て忘れろ。それがこの収容所の鉄則てっそくだ! さあ食え食え、笑え! 楽しく生きなきゃ生きてる意味なんかねえぞ!」


 コウヘイさんはテーブルに身を乗り出すと、私の目の前に置かれた謎の料理達を指し示した。


 それは|如何《いか》もヤバそうな見た目をした食べ物達が皿に盛り付けられた、謎の定食だった。この店にはまともな食べ物が一つもないんだろうか。


 私ははしを取ると、謎の料理を一つつまんで口に含んだ。


 よく分からない未知の味が口の中に広がる。美味しいんだけれど、何がどう美味しいのか言語化できない。この店特有の、癖のある味だ。私はこの味を結構気に入っている。


 一口、また一口と食べていくと、段々はしが止まらなくなってきた。次第に私は勢いよく謎の定食をかき込むようになっていた。


「良い食いっぷりだぜミルカ! その意気だ!」


 コウヘイさんが近寄ってきて、定食にがっつく私の背中を叩いてくる。ご飯が詰まってせそうになるからやめてほしい。


 無我夢中むがむちゅうに定食を食べ進めていき、私はあっという間に完食してしまった。


 口の周りに食べ物が付いていて、私はそれを放置したままみんなに向き直った。すると何故か、目から涙があふれ出てきた。


「ちょ、急にどうしたのよっ!」


 唐突とうとつに泣き出した私を見て、キクリが騒ぎ出した。他のみんなも、驚いた顔をして固まっている。


「うっ……えぇうう、わだじ、わたじ……っ」


「おいキクリ、お前泣かしたな。謝れ」


「はあ? なんでアタシなのよ。どっちかっていうとアンタでしょ」


「いーやお前だな! なんとなくお前だ!」


「なんとなくで決めつけんなし! アンタが背中を叩いたからじゃないの? 暴力最低」


「暴力じゃねえ!」


 私を間に挟んで再び喧嘩を始めるコウヘイさんとキクリ。ヒナツキさんは呆れながら、溜息混じりに二人を仲裁ちゅうさいした。喧嘩を中断してコウヘイさん達は席に座り直すと、むせび泣く私を静かに見守ってくれた。


 恐らく、私が何か言ってくれるのを待ってくれているんだろう。私はそれに応えるべく涙を必死に我慢しながら、やがて口を開いた。


「私、もうどうしたらいいのか、わからなくて。生きててくれて嬉しいはずなのに、苦しいことばっかで。なんか、感情がぐちゃぐちゃになって……生きてるのが、辛くて、辛ぐって。辛く、て……っ」


 言葉を口にする度、涙の勢いが加速する。話せば話すほど感情が昂ってしまって、最後には稚拙な言葉しか出てこなくなった。口が回らなくなりまた泣くことしかできなくなった私に、誰も何も言わなかった。


 ただ黙って、私が泣き止むのをじっと待ってくれる。


 私は嗚咽おえつを漏らしながら、泣き腫らした目でテーブルに置かれた料理を見つめ、やけくそ気味に食べた。


 行儀の悪さなどお構いなしに、皿ごと持ち上げて謎の料理を口にかき込んでいく。それを見たコウヘイさんが「いいぞいいぞお!」と面白おかしく盛り上げだした。


「なんだじょうちゃん。珍しく良い食いっぷりじゃないか。なはは、いいぞ気に入った!」


 両手に料理を持ってやってきた店主のハマキチさんが、私の食べっぷりを見てケラケラと笑った。


「今日はヒナツキさんもいるのか。これはめでてえ。アンタらにはいつも世話になってんだ、安くしとくからどんどん食ってくれ」


 店主は娘のヤチルちゃんと交互に入れ替わりながら、ミナト達が注文した料理をテーブルの上に置いていった。


「今日は宴だ! 食って食って食いまくれ!」


 コウヘイさんのその言葉を合図に、ミナト達は次々と料理の注文を付けだした。


 テーブルに運ばれてくる料理をみんなで爆食いしながら、時にキクリとコウヘイが喧嘩したり、時にヒナツキさんが薬について長話を始めたり。


 時にミナトが収容所での物騒な話を始めたり。店主が注文していないのに新作料理の試食を勧めてきたり。


 そんなふうにどんちゃん騒ぎしていると、やがてその雰囲気は矢田食堂全体に伝染していった。


 食堂に入り浸りる全員がうたげムードとなり、ひたすらに食べて笑って騒ぎだした。その騒音は町の建物を吹き飛ばす音よりも大きくて、凄まじい熱狂が小さな食堂の広場に生まれた。


 コウヘイさんが知らない誰かと肩を組みながら踊り狂い、店のテーブルや椅子を蹴り飛ばして壊してしまった。


 店の大事な物が壊されたというのに、店主であるハマキチさんは笑って許してしまい、厨房の仕事を放棄してその踊りに混ざった。


 それに怒った娘のヤチルちゃんが、店主を含めた踊り狂う馬鹿全員に拳骨を喰らわせていた。


 私はそんな寸劇すんげきを遠くで眺めながら、ゲテモノ丼を頬張った。ミナトもキクリもヒナツキさんもそれぞれ別の場所で誰かと話していて、私だけテーブルに残って運ばれてくる料理ばかり食べていた。


 みんな、私に深い事情を追及ついきゅうしたりとがめたりはしてこなかった。


 彼等なりの配慮なのか、ひょっとしたらどうでもいいと思われているのかもしれないけど、今の私にはそれがありがたかった。


「全く、お父さんもお客さんも世話が焼けるよ」


 ヤチルちゃんが愚痴ぐちこぼしながら、私達のテーブルに注文した料理を提供してくれる。そのまま向こうで踊っているコウヘイさんの席に座ると、ひと息いてくつろぎだした。


 休憩だろうか。仕事をサボって遊んでいた店主の倍働いていたのだから、そりゃ疲れるよね。今は代わりに店主が一人で働かされている。


「収容所の生活には慣れた? ミルカちゃん」


「え、あ、はい。慣れました」


「敬語はいいよー。そんなに歳変わらないでしょ。それに此処じゃ年齢なんてどうでもいいし」


 なんというか、ヤチルちゃんはミナトと近しい感じがする。


 他の客やそんなに話したことない私相手でも、分けへだてなく気さくに接してくれるからだ。


 勿論、問題を起こす客には容赦ようしゃがないけれど。此処ではアイドルみたいな存在だ。


「本当お父さんったら仕事はサボるわ、新作ばかり作ってメニュー増やすわ、調理器具は壊すわ。暴走したら止まらないのよ」


「それはなんか、大変そうだね」


「本当大変だよ。昔からああなの、あの人」


 でも、と。ヤチルちゃんは向こうで客とふざけ合って踊っている店主を見つめて、くすりと微笑みながら言葉をつむいだ。


「おかげで毎日楽しいよ」


「お父さんのこと、好きなんだね」


「ちょっとやめてよー好きとか。なんか父親に対してそれは気持ち悪いじゃん」


「あー、確かに」


「でもまあ家族だからね。大切だとは思ってるよ。他の家族とはもう、会えないし」


「……」


「それにこの店に来てくれるお客さんはみんな家族みたいなもんだよ。ちょっと、喧しすぎるけどね!」


 ヤチルちゃんはそう言って私にウインクすると、席を立った。


「ミルカちゃんも、いつでもウチに食べにきていいからね。元気がなくなったらウチの料理食べに来て。歓迎するよ」


 私に手を振りながらヤチルちゃんはテーブルを去り、未だに踊り遊ぶ店主を引き連れて厨房ちゅうぼうに入った。


 厨房で言い合いながらも楽しげに料理を作る家族を眺めながら、私は羨ましいと思ってしまった。


 私はあんなふうに、家族と過ごせない。病室のベッドに一人でいる妹の姿を思い浮かべながら、私はゲテモノ丼をかき込んだ。


 食べて食べて、辛いことは忘れようとする。今日だけでも許されるのなら、と。私は泣くのを我慢して、ひたすらに食べた。うたげは、一日中続いた。


「また来なよじょうちゃん。そん時は新作の試食を頼む」


 閉店作業をしていた店主が厨房ちゅうぼうから顔を出して、ゲラゲラと笑いながら私に言ってくれる。


 私は「はい」と一言答えて、疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだん第六部隊のみんなと共に矢田食堂を後にした。























 その翌日、店主は死んだ。

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