第12話 残酷な仕打ち




 柊木ひいらぎハルカ。それが、私の妹の名前。

 

 手芸や裁縫が大好きで、物心ついた頃から母に教わって色んなものを作っていた。


 その腕前は凄まじいもので、幼少期から靴下や手袋を手編てあみで作ってみせるくらい才能があった。手先が器用で私より頭も賢い。


 笑顔が可愛くて、天使みたいな子。三年前に亡くなった、私の妹。


 その妹が、今私の目の前にいる。私は夢を見ているんだろうか。だってこんなこと、ありえない。


「ハルちゃん、なの?」


 私は病室に一歩踏み入って、震える声で尋ねた。


 ベッドの上にいる妹と同じ目、同じ髪、同じ顔をした少女が私と見つめ合う。少女は目に動揺どうようを浮かべながら、やがて小さな口を開いた。


「おねぇ……ちゃん?」


 その声は、私の知っている妹とそっくりだった。


 間違いない、この子は柊木ひいらぎハルカだ。


「ハルちゃん、ハルちゃんだ。ハルちゃんが、生きてる」


 私は病室を駆け出して、ハルカの体に抱き付いた。


 その体は三年前よりも大きくなっていたけれど、生気がなかった。


 骨の感触しかない酷くせ細った体からは、血が抜けたみたいに冷たい体温しか感じられない。けれど微かに脈動する心臓の音を聞いて、私は妹が確かに生きていることを実感した。


「よかった。生きててくれて、よがったよぉ……っ」

 私は大粒の涙を流しながら、泣き喚いた。


 妹の感触を味わいながら、これは夢でも幻でもなく現実なのだと思い、涙が止まらなくなった。


 ハルカはそんな私の姿に困惑して、口を開けたまま呆けた面で固まっていた。私はどうにか泣き止むと、ハルカの体から離れた。


 病室にある椅子に座って、ハルカと無言で見つめ合った。未だお互いに困惑していて、気持ちの整理がつかない。


 何から話せばいいのか分からなくて、気まずい雰囲気が流れる。最初に話を切り出したのは、私だった。


「これ、覚えてる?」


 私は首元に巻いた赤いマフラーをハルカに見せながら、微笑んだ。


「五年前、ハルちゃんがくれたマフラーだよ。ずっと大切にしてて、今も使ってるんだよ」


「……そうなんだ」


「昔、色々作ってくれたよね。靴下とか手袋とか」


「……うん」


「今も何か作ったりしてるの?」


「……」


「もっとすごいのとか作れるようになってるのかな」


「……」


「昔から器用だったもんね。良いお嫁さんになるってみんなに言われてて」


「……」


「お嫁さんといえば昔、よく一緒にお嫁さんごっこしたよね。私が夫役で、ハルちゃんがお嫁さんの役だった時にさ、一回だけ凄いことになったよね。ハルちゃんがいきなり」


「ねえ」


 ハルカの冷たい声音が、私の言葉をさえぎった。ハルカは私から目を逸らすと、再び窓の外を眺めながら訊いてきた。


「どうして、お姉ちゃんがここにいるの」


「会わせたい人がいるってミナトに。その、ある人に言われてついてきて。そしたらハルカがいて」


「そうじゃなくて。いや、もういいや、収容所にいるってことは、そういうことなんだよね」


 ハルカは溜息ためいき混じりにぼやくと、ベッドのシーツを握り締めた。


「さっき」


「な、なに?」


「私が生きてるって言って、ずっと驚いてたよね。私のこと、死んでたと思ってたの?」


「え、それは、だって、事故で亡くなったって……」


 私はそこで、違和感を覚えた。この話、何処かで聞いた話とよく似ている気がする。


「そっか。私、死んだと思われてたんだ」


「で、でも生きてるんだよね。本物のハルちゃんが、いるんだもんね。本当に良かった。また会えて嬉しい」


「私は嬉しくない」


「え?」


「嬉しくないって言ったの。会いたくなんてなかった、最悪」


 私はその言葉が信じられなくて、耳を疑ってしまった。だって私の知る妹は、そんなことを言う子じゃなかったからだ。


「どうして此処に来たの。来なくてよかったのに。二度と、会いたくなんかなかったのに」


「な、なんで。そんなこと言うの」


 その時、ハルカが振り向いて私のことを睨んだ。その目には涙が溜まっていて、赤く充血していた。


「布団、退けてみて」


 私はハルカの言う通りに、下半身に掛かる布団を払い除けた。そこであらわになったハルカの下半身を見て、私は青ざめた。


 ハルカの下半身は、異形化していた。刺々しい鎧に包まれたみたいに尖った赤黒い足を見つめて、私は理解した。


 どうしてそんな単純なことに気付かなかったんだろう。


 死んだと思っていた妹が生きていて、浮かれていたのかもしれない。


 此処は収容所。エボルシックというバケモノになる病気を発症した者が閉じ込められる場所。


 私の妹は三年前事故で亡くなったんじゃない。私の妹は、ハルカは……


「もうすぐバケモノになって、死ぬの」


「こんなところで何してるんだい」


 仕事を終えたミナトがやってきて、私に話しかけてきた。


「服が汚れちゃうよ」


「……うん」


 私は今、病院の入り口にある小さな階段に横たわっていた。


 ミナトはそんな私の隣に座ると、腰から刀を取り外して地面に置いた。


「知ってたの?」


 私は体を縮こませながら、細々とミナトに尋ねた。


「何を?」


「此処に、私の妹がいること」


「知ってたよ。だから連れて来たんだ」


「なんで私の妹だって分かったの。私、妹がいるだなんて一言も言ったことないのに」


「ハルカちゃんとは元々知り合いなんだよ。よくミルカのことも聞かされててね。君と出会った時は一目でハルカちゃんの姉だと分かったよ。聞いてた性格とよく似てるし、何より顔がそっくりだ」


「……ハルちゃん、もう長くないって言ってた。本当なの?」


「本当だよ。ハルカちゃんは多分、もうすぐ死ぬ」


 ミナトはきっぱりと、私に告げた。


「ステージ4、末期症状の一歩手前だ。その中でもハルカちゃんの症状は特にひどい。下半身が一切動かないんだ。異形化の負荷に体が耐えきれなくて、ずっとベッド生活が続いてる。上半身を起こすくらいならまだできるけど、もうすぐそれも自力じゃ出来なくなるかもしれない」


「どうして、そんなことに」


「ハルカちゃんみたいに、エボルシックに耐性がない人ってたまにいるんだよ。収容所の病院は、そういう人達を集めるためにある」


「ハルちゃんは、いつから病院にいるの?」


「二年前くらいだったかな。割とすぐ日常的な生活ができなくなったと聞いてる」


「そうなんだ。そんなこと、何も教えてくれなかったな」


 ハルカが私に下半身を見せた後、まともな会話は一つもできなかった。


 ベッドから一歩も動かず出て行けと叫ぶハルカに気圧されて、私はその場から逃げ出した。私は、拒絶されたのだ。


「俺達疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだんの仕事の一つに、入院患者の殺処理というのがある。異形化に耐えれなくて生きる気力を失った入院患者を、楽になってもらうよう殺してあげるんだ。勿論、入院患者本人に頼まれたら、だけどね。さっきもその仕事をこなしてきた」


 その割に、ミナトの服装は依然と真っ白なままだ。毎日何人も殺しているから、返り血を避けるのが上手いのだ。


「正直あまりやりたくない仕事なんだよね。まだ完全にバケモノになっていない人を殺さないといけないから、死体が残るんだ」


「でも平然としてるよね」


「まあ慣れてるからね。ってこんな話をしたいわけじゃないんだった」


 ミナトは後ろ髪を掻いた後、珍しく躊躇しながら私に言った。


「ついこの間、ハルカちゃんに殺して欲しいと頼まれたんだ」


「……え、ど、どうして? なんで?」


「生きる気力が見出せないんだと思う。家族に会えば少しは変わるかなと思ったんだけど、余計なことをしたかもしれない。ごめん」


「ハルちゃんを殺すの?」


「とりあえず保留にしてもらってる。まだ殺すには、早いと思うから」


「殺さないでよ、お願い」


「それは無理な話かも。ハルカちゃん自身が決めることだから、俺や君が判断することじゃない」


「そんな……」


 私は絶望のあまり目の前の光景が全て真っ白に見えた。呼吸を忘れそうになり、意識が朦朧もうろうとする。


 そんな極限状態の中で、ふと昔のことを思い出した。


「……そういえばハルちゃんの葬式で私、ハルちゃんの顔一度も見れなかった。あの葬式は、偽物だったのかな。お母さんやお父さんはそのこと、知ってたのかな」


「さあ、どうだろうね。それを確かめる手段はもうない」


 私は膝に顔をうずめて、暗闇の世界に閉じこもった。首元に巻いたマフラーを縋るように掴んで、震えながらより一層体を縮こませた。


 気が付くと目から涙が溢れ出てきて、止まらなくなった。


 鼻水まで垂れてきて、大切なマフラーがベタベタに汚れてしまった。


「なんで、こんなことに。せっかく会えたのに。死んでないって分かって嬉しかったのに。こんなのってないよ」


「そうだね」


「酷いよ。こんなの、あんまりだよ」


「そうだね」


 地面に横たわったまま、私は散々と泣き喚いた。ミナトはそんな私の隣に座ったまま、ただ相槌あいずちを打ち続けた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 ハルカと再会を果たしたそね翌日。私は再び第五地区の病院を訪れた。


「なんでまた来たの」


 病室にやってきた私を見て、ハルカは開口一番にそう言った。口元をゆがめながら、不愉快そうに鋭い目で私を睨んだ。


「会いたくないって言ったよね」


「ごめん。でもやっぱりもうちょっと話したくて」


「話すことなんてない。帰って!」


 激昂げきこうしたハルカに押し負けて、私はおめおめと病室を逃げ出した。


 その翌日、私は再びハルカに会いに行った。


「しつこい! なんでまた来るの!」


「だってハルちゃんに会いたいんだもん」


「私は会いたくない! 二度と来ないで馬鹿姉!」


 その日はハルカに花瓶かびんを投げつけられて、危うく体に当たりそうになった。


 花瓶は病室床に落ちて、破片が至る所に飛び散った。


 流石にやりすぎたと思ったのかハルカが焦り顔で破片を拾おうとしていたけれど、ベッドから動けなくてそわそわしていた。


 代わりに私や仕事を終えたミナトが花瓶の破片を拾って掃除した。


 ハルカはバツが悪そうにして私達から目を逸らすと、布団を被って塞ぎ込んでしまった。私はどうすることもできなくて、病室を後にした。


 それからまた数日後、私はハルカに会いに行った。


「帰って」


 今度のハルカは叫ぶこともなく、小さな声で私のことを遠ざけてきた。


 ベッドの上で布団を被ったまま、顔すら見せてくれない。話しかけようと試みてみたけど、何も言葉が思い浮かばなかった。


 私は一言も話さず、病室を後にした。


 次の日は病院でのミナトの仕事振りを初めて目の当たりにした。


 ミナトは病室のベッドで動けなくなった患者に微笑みかけて、他愛のない話をしていた。


 話が終わると、ミナトは患者にコップ一杯に入った水を飲ませた。その水には、ミナトが能力で生み出した毒が盛り込まれている。


 毒水を飲み干した患者は、数十秒後に大量の血反吐を吐いて即死した。


 毒の効果で痛みを感じさせなかったのか、患者は安らかな顔で死んでいった。病室に患者が吐いた血が飛散して、赤く染まる。


 やがて血の臭いが病室中に充満して、私の鼻にこびりついた。もう何度も嗅いだ臭いだけど、未だに慣れない。慣れたくもない。


「この人は、どうなるの?」


 私はベッドの上で動かない死体を見つめて、ミナトにたずねた。


「土に埋める。火葬場かそうばなんてないからね。土の栄養になってもらうことしかできない」


 その死体は病院に勤める事務員らしき人達に運ばれて、病室から姿を消した。


 私は病室に残った大量の血とベッドから、死体となったハルカの姿を連想してしまった。すると急に吐き気が押し寄せてきて、私はその場で吐いた。


 朝食に食べた硬いパンが胃液と混じって出てきた。


 翌日、私は病院に行かなかった。ハルカに拒絶されるのが嫌で、会いに行く勇気を持てなかった。


 何より会いに行けば、いつかハルカが死ぬところをこの目で見届けなければいけない。そのことを今から考えるだけで、私は病気に行く気が失せた。言い方を変えれば、怖気付いたのだ。


 このままじゃハルカはミナトに殺される。でも私にはそれを止める権利も術もない。どうすることもできないのだ。ならもう関わるべきじゃないだろうし、ハルカもそれを望んでいる。


 ハルカがどうして私を拒絶するのか、その理由はよく分かっていない。私のことが嫌いになったのか、それとも元々私のことが嫌いだったのか。聞き出そうとする勇気も私には持てなかった。


 私はその日、ミナトの見回りにもついて行かず、疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだん第六部隊基地の中で一日を過ごした。


 空のない収容所の夜は、昼間と変わらない景色をしている。街灯の明かりだけで暮らしている私達は、時計がなければ時間の感覚を失ってしまう。


 基地の中で唯一ある居間の古時計を見てみると、時刻は既に二十一時を回っていた。


 早めに水浴びでもして眠ってしまおうと、私はシャワー室へと向かった。シャワー室前にある洗面所の扉を開けると、そこでキクリと鉢合わせた。


 キクリは先にシャワーを浴び終えたらしく、鏡の前に立って濡れた髪をタオルで丁寧に拭いていた。団子状に編んでいた長い髪を下ろして、暑苦しそうな白服からラフな部屋着に着替えを済ませている。


「あ」


 私はキクリの頭を見て、変な声が漏れ出た。


 団子頭のあった左右の箇所から、小さな角が生えていたのだ。


「あんまりジロジロ見ないで」


「ごめん」


 私はキクリから目を逸らすと、隠れるように部屋の隅で着ていた服を脱ぎ捨てた。


 急いでシャワー室へ向かおうとすると、キクリが「ねえ」と言って呼び止めてきた。


「アンタ、何かあった?」


「別に。何もないよ」


「その割には、元気ないように見えるんだけど」


「気のせい、だよ」


「ふーん、あっそ。ならいいんだけど」


「心配してくれて、ありがとう」


「は? 別に心配してるんじゃないわよ。単に気になっただけ」


「そっか」


「そうよ」


「……うん」


「何その返事」


 キクリは髪を拭く手を止めて、私の方に振り返った。裸の私を一瞥すると、青白くなった脇腹で視線が止まる。


 同性とはいえ堂々と裸を見られた私は、少し恥ずかしい気持ちになる。


「脇腹の異形化、随分と広がってるみたいね」


「え、うん」


「痛みはどんな感じなわけ」


「最近はマシ。全然痛みがない日もある」


「そう。ならアンタはエボルシックに耐性がある奴ってことね」


「……そうなの、かな」


 私は自分の脇腹を弄りながら、苦々しく答えた。するとキクリは、突然私の脇腹を人差し指で突いてきた。


「ひゃっ、な、なに?」


「さっきジロジロ見てきたお返し。これで許してあげる」


 そっちもジロジロ見てるじゃんと突っ込みそうになり、私は口元を手で抑えた。その仕草に何を思ったのか、キクリはほんのり顔を赤く染め上げた。


「そ、そんなにくすぐったかった?」


「いやこれは違くて。変なこと言っちゃいそうになったから」


「へ、変なとこ? イッちゃいそうって……」


 違う、そうじゃない。誤解だよ。


 キクリはより一層顔を真っ赤に染め上げると、裸の私から距離を置いた。なんだか、私が痴女みたいになってるじゃん。


「感じやすいとこ触って悪かったわね」


「いや別にそんなことはないというか。誤解というか、なんというか……」


「ていうかアンタ、結構スタイルいいのね」


 キクリが自分の胸に手を当てながら、私の胸を凝視する。


「世の中って不平等で残酷ね」


「どういうこと?」


「なんでもないわ。羨ましい」


 キクリはあからさまに肩を落として長い溜息ためいきを吐くと、鏡に向き直って髪を拭く作業に戻った。


 彼女の奇行ぶりをいぶかしみながらも、私は気を取り直してシャワー室へと向かうことにした。


 これ以上裸のままいるのは、恥ずかしい。


「アタシがまだ異形化して間もなかった頃、頭が割れそうになるくらい痛すぎて苦しんだわ」


 シャワー室の扉を開けていざ洗体というタイミングで、キクリがまた私のことを呼び止めてきた。


 今度は何故か、身の上話を私に語り聞かせてきた。


「異形化の部位が頭だったから、本当死にそうだった。でも私は耐え切れた。隊長の薬のおかげでもあるだろうけど、私は異形化に耐えれる体だった。運が良かったのね、いや、こんな病気になっちゃう時点で運はないか」


 キクリは自嘲じちょう気味に言いながら、頭に生えた角を指でいじった。


「この角、コンプレックスなのよね。あんまり誰にも見られたくないから、いつも髪で隠してるの」


「そうなんだ。ごめん私、見ちゃって」


「別にいいわよ。故意こいじゃないんだし、気にしてない」


「……どうしてこんな話を私に?」


「なんとなく。アンタなら話してもいいかなって思っただけ。だから」


 キクリは器用に緑の髪を束ねて団子頭を作ると、もう一度裸の私に向き直った。


「アンタもなんか話したいなあと思うことがあったら、言っていいから。アタシでよければ、聞くだけならしてあげる」


 それだけ言うと、キクリは洗面所から出て行ってしまった。


「ありがとう」


 遅れてお礼を言うも、キクリには当然届かなかった。


 私は少しだけ胸の内が軽くなったのを感じながら、シャワー室に入って水を浴びた。

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