第3話 柊木ミルカとバケモノになる病気3

 



 収容所第六地区しゅうようじょだいろくちく


 そこは、他の収容所地区と違ってかなり荒れ果てた町だと、ミルフィーノが私に語った。


 住民を全く見かけなかった第五地区と違って、そこでは多くの異形達が歩き回り、にぎわいを見せていた。


 賑わいと言っても千差万別せんさばんべつで、隣人と仲良く談笑だんしょうするだけの者達もいれば、すれ違いざまに殴り合っている者達もいる。


 賑わいの六割は後者で、町の至る所で殺人沙汰さつじんざたの大喧嘩が毎秒のように頻発ひんぱつしていた。


 狂瀾怒濤きょうらんどとう。異形の者達による倫理観を吹き飛ばしたいさかいによって、第六地区はとても騒がしい。


 おかげでそこら中に、倒れた異形達の山が積み上がっている。


 そんな光景をミルフィーノの案内で何度も目にした私は、町中を歩くだけで軽く失神しそうになった。


 なんでこんな場所に私が連れて来られなきゃいけないのか、心底納得できなかった。


「人型を保っているバケモノは、まだ知性のある段階の者です。顔やら体の一部が変化していますが、病状的には軽度になります」


 ミルフィーノは混沌とした町を悠々と歩きながら、私に収容所のことやエボルシックのことをたくさん教えてくれた。


「エボルシックの症状は五段階に分けられます。ステージ1は異形化が軽微けいびな者。ステージ2はさらに異形化が進行し、『能力』を発現させた者が当てはまります」


「能力って、なんのことですか」


「物理法則を無視した特殊な力のことです。エボルシッカーズがあれだけ派手に暴れられるのは、その能力のおかげです」


 説明の途中で、またもや町に轟音が響き渡る。そろそろ耳がイカれてきて、まともに話を聞けなくなってきた。


「ステージ3になると、異形化が更に進みます。発現した能力が肉体に適応してくる時期で、エボルシックの中では一番の安定期です。町中で暴れている者の大半はステージ3の者か、まだ能力を発現したばかりのステージ2の者達です」


 と、町中で騒いでいる異形達を指差しながらミルフィーノは語る。


「ステージ4になると個体差が現れます。異形化の進行が悪化し、それに体が耐えきれずに死に至る者もいます。そして末期段階であるステージ5にまで至ると理性を失い、完全なバケモノになります」


「あ、あの」


「はい、なんですか」


「この人達は人間なんですよね?」


「人間ではありません。元人間と言ったはずです」


 ミルフィーノは溜息を吐きながら私を睨みつけた。何度も説明させるなと、その冷徹れいてつな目は訴えている。


「話を続けます。基本的に新入りのエボルシッカーズは、人口の少なくなった地区に配属するよう決められています。今は第六地区が最も人口の少ない地区とされていますので、アナタは此処に配属となりました。バケモノがあまり密集するのは危険ですので、相応の配慮です」


 バケモノってなんだよ、と私は思わず口に出して突っ込みたくなった。私はただ脇腹が痛くて病院に通っただけだ。


 バケモノになる病気? 私はちょっと性格が変わっているだけで見ての通り普通の人間だ。


「見て分かる通り、第六地区の治安は最悪です。あのように町中で暴れ回る荒くれ者が多く、現代社会であれば違法なことばかり起こります。ですが此処は社会から逸脱した収容所なので、罰せられることはありません。例外はありますが」


「例外?」


「収容所には五つだけ、規則があるんです。

 一つ、収容所に暮らす者は必ず働かねばならない。ただし、働けない状態にある者は例外とする。

 二つ、収容所に暮らす者は『管理人』の命令に従わねばならない。

 三つ、事故や事件その他原因で起こる被害や怪我は全て自己責任。

 四つ、収容所に暮らす者が収容所の外に脱走・接触・連絡することは決して認められない。

 そして五つ、以上四つの規則に触れる行為以外に罪はなく、罰則も与えない」


 ミルフィーノは規則の内容を丸暗記しているのか、その全てを口頭で私に説明した。


 昔からリスニングが苦手な私は、途中で内容を覚えるのを諦めてしまった。


「これさえ守っていれば、特に問題はありません。法治国家ではないので、まともな法律も人権も政治理念もないのでです」


「もしこの規則を破れば、どうなるんですか」


「即刻死です。違反した者は危険なバケモノとみなして、処理されます」


 森から都会にやってきた熊が殺されてしまうように、収容所の外に逃げようものなら同じ目に遭う。


 いや、それ以上の罰を受けるのかもしれない。ミルフィーノの処理という言葉の裏には、そんな含みがあるように感じられた。


「それと、これから私のようなスーツの人間は『管理人』と呼んでください。アナタ達エボルシッカーズを管理する役を担っているので、そういう名前になっています」


「管理人、さん」


「さん付けは必要ありません。敬語も必要ありません」


 そっちは敬語なのにか。


「そろそろ目的地に着きますので、説明はこれで終了します。質問も一切受け付けません」


 案内されたのは、スラムのような住宅地だった。


 外壁が腐敗ふはいして大量のカビに侵食しんしょくされた茶色い家。


 嗅いだだけで咽せ返るような腐敗臭を漂わせる糞と血とハエを集めたこの世の終わりみたいなゴミ溜め。


 その間に挟まれたボロアパートの一室に、私は案内された。


「今日から此処が、アナタの家になります」


 そう告げられた時、私は現実を受け止めきれずに思考が停止した。


 畳が三畳しかない部屋にひび割れた便座に水道が流れるかさえ怪しいトイレ。薄汚れた鏡にカビ塗れの洗面台。


 キッチンや浴槽すらない事故物件に、住めと言われたのだ。


 ごく普通の一軒家に住んでいた女子高生には、到底受け入れることのできない事案だった。


「本当に、住まないといけないんですか」


「はい」


「他に、もっとマシな家はないんですか」


「ありません。これで我慢してください」


「そんな……」


「私はこれで失礼します。また明日、改めて収容所での生活について一通り説明しますので、今日はもうゆっくり休んでください」


 絶句している私を置いて、ミルフィーノはその場から立ち去っていった。


 余程この場にとどまりたくなかったのか、途中から目にも止まらぬ速さで走り出していく。


 一人取り残された私は暫く事故物件の玄関前で立ち尽くすことしかできなかった。


 どうしよう、本当にヤダ。


 そんな私のそばに、一人の女性が現れた。


 長髪の成人女性で、首から顔にかけて青い紋様もんようのようなものが浮き出ている。


 布面積の小さい服を着ていて、そこからやけに痩せ細った体があらわになっていた。


 青紋様あおもんようの女性は私と目が合うなり足を止めて、いぶかしむように私の全身を凝視ぎょうししてきた。足から順に隈なく私のことを観察していき、最後にまた目を合わせてくる。


「アンタ、新入り?」


「え?」


「収容所に来たのは最近なのかって訊いてるの」


「え、あ、あの、はい。そうです」


「何歳?」


「十五です」


「そう。お気の毒さま」


 青紋様の女性は私から目を逸らすと、抑揚のない声で哀れみの言葉をかけてきた。


 声音に生気が感じられないせいか、不思議と嫌味たらしさは全くない。


 青紋様の女性は具合が悪いのか、何度か咳き込んでいた。その際、口元でなく首元に手を当てていたことに私は違和感を覚えた。


「あの、大丈夫ですか」


「……なんでもない」


 青紋様の女性は一方的に話を打ち切ると、アパートの一室に引っ込んでしまった。


 どうやら隣人だったようで、私が案内された部屋の隣に彼女は住んでいた。


「お、お邪魔します」


 青紋様の女性が去った後、私は勇気を振り絞ってアパートの部屋に上がり込んだ。


 気が動転しているせいか、誰もいない部屋に話しけてしまう。


 歩く度にきしみ音が鳴る頼りない廊下を渡って畳に辿り着くと、膝を抱えながらその場に座り込んだ。


 薄汚れた畳に尻をつけながら、膝皿ひざさらに顔を伏せてうずくまる。


「どうしてこんなことになったんだっけ。意味分かんないんだけど」


 私はマフラーを握り締めてぼやいた。臭いし汚い最悪なこの家だけど、周りは比較的静かなことだけが幸いだった。


 襲ってくるバケモノも居なければ外で暴れ回っている異形達の姿もない。


 静かな空間でたった一人、私は泣きそうなうになりながら愚痴ぐちを垂れ流すことにした。


「なんなのこの場所。収容所ってなに、意味分かんない。私何も悪いことなんかしてないよね。それなのに何、この扱い。というか私人間だしっ、だよね? あの子ほんと意味分かんない。しかもなにあのバケモノ達。意味分かんない、なにこれ。ほんとなんなの」


 私は語彙力ごいりょくのない言葉を並べ立てながら右手を大きく振りかぶって畳に叩きつけた。


 降り積もっていた大量の埃が空中を舞い、咳き込む。それでも愚痴は止まらなかった。


「お風呂入りたい。買い物行きたい。クレープ食べたい。家に、帰りたい……」


 思い付く限りの愚痴を吐き終えると今度は願望を口にするようになった。だけどそれは、自らを惨めに貶めるだけだった。


「もう、此処から出られないないのかな」


 やがて何も口にすることが無くなった私は、畳の上を横になって寝転んだ。


 何もかも嫌になって現実から逃げ出したくなり、私は目を閉じて深い眠りにつくことにした。


 その時、急激な腹痛が私を襲った。


 針で内臓を刺されているような、そんな痛みだった。


 何の前触れもなく起こったその痛みは、私の脇腹だけを攻撃していた。


 これは、バケモノに襲われた時の負傷じゃない。汚い部屋に居て腹に異常を来たしたわけでもない。生理でもない。


 その痛みは、此処へ来る前に一度だけ経験したことがあった。


 あまりの痛さに私は両手で脇腹を押さえながら、寝返りで気を紛らわせた。やがて耐え切れなくなると私は立ち上がり、カビだらけの洗面所へと向かった。


 くすんだ鏡に向き合うと、着用していた学校の制服を捲り上げて腹部の肌を晒す。鏡に映り込んだ脇腹を見つめて、私は目に動揺を浮かべた。


「嘘……なに、これ」


 私の脇腹は、青白く変色していた。そこだけ細胞が活動をやめて壊死したかのように、血の気を失った皮膚へと変わってしまっている。


 私は唖然としながら、痛みを伴う脇腹に手で触れてみた。人間の皮膚とは思えない異常な硬さを感じて、すぐに手を引っこめた。


 昨日まではなかったはずのその変貌へんぼうを見つめて、私はミルフィーノに言われた言葉を思い出した。


 ――それはアナタがバケモノだからですよ。


 私の脳裏に、人型の異形達の姿が浮かぶ。それと重なるように襲い掛かってきたバケモノのことまでも思い出して、ミルカは自然とその言葉を口にした。


「……エボル、シック」


 その名は、今日初めて聞いたばかりの奇病。人間をバケモノにするという、信じ難い病気。


 鏡に映り込む変異した脇腹を見つめて、私は思い知る。


「私、本当にバケモノになるの?」


 私はその時ようやく自分がバケモノになる病気を患ったのだと自覚した。


 脇腹に起こった変異は前兆に過ぎない。


 この変異は私の全身に広がっていき、町で見た異形達のようになる。やがて知性も理性も失い本物のバケモノとなって人を襲うようになる。


 バケモノと化した自分を想像してみて、私は恐怖した。


 膝がガタガタと震え出してまともに立てなくなり、床を盛大に滑って転んでしまう。


 その際に頭を強く打ち付けたけど、今の私に痛みを気にする余裕はなかった。


 私は床にいつくばりながら、震える手で青白く変色した脇腹に触れた。


 石のように硬い皮膚の感触と共に最悪の未来を連想して掠れた声をあげる。


「死にたくない……」



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 次の日。


 時計がないから本当に次の日かは分からないけど、多分次の日だ。


 一睡もできなかった私は、酷く荒んだ顔で床に寝そべっていた。


 赤く腫れたまぶたまばたきを繰り返しながら脇腹をまさぐる。血の気のない硬い皮膚の感触に、私はいつまで経っても慣れなかった。


「おはようございます」


 聞き覚えのある声が私の耳に届く。顔を上げると、目の前にミルフィーノが座っていた。


 ミルフィーノは昨日と同じスーツ姿で、いつの間にか家の中に上がり込んでいた。気配に全然気付かなかったのでので少し驚いたけど、今の私は元気がない為、無反応だ。


 その場から起き上がる気力もないので、依然と寝そべったままミルフィーノのことを見上げた。


「意外と落ち着いているようですね。貴方は放置すれば悲惨なことになると思っていたので、正直予想外でした」


 ミルフィーノは冷徹な目で私を見下ろしながら、辛辣しんらつな言葉を投げかけてきた。


「此処に連れて来られた者の大半は酷く錯乱するんです。中には自殺する者だっていたりします。現実に耐え切れなくて、次の日会いに来ると死体になっているなんてよくあることです。ですが貴方は、生きている」


「……死にたくなんか、ないですよ」


「そうですか。ならこれを受け取ってください」


 ミルフィーノはそう言いながら、スーツのポケットから何かを取り出して私の顔の前に置いた。


「これは?」


「町で売っているおにぎりです。昨日から何も食べてないでしょう。今のアナタには食料を確保することなんてできないでしょうし、生きたいなら食べてください。味は保障しませんが」


 包装された具付きのおにぎりを見つめて、私は喉を鳴らした。


 満身創痍まんしんそういだったせいで空腹であることを忘れていたけど、食べ物を目の前にすると急激に食欲が湧いてきた。


 私は寝そべっていた体を起こしておにぎりを掴むと、包装を剥ぎ取って頬張った。


「まずい」


 水気の抜けた硬い米に、布を食べているような食感のする萎れた昆布。十五年生きてきてこれ程不味いおにぎりは私にとって初めてのことだった。


 なんとか吐き出さずにおにぎりを胃の中に放り込むも、後味が悪過ぎて咳き込んでしまう。


「どうですか収容所での初めての食事は。まあ、訊かずともその顔を見れば分かりますが」


「収容所にはこんな食べ物しかないんですか」


「当たり外れはありますが、美味しい食べ物もありますよ。外れの方が多いですけど」


「最悪……」


 私は口の中に広がる苦味に悶えながら、おにぎりの包装を握り潰した。


 とんでもない物を食わされてしまったせいでお腹を壊さないか心配になる。


「では、私はこれで帰ります」


「もう帰るんですか」


「はい。私はただ、アナタが死んでいないか確認しに来ただけなので。死んでいたら遺体を処理せねばなりませんが、生きているのなら私がやることはありません」


 ミルフィーノはそう言うと、横たわる私を置いて玄関へと向かった。


「精々頑張って生きてください」


 去り際、私を煽り立てるようにそう言い残すとミルフィーノはボロアパートから姿を消した。


 暫くして、私はようやくその場から立ち上がった。なんとなく洗面所の方に向かって鏡の前に立ち、制服をめくり上げて脇腹の状態を確認する。


 シャツの下にある青白く変色した脇腹を見つめて、そっと制服を下ろした。そのまま私は畳の方に戻ると、ほこりやシミの少ない場所を選んで横たわった。


 頭の中に渦巻く恐怖から逃れるように、首元に巻いたままのマフラーを握り締めながら目を瞑った。


 食後のおかげか、一睡もしできなかったのも相まってすんなり眠りに付くことができた。


 眠ると、何も考えなくて済んだ。

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