第2話 柊木ミルカとバケモノになる病気2




 貨物車かもつしゃが停まる。


 荷台に居た人々が強面こわもての集団に連れられ、次々と貨物車から降ろされていく。


 皆一様いちようおびえながら去っていくのを見て、車に残った者はさらなる恐怖に打ちひしがれていた。


「次はアナタたちです。私の誘導ゆうどうに従ってください」


 六回目の誘導で、遂に私の番がやってきた。


 私の他にも三十代の男女二人組と一人の老人が、一緒になって車から降りた。


「私はミルフィーノ・コーデリオンと申します。アナタ達を担当する『管理人』を務めさせていただきます」


 赤い短髪の小柄な少女が、私達に頭を下げた。


「上司であるシャルロッテ・コーデリオンに代わり、ここからは私がアナタ達に収容所についての説明を致します。もし不審な行動を少しでも取ればその場で殺処分致しますので予めご了承ください」


 口調は丁寧であるはずなのに、内容は物騒なことを宣う少女・ミルフィーノ。


 体格に合わないブカブカなスーツを身に纏った彼女は、とても弱そうに感じた。


 此処にいる者で一斉にかかれば容易く抑え込めそうだけど、誰もそうはしなかった。


 さっきの男性みたいに殺される危険を考慮して、賢明な私達は下手な行動を取らなかった。此処は素直に従うのが最善なのだ。


 勿論、全員がスーツ姿の集団に大人しく従いはしなかった。私より前に貨物車を出た人の中で、数人はスーツ姿の集団に反抗した。


 その全員がもれなく返り討ちに遭い、惨殺ざんさつされた。


 現在進行形で鳴り響く発砲音や悲鳴は全て、荷台に居た人々が殺されていく断末魔だんまつまに他ならなかった。


 スーツ姿の集団は人を殺すことになんの躊躇ちゅうちょもない。そして、異常に強い。


 このミルフィーノという子も、見た目に反して凄まじい戦闘能力があるのかもしれない。


 あなどってかかれば命が危ない。


 まあ私は運動神経が悪く非力なので、侮るも何もないのだけれど。


「私とアナタ達はこれから、第六地区へと向かいます。私はそこでアナタ達が暮らす各住居までご案内致します。道中、収容所での規則について簡単な説明を行います。私の話に耳を傾けながら、大人しくついてきてください」


 ミルフィーノは踵を返して、サクサクと収容所の中を歩き進んでいった。私達は置いてかれぬよう黙ってミルフィーノの後を追いかけた。


 収容所は、一言であらわすとおかしな町だった。舗装されていない剥き出しの地面の上に、丸みを帯びた青い巨塔が密集して建っている。


 私の知る現代風景とは似ても似つかなくて、まるで異世界に来たような感覚に陥った。


 おかしな点はもう一つある。それは、空がないことだった。


 ふと町の上を見上げてみてもそこには青空や雲もなく、代わりに真っ暗な天井が備え付けられていた。


 じっと目を凝らして見てみると、それは鋼鉄の壁のように見える。


「収容所には全部で七つの区があります。此処は第五地区。第六地区と隣接する区になります。大体どの地区も数千規模の住民が暮らしています。此処第五地区にも住民はいますが、彼等は引きこもっています」


 どうやら収容所には、私達のように強制的に連れて来られた者達が住んでいるらしい。建物の数からして相当な数がいるだろう。


 でもどうして引きこもっているんだろうか。


「住処になる第六地区ではなく此処へ降りたのは、アナタ方が住民達を見て混乱するのを防ぐためです。まずは私の説明をよく聞いてから、徐々に現実を受け入れてください」


 混乱を防ぐ。その言葉に、気がかりを感じた。


 どうして住民達を見て混乱するんだろうか。言葉の意味を真に理解できた者は、私達の中で一人もいなかった。


「収容所は基本的に、現代社会よりも文明レベルが低くなっています。娯楽ごらくの類はほとんどありませんし、外部に情報が漏れないようにSNSや携帯、インターネットの類は一切使えないようになっています」


 何それ死活問題じゃんと口を滑らせそうになったけど、なんとか我慢した。首に巻いたマフラーを握り締めて、耐える。


「それと、その点に関してはもう抗いようのない問題なので、覚悟しておいてください」


 ミルフィーノはそう言うと、急に立ち止まった。町にある青い建物を指差しながら、私達に告げる。


「此処はエボルシッカーズを収容する場。収容所では毎日のように末期症状へと至ったバケモノが現れ、暴れ回り、命の危険に晒されます。丁度、あちらのように」


 ミルフィーノが告げた数秒後、町中に鼓膜を痙攣けいれんさせるほどの不協音が轟いた。


 ミルフィーノが指差した方角にある建物。その外壁に穴が空き、鉄骨やガラスの破片が空中に飛び散った。


 それと同時に、バケモノじみた雄叫おたけびが聞こえてきたのだった。


 建物に空けられた穴を通り抜けて、雄叫びの主が姿を現す。


 まぶたから突き出た赤黒い眼。鉄骨を容易く噛み砕けそうな頑強な牙に、汚らしい涎を垂らした大きな口。


 紫の皮膚に覆われ、体中にびた無数のとげ


 長い尻尾を振り回す四足歩行のバケモノが、建物の壁に張り付いていた。


 大きさは私達を乗せた貨物車よりも遥かに大きい。見た目は爬虫類はちゅうるいに近いけど、あんな巨大な生物など私は見たことも聞いたこともなかった。


「なに、あれ……」


「あれが皆様の同類、エボルシッカーズの末路です」


 バケモノが私達の視線に気付いて、下を向く。ちっぽけな私達を見下ろして、涎を四方に撒き散らしながら興奮気味に叫び出した。


 これ、まずいやつじゃ。


 嫌な予感を覚えてその場から後ずさったその時だった。


 バケモノが建物を蹴って飛び出して、目にも止まらぬ速さで私達のいる地上に降ってきた。


 バケモノの巨躯が道路にめり込み、凄まじい衝撃波を生んだ。


 私の体は間一髪かんいっぱつのところで免れることができたけど、衝撃波に押し出されて空気の抜けた風船みたいに吹き飛ばされてしまう。


 私は建物の壁に背中をぶつけてしまい、呻き声を上げてその場に倒れ込んだ。


 背中に尋常じゃない痛みを感じたけど、骨は折れていなかった。多分。分かんないけど。


 私は歯を食いしばりながら激痛に耐え、その場から起き上がった。


 顔を上げると、激痛で歪んだ私の視界に人の死体が映り込んだ。


 死体は腹部から内蔵が飛び出していて、血まみれの状態で道端に転がっていた。おまけに首がなく、四肢はあらぬ方向にねじれ曲がってしまっている。


 服装から判断するに、私と一緒に貨物車から降りた老人の死体だった。


 どうして老人がこんな見るも無惨な姿になって降ってきたのか。


 答えは明白、あのバケモノに殺されたからだ。気が付くと私以外の人は皆、バケモノによって死体にされていた。


 バケモノは次なる獲物を求めて、周囲を忙しなく見渡していた。そのギラついた眼で私のことを見つけると、喉をグルグルと鳴らした。


「……ひっ」


 私は顔を引き攣らせると、その場から全速力で逃げ出した。


「死ぬ死ぬ死ぬ。死んじゃう!」


 突進するだけで道路を破壊し建物を薙ぎ倒していくバケモノに追われながら、私はやけくそに叫んだ。


 一瞬でも気を抜けば殺され、死体に早変わりだろう。とにかく逃げることだけを考えて、私はひた走った。


「グガガカァァァァァ!」


 バケモノが大きく口を開けて私に牙を向けた。


 首をしなやかに伸ばしながら地を蹴って、その鋭い牙で私を噛み砕こうとしてくる。


 運良く交差点に差し掛かった私は方向転換して曲がり角を渡った。紙一重でバケモノの攻撃を回避すると、近くにあった建物の隙間に滑り込む。


 建物の隙間に続く路地裏は人一人が通れる幅しかなく、上手くバケモノを撒くことができた。


 私はほんの少しだけ安堵の息を漏らすが、それでも足を止めなかった。


「グガガカァッ。グガガッ!」


 バケモノがみにくい雄叫びをあげる。どうやら私のことを諦めていないようで、何度も建物にぶつかる音を響かせていた。勘弁してほしい。


 私は「ひぃぃぃ」とおろおろ声を発しながら、路地裏を駆け抜けた。道中、足場に落ちてあった大きな石に引っかかってうつ伏せに地面を転がってしまう。


 既に体力の限界に達していた私は起き上がる気力すらなく、息を切らしながらその場に倒れ伏した。


 暫くしてどうにか呼吸が落ち着いてくると、私は建物の壁を背もたれにして座り込んだ。


「なんなの、ほんとなんなのさっきから!」


 私は今日一日起きた理不尽な出来事を思い出して、鬱憤を虚空に叫んだ。首元のマフラーに顔を埋めて、啜り泣く。


 どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ。否、どうしてこんな目に遭っているのか理解に苦しみ、心が折れかけていた。


「怖いよ。もう家に帰りたいよぉ。死にたくないよぉ」


 恐怖で身が裂けそうになった私は、遂に大泣きした。それは、高校生になって初めて流す涙だった。


 思えばあまり私は泣いたことがない。覚えているのは妹が亡くなった時くらいだろうか。


 赤子みたいに泣き喚いていると、突然とんでもない地響きが路地裏に響いた。


 私は涙を引っ込めると視線を周囲に張り巡らせた。路地裏には私しかいなくて、地響きも一度しか起こらなかった。理不尽なことが起こりすぎて幻聴でも聴こえたのかもしれない。


 私は都合の良い解釈を作り上げると、泣き喚くのを再開しようとした。 


 その時、右隣の壁が砕け散った。


 建物に巨大な穴が空き、そこから四足歩行のバケモノが飛び出してくる。私の間横に現れたバケモノは、そのまま私を殺し尽くさんと吠え、牙を剥いた。


 あ、死んだ。私は瞬時に悟り、抵抗を諦めた。


 マフラーを握り締めて、深く目を閉じる。


「見つけた」


 静謐な男の声が、私の耳に届いた。それとほぼ同時に、肉体を引き裂く生々しい音が響いた。

私ではない、別の肉体が裂ける音だった。


 私はまだ、生きていた。


 え、なんで? どゆこと。私は混乱しながら目を開けてみる。


 開けた視界から見えたのは、真っ白な服を身に纏った少年の後ろ姿だった。


「君、大丈夫かい」


 少年が振り向き、私のことを見下ろす。


 少し癖っ気のある青い髪に整った目鼻立ち。


 昔の西洋軍人が着ていそうな着丈の長いタイト服を身に纏うその少年が、私の目にはとても精悍に映った。


 少年の手には、刀身を紫色に濁らせた謎の刀が握られていた。


「いやあ、ギリギリ間に合ってよかった。あと少し駆けつけるのが遅れていたら、君死んでたよ」


 少年は軽快な口調でそう言いながら私に微笑んだ。少年の背後には、体を真っ二つに引き裂かれたバケモノの姿があった。


 そこで私は少年があのバケモノを退治してしまったのだと理解した。


「アナタは、誰」


「俺? 俺はね───というか君──」


 少年が話し出す。その途中で、私の聴覚が途絶え始めた。緊張の糸が解けたのか、私は意識を失って仰向けに倒れ込んでしまった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 目を覚ますと、少年はいなくなっていた。代わりに赤髪の少女が私の目の前にいた。


「起きましたか」


「……誰」


「ミルフィーノです。アナタに収容所を案内し、監視する役を任されている者です」


「生きてたん、ですか」


「はい。生きてます」


 ミルフィーノはアスファルトの大地に正座して、私の頭を膝の上に乗せていた。


 私はミルフィーノの顔をじっと見つめて、いろんなことを思い出してきた。血だらけのバラバラになった死体の数々に、襲い来るバケモノ。


 あれは全て、夢じゃなかったのだ。私は急激な吐き気に襲われて口元を抑えた。


「吐きそうなら離れてくれませんか。今吐かれると私の体にかかります。それは極めて不愉快です」


 ミルフィーノは心底面倒臭そうに溜息を吐きながら、青ざめる私を睨んだ。


 幸い吐き出せる物が胃の中になかった私は、嗚咽おえつをするだけで済んだ。私の嗚咽が治まると、ミルフィーノは再び溜息を吐いた。


「体のどこかに異常はありませんか。なければ起き上がってください。そろそろ足が痺れそうです」


「あ、えっと、ごめんなさい」


 私は怯えながら、ミルフィーノの膝上から退いた。私の頭がそんなに不快だったのか、ミルフィーノはゴミを見るような目で私を睨んできた。怖い。


「歩けますか?」


「え、あ、はい」


「でしたら歩きましょう。此処に居ても事は進みません。案内するのでついてきてください」


「えっ、ちょ、ちょっと待って!」


 ミルフィーノは私の声を無視して、足早に何処かへ歩き始めた。私は慌ててミルフィーノを追いかけようとするが、その前に重大な事を思い出した。


「あ、マフラー!」


 私は大きな声をあげて首元に巻いていたマフラーの無事を確認する。


 マフラーには返り血と思しき赤い液体がこびり付いていたが、それ以外にこれといった変化はない。所々啜れた箇所もあるけど、それは元々だ。


 マフラーの無事に安堵あんどしていると、その間にミルフィーノは先々と進んでいた。私は首元のマフラーを握り締めながら、見知らぬ道を駆け出した。


「あの、今、何処に向かってるんですか」


 薄暗い道を進みながら、私は前を先行するミルフィーノに話しかけた。


「先程も言った通り、アナタが収容所で暮らすための住居に案内します。他の方は死んでしまったのでアナタだけです」


「そう、ですか」


「はい」


「……」


「……」


「……」


「あのバケモノ」


「え?」


「アナタを襲ったバケモノのことです。さっきも言いましたが、収容所でああいったバケモノが襲ってくる光景は日常茶飯事にちじょうさはんじです。毎日バケモノが誰かを襲って、毎日誰かが必ず死にます」


「毎日、ですか」


「はい。毎日です」


「……」


 嘘だと否定できればどれだけ良かったことか。だが実際に人が死んでいく様を、バケモノの姿をこの目で見た私にその話を否定する材料はなかった。


「どうして私が、こんなとこに……」


 思わず漏れた、私の本音。その言葉に、ミルフィーノは冷徹に返答する。


「それはアナタがバケモノだからですよ」


「私が、バケモノ?」


「アナタはエボルシックに罹ってしまった『元人間』。エボルシッカーズです。アナタもいつか、アナタを襲ったバケモノのようになって、誰かを襲います」


「わ、私は人間です! あんなバケモノじゃありません!」


「いいえ、アナタはもう人間ではありません。今はまだ知性がありますが、病状が悪化すれば理性を失い完全なバケモノになります」


「そ、そんな。そんなことあるわけ……。あんなバケモノが人間なはずなんて」


「否定したくなる気持ちは分かりますが、全て事実です。これから収容所で暮らしていけば、嫌でも現実が見えてくるでしょう」


 ミルフィーノはそう言うと突然立ち止まって、後ろに居る私の方を振り向いた。冷めた目で私を見つめながら道の先を指差す。


 私はミルフィーノの少し後ろで立ち止まると、道の先にある光景を見た。


 そこに広がっていたのは、異形の姿をした人間達が跋扈する別世界の景色だった。


 ある者は頭に大きな角を生やしていたり。


 ある者は、足を六本に分けて歩いていたり。


 ある者は宇宙人のような見た目をしていたりと、人間かどうかも怪しい異形達が、私の目に何百人と映り込んできた。


「此処は収容所第六地区。バケモノ達だけの世界です。そして、これからアナタが住む場所になります」


「アレは……」


 私はミルフィーノの説明を聞き流しながら、目の前に蔓延る異形達を指差した。


「アレは、何ですか」


「アナタの同類です。この収容所に人は居ません。此処は、バケモノであるエボルシッカーズを収容するための町。いえ、監獄です」


 ミルフィーノは困惑する私の隣に立って告げた。


「ようこそ収容所へ。どうか短い余生よせいを、此処で過ごしてください」

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