朝 雨に濡れた薔薇に君を見た

菊池昭仁

第1話

 夜、フロントガラスの雨を気怠そうにワイパーが拭っている。



 「明日の朝まで止まないんだって。雨は嫌いだなあ」

 「俺は好きだけどな? 雨」

 「どうして?」

 「いつも晴れだとつまんねえだろう?」

 「ヘンなひと。なんでこんな男に惚れちゃったんだろう?」

 「それはお前がバカだからだよ」

 「そうかもね? でもあなたが好き。私、馬鹿だから」

 「ラーメン食いにいくか?」

 「何ラーメン?」

 「塩ラーメン」

 「味噌がいい、味噌ラーメンなら付き合ってあげる」

 「じゃあ味噌で」


 私は味噌ラーメンが有名なラーメン屋にクルマを走らせることにした。

 絵里子と結婚していた頃は、


 「何が食べたい?」


 と訊いても、


 「何でもいい」


 そんな女房だった。

 別れる時、絵里子から言われた。


 「あなたっていつも人任せよね? 自分では何も決められない人」


 それ以来、私は自分の意思をハッキリと伝えることにした。


 「俺はこれがやりたいんだけど、お前はどうだ?」


 そんな単純なことが私には出来なかった。

 私はそれが相手への思い遣りだと思っていたからだ。



       相手が好きなこと やりたいことを叶えてあげたい



 絵里子は子供が欲しかった。

 ママになりたかったのである。だが私はそれを望まなかった。

 殆どの女は男に決めて欲しいという。

 たとえそれが自分の望まないことだとしても、愛する男に従いたいのだ。

 自分の感情を押し殺してまでも。


 渚とは付き合って3年になる。

 長く付き合って来れたのは、私が自分のしたい事ややりたい事を具体的に伝え、彼女をリードするように心がけて来たからかもしれない。

 人間は強い人間に惹かれるものだ。

 私が強いかどうかは別として、自分の意志を相手にハッキリと伝えることは大切なことだ。


 渚は私より9才年下の29才、看護士をしている。

 彼女はオペ看(手術担当の看護師)をしているだけあって決断力があり行動も早く、すべてにおいて段取りがいい女だった。

 イヤなことはイヤ、好きなことは好きとハッキリという。

 私の提案に対して即座に回答を出して来る。

 年齢的には9才も下だが、精神年齢は寧ろ私よりもずっと上だった。

 お互いに腹の探り合いはしない。だからうまくいっているのかもしれなかった。




 券売機で私が味噌チャーシューのボタンを押すと、渚は味噌バターのボタンを押した。


 「餃子も食べていい? それからビールも」

 「いいよ」

 「ごめんね? 省吾に運転させて自分ばっかり」

 「今日はむずかしいオペだったんだろう? 餃子にビールくらいのご褒美はしないとな?」

 「省吾のそういうところ、大人だね?」


 渚は私と付き合う前、2つ年下の放射線技師と同棲をしていた。


 「年下はもう懲り。甘えてばかりで自分勝手、その上いちいち私のやることに口出ししてくるしもう最悪。

 省吾は私のわがままを何でも聞いてくれるもんねー?」


 だが、渚は私にわがままなど言ったことがない。

 そもそも渚は我儘な女ではなかった。

 肝心なことはいつも我慢して私を気遣ってくれる。

 渚はそんな女だった。


 「さすがに並んでいるだけのことはあるわね? 味噌が濃厚」

 「味噌にウニを練り込んでいるらしい。ネットの口コミに書いてあった」

 「へえー、そうなんだあー? だから少し磯臭くてまろやかで、コクがあるのね?

 そう言われると、ウニ・クリームパスタを思い出しちゃう」

 「そして麺はかん水が多いそうだ。この黄色い中太麺にもスープが良く合うよな?」

 「合う合う、すごく合う!

 そしてこのバターがトロリとして、もう最高!」


 私はそんな風にはしゃぐ渚のどんぶりに、自分のチャーシューを1枚入れてやった。


 「ありがとう、省ちゃん大好き! 私の味噌バターも味見してみる?」


 渚はバターの溶けた周りのスープをレンゲで掬い、私の口元へと寄せた。


 「いいのか? こんなにバターのたっぷりのところを?」

 「だってここがいちばん美味しいんだよ。遠慮しないでどうぞ」


 私はせっかくの渚の好意に甘え、それを啜った。


 「どう? 美味しいでしょう?」

 「いいね、バター。俺も入れようかな? すみませーん、バターふたつ」


 そのバターのひとつは渚のラーメンに、そしてもうひとつを自分のどんぶりの中へと入れた。


 「掻き回しちゃ駄目だからね? じんわりバターが溶けるのを待つの。 

 そしてその周辺のスープを掬うのが美味しいんだから。やってみて」


 バターの風味と塩味が、味噌と程良くマッチしていた。

 渚は熱々の餃子をハフハフしながら食べると、それを鎮火させるように冷たいビールを喉に流し込んだ。


 「くうーっつ! 仕事終わりのビールはサイコー!

 省吾、餃子も美味しいよ、食べて食べて」


 そんな何気ない渚との日常が、私にはかけがえのないしあわせだった。


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