第15話 言葉には出来ないけれど
その後は何事もなく様々な場所を見学し、夜には決まったホテルに帰って来た。
二泊三日、たったそれだけなのだ。
だからこそ、すぐさま帰る時間が訪れる。
「俊介、良いのかよ?」
「あぁ、まぁ……仕方ないっしょ」
それだけ言って、飛行機から降りた俺達はのんびりと空港内を散策していた。
これで旅行は終わり、色々と思う所はあっても“修学旅行”は終わったのだ。
だったら後は帰るだけなのだが、何故荷物を持ったままウロウロしているのかというと。
何でも“土産を買い忘れた人”の為の、最後の自由時間なんだとか。
その気遣い、いる? とか思ってしまったが、案外ツアーと言うのは昼間忙しく移動するもので。
一定数そう言う人達も居るのだとか何とか。
安っすいプランだったから、ここまで移動時間もカツカツなのかな。
もしかしたらまだ迎えのバスが来ていないとかで、時間稼ぎかもしれないけど。
「あ、あれ? 永奈? 永奈ー!?」
振り返ってみれば、さっきまで美月ちゃんの隣を歩いていた筈の映奈の姿が無い。
親父達も、自由時間は“学生だけで楽しませてやろう”という計らいだった様だが、今回ばかりは裏目に出てしまった。
しかもさっきまで永奈が近くに居たのは俺も確認しているんだ、なら親父達に付いて行ったって可能性は0だと言う事。
そもそも本人の性格上、何処かへ行くなら間違いなく一言言ってから離れるはず。
「美月ちゃんは集合場所に戻ってて! 律也すまん、俺の荷物頼む! 親父達にも連絡しておいてくれ!」
スマホを耳に当てながら、思い切り叫んだ。
ここ数年はこんな事無かったので、完全に失念していた。
永奈は昔、良く迷子になる子だったのだ。
知った顔が居た気がする、知っている誰かが何か言っていた気がする。
たったそれだけの勘違い、例えちょっと視線を外しただけでも自らが一人になったのかという不安に駆られる。
こうも人が多い場所では、様々な音が聞こえて来る様な環境では。
誰だって知っている声だけを聞き分ける事等出来ないだろう。
あの子の場合は、とにかく全てがノイズに変わるのだ。
その影響でストレスも著しく強くなり、本人も疲弊してしまう。
ずっと耳元でガヤガヤとした雑音が鳴っているかの様な状態になるみたいで、思考が勝手に周囲の情報を遮断しようとするのかもしれない。
中学に上がった頃だったか、もう心配ないという言葉と共に、原因を教えてくれた事があった。
聞き取れない喧騒だけが耳の中に反響する、映像とは関係ない音を垂れ流すテレビを見ている様な気分だと。
当時は言えなかったけど本当は嫌だったと怒られたのかと思い、必死で謝った記憶もあるが。
本人は、それでも楽しかったと笑っていたのだ。
これからも色んな所に連れて行ってくれと、そう言ってくれたのに。
「くそっ! 何処だ永奈……」
人混みの中を駆け抜ける様な真似をしてしまっているが、今だけは構っていられなかった。
さっきから耳に当てたスマホもコール音が続くばかりで、相手が電話に出る様子が無い事で俺自身も焦っていく。
最後の最後で、やらかしてしまった。
※※※
「○○行きの皆――此方……」
その声が聞こえた瞬間、思わず耳を傾けた。
ガイドさんが何か言った気がするけど、良く聞こえなかった。
似た様な恰好のガイドさんとか、そこら中で“何とかツアー”みたいな旗を掲げている人が居る事も影響し、どの人が私達を案内してくれる人なのかも良く分からなくなってくる。
でも大丈夫だ。
友達と一緒に、先輩達と一緒に居れば問題ない。
そんな事を思っていたのに。
「え? あ、あのっ!」
なにやら忙しそうにする人達が急に目の前を通り過ぎていった。
他の皆の事は避けていた様に見えたので、低身長のせいで見落とされた?
「す、すみません……通して下さい……」
他のツアーの人達だろうか? ゾロゾロと大人数で進む彼等には、私の声など聞こえておらず。
……あぁ、最悪だ。
皆を完全に見失ってしまった。
ここは私が初めて来た場所で、人も凄く多い。
だって飛行機なんて乗ったのは初めてだったのだ、広い空港のマップなんて余計に分からない。
だからこそどこに行けば良いのかも分からず、キョロキョロと見回しても皆の姿が見えなかった。
その瞬間、ゾッと背中が冷たくなった気がする。
周りの人達は、私の事なんか知らない。
助けを求めた所で、手を貸してくれる人の方が少ないだろう。
でも大丈夫、連絡を取ればきっと皆の居場所も分かる。
頭では分かっていても、身体が震えた。
「先輩……先輩……」
ガヤガヤと耳に残る喧騒で、段々思考に靄を掛けていくのを感じた。
どんどん息は苦しくなっていって、自分でも分かる程パニックに陥り掛けている。
本当に久しぶりだったのだ、迷子になるなんて。
しかもここは、歩いて家に帰れる距離では到底ない事も分かっている。
だからこそ、余計に怖い。
そう思えば思う程体は震え、過呼吸に陥り掛けてしまった。
「だ、駄目……こんな所で、絶対駄目……」
震える指で胸を押さえて、何とか呼吸を整えようと足を止めて目を瞑った。
ジワッと涙が浮かんだのが、自分でも分かる。
何を泣いているんだ、高校生にもなって。
でもそれ以上に、この歳になってまで皆に迷惑を掛ける自分が情けなかった。
大丈夫、体調が悪いのだって私の勘違いだ。
少し休めば、心が落ち着けば。
身体の震えも止まって、皆と連絡が取れる。
そう、分かっている筈なのに。
「先輩……どこですか……?」
目を閉じて、ノイズと暗闇の世界の中で。
ポツリと、そんな小さな声が零れ落ちた。
助けて、下さい。
自分でもちゃんと言葉にしたじゃないか、もう先輩に迷惑を掛けるのは止めようって。
彼に将来を聞かれた時、思ったんだ。
やっぱり、先輩も先の事を悩んでいるんだなって。
このまま一緒に居たらずっと大変な思いをする事になる、それを自覚し始めたんだなって。
いつまでも、子供の時みたいには笑っていられなくなるから。
だったら私じゃなくて、普通の人と一緒になった方が……絶対――
「永奈! 良かった、無事か? 発作とか、身体が動かないとかは無いか?」
急にその声が聞えて来て、一瞬幻聴かと思ってしまった。
瞼を開けてみれば、心配そうな顔をしながら息を切らしている先輩が。
先輩が来てくれた、それだけで全身の緊張が解れた気がする。
この事実だけで、さっきまでグチャグチャだった思考が元に戻って行く。
「先輩……ごめん、なさい。また私、迷惑を……」
「ごめん永奈、俺が手を繋いでおけば良かったな。そうじゃないなら、美月ちゃんにお願いしておくべきだった。本当に悪かった、怖い思いとかしてないか?」
謝るべきは私なのに、逆に物凄く謝られてしまった。
ここまで心配そうな瞳は、家族以外からは向けられた事なんか無くて。
何度も何度も、私に聞える声で「大丈夫か? 平気か?」と聞いてくれる。
あぁ……ほんと、駄目だ。
これを機に少し距離を置こう、先輩にもこれからは好きな事をしてもらおうって思っていたのに。
私、この人が好きだ。
きっと、彼がいない人生を私は想像出来ない。
想像したくもないと、そう思ってしまっている自分が居る。
頼ってばかりではいけないと分かっているからこそ、彼の人生を潰してしまってはいけないと思っているからこそ。
私は、子供の内に彼を拒否しないといけないのに。
「ありがとう、ございます……先輩」
「良いって、これくらい。それより、本当に大丈夫か? もう歩いて平気か?」
「だ、大丈夫です……すみませんでした」
そんな会話と共に、空港内を一緒に歩き始めた。
この人は、いつだって私の生きる道を示してくれる。
こうして手を繋いで、共に歩いてくれる。
だからこそ、この想いを伝えてはいけない。
優しいこの人は、きっとそのまま人生を私の為に使ってしまうから。
そう思える程に、彼は何でも私の我儘を聞いてしまうから。
だからこそこの人から“卒業”しようと、そう思ったのに。
分不相応だと分かっていても、ずっと一緒に居たいと思ってしまった。
「なんで、そんなに優しいんですか?」
相手の背中を見つめながら、そう呟いてみれば。
私の小声は喧騒に塗れ、先輩の耳には届かなかった。
ごめんなさい、先輩。
私やっぱり、貴方の事が大好きです。
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