第3話 傷跡


「先輩、今日は何が食べたいですか?」


「永奈の作ってくれるモノなら何でも旨い」


「もう、またそんな事ばっかり言って……」


 ちょっとだけ怒った様な表情を作りながらも、すぐにいつもの笑顔に戻る後輩。

 そんな彼女と学校の帰り道、夕飯の材料を一緒に買いに来ていた。

 ウチが片親だという事と、親父の帰りがなかなかに遅い事もあり。

 更には向こうの両親は俺の事を随分と信用してくれている様で。

 中学生くらいの時から、永奈はこうして毎日ウチに通っている。

 若い男女が一つ屋根の下に二人きり……なんて古臭い事を言えば間違いしか起こらなそうだが。

 生憎とそういう特殊イベントは起こらず、普通に生活していると言う訳だ。

 まぁ俺に手を出す根性が無いという話でもあるのだが。


「今夜は適当なものでも良いですか? まだ残っているお野菜が多いので、一気に使っちゃおうかなって」


「その適当なメニューというのを、詳しく」


「回鍋肉モドキにしちゃおうかと思いまして。それから春雨が目についたので、春巻きを作ろうかと。他の具材は大体揃ってますし。あとは~中華スープとトマトスープ、どっちが良いですか?」


「超豪華、中華祭り。トマトスープが良いです」


 なんて会話をしながら、そこまで多くない品物を籠に入れレジへと持って行く途中。

 急に永奈が、俺の背中に隠れ始めた。

 何だ何だと周囲に視線を向けてみれば、一人の男子生徒が此方に視線を送っていた。

 ウチの高校の制服じゃないが……もしかして。


「何か用ですか?」


 ジロリと睨みつけながら、相手に声を掛けてみると。

 相手は困った様に視線を右往左往してから、小さな声を洩らし始める。


「ぁ、あの……鹿島先輩と。その、馬岸さん……ですよね?」


 やはり、小学か中学で一緒だった相手の様だ。

 この辺りは都会という訳では無いし、地元の面々が近くの学校に通う事は珍しくない。

 更には、近所のスーパーに立ち寄っているのだ。

 知っている奴と顔を合わせたって不思議じゃない訳なのだが。


「だから、何?」


「俺、野上って言いま――」


「名前を聞いた訳じゃ無いよ、何? 何か用?」


 思わず喧嘩腰になってしまったが、相手に合わせるつもりは微塵も起きなかった。

 なんたって、後ろに隠れた永奈がガタガタと震えているのだから。

 そして俺の記憶にも残っている、その苗字。

 小学の頃、嫌という程後輩の代わりに喧嘩した相手なのだ。


「いや、その……俺は……」


「早く用件を言ってくれないかな? 君が近くに居ると永奈が怯えるんだ。それともまた補聴器を取り上げて壊そうとしてくるのかな?」


「そんな事しません!」


 相手は思い切り俺の言葉に食いついて来た訳だが、此方は更に目尻を吊り上げた。


「そうだね、普通はそうだ。でも君は、何度もそんな事をして来たよね? 今がどうこうじゃないんだよ。過去にそれを実際にやられた記憶が、永奈には残っているんだ。もうガキじゃないんだから分かるよね?」


「……」


 小学生の悪戯、好きな子にちょっかいを出す行為。

 例えそうだったとしても、ソレは本人の心に大きな傷跡を残したのは間違いないのだから。

 生憎と、俺はそれを“許してやれ”なんて口が裂けても彼女に言う事は出来ない。

 俺自身も、許すつもりなどさらさらないが。


「悪いけど、永奈は君と話す気分じゃないみたいだ」


「あ、あのっ! 俺どうしても馬岸さんに――」


「聞えなかった? 視界から消えてくれって言ってるんだ」


 それだけ言って更に睨みを聞かせてみれば、相手はグッと唇を噛みしめてから頭を下げ、そのまま後ろを向いて歩き出した。

 とりあえずの危機は去ったとばかりに、背後に張り付いた永奈の肩をポンポンと叩いてみれば。


『ありがとう』


 フルフルと震えながら、彼女は手話でお礼の言葉を伝えて来た。

 昔の記憶は、未だ彼女を傷付けている。

 多分俺の目が届かなかった所では、永奈は想像以上にイジメられていたのだろう。

 どうしても学年の違いがある以上、全部守ってやる事は出来なかった。

 中学の修学旅行なんて帰って来た瞬間俺に飛びつき、嗚咽を溢して泣いていたくらいなのだ。

 この傷は相手が謝ったから、反省したからと言って簡単に許して良いモノじゃないだろう。


「永奈、帰ってご飯にしよう。俺も手伝うから」


 手話と一緒にそう言葉にして、ニコッと微笑んでみれば。

 永奈は無理して笑った様な表情を作りながら、小さく頷いてくれるのであった。

 あぁ、ほんと。

 昔の俺がもう少し上手くやっていたなら、ここまでにはならなかったのだろうか。


 ※※※


「わ、悪い永奈……俺が手を出したばっかりに」


「大丈夫ですよ、先輩。美味しいですから」


 帰って来た後も、まだ緊張が抜けていなかったのか。

 やけに硬い動きを繰り返した永奈だったので、本日の料理はほとんど俺が担当した。

 彼女の指示を受けながら、言われた通りに動いたつもりだったのだが……見事に焦げた。

 回鍋肉だってちょっと焦げ臭いし、春巻きなんて普通に黒い。

 成功と言えるのは、トマトスープくらいだ。

 だがコレだって彼女だけで作った方が、何倍も美味しい仕上がりになった事だろう。

 そんな失敗作の夕食となってしまった訳だが、永奈は文句の一つも言わずに俺と一緒に箸を進めている。


「いやぁでも、やっぱ難しいな料理って。何でも作れる永奈はすげぇよ」


「そんなことありませんよ。私の作れる物なんて、少し慣れれば誰にでも作れますから」


 少しは緊張も解れて来たのか、いつも通りの笑みを浮かべる様になって来た後輩。

 普段から敬語なので、言葉だけだとちょっとわかり辛いが。

 彼女の場合は、表情と雰囲気に凄く出る。

 なので、もう大丈夫なのだろう。


「次に中華食べる時は、永奈の作った餃子が食べたい」


「分かりました、良いですよ。でもこねるのと皮に包むのは手伝ってくださいね?」


「それくらいお安い御用だ、多分」


「期待してます、先輩」


 クスクスと笑う彼女の顔を見ながら、本日は黒っぽい夕飯を平らげるのであった。

 永奈が俺を“先輩”って呼ぶようになったのって、いつ頃からだったかな。


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