第9話 ……やめるなよ

 体育館が割れそうなくらいの拍手が、耳の奥にまだ残ってるみたい。


 ……舞台から、一週間。


 わたしはずっと演劇部に顔を出せていない。

 それどころか学校にも行けていなかった。


 ……別にサボったわけじゃないよ。

 帰ってきてから熱が出て、しばらく安静にしてたの。

 学校に行かなくて済んで、ホッとしちゃったのは事実だけど……。

 慣れない舞台と、もしかしたらレイに乗っ取られたことも影響あるのかな?

 多分身体がびっくりしちゃったんだと思う。


 センパイたちから心配のメールは来てたけど、返信はできないままだった。

『大丈夫?』って聞かれても、『大丈夫』って答えたら……ウソになっちゃう気がして。


「……ヒマだなあ」


 今までは時間があれば部活をしていたから、こうして学校を休んでると、何していいか分からないや。

 演劇部に入る前は何してたっけ。


 何もしてないと、ずっと後悔がぐるぐるしちゃう。

 あのすごい拍手が、まるでわたしを責めているみたいな……。

 みんなが求めているのはレイなんだ。わたしじゃない。

 あんなに練習したって、わたしじゃ、敵わない。


「千秋ー。部長さんがお見舞いに来てくれたわよ」

「え!?」


 お母さんの声掛けに、ガバリ。わたしは慌てて身体を起こした。

 うわわ、勢いつけすぎてちょっと目眩が。


「居森さん」

「さ、桜台部長!?」


 わたわたとパジャマを整えていたら、本当に桜台部長が部屋に入ってきた。

 制服姿だ。

 学校が終わって、そのまま来たのかな。


「急にごめんね。少し、大丈夫? 具合はどう?」

「……もうほとんどいいです。明日には学校にも行けると思います」

「本当? 良かった」


 桜台部長が、ホッとしたように胸を撫で下ろす。

 ……部長はこんな時まで優しいんだ。

 逆にどんどん申し訳なくなってくるよ……。


「部長……わたし……」


 何か言おうとして。でも何も言葉が出てこなくて。

 謝る? 言い訳する? でも、何を?

 ぐるぐる悩んでいたら、桜台部長がニッコリと笑った。

 いつもの笑顔だ。みんながホッとしちゃうような、優しい笑顔。

 桜台部長が、わたしの隣に座る。わたしの顔を覗き込んでくる。


「居森さん」

「は、はい」

「無理にとは言わないけど……聞いてもいいかしら。あの日、何があったのか」

「え……?」

「何となくは察してるけど……居森さんの口からちゃんと聞きたいと思って」


 ……そっか。

 レイはきっと、舞台にずっと出ていたし……わたしの意識が戻ったのも舞台が終わった直後だった。

 それじゃあちゃんと説明している時間なんてなかったよね。

 レイの姿や声はわたししか認識できていないから、わたしが休んでいた一週間も、レイには説明なんてできなかったはず。

 ますます悪いことしちゃったな……。

 わたしはうつむいた。

 ちゃんと説明、しなきゃ。


「あの日……」

「ええ」


 言葉が、つかえる。息が苦しくなる。

 それでも、桜台部長はじっとわたしの言葉を待ってくれている。


「観客の人たちが、わたしが下手だって話してて……」

「……うん……」

「みんな上手いのにわたしだけウソくさいって……そう言われたのがショックだったんです。それで、よく分からなくなっちゃって……そうしたらレイに乗っ取られました。だから中盤から演技していたのは、わたしじゃなくてレイなんです。……あ、でも、レイも悪気があったわけじゃないと思うんです! あのままだとわたしが動けなかったから……舞台が台無しになっちゃうから」


 そう。きっと。

 レイは、レイが舞台に立ちたいからとか……わたしに意地悪しようだとか、そういう気持ちはなかったと思う。

 ただ、舞台のために、みんなのために。そうするしか方法がなかったんだ。

 舞台を成功させたかったのは、わたしもレイも同じだもん。

 それは……信じていいと思う。


「そっか……。居森さん、話してくれてありがとう」


 微笑んだ桜台部長が、わたしの手をそっと握る。


「あのね、居森さん。最初はみんな、上手くいかないものよ。わたしも最初は随分と緊張したものだったわ」

「桜台部長も……?」

「ええ。はじめて舞台に立った日なんて、緊張しすぎてね。転んで鼻血を出したのよ」

「部長が!?」


 眉を下げて笑う桜台部長に、わたしは、びっくり。

 素っ頓狂な声を上げちゃった。

 この優しくて穏やかな部長が、鼻血?

 いつもおっとりしていて、緊張なんて縁がなさそうなのに?

 そ、想像できない……。


「恥ずかしいから、ナイショね?」

「はい……」

「それにね。レイくんの演技はたしかに上手だった。正直、惚れ惚れしたわ。でも……『作り上げる演技』は、居森さんも負けていなかったと思うの」

「作り上げる演技……?」

「ええ。わたしは居森さんの演技、好きよ」

「……っ」


 真っ直ぐな言葉は、ウソには思えなくて。

 わたしは、ぐっと唇を噛み締めた。

 泣いちゃだめ。心配かけちゃう。

 でも……どうしよう。うれしいよ。


「明日、部活で会えるのを楽しみにしてるわね」


 部長の言葉は、やっぱり真っ直ぐだった。

 本当に楽しみにしてくれているんだ。

 それだけじゃなくて。わたしが明日部活に出ることも、疑ってない。

 ずるいなあ。部長ってば。

 そんなの、さ。

 ……応えたく、なっちゃうじゃない。


「はい!」って答えたわたしの声は、きっと今までよりもお腹から出てた。




 それから一時間もしないうちに、呼び鈴が鳴った。

 今度は誰だろう。桜台部長が何か忘れ物でもして、取りに来たのかな?

 ……そんな風に呑気に考えていたら、来たのは予想外の人だった。


「……こんにちは」

「能代くん!?」


 ムスッとした顔でわたしの部屋の前に立っているのは、どこからどう見ても能代くんだ。

 でも、どうして?

 桜台部長が心配して来てくれるのは分かるけど、能代くんが、何でうちに?

 そんな動揺が顔に出てたのか、能代くんの眉間のシワがどんどん深くなる。


「……これ。先生が、部長に渡しそびれたから……ぼくが直接持ってきた」

「これ、って……」

「こないだの舞台の映像。顧問の先生が録画してくれてたんだよ」


 それは、一枚のDVDディスクだった。

 能代くんがぶっきらぼうに差し出したそのディスクを、こわごわ受け取る。

 これに、わたしたちの舞台が……?


「見れる?」

「え?」

「ここで見れるかって聞いてんの」

「え、う、うん。大丈夫だよ」

「見せて」

「ええ!?」


 一緒に見るの? 今? ここで? わたしたちが?

 ああっ、また能代くんの眉間のシワが深く……!


「体調悪いなら、無理にとは言わないけど」

「う、ううん! もうだいぶ元気だから!」


 ……気まずいなら、「体調が悪いから今日はちょっと」って断れば良かったかもしれない。

 でもやっぱり、わたしはウソがつけなかった。

 うう、もう、ここまで来るとクセだよね……。

 促されるままに、部屋でDVDをセットする。

 そうして。

 わたしと能代くんは、なぜか並んで観賞会をすることになった。


「あ……」


 舞台の上で動く、わたしと能代くん――ううん、ミチゼルとグレチル。

 こうやって客観的に見るのははじめてだ。


 うわ。わたし、声、震えてる。あ、動きにキレが全然ない。

 自分では頑張ってるつもりだったのに、まるで棒立ちみたい。

 能代くんの隣だと余計に際立つ。

 は、恥ずかしい……っ。


 それも中盤で、急に演技が変わった。

 誰が見ても、最初とはちがうって、すぐに分かる。

 目が、離せない。

 一つ一つのセリフに、挙動に、引き込まれる――。


 ウソとか。リアルとか。

 もう、そういうんじゃなくて……夢、みたいな。

 物語の中に夢中で引き込まれる、不思議な感覚だ。


 映像の中の幕が下りても、わたしはしばらく動けなかった。ボーゼン。

 これが、レイの演技……。すごかった……。


「……ぼくは昔、身体が弱かったんだ」

「能代くん……?」


 テレビに目を向けたまま、能代くんがぽつりと呟いた。


「長く入院していて……病院じゃやれることも少なくて、ヒマしてた。だけど同じ年頃の男の子がぼくより先に入院していて。自然と話すようになったんだ」


 能代くんは、わたしを見ない。ずっと終わった映像をにらんでいる。


「その子が演劇に夢中でさ。ぼくにも色々オススメを見せてくれたよ。『今は窮屈だけど、こんな風に身体を使いこなせたら楽しいと思わないか?』って言われて……ぼくは確かにそのとき、夢みたいだと思ったんだ。それがキッカケで演劇に興味を持って、その子ともいわゆるごっこ遊びをよくやってた。退院してからは親に頼み込んで劇団にも参加させてもらったよ」


 あ……。もしかして、今、以前「いつから演劇やってたの?」って聞いたときのことを答えてくれてる……?

 あの時はすぐ無言になっちゃったけど……。

 ずっとテレビをにらんでわたしを見ないのも、もしかして、照れ隠しだったりするのかな。


「……そうだったんだ。その子は今、どうしてるの?」

「ぼくが退院してからは会えてないから分からない。でも……演劇を続けていれば、どこかで会えると思ってる」

「……そうだね」


 そんなに演劇を求めて、繋がってるんだもの。きっと会えるよ。

 わたしも、あの子に、会えるのかな……。


「だから……、演劇部が廃部になったら、困る」

「……え?」

「……やめるなよ。そりゃ、まだ下手かもしれないけど……この短時間にしては、上手くなった方だと思うし。それに映像、見ただろ。たしかに中盤の演技と比べたらそっちのは粗が目立つけど……でもあんたのグレチルは、ミチゼルのことをよく見て、一緒に演技を作り上げることもできてた。それに関してはそっちの方が……ちょっと、上手いと、思うし……まだ、伸びしろはあると思うし……」


 もごもごと、いつものセリフの滑らかさはどこに行っちゃったのか。

 能代くんはさっきよりもさらに顔をそらしてる。

 首、痛そう。

 ねえ能代くん。

 顔を見られたくないのかもしれないけど……その角度だと、耳が赤くなってるのが分かっちゃうよ。


 素直じゃないけど、心配、してくれたんだ。

 それに慰めてもくれてる……よね?


「……うん。ありがとう」

「ぼ、ぼくは別に」

「やめないよ。能代くん、わたし、がんばるね」

「……それならいい」


 そう言って、能代くんはふわりと笑った。

 はじめて見るその顔に、わたしも少し、照れくさくなっちゃった。


「それにしても、この演技、どこかで……」

「え?」

「……何でもない。いいか! また明日! 部活には遅刻すんなよ!」


 最後まで素直じゃない能代くんは、そう言うとバタバタと帰っていった。

 テレビから拍手の音がずっと聞こえてきているけど……もう、拍手の音を聞いてもイヤな気持ちにはならなかった。

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