第8話 サイコーにノってるね
それから、レイは害のあるユーレイではないということも、どうにか分かってもらって。
わたしたちは時にレイのアドバイスを取り入れながら、地道な練習を続けていった。
体力作り、筋トレ、ストレッチ、発声、滑舌、表情や動き、それから立ち稽古……地道な練習といっても、やることはたっくさん。
時間が足りないくらい。
自分があと一人……二人、ううん、三人、いや、いっそ五人くらいいればいいのに。
そう何回思ったことか。
それでも時間は止まることなく過ぎていって。
いよいよ、本番当日。
体育館の裏で、わたしは心臓が、ばっくんばっくん。
飛び出しちゃうんじゃないかと思うくらいうるさかった。
緊張で全身ガチガチだよ。
どうしよう。
こんなに緊張していたら、いっぱい噛んじゃいそう。
足、もつれないかな。
セリフ、忘れちゃわないかな。
それから、それから――……。
「千秋」
「きゃっ」
ひょい、とレイが顔を覗き込んでくる。
わたしは思わず飛び上がった。
び、びびびっくりした!
今のでわたしの心臓落ちてない? 大丈夫?
「ちーあーき。緊張しすぎ」
「だって……!」
空気がずっとざわざわしている。
幕の向こう側には、もうお客さんがいる。
保護者と、ここの生徒たち。
何人かは演劇関係の人も来ているらしいけど、わたしにはよく分からない。
とにかく、はじめて誰かに見てもらうんだ。わたしの演技を。
これで緊張しないわけがないよ!
ううん。何より、上手なみんなの足を、わたしが引っ張るんだと思ったら……。
「千秋ってば」
パン、とレイがわたしの頬を――挟もうとしたみたいだけど、当然すり抜けた。
うわ。すごく変な感じがした。
冷気が脳みそを揺さぶったみたいな……。
レイは難しい顔をして自分の手を見ている。
やっぱりまだユーレイって自覚が薄いんだね、この記憶喪失のユーレイさんは。
……なんかちょっと、気が抜けちゃったな。
「く、ちょっとカッコつかなかったけど。やることはやったんだし、落ち着いていこーぜ。それに千秋は一人じゃなくて……」
ほら、とレイがわたしの後ろに目を向ける。
わたしはゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、部員のみんな。
「緊張するわね。でも楽しんでいきましょう?」
「桜台部長……」
「顔色が悪いですな。後であったかいお茶でも飲むといいですぞ」
「柱センパイ……」
「一丁前に緊張なんてしてんなよ。……あんたが失敗すんのなんて分かってるし、後はぼくらがどうにかするから」
「……能代くん」
……うーん! 能代くんは、相変わらず、口が悪い!
でも、最近は能代くんが言葉通りじゃないのも分かってきた。
すごーく分かりにくいけど、自分たちがカバーするから心配するな、ってことだよね?
……能代くんはツンデレなのかな。
ふふ。そうだね。
みんながいるんだもん。
あとは、今までやってきたことを、ぶつけるだけ。
さあ。
「演劇部による『ミチゼルとグレチルと青い鳥』、これより、開始いたします」
桜台部長の柔らかな挨拶で、幕が開ける――。
「『ミチゼル、おなかが空いたわ……』」
まだ薄暗い舞台で。
はじめの声は、すごく、震えた。
それでも声が大きいのは元からだ。少しくらい震えても、きっと届く。
ああでも、喉が閉じそう。開け。開け。
声が震えても、小さくても、そんなに違和感のないセリフなのは、もしかして柱センパイがそこまで考えていたのかな。
「『もう少しだよグレチル。この小石を辿れば家に帰れるさ』」
ぐ、と能代くんに手を握られる。
能代くんの手も、少し、震えてる?
「『でも帰ったら、お母様が怒らないかしら』」
「『そのときはこの拾った小石たちを、靴下にでも詰めてさ。母さんの前でぶん回せば分かってもらえるよ』」
「『ミチゼル、それはブラックジャックっていうの。武器よ』」
くすくす……
控えめだけど、観客の方から笑い声が聞こえる。
その瞬間、身体が熱くなった。
反応が、ある。手応えが、ある。
カッ……
照明がいよいよ当たる。
思ったより、ずっと眩しい。熱い。飲み込まれそう。
でも、落ち着いて。
わたしは、グレチル。
お兄ちゃんのミチゼルが大好きだけど、ちょっと素直になれない。用心深くて、だけどいざというときは大胆な女の子。
能代くん……ううん、ミチゼルの手を、握り返す。
一歩、寄り添う。
ミチゼルが少しだけ目を見開いた。
にこ。わたしは微笑む。
グレチルはね。今はミチゼルと家に帰るのが、本当はきっと、少し怖い。
だけどミチゼルがいつも通りに振る舞ってくれるから、怖いのを表に出さなくて済んでるの。
ミチゼルと一緒なら、きっと大丈夫。二人一緒なら。
それから、それから――。
夢中だった。
物語が、動く。
わたしも、見ている人も、物語の中に取り込まれていく。
照明も、空気も、気持ちも、何もかもが熱くなっていく。
頭のてっぺんから足の爪先までじんじんと痺れそう。
でも、楽しい。
楽しい……!
……気持ちいい……!
もっと。もっと、もっと。
「『――青い鳥を探せ、だって?』」
「『ああそうさ。それができれば二人を解放してあげようじゃないか。……逃げられると思うんじゃないよ。この不思議な帽子はいつでもあんたらを捕まえられるんだからねぇ』」
物語は、中盤。魔女の不気味な高笑いと共に、舞台が暗くなる。
ほんの少しの休憩。
舞台の端に移動した途端に汗が噴き出てきた。
まだ中盤に入る頃なのに、ああ、疲れた……!
でも、不思議。その疲れすら心地いいなんて。
「千秋、いいよ。サイコーにノってるね」
「……レイ……」
汗を拭いていたら、レイがニッと口の端を上げて笑って。
わたしは下手くそに笑みを返した。
夢中で、もう、何が何だか。
でもね、うん、楽しくって。
練習だけじゃわからなかったこの空気感が、たまらなくって。
だから。
だから……。
いやに研ぎ澄まされたわたしの耳は、聞いちゃいけない言葉まで拾ってしまったんだ。
「ね、みんな上手だね」
「うん。特にあの男の子なんてすごくない?」
ひそひそ、最前列の女の子たちが話している。
「でもあの……グレチルだっけ? あの子だけ、微妙じゃない?」
「そうかなぁ。雰囲気出てると思うけど……」
「動きがカタいっていうか、なんか、ウソくさいっていうかさぁ……」
サァ……って、血の気が引いた。
さっきまでの苦しいくらいの熱がどんどん引いていく。
足元が、ぐらぐら揺れる。
冷たい。手の指も、足の指も、冷えて痛いくらい。
ううん。動揺しちゃだめ。落ち着いて。まだ劇は半分くらい残っている。
どんなに下手でも、やり切らなきゃ、それこそみんなに迷惑がかかっちゃう。
わたしが下手なのは、わかっていたじゃない。
そうだよ。分かってた。大丈夫。また練習しよう。
それより今は、ほら、もう幕が上がる。行かなきゃ。笑って。さあ。
「……千秋?」
「……」
どうして、かな。
足が動かない。
足元だけじゃなくて、頭もぐらぐらしてきた。
おかしいな。
足、動いて。息、して。わたし。
ねえ、行かなきゃ。ほら、みんなが待ってる。
行こうよ、……行かなきゃ。
行って、ねえ、お願い、グレチル……。
「千秋……、千秋!」
……それからのことは、よく、覚えていない。
気づいたら、体育館いっぱいに拍手が鳴り響いていた。
ぼんやりとした頭で、ゆっくりと周りを見てみる。
キラキラしたお客さんの顔。みんなみんな、満足そう。
それから……それに反して、わたしを心配そうに見ている演劇部のみんな。
わたしの前に立つ、レイ。
レイは泣きそうな顔でわたしの肩を……つかもうとするけど、やっぱりつかめなくて。
悔しそうに顔を歪めて、わたしの目を見た。
「千秋、大丈夫か!? ごめん……、ごめん! 邪魔するつもりはなかった! でも、他にどうしたらいいか分からなくて……!」
……それでね。なんとなく分かっちゃったんだ。
わたし、またレイに乗っ取られてたんだ。
劇は成功に終わったけど、それはわたしの力じゃなくて、レイの力なんだ……。
「……っ」
恥ずかしくて。いたたまれなくて。悔しくて、情けなくて……。
いろんな感情がぐるぐると自分の身体を暴れ回って。
幕が下りたその瞬間に、わたしはその場から駆け出した。
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