第6話 割り箸を横にして口にくわえて読んでみるといいですぞ

 それからは、ひたすら練習!

 基礎として体力作りと筋トレは相変わらず。

 はじめの二週間くらいはすぐに息が切れちゃったけど、さらに二週間も経てば少しだけ身体が慣れてきた。

 もちろんセンパイたちみたいにはまだまだなれないけどね。

 それでも、ゼェゼェからハァハァくらいにはなったんだよ。……って分かりにくいか。


 やっぱり男の子だからっていうのもあるのかな。

 能代くんはこういうのは簡単にやってのけて、休憩もそこそこに自主練習を始めるんだ。


「能代くんって、いつから演劇をやってたの?」


 わたしは、滝みたいに出てくる汗を拭いながら聞いてみた。

 こうやって休憩中に話せるようになったのも、少し前なら想像できなかった。

 とにかく呼吸させて! 休ませて! って感じだったもんね。


 能代くんはちらっとわたしを見る。

 相変わらずクールそうな目。

 でも、今日はその目がまだ逸らされなかった。


「……別に」

「はじめてじゃないんでしょう? すごく上手だし」

「……昔、友達とやってただけだ」

「友達と? 友達も演劇部なの?」

「……」


 ああ。黙っちゃった。

 それでも前より話してくれるようになったから、進歩だと思う。

 わたしが練習を真剣にやるようになったから、少しは認めてくれたのかな。

 なんて。うーん、それはポジティブに考えすぎかな?


 腹式呼吸もだんだんできるようになってきた。

 腹式呼吸ができると、喉をつぶしにくいのに、声が遠くまで届くんだって。

 喉がつぶれちゃうと、痛いだけじゃなくて何て言っているのか聞き取れなくなっちゃうもんね。


 レイに教えられたように寝転がって、お腹に手を当てて呼吸してみたり。

 声を出さないで、息をすばやく吐く練習をしたり。

 しっかりとお腹をへこませて、一回で息全部吐ききって……これがけっこう、きっついの。

 お腹が疲れるって感覚、はじめてだったかもしれないよ。


 それからわたしが全然できてなかった、滑舌!

 口の周りの筋肉を柔らかくする必要があるんだって。

 わたし、自分の表情筋がこんなにカタいと思わなかった!

 なんなら能代くんの方がカタそうだよね。いつもムスッとしてるし。

 これを言ったらレイはめちゃくちゃ笑ってたけど……レイは表情筋、すごーく柔らかそう……。

 ユーレイに表情筋があるのか、よくわからないけど。


 そうそう、滑舌は柱センパイがすごいんだ。


「拙者親方と申すは、お立ち会いの内に御存知のお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原、一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪致して、円斎と名乗りまする」

「うわぁぁ……! 柱センパイ、ほんとにすごい!」


 難しくて噛みそうなのを、全然間違えないで、スラスラと!

 感動して、思わず、拍手! 何回聞いても惚れ惚れしちゃう。

 柱センパイは、メガネのブリッジをくいっと上げた。


「元から早口には慣れているというのもありますがな」

「それでもすごいですよ。どうしたらわたしも噛まないで言えるようになりますか?」

「居森殿は表情筋も良くなってきてはいますゆえ……あとは舌を鍛えるのも良いですぞ」

「舌、ですか?」

「割り箸を横にして口にくわえて読んでみるといいですぞ」

「わ、割り箸を。……やってみます」


 想像したら不思議な光景だ。

 でもこれだけスラスラ言える柱センパイが言うんだし、うん、帰ったら割り箸を探してやってみよう。

 

「ア! エ! イ! ウ! エ! オ! ア! オ!」

「うん、居森さん、いい感じ」

「桜台部長!」


 わたしの発声を見て、桜台部長がにっこりと褒めてくれた。

 えへへ。桜台部長、何でも褒めてくれるけど、やっぱり何度言われてもうれしいな。


「さて。みんな、練習を一旦切り上げて……ちょっと話を聞いてもらってもいいかな」


 部長が手をパンと叩いた。

 わたしも、能代くんも、柱センパイも動きを止める。

 桜台部長は一度、わたしたち全員を見回した。

 コホンと、咳払い。


「居森さんも能代くんも部活には慣れてきたかな」

「はい!」

「……まあ」

「良かった。それじゃあ、これからの活動について話すわね」

「これからの活動……ですか?」


 首を傾げると、桜台部長はフフ……と意味深な笑みを浮かべた。


「わたしたちは演劇部よ。地道な練習はもちろん大事だけど、それを発揮するのは……舞台の上でしょう?」


 ぶ、舞台!

 そっか、そうだよね!

 練習だけじゃなくて、本番があるんだ。

 言われてみたら、当たり前なんだけど……。

 意識したらドキドキしちゃう。


「次の舞台は二ヶ月後。うちの学校で発表会があるの。本来なら新入生は出ないで、演劇の雰囲気を見てもらう意味合いもあるんだけど……知っての通り、うちは今、メンバーがとても少ないから。居森さんと能代くんにも出てもらおうと思うの」

「え!?」


 ま、まさか、わたしが、舞台に? こんなに早く?


「台本は練習にも使っている『ミチゼルとグレチルと青い鳥』。兄のミチゼルを能代くんに、妹のグレチルを居森さんにお願いするわ」

「ええ!?」

「ま、待ってください部長。こいつが、グレチル?」


 能代くんが慌てて止めに入る。

 でも、わたしも同じ気持ちだった。

 だってミチゼルとグレチルって、要するに、主役みたいなものじゃない?

 最初から最後までずっと舞台に立っている役だし。

 それをセンパイたちじゃなくて、よりにもよって、わたしが?

 上手な能代くんはともかく……。


「ええ。詞子とも話したんだけど、それがいいと思うの」

「いかんせん人が足りませんからな。その他の役を自分と舞殿で回しますゆえ。様々な役を演じ分けるより、居森殿と能代殿には一つの役に集中してもらう方がいいだろうという結論になった」


 ギラン、と柱センパイのメガネが光る。

 不思議な迫力と説得力だ。

 でもたしかに、演じ分けるのは、わたしにはまだ難しそう……。


「やったな! 千秋!」

「レイ……」


 動揺していたら、レイがくるんと回ってわたしの前に飛び出してきた。

 目が生き生きとしている。

 ユーレイが生き生きしてるっていうのも変な話だけど。


「こんなに早く役がもらえるなんてなかなかないぜ! チャンスだよ千秋!」


 ……それはそう、なんだよね。

 きっと人数の多いところだと、全然役がもらえない人もいるんだろうし。

 それは分かってる。

 わたしだって、演劇部に入ったからには、舞台に立ちたいとも思っている。

 でも……。

 どうしても不安で、わたしはレイの目を見ることができなかった。

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