012

 結局、間抜けでヘタレな僕は契美さんが帰ってくる前に座布団で寝落ちし、目が覚めたときには誰かに布団に寝かされていた、というなんとも格好悪い有様だった。

 昨日とは違い、海老介さんからの拘束もなくスムーズに支度が進んだ。

 何も知らない、何も知らせていない契美さんは朝風呂に行った。僕が今日帰ることを知ったからなのか、辰巳さんと海老介さんは黙々と僕と支度をした。どうか自意識過剰であってほしかった。

 そんなわけで、東京駅までの車内。四人で並んで座った。

「――契美さん」

「帰るんか?」

「はい」

 口元が歪んだ。

 お見通しだったわけだ。

「帰ったら、どないすんの」

「変わらない日常を送ります――いや、少し変わった、少し悪い大人に影響された日常を送ります」

「ヒメはそれで平気なんか?納得できとるんか?」

「はい」

 俯き、垂れた黒髪に隠れた目は見えない。

 ガタンゴトンと揺れる車両はこんなシュチュエーションにも拘らず僕をリラックスさせてくれた。

「うちの話をしてもええか?拒否ってもするけど」

「どうぞ」

「うちが自分と同じくらいの時な、大阪から東京に家出してな、一週間で帰ってん」

「どうだったんですか」

「ただただ後悔したわ。肩身が狭くなるだけやったわ」

 でも僕は肩身を狭くする親も家族もいない。だから平気だ。

「結果、高校中退する羽目になったわ」

「それから?」

「絵描いて、稼いだ金で東京来てん」

「いいじゃないですか。契美さんにしかできなかったことですよ」

「うちの部屋、狭いけど住めないことないで」

「申し訳ないですよ」

 契美さんはスマホで時間を確認した。

 お別れまで、一時間ほど。

「契美、ヒメが困ってるぞ」

「うちも困ってんのやけど」

 辰巳さんに背中を撫でられても落ち着かない様子。

「なんで、そんなに引き留めてくれるんですか?」

 僕は疑問を口にする。

 僕を心配してくれているのはわかる――しかしなぜここまで。

「――うちもわからん。でもなぜか一人にはさせったない」

 感情が読めない。

「さらに困りましたよ。申し訳ないですけど、僕は帰ります。あと一時間ぐらいあるのでそれまで話をしましょう」

「上からでムカつくな」

「ごめんなさい」

「ええよ。話聞かせてや」

 切り出したは良いものの、引き出しがゼロ。こうなったら即興の自分語りしかない。

 僕は深呼吸してから開始する。

「昨日まで、契美さん達のこと好きでしたよ」

「なんや昨日までって」

「今はぶっちゃけ面倒臭いです」

 辰巳さんが笑う。

「言い忘れてましたけど、こっからは全部本音で語ります。飾っても仕方ないし疲れますし、嫌われたい気持ちもなくはないのかも知れません」

「なんやねんそれ」

 契美さんは覇気はないが笑っている――気がする。

「やっぱり変わってる人と関わるのって疲れます。最初はワクワクしましたけど、その凄さに慣れればただの変な人だし」

「だいたいですよ、これ男女逆転したら世間体最悪ですよ。ロリコンが女子中学生家に住まわせてたらみんなドン引きするでしょう、それと一緒です」

「元より僕は性格が悪いですからね。人を見れば荒を探すし、自分より優れた人が近くにいたら当然妬みます。人より劣等感を感じやすいんだと思います」

「だから、それを言い換えると優越感に浸りたいんですよ僕は、自分より劣っておる人を見下して、気持ちよくなりたいんです。対戦ゲームが好きな理由なんてまさにですよ」

「そもそも僕は共感を一人求めるのが好きじゃないんです。ありませんかこんな経験。自分の好きな映画なんかを布教したはいいものの、結局熱狂しているのは自分だけ。馬鹿馬鹿しくなって、価値観を共有したいだけなのにその相手すら恨んでしまう。自己嫌悪に苛まれるのは嫌なんですよ」

「辰巳さんの歌もそうでしたけど、だいたい僕は人の音楽に泣かされるのが嫌いなんですよ。僕は同い年の人間の中だったら誰にも負けないぐらい捻くれているし、穿った視点で物事を捉えてしまうけど、世界で一番悩んでいる自信があるんです。学生のシンガーソングライターの歌に泣かされる社会人とか、どんなけ薄っぺらい人生送ってんだよって思います。少なくとも、その創作物をただ受け取る側の人間にはなりたくない。批判していた方がまだマシです」

「悩んで悩んで悩みまくった結果、それで生まれたことといえばこんなくだらない考え方だけです。他人を評価したくない、自分の価値観をとにかく押し付けたい。自分が正しい。自分以外は間違っている」

「親が死んだ時思ったんです。自分の価値観は、今まで自分の価値観だと思っていたものは自分のものではなかった。親の価値観だ。両親の価値観をミックスした価値観。だから両親が喧嘩をしているとどちらも正しく見えるし、どちらも間違っているように思える。僕は納得したんです。なんで生きづらいか。それは自分がないからだと」

「じゃあどうしたら良いか考えました。答えはすぐに分かりました。一人でいればいいんです。まず親から刷り込まれた正誤不明の価値観を改め、本を読んで、ネットを見て、人と話して、友達を作って、だけど最後は一人でいるんです。この世界の審判官になった気分でした」

「でも孤独であるためには強さが必要でした。当然僕には強さなんてなくて、全く続きません。そうです、孤独であることは強いことを意味します。弱いから群れる。現代で孤独に生きることは不可能と言っていい。どう生きても、どう足掻いても結局は群れてしまう。僕があなたたちに出会ったのもそうです。楽しかったんです。本当に嬉しかったんです。弱かったから。僕は弱いから、非日常に乗せられて気づいたら助けられている。助かりたくないのに。助かってはいけないのに」

「僕といると、生首悲鳴といると、人は不幸になる。僕といて幸せになる人間はいない。だから僕を幸せにする人間もいない。いてはいけないんです」

 捲し立てた。

 腹に溜まっていたヘドロのような感情を全部流し出した。

 外に出したからと言って中が綺麗になるわけでもなく、外を汚しただけ。ただただ、やってしまったという、空腹感にも似た虚無に襲われた。

 嘘は一切ない。これが、僕の本音。

 もうこれで引き留めることはないだろうし、今すぐにでも僕とはさよならしたいだろう。

 僕はこういう人間だ。

 偽っていても、必ずいつかボロが出る。

 正直に、誠実に、最悪な感情を渡そう。

「僕はこんな人間です。捻たガキならまだしも、加害欲求をひけらかすようなただの犯罪者予備軍です。拘らない方がいい――いや、拘らないでください。今の僕はどんな言葉をかけられても、負に受け取ってそれを増幅させるだけです。僕は世界で一番悩んでいる自信があるけど、一番不幸な人間ではないと思うから、僕より不幸な奴を救ってあげてください」

 積み木を倒したように、恩を仇でぶっ飛ばす。

 頬を伝う涙は、自分のものだとは思えないほどに冷たかった。

 契美さんはいつのまにか僕の顔を覗き込み、歯を食いしばっていた。ギリギリと。

 握られた拳は見るだけで僕を痛くした。

「それが自分の本質か」

「はい。このまんまです。そしてこれだけです」

 僕の涙はすぐに止まるが、契美さんは今にも僕を殴りかかってきそうな形相だ。

「引きましたか?気持ち悪かったですか?」

 僕はもはや挑発的とさえ捉えることもできる台詞を吐く。

「――」

「弱そうで助けて欲しそうなガキに尽くしたら、別れ際にとんでもない本性を剥き出しにする。気持ち悪いどころか悍ましいでしょうね」

「――」

 握られた拳が唸りをあげて僕を威嚇するが、止まらない。もう止まらない。

「でも僕もそうですよ。僕のことを思ってくれているのはわかりました。痛いほど分かりました。でも僕はそれが気持ち悪くて仕方がない。理由がわからない。見も知らぬ子供にそこまでできるのか。自己満だと、自分が好きでやっているんだなんて言われたら尚更気持ち悪い」

 本当に気持ち悪い。

「気持ち悪い」

「僕は自分が気持ち悪いんですよ」

 自分が、生首悲鳴が気持ち悪くて仕方がない。

 とうとう、契美さんが吊り革を離し僕の方に手を突き出す。

 その手は僕の伸び切った前髪を掴み、そのまま引っ張り上げた。

 僕の身体は座席のシートから引き剥がされる。

 綺麗な弧を描き僕の頬に向かうその右手はスローモーションのように見えた。

 僕を、この腐った人間を粛清する正義の拳。

 これを食らえば、頬に衝撃が走ればそれで終わる。いや、何も終わらない。もしくは、すでに終わりきっているかも知れない。

 ――しかしその拳は僕の頬に当たらない。

 座席から離された僕の体はそのまま契美さんの、小さくて大きな暖かい体に包み込まれた。

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