007

 わりと冗談抜きで汚い部屋だった。茶髪さんの発言は謙遜でもなんでもなかったらしい。ギリギリ、足の踏み場は確保されているものの、どう見ても四人が座れるスペースはなかった。

 僕がたじろいでいると、三人は疲れたーとか言って、慣れた動作でそれぞれベッドの上、テーブルの上、ギターアンプの上に座った。絶対楽じゃないだろうとツッコミを入れても良かったのだが、やめておいた。

「隣おいで」

 ベッドに座った茶髪さんがシーツをパタパタ叩いた。

「――お邪魔します」

 僕は言われた通り、隣に腰掛ける。

 大人の女の人と二人でベッドに座っている自分を客観視するとかなり恥ずかしかった。

「もっとこっちおいでよ――いいや、ボクが詰める」

 茶髪さんはお尻を擦って僕に密着した。

「絵面やばくなっとるで。未成年襲ったらあかんよ。男同士ってのは否定はせんけど」

「あはは…。――は?」

 男同士…?

 思わず茶髪さんを凝視する。

 可愛らしく巻かれた茶髪。丸くて透き通った顔。手足はスラリと長く着ている服もフェミニンな印象。声だって女性としか思えない。

「マジなんですか」

「あはは、見る?」

「いや見ませんけど!」

 キュロットの裾をひらひらとひらつかせてくすくす笑う茶髪さん。

 ますます女性にしか見えない。

 イケメンはずっとギャハハと笑っている。

「あ、お名前をお聞きしても?」

 たしか、二人からは『えびちゃん』と呼ばれていたのだったか。

「ボクは海原海老介。えびちゃんでいいよ」

 僕の頭を両手でガシガシして茶髪さん改め海老介さんが名乗る。

 男女とか関係なくなんだか照れ臭い。男性だと分かってからは恥はほとんどなくなったのでよかった。

「俺は辰巳ヒカル。ヒカルはカタカナだ」

 イケメン改めバンゲ改めヒカル。オールカタカナ。

「バンゲでいいと思うよ」

「せやな」

 隣で海老介さんが笑う。

「バンゲってなんなんですか」

「携帯番号ゲットの略。ナンパ用語や」

「俺はナンパしたことないぞ」

「してそうやから」

 まあ確かに、辰巳さんは非常にモテそうだ。電話番号どころかそのまま乙女心までガッドしてしまいそうなほどに整っている。

 今僕の隣に座っている海老介さんだってメイクを落とせば美女から美男子に変貌することだろう。

「古城契美。古の城。美しい契で契美。契美さんって呼べや」

 この時僕は初めて契美さんの名前を知った。

「――よろしくお願いします」

「あんま畏まらんで。うちは面白そうやからあんたと遊んでるだけや。善人やない」

「でも悪人でもなさそうなんで」

「さよか。ほならあんたも名乗れや」

 すっかり忘れていた。

「僕は…」

「ストップ!ストップ!ストップ!」

 辰巳さんがギターアンプから立ち上がり僕の口を塞ぐ。

「何しとんの。びびらすなや」

「クイズ形式にしようぜ。当てたら一万円」

 何を言っているんだこの人は。

「誰が払うの?」

 海老介さんが触覚を人差し指でくるくるいじりながら聞く。

「自分探し少年だ」

「えー」

「いや待て待て。それで一度外すごとに千円払う。これでどうだ?」

 僕の『えー』という反応は別に嫌だったわけではない。絶対に当てられないという確信があったからだ。悲鳴なんて名前誰が思いつくだろう。ヒントなしで当てられたら百万円あげてもいい。

「あんたはそれでええの?」

「はい。結構自信あります」

 契美さんは僕に確認をとってからバックから財布を取り出す。

 それを見た辰巳さんはギターケースの中から、海老介さんはベースケースの中からベースを取り出す。海老介さんはベーシストだったか。ケースに入っているままだと、僕にはギターとベースの区別はつかない。

 千円札を机にバンと叩きつけて辰巳さんが先陣を切った。

「太郎!」

「あんたいくら使う気でいるん?当てに行けや」

 躊躇なく野口を手放す男気は褒めても良いが流石に太郎で当たるわけがないだろう。僕は一度も会ったことない。

「えっと、珍しい名前なんやろ?」

 契美さんが小銭をかき集めて千円を数えながら聞く。

「はい。なんか申し訳なくなるぐらい当たらない自信があります。ヒント出しましょうか?」

「そないに珍しいんか。イニシャルだけ教えてくれ」

 一瞬、辰巳さんが少しかわいそうだと思ったが、太郎とか言ってたし気にしないだろう。

「NHです。苗字、名前の順でNH。片方だけで終わりにしましょう」

「さよかー。じゃあ、嘆き姫介」

「おお、結構惜しいです。下の名前が」

「違ったか。当たらへんやろこんなん」

 小銭がじゃらじゃらと千円札の上に置かれた。

「あとは任せたわ。うち金欠やわ」

「くそ、古城はここで終わりか」

「売れない画家はたいへんだねー」

 海老介さんが笑う。

「画家なんですか?契美さんって」

「そうだよ。全然売れてないけどね」

 のほほんと酷いことを言う海老介さんはジャズベで即興であろうメロディをスラップで奏でている。

 それに対して契美さんは悔しそうに、「貧乏なのは今だけや」と唇を噛んでいた。

「三人とも大学生かと思ってました」

「この中に大学生はおらんよ」

「俺はシンガーソングライター。『光屋達也』って名前でやってる。サインあげるよ」

「――ありがとうございます。あとで聴きます」

 なんか知らなくて申し訳ない。結構すごい人だったらしい。

「うちは画家。今はまだ売れてへんけど絶対億万長者になるで」

 契美さんは誇らしげな笑みを僕に向けた。「契美は自信だけは一丁前だよな」と辰巳さんが茶化すと舌を出して怪しく笑った。

「ボクは色々やってるよ。バンゲの収録の手伝いだったり、コスプレモデルだったり探偵だったり占い師だったり。あとは遺跡ハンターとか。お金もらえるなら基本何でもやる」

「探偵?占い師?遺跡ハンター?」

 聞いたことあるけど見たことない職業だ。

「そう、ボクの特技は読心術だよ。あと運動も得意」

「――読心術ですか」

 テレパシーとも呼ぶ。僕の思考が読めるならば僕の名前もわかるのだろうか。

 そんな考えが頭に浮かんだ瞬間、顎を掴まれ海老介の方を向かされた。

 目を逸らそうとしても、なかなかできない。

 茶色の前髪から覗く茶色の目を見つめていると身体中の力が抜けた。

「うわ、マジで変な名前」

 僕の頭から手を離した海老介さんは僕をかなり気味悪がっていた。

 そりゃそうだと思う。

「そんなに珍しいのか?」

「うん」

 流石に凹む。名前はあとで変えることもできるし、あまり気にしてもいなかったのだが、僕の苗字は名前も相まって気持ち悪いと言っても過言ではなかった。

「一万円ですね」

「いいよぜんぜん。ズルしちゃったし」

「ではこれもいただけません。二人分返します」

「俺はいらんから契美が貰え」

「ありがたいわ」

 この勝負は契美さんが千円を獲得して終了した。辰巳さんの男気は真似していきたいと思った。

「で、名前は?」

「うん、気になる」

 契美さんと辰巳さんはまだかまだかと首を伸ばしている。

 僕はため息をついてから名乗りたくない今は亡き両親の苗字と格好悪い名前を名乗った。

「生首悲鳴」

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