第二話、若しくは過去という番外編『古城契美という不覊奔放との鉢合わせ』
006
これは中学一年の時の出来事。僕の両親が死んでから、二週間後のことだった。
親の死という体験はきっと誰しもが乗り越える壁なのだろうが、その壁に直面する期間が中学生というのはやはり珍しいものだろう。そしてそれは僕にとって、かなり辛いものだった。
その日、僕は学校の授業が終わったあと、誰とも話さずに一人で帰宅していた。それは今でもあまり、いや全く変わっていない。相違点を挙げるとすれば、高校では自転車通学だから、という言い訳ができるが、中学では言い訳の余地もない、ただのぼっちだったということだ。
心を閉ざしていた。
周りが眩しかったから。目を開けていることだけで精一杯だった。
周りが輝くほど僕の影は薄くなり、心の闇は濃くなった。
自分はつい最近までその周りと同じ状況下で生きていたのだと思うと、幸せを取り戻せないことを悟り涙が出た。これでもかというほど泣いた。
子供一人で暮らすにはあまりにも広すぎる静まり返った、もう自分の家とは思えない一軒家の中に入ると、別に何をしたわけでもないが疲労でフローリングの床に倒れ込み、そのまま目を瞑って寝てしまった。
目が覚めたのは午後十時過ぎ。明日も学校があるので、生活サイクルが壊れるのは起こしてくれる親がいない僕にとって非常事態といえば非常事態だったのだが。その時の僕に焦りという感情はなかった。なぜだか無心に冒険をしたい気分だったのだ。
決断に迷いはなかった。血迷っていたのかもしれないが、この得体の知れない行動力がなければ契美さんに出会うことはなかったのだとおもうと、だからやはり、これは運命的な何かが作用したとしか思えなかった。
今は亡き父から譲り受けたフットワークの軽さを発揮して僕は自転車を駅に違法駐車し、電車に乗って東京へ向かった。
電車の中ではできる限り余裕な表情を作った。怪しい顔をしていると親切でお節介な大人に通報され補導されてしまうと思ったからだ。
側から見たら完全に家出少年だっただろう。そもそも僕に出る家があるのかは置いておくとして、その時の服装はジーンズにパーカーというスタンダードなガキファッションで、身長も百三十センチと、かなり小さかったので誤魔化しは絶対に無効だった。
運が良いことに、東京までの電車では説教を垂れる大人も、僕を捕えようとする警察もいなかった。
電光掲示板の東京という文字に流されていたが途中で乗り換えて、聞いたことのある御茶ノ水に向かった。
もうすぐ深夜だというのに人だらけ。以前来たことがあったのでそこまでの驚きはないが、やはり田舎者にはテンションが上がった。
楽器屋なんかはもうすでに店仕舞を始めていてやっている店の方が少なかったまであるのだが、買い物をしに来たわけでもないのであまり僕には関係なかった。大体、中学生の小遣いでささっと購入できるほど楽器は安くない。
酔っ払いに会釈してみたりすると面白い反応が返ってきて楽しかった。
さらに一時間ほど歩くと、流石に肉体的にも精神的にも疲労してきて、人が少ない路地で座り込んだ。そして――目を瞑る。
興奮は夜の春風と共に冷め切っていた。
「何やってんだ僕」
独り言。
久しぶりに声を出した気がする。
先ほどから聞こえる賑やかで甲高い三人組の話し声とのギャップに思わず変な笑いが出た。
帰る、という選択肢は浮かんでもすぐに消えた。あそこに、あの家に、あの家族の抜け殻に、『帰る』という表現を使うことに違和感すら感じる。
「ねぇ、なにしとん」
「――うわっ!」
突然耳元で訛りのある声がしたのでめちゃくちゃに驚く。僕に声をかけてきた人が初めてだったからというのもあるだろう。
黒髪ボブの若い女性。
ダボっとした黒のTシャツに裾が太くなったスキニーのジーパン。ナイキの白いバスケットシューズ。ロザリオ。シンプルだがかなりカッコよくオシャレに決まっている。
「家出?迷子?」
「――どちらかと言えば、迷子」
「家はどこや」
「群馬」
「なんやそれ、ほぼ家出やん。親は?」
「いません」
「んなもんわかっとるわ、どこにおるんって意味や」
「先々週死にました。だからいません」
「それ先に言えや。うち謝りとうないんやけど」
気まずくなって二人ともしばらく黙った。そして沈黙を破ったのは別の二人。
「どうしたのこの子。ちっこくて可愛いな。何歳」
「――家出?」
その二人を見て僕は先ほど楽しそうに話していた三人組だったと気づく。
二人ともギターを背負っている。バンドマンだろうか。
一人は背の高い爽やかなイケメン。もう一人はおとなしそうな茶髪の美人。
「家出かぁ。俺もよくやったよ。楽しめ楽しめ」
ニカっと笑いながら背の高いイケメンが話しかけてきた。
「バンゲ、この子、親死んじまっとるらしいんや。やめてやり」
「うわまじか!すまん!ごめんな!」
関西弁さんの配慮しきれていない発言を聞いて表情を変え、本当に申し訳なさそうに手を合わせるイケメン、否、バンゲ。あだ名だろう。
普通の人なら優しい人に出会えた、なんて思うのかも知れないが、少なくとも今はそう思うのだが、この時の僕は無性に腹が立っていた。しょうがないと言えばしょうがないが、やっぱりすこし捻くれすぎかと反省する。
「――ってことは迷子でもなく、家出とも言いにくい。『自分探しの旅』ってとこかな」
茶髪さんが呟く。
「これからどうするとか決めてる?まだ寒いし野宿はお勧めしないな」
「――帰ろうと思います」
実際に帰ろうと思ったわけではない。ただこの人たちから遠ざかりたかっただけだった。
しかし――、
「いや待てや、帰るて、君親いないんやろ。なんしか帰るな。ちょい話そうや」
古城契美さんは僕を引き留めた。
引き留めたと言っても、別に僕は立ち上がったわけでも荷物をまとめたわけでもないのだが、契美さんは僕の肩をガッチリと押さえ、僕を帰らせなかった。契美さんの表情は真剣そのもので僕にそれを拒否することはできなかった。
「ボクんち来なよ。一晩とは言わず泊めてあげる」
「そだな。飲み直そうぜ」
「てめーは酒禁やろ」
茶髪さんの提案にトントン拍子でことが進んでいく。僕はすでに、先ほどまで鬱陶しいとまで思っていたこの大学生三人組を羨ましく思い、そして憧れていた。こんな自由な人間が日本にいたなんて。
「よろしくお願いします」
僕は頭を下げる。
「かしこまんなって。えびちゃんの部屋は広いんだ」
「あんまり期待しないでね。汚いから」
「はやくせぇ」
僕は時間など全く気にせずに、三人についていった。
惑うことなき非行少年だなと思った。
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