005
広いとは言えない二十年前の車の車内の後部座席で、僕と微睡は二人で墓守先生を待っていた。
僕は会計の途中で微睡が逃げないようにと監視役を任されたのだ。また創作部の依頼記録が謎を増した。
会計は三人まとめて墓守先生が支払うことになった。僕と二人だったら、絶対に奢ってもらえてなかったので、微睡には感謝だ。
「ありがとう」
「――は?」
僕が呟くように感謝を述べると、微睡によって純粋な疑問符が打たれる。
「あ、ごめん」
「――」
僕は何をやっているんだ。あり得ないほどに気まずい。
そらより『は?』ってなんですか。怖すぎるる。死ぬかと思った。
それより先生がなかなか帰ってこない。
沈黙に耐えられなくなった僕は再び会話を試みることにした。僕はとことん沈黙に弱いな。
「この店いいよね。リニューアルしてから綺麗になったし。そして何より美味しい」
なるべく明るい口調で言う。
「――なぜタメ口なの」
「同い年だから良くないでしょうか。微睡さん」
マジでなんなんだこの女。
そういうお前は思い切りタメ口じゃないか。少し、いやかなりイラっときた。
いかんいかん。僕としたことが。ここは紳士らしく、明るく穏やかに対応し、いつも通り軽やかに乗り切って見せよう。出来るはずだ。
「えー、微睡さんも、よく来るんですか」
「名字で呼ばないで」
疑問形にして会話を長引かせるテクも、微睡に対しては効果は皆無のようだ。やっぱりこの人とはコミュニケーションが出来ないのかもしれない。
「えっとじゃあ、淀さん」
「――」
無視。
本気でなんなんだこの女。
「淀ちゃん」
「――」
「よっちゃん…って痛い!」
裏拳が飛んできた。絶滅危惧種のヤンキーはここにいたか。
「じゃあどうお呼びしたらよろしいでしょうかね」
「――淀」
「わかりました…、――淀」
しっくりこない。
敬語と呼び捨てはここまで不調和なものなのか。
逆ならまだしもなのだろうか。まだ様付の方が話しやすい気がする。淀様。
「いいややっぱ。微睡で。敬語もいらない」
こちらから目を逸らし微睡はそう言った。
「ありがとう、微睡」
幸運なことに本人的にもむず痒かったようで制限が解除された。
素直じゃないだけで、なかなか良いやつなのかもしれない。
「それで、お前も養子なの?」
「この流れで僕をお前呼ばわりできると思ったら大間違いだ。訂正しろ!」
僕は思わず大きな声で突っ込む。
「てめーも養子なの?」
性格の悪い笑みを浮かべる微睡。どうやら喧嘩を売っているらしい。コイツは間違いなく良いやつではない。
「てめーって…。それが許されると本気で思っているなら最大限の憐れみと軽蔑をプレゼントするよ」
「だって、私、てめーの名前知らないもの。同じクラスになったことは一度もないし、話したことも見たこともない。てめーみたいな人、見たとしてもすぐに忘れてしまうでしょうけど」
「――後半いらないだろ。それと、僕たちは一年生の時同じクラスになっている!」
呆れた。誰か僕を憐んでくれ。
「へー。で、名前は?」
答えないのはいくらなんでもおかしいので、僕は渋々答える。
「――古城悲鳴だ」
「え、なに?」
まるで腫れ物に触れるように聞き返してくる。控えめに言って、クソムカついた。
「古城悲鳴。これでも前よりマシになったんだからな」
「おかしな名前ね。ヒメイというのはどういう字を書くの?」
「悲しく鳴くと書いて悲鳴。そのまんまだ」
微睡にだけはおかしな名前だなんて言われたくなかった。淀ってなんだよ。
「変わった人。それと、暗そうな見た目に反して、あなたなかなか舌を回すのね」
「舌を回すって…。そんな小顔効果とか歯周病予防効果なんて狙ってねえよ!」
正しくは、舌が回るだ。
「やけに詳しい」
「一時期やってたからな。痛くて三日でやめた」
「聞いてないわ。私は養子のことしか聞いてない。私はただ参考までに、古城くんがどんな境遇なのか知りたいだけ」
僕の二人称も決まった様子だ。まあ、妥当なところだろう。
「うん、あんまり気が進まないけど。いいよ」
「そう、断られると思ってた。一言も喋らないから全部話して、スッキリ気持ちよくなりなさいな」
微睡の楽しそうに話す姿は、約三ヶ月間登校拒否を続けている不登校児にはまるで見えなかった。
「相槌ぐらいしてくれた方がありがたいよ」
僕は語り始める。僕の過去の話を。僕と彼女、契美さんとの出会いを。
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