004

「お願いします」

「シートベルトしろよ」

 銀のシルビアである。

 シルビア。シルビア?

「そういえば、墓守先生って何歳…」

「黙れ」

 首を絞められた。

「ごべんなざい」

 五秒ほど睨まれてから、先生は僕の頸動脈から手を離し車を走らせた。ハンドルだけ握っていてほしい。

 目的地は学校近くにある『中国はうす龍』という中華料理屋。

 よくある町中華であるが、ガチ中華に引けを取らない中華っぷり。夫婦二人で営んでいて、中国出身のお姉さんの訛りのある接客がとても良い。厨房にいてあまり顔を出さないが店主の格好良さは俳優レベルである。

 僕と墓守先生はたまにこの店に通う。その大体は僕が部活動で大きめの仕事を片付けた後のご褒美のようなものだ。幸運なことに、学校の関係者に二人でいる時に出会したことがないのだが、生徒はまだしも教師に見つかったら色々と面倒くさそうなので対策を考えておかなければならない。

 その後、先生はテレビはもちろんラジオも音楽も何もつけずに、店に到着するまで五分間黙ってハンドルを握り続けた。もしかしたら歳を聞いたことを割と怒っているのかもしれない。普段から表情は死んでいる、とまでは言わなくても無表情と無口を貫いている墓守先生だが、車内の暗い雰囲気も相まってか、そこらのヤンキーより怖いかもしれない。最近の群馬にヤンキーは少ないが。

「行くぞ」

「はい」

 声も心なしかいつもより尖って聞こえる。気のせいであってほしい。

 店に入ると金曜の夜ということもあり、結構賑わっていた。

 カウンターの最奥に案内され二人で並んで座った。僕が一番端っこ。

「何にする」

「味噌担々チャーシュー麺」

 素早く確認すると先生はすみません、と手を挙げ、例のお姉さんに注文を済ませた。ちなみに、先生は五目ラーメンと炒飯を頼んでいた。僕より食べるらしい。太っていないが、もう少し緊張感を持っても良い気がする。その方が女性らしいなどと言うとまた怒られるのか。

「微睡の件だが」

 先生が切り出す。

 あまり人のいるところでする話じゃない気がするのだが。

 現に先生の隣の席でラーメンを啜っていたパーカー女子も訝しげな顔でこちらを見た。気にせず食事に戻ってほしい。

「無理なことを頼んだ。忘れてくれ」

 先生は僕の目を見て言った。

 素直にそう言われると、なんだか変な感じがする。そもそもどうして。

 僕は不意に出た疑問を口にした。

「そもそも何で僕に?」

「あいつとお前の境遇が似ていたからだ。あいつも、お前と同じで養子なんだよ。最も、順風満帆だったお前とは違い、あいつの場合は最初から冷遇されているみたいだが」

 やはり、こんなところでする話ではなかった。さっきのパーカー女子頬杖を突いて話す先生の後ろでこちらを向いた。

 先程よりももっと由々しい感じだ。

 その時ようやく――僕は気づいた。

「――先生えっと」

「昼間は家にいて、親が帰ってきたら外に出て街を彷徨いてるらしい。私は別に関係ないというか、学校が全てではないと思う派だけれど、まず話をしてみないと始まらないからな」

「――そうですよね」

 先生の話の内容など頭に入ってこなかった。

 僕の意識は今、その隣にいるパーカー女子、否、微睡淀に向けられている。

「生徒にする話じゃないよな。すまんな。でももし見かけたりしたら、声をかけてやってくれ」

「見かけました」

「そうじゃなくて、街とかで見かけたら墓守が心配していたと…」

「今、見えてます。先生の後ろに」

 そう言って僕が指差した刹那、いつの間にかフードを被った微睡がラーメンを残して会計もせずに走り出していた。

 先生は迷うことなくそれを追いかける。

 店の引き戸が勢いよく開閉を繰り返した。

 マジで何をしているんだ。衝動的すぎる。

 店にいた客は皆僕の方を向いた。会釈を二、三度繰り返し愛想笑いとため息をついて場を持たせた。

 そんな僕のところに注文を届けにきたお姉さん。

「ドシタノ?」

「えっと、喧嘩ではないんでご心配なさらず。多分すぐに帰ってきます」

「ソウ、ジャアコレ」

 お姉さんは味噌担々チャーシュー麺と五目ラーメン、炒飯を置いて厨房の中へ姿を消した。

 見た目通り、墓守先生は足が速い。創作部の存続も、生徒、僕を走って捕まえた先生の足の速さと持久力なしではなし得なかったものだ。

 僕が自分と先生の分の割り箸を二膳用意していると、今度は静かに引き戸が開いた。

 そこには半泣きになった微睡の首根っこを掴んだ墓守先生の姿があった。随分とクールな登場だ。

「話をしよう。ラーメンを食った後で」

 先生はそう言って微睡を座らせるとラーメンを食べ始めた。

 拘束を解かれた微睡も逃げても無駄だと悟ったのか、まだ湯気の立っているラーメンを、鼻を啜りながら啜り始めた。

 何が普通の一日だ。非日常すぎるだろう。

「いただきます」

 しっかりと手を合わせてから、僕は冷める気配のないラーメンに食らいついた。

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